中はんぱ
その昔、お世話になったヴァイオリン教室の先生が卒寿を迎えられるという葉書を、発起人となられた方から頂戴した。出席か欠席か。それにしても随分とご無沙汰をしてしまった、これはこの機会に出席してご挨拶、お祝いを申し上げねばと思いつつ、さらに目を滑らせると「楽器もお連れください」とある。
子供たちもお世話になり、自分も教えていただき、アンサンブルに加えていただき、ステージの端に加えていただいたことはある。しかし、ヴァイオリンを弾くことは、その地を去ってからもうすっかり諦めてしまっていた。1999(平成11)年に盛岡に来てからは実家の母の介護に8年、その母が亡くなってすぐに舅の介護が始まり、これが東日本大震災のあった2011(平成23)年の5月まで続いた。楽器を弾くという落ち着いた心境にはなれなかったのと、コンチェルトでも易々と弾きこなせるようならまだしも、初歩の練習曲なぞをかき鳴らされたのでは舅もあまり愉快ではなかろうと、なぜかそう思いこみ、家で楽器を弾くことはしなかった。
しまい込まれて久しいヴァイオリンを持ち出し、チューナーの442㎐で音あわせを試みたものの、4本の弦が完全に廃れてしまっており、ペグを慎重に回しながら弦を鳴らし耳を澄ますも、それらしい音には程遠く、我ながらあきれ果て、そのままケースに戻してしまった。
「楽器もお持ちください」。さてはてどうしたものか。
何れ、一旦やめてしまったものを取り戻すには、大変な時間を要する。それに時間をかけるだけの必要性があるかどうかになる。孤軍奮闘した挙句に、名曲を名曲たらしむる力もない。この時間で、他の方々の真心からの演奏に耳を傾けることのほうがどれほどに有益かわからないのだ。それも楽器を手にしなくなった今一つの理由ではあった。
投げ出さずに続けてきたものだけが今後の自分に残っていくのだろう。それは文筆といえるかもしれないが、ならばこれしかない文筆を、今自分はどれだけ大切にしているだろうか。ここに至って、平成2,3年頃に舅が言った大予言がよみがえる。
「あんだは、俳句、短歌、川柳、詩(当時はまだ小説、評伝は書いてはいなかった)と器用に書き分けてるが、最後には何者にもならなかったづ事もある」
何か一つに絞ったほうがいい、という勧めであったかと思う。そのときは気にも留めなかったが、いまになってこれはまさしく予言であり、しかもいよいよ成就したかとつい笑いがこみ上げた。いまだ詩人でもなく、小説家でもない、ましてエッセイストでもない自分がいる。いっそ「中はんぱ」とでも名乗ってみたなら面白いだろうか。
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