更新をすこしお休みします
パソコンの不具合によりり、家人のパソコンからログインして書いています。これまで故障であっても、考えるところがあり自分のパソコン以外から更新したことは一度もありませんでしたが、今回はご心配いただいたこともあり、事情を一応お知らせする次第です。感謝とともに。
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ある方が「この庭にある花の図鑑を作ってみたら」と進言くださった。図鑑にするほどのものがあるだろうか。しかし気づいてみると、樹木や花ばかりではなく、雑草の一本にも本来は存在意義があり名前が付けられているのだ。草だけが生えている50㎝四方を切り取って、そこにどんな雑草が生えているかをみてみると、ハコベ、タネツケバナ、ヤエムグラ、センダングサ、オニタビラコ、ドクダミ、オオバコなど8種類もあった。こうしてみると雑草が雑草ではなくなる。図鑑で照合することはできても草をきれいに撮るにはさらに技術が要るだろう。草だけを取り上げるとしても、けっこう分厚い図鑑になるのではないか。
図書館で絶滅図鑑を見たことがある。その絶滅ではないけれども、この庭にかつて存在し今は絶えてしまった図鑑というのはどうだろうなどと、考えても意味がなさそうなこともつい連想してみる。ほかの植物を守るため、或いは建物を守るために除かれてしまったもの、栗、柿、さくらんぼ、ねむの木、桜、梅、林檎(フジ)。もみの木、松。土になじまないか不適切な取り扱いに遭って絶えてしまったもの、翁草、シラネアオイ、青い芥子、クロユリ、食用菊、芍薬、その他、記憶から消えてしまったものもある。何かのきっかけで思い出すこともあるだろう。そして名も知られぬままに駆除され生えなくなった草もあるはずだ。
このように書いてはみたものの、図鑑づくりは夢物語で終わりそうな現実となっている。
それにしても、この庭にある植物のどれかに勝利の宝冠を授けるとしたら、それはいったいどの植物に? 実はもうすでに私の中では決まっている。それはドクダミとスギナ。地下に強大な組織網を設け、管理人との熾烈な戦いに連戦連勝、人の世話を受けることなく、踏まれても抜かれても刈られても弱ることを知らない。今なお強靭に生き、これより後も英々と、営々とどこまでも生き延びていく気配なのだ。
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盛岡市内丸にある盛岡城跡公園まで毎朝ウォーキングをしラジオ体操に参加している方々がいる。寒中でも15,6人、夏場は100人。
知るところでは、浅岸、山岸、本町、大沢川原、紺屋町、天神町、志家町、そして内丸に近い町内から来ている。ぜんぶの方々に聞けば、もっと遠くからの方もおられるかもしれない。100人集うとしても広い公園に散るとまばらになる。左には樹高30mはあろうかユリの木がそびえている。カメラには入りきれない右手にも多くの人たちがいる。高齢の方々が多い。
健康維持のため。ひとことで言えばそうなのだが、烏合の衆の意識で気まぐれに参加してきたが、近ごろはこの方々の意識に打たれることがある。ぎりぎりまで歩ける動けるようでありたい。このような思いに熱いものがこみあげる。それは自分が共感した瞬間だったろう。健康寿命の維持だ。誰の体の中にも細部にまで血管が走り、心臓に押し出されて血液が駆け巡っている。この流れが滞らぬように、止まらぬようにときょうも歩き明日も歩く。朝日にきらめく川の流れや河川敷のたんぽぽやわすれなぐさ、ヒマラヤシーダの大きな青い実。街並みを映す幾千枚のビルの窓ガラス。街並みに昇りくるまっしぐらな曙光。花壇のとりどりの花々を慈しみ愛でながら歩きうるかぎり歩き続ける。
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おはようございます。
先週のインマヌエル盛岡キリスト教会のメセージをおつたえします。
聖書引証 使徒の働き3:1~26
1ペテロとヨハネは午後三時の祈りの時間に宮に上って行った。
2 すると、生まれつき足のきかない男が運ばれて来た。この男は、宮にはいる人たちから施しを求めるために、毎日「美しの門」という名の宮の門に置いてもらっていた。
3 彼は、ペテロとヨハネが宮にはいろうとするのを見て、施しを求めた。
4 ペテロは、ヨハネとともに、その男を見つめて、「私たちを見なさい。」と言った。
5 男は何かもらえると思って、ふたりに目を注いだ。
6 すると、ペテロは、「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。」と言って、
7 彼の右手を取って立たせた。するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり、
8 おどり上がってまっすぐに立ち、歩きだした。そして歩いたり、はねたりしながら、神を賛美しつつ、ふたりといっしょに宮にはいって行った。
9 人々はみな、彼が歩きながら、神を賛美しているのを見た。
10 そして、これが、施しを求めるために宮の「美しの門」にすわっていた男だとわかると、この人の身に起こったことに驚き、あきれた。
11 この人が、ペテロとヨハネにつきまとっている間に、非常に驚いた人々がみないっせいに、ソロモンの廊という回廊にいる彼らのところに、やって来た。
12 ペテロはこれを見て、人々に向かってこう言った。「イスラエル人たち。なぜこのことに驚いているのですか。なぜ、私たちが自分の力とか信仰深さとかによって彼を歩かせたかのように、私たちを見つめるのですか。
13 アブラハム、イサク、ヤコブの神、すなわち、私たちの先祖の神は、そのしもべイエスに栄光をお与えになりました。あなたがたは、この方を引き渡し、ピラトが釈放すると決めたのに、その面前でこの方を拒みました。
14 そのうえ、このきよい、正しい方を拒んで、人殺しの男を赦免するように要求し、
15 いのちの君を殺しました。しかし、神はこのイエスを死者の中からよみがえらせました。私たちはそのことの証人です。
16 そして、このイエスの御名が、その御名を信じる信仰のゆえに、あなたがたがいま見ており知っているこの人を強くしたのです。イエスによって与えられる信仰が、この人を皆さんの目の前で完全なからだにしたのです。
17 ですから、兄弟たち。私は知っています。あなたがたは、自分たちの指導者たちと同様に、無知のためにあのような行ないをしたのです。
18 しかし、神は、すべての預言者たちの口を通して、キリストの受難をあらかじめ語っておられたことを、このように実現されました。
19 そういうわけですから、あなたがたの罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて、神に立ち返りなさい。
20 それは、主の御前から回復の時が来て、あなたがたのためにメシヤと定められたイエスを、主が遣わしてくださるためなのです。
21 このイエスは、神が昔から、聖なる預言者たちの口を通してたびたび語られた、あの万物の改まる時まで、天にとどまっていなければなりません。
22 モーセはこう言いました。『神である主は、あなたがたのために、私のようなひとりの預言者を、あなたがたの兄弟たちの中からお立てになる。この方があなたがたに語ることはみな聞きなさい。
:23 その預言者に聞き従わない者はだれでも、民の中から滅ぼし絶やされる。』
24 また、サムエルをはじめとして、彼に続いて語ったすべての預言者たちも、今の時について宣べました。
25 あなたがたは預言者たちの子孫です。また、神がアブラハムに、『あなたの子孫によって、地の諸民族はみな祝福を受ける。』と言って、あなたがたの先祖と結ばれたあの契約の子孫です。
26 神は、まずそのしもべを立てて、あなたがたにお遣わしになりました。それは、この方があなたがたを祝福して、ひとりひとりをその邪悪な生活から立ち返らせてくださるためなのです。」
《國光牧師のおはなし》
この朝は聖霊のお働きがどのように教会に祝福をもたらしていったのか。そのことに焦点を合わせ、使徒の働きに意識を向けたいと思います。使徒の働き2章にペンテコステの出来事が記されております。きょうはそれに続く教会がどのようにそれに関わっていくことになったかをお話しします。
当時のユダヤの人たちの大切な祈りの時間は、午前9、12、午後3時です。日本人の習慣からは、午後3時の祈りの時間といってもピンときません。
たった一度だけ海外に行きました。乗った飛行機がエル・アル・イスラエル航空というイスラムの飛行機でした。時々ですが、方位磁石が出てきます。メッカの方向を示しています。イスラムの方々の祈りの時間にどちらに向かって祈るかを示します。このような配慮を新鮮に覚えたことでした。
ペテロとヨハネが午後の3時の祈りに、というのは、それほどにユダヤの人たちにとっては生活に根付いている習慣だった。そしてこの美しの門に至る。美しの門からは異邦人や婦人たちは美しの門の前に、生まれつき足のなえた人が運ばれてきて、宮に入る人たちから施しを求めていた。彼は自分でこの場所に来ることはできません。自分を助けてくれる近しい者たちがいる。彼が癒されたあとの出来事を見ると実にセンセーショナルです。いつも美しの門の前で施しを求めていたあの男が、と誰もがこの奇跡的な出来事に驚嘆することになるのです。その意味で彼は有名人になっている。
美しの門までは、彼はかつがれて連れてきてもらっていた。美しの門の奥には本来なら彼は一生入ることができなかった。自分とは関わりのない場所であったのです。
3節にペテロとヨハネが、宮に入ろうとするのを見て施しを求めた。おそらくペテロとヨハネは恵まれた雰囲気を持っていたでしょう。世の中の人たちとはどこか違う。それを彼が見抜いて施しを求める。ほんとうに彼は期待したのです。ところが4節以降にあります。
4 ペテロは、ヨハネとともに、その男を見つめて、「私たちを見なさい。」と言った。
5 男は何かもらえると思って、ふたりに目を注いだ。
6 すると、ペテロは、「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。」と言って、
7 彼の右手を取って立たせた。するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり、
8 おどり上がってまっすぐに立ち、歩きだした。そして歩いたり、はねたりしながら、神を賛美しつつ、ふたりといっしょに宮にはいって行った。
彼は宮に入っていったのです。彼にとって、宮に入るということが何を意味していたのか。生涯自分とは関わりのない祝福、みんなが入っていくあの祝福に、自分も今ようやく入ることができた。
私はこれで、あることを思い出します。国際飢餓対策機構、何とか飢餓で苦しんでいる人たちを助けましょうというクリスチャンの人たちのはなしです。
「ほんとうに救いを与えようと思ったら、求めている人に魚を1匹恵む、これはその人にとっては助けになります。しかしそれは1日で終わってしまう。しかし、私たちが願っているのは、魚をあげるのではなく、釣り竿を与えて、釣り方を教える、それが私たちの使命です。釣り竿を与え、釣り方を教えるなら、こんどは、彼はそれを用いて、これから自分で食物を得ることができる。」
どうでしょう、4から6節、この男は金銀を求めたのです。しかし、ペテロとヨハネは言いました。金銀は私にはない。私にあるもの、それはナザレのイエス・キリストなのです。キリスト、これによって歩きなさい。足なえの人は、どれほど自分で歩きたかったことでしょう。しかし生まれながら足がなえている。彼は歩いたことがない。彼の右手をもって、ペテロとヨハネは、さあ立ちなさい。するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなった。躍り上がってまっすぐに立った。歩き出した。歩いたり跳ねたりした。よろよろじゃないんです。すっくと立った。神様の奇跡、憐みというものはこういうところにある。これはまさに人のわざではない、神様のみわざ以外の何物でもないということがよくわかったのです。
ナチスの強制収容所に入れられたコーリー・テン・ブームの証があります。お父さんはまもなく収容所で亡くなり、お姉さんと一緒にいる。あの地獄のような中で、イエス様がともにいてくださることを知っている彼女にとっては、天国の前味わいであったという証もあります。お姉さんはなくなりましたが、何かの手違いがあって、彼女はその収容所から出ることができた。なぜ彼女は自分が生きながらえることができたのか、それはイエス様を証しする使命が自分には与えられているからだと気づき、彼女はその後、世界中の国々に出かけて証しをしました。ドイツにも行きました。そのとき、一人の男性が握手を求めてきた。はっとしたのは、その人は、収容所にいたとき、いちばん辛くあたった憎んでも憎みきれない看守であった。彼女は、これはキリストの証のためにも看守の手を握りたくない、しかし握らなければならない。しかし彼女は手を握ろうとした、その時に、彼女の意思とともに心も大きな奇跡をいただいて、その瞬間、彼女の手からその人に向かってなんともいえない大きな力が加わり心からゆるすことができたというのです。これはひとのわざではない。内にあるお方、ここでいうとイエス・キリストの御名なのですが、わたしのうちにあるもの、それをもって人の思いをはるかに超えた神様の栄光が現された。これは決して彼女が偉いのではない、彼女のうちにあるお方がそうさせてくださった。ペテロとヨハネに心を向けますと、彼らは、つい二か月ほど前、イエスさまを十字架に追いやった人々、こんど自分にも迫害の手が伸びてくるだろうと恐れ惑っていたところにとどまっていた臆病な只者なのです。弟子とはいえそうなのです。しかし、そのものに聖霊が与えられたとき、彼らが変わった。そして、その経験をもったペテロ、ヨハネは、男に憐みをもって、まさしくはらわたがよじれるような神の憐みのごとくの同情をもって男に対する。この人も彼らに目をあげた。
「私にあるものを与える」。ペテロとヨハネはイエス・キリストの御名によって彼らを立たせたのです。ただふつうの人、むしろ弱いペテロとヨハネが、御霊に満たされたところで、キリストの御名によって足なえの男を立たせることができた。内にあるお方があふれ出てこのゆなことをさせてくださった。これは私たちにも可能ではないでしょうか。
私たちは何か優れているものではない。しかしほんとうにイエス・キリストの十字架の恵みと愛を知って聖霊に満たされるとき、私にあるもの、それを自覚することができる。
7節彼の右手を取って立たせた。するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり、
8 おどり上がってまっすぐに立ち、歩きだした。そして歩いたり、はねたりしながら、神を賛美しつつ、ふたりといっしょに宮にはいって行った。9 人々はみな、彼が歩きながら、神を賛美しているのを見た。
10 そして、これが、施しを求めるために宮の「美しの門」にすわっていた男だとわかると、この人の身に起こったことに驚き、あきれた。
11 この人が、ペテロとヨハネにつきまとっている間に、非常に驚いた人々がみないっせいに、ソロモンの廊という回廊にいる彼らのところに、やって来た。
この後で弟子のイエス・キリストの証しが始まっています。
そしてまた足なえだった男が、どれほどすばらしいキリストの証し人になったことでしょうか。彼は変貌したのです。
ここに根本的な解決がああります。私たち自身が内にあるお方をにより変貌せられていること、これは可能なことです。これを大きな励ましとして捉えさせていただきたいと思っております。
※講壇の生け花はひろ子牧師、コンサートの案内のデザインはご息女A姉です。
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写真だけでおわりにしようかと思ったけれども、すこしだけ書いてみようと思う。
午後からいとこのところに行く。室に篳篥(ひちりき)の音楽が流れていた。東儀秀樹かと思い聴くうちに、音楽は澄明なピュア・ヘイリーの声に切り替わった。久方ぶりに懐かしい曲に耳を澄ませた。
九十になる叔母のへやに行くと、いつもは花の水彩画を描いていたはずが、景色の絵が並んでいる。どうも人生の節目に描いた1枚を持ち出し、それに想を得て、色紙に灯台の絵を描き継いでいるらしい。今もって集中し没頭できるものがあるのだ。
人の最後の大仕事は、孤独で病を抱える晩年にいかに向き合い、いかに生ききるか、そのことのようだ。自分もやがては最後の大仕事に向かわねばならない。どんなケースになるにせよ、それはこなさねばならぬ地上での大仕事なのだ。
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作出者 | Meilland (メイアン) |
---|---|
作出年度 | 2000 |
作出国 | France (フランス) |
薔薇の新品種の作り方のページなぞをちょっとだけのぞいてみたが、自分にはこんな根気はないな~とため息。昨日、盛岡城跡公園の薔薇園で「チャイコフスキー」に出会い、真っ先にピアノ協奏曲なぞが浮かんだ。しばし異次元に足を踏み入れたかの心境にも。しかし、現実にもどり、交配によって何らかの新種を作り出しさえすれば思い通りのネーミングができるのだと。先ずは作りたい薔薇のイメージを浮かべ、このイメージを可能にしてくれそうな親となる薔薇を探すことからなのだろう。
薔薇「ベートーヴェン」、薔薇「バッハ」はもう作られているだろうか。お粗末なウェブめぐりだけでは探せそうにもなく、或いは、まだできていないのかもしれない。
ブログを書きながら居眠りしそうだった。それが二男から電話がはいり「元気でいるの?」。それでいっぺんに向こうの世界から引き戻された。
二男がくれたミニ薔薇「ジジ」、地植えしておいたものに、葉虫よけのスプレーをしたばかりだった。毎朝庭を回り、ようすを見るのは楽しい。50センチ丈になるまで何とか大きくしたいと思っている。
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盛岡城跡公園の薔薇を見に行ったところ、ちょっと遅かったようです。特に赤い薔薇系が過ぎていました。しきりにカメラを向けている私に「開運橋の薔薇を見たことあります?」と話しかけてくださった私と同年代と思われる女性の方が。「もしよかったら行ってみません? いまが見ごろでよ」。帰りが遅くなることが気になりつつも同行。たしかに北上川に沿って見事に咲いています。二人のボランティアのご婦人が、土手の傾斜で草取りをしています。薔薇も見事ですが、これだけ美しく景観を保つにはどれほどの労力がつぎ込まれていることか。
ゆっくりと薔薇を楽しみ、それでも朝7時のニュースに間に合って帰宅。
今になって、橋上から、眼下に薔薇ロードを入れた全体の景観を撮らなかったことが惜しまれます。
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おはようございます。
先週のインマヌエル盛岡キリスト教会のメッセージをおつたえいたします。
先週は、國光先生方のお孫さまの献児式も持たれました。お子様はお母さんに抱っこされ、式辞にもにこやかに健やかに臨まれました。
引証聖句 ヨハネ伝3:16
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
《國光勝美牧師のおはなし》
きょうは聖書の中の聖書といわれておりますヨハネ3:16を暗記していただきたいと思います。
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
ペンテコステ、これは聖霊が私たちの上に臨んでくださった。教会の誕生日であるといわれます。イエス様が誕生されたクリスマス、イエス様が三日後に復活されたイースターと並んで、イースターから50日目に聖霊が降されたペンテコステは教会の大切な記念の日であります。
よみがえられたイエス様は、その後どうなさったのか、それは、イエス様が、わたしは天から降ってきて、人と同じようになって、また罪びととしての身代わりとして、自分がこの世にきて、身代わりとして裁きを受けて罪の贖いの使命を天の父なる神様から託されて、そのようにしましたということを、こんど天に帰って父なる神様に報告をする。派遣されたクリスマスの時に、天から降ってきたお方は、こんど見事に業を成し遂げたといって、天にお帰りになった。実はそのあいだイエス様は40日間、三日目に墓からよみがえられて、40日間は弟子たちの目の前に何回も何回も、ほら触ってごらん、わたしだよ、何なら一緒にご飯を食べよう、といって一緒に食事もしてくださった。ともに。ただ違うことは何かというと、十字架の前のイエス様は場所に制約されている。肉体の制約を持っていたのですが、よみがえりのイエス様は、その制約から解き放たれている。それではまったく霊のようであったかというとそうではない。
よみがえりのからだという栄光のからだというもの、これは私たちと同じように、イエス様はよみがえって罪の贖いを為してくださったのですが、私たちも生きているあいだ、この肉体の命というのは、やはり死ななければならない。しかし、イエス様のよみがえりの命に私たちは与ることができる。それがどういうことなのかということをイエス様が、初穂として、見本として、これがよみがえりのからだですよといって人々の前に現れてくださって、そして十分に40日間示された後、イエス様が報告のために、天にお帰りになった。25:00天に帰るというのは、一つの異なる次元に入っていくということです。イエス様がクリスマスにお生まれになったというのは、神様である御子が別次元に入ってきてくださったということです。私が天の父なる神様のもとに帰ったときには、無事に使命を果たしてきましたと報告した時、そのしるしとして、聖霊をあなた方に与える、この地上にいる人たちに聖霊を与えるとイエス様は仰いました。イエス様が天に帰られるとイエス様は地上にはいないけれども、その代わりに聖霊様というお方を与えてくださる、これがペンテコステの約束であって、そして、その通りに天からお約束の聖霊が私たちのところに入ってきたたのです。これが使徒の働きの2章に記されております。
聖霊が私たちに与えられる、これを別な言い方をすると、もう一人のイエス様、天に帰られたイエス様は、この世にはおられないけれども、この世にはおられないイエス様をよりリアルに、私たち一人ひとりにたしかなものとしてくださる働きをするイエス・キリストのお名前を使うことができる。またそのことを私たちに確かなこととしてくださる聖霊の働き、これがあるのだということを前回はお話をさせていただきました。
きょうは、『神様からの賜物』という題をつけさせていただきました。神様からのプレゼントというと、先ずクリスマスのイエス様の御降誕を考えます。しかし、今お話ししましたように、ペンテコステのときの神様からの賜物は聖霊です。この聖霊という神様は、実に素晴らしいお方です。ご自分の存在はできるだけ前面には出さず、そのかわり私たち一人ひとりに、あなた方のうちにイエス様がおられるんですよ、神様の新しい命が、あなた方には与えられているのですよということを、私たちにはっきりさせてくださる働きをします。これが内住のキリスト様であります。イエス様に直接会った人は一人もいません。しかし会ったこともないイエス様がわかるのです。私を愛するイエス様、イエス様を慕う者になっているそのちからがどこから来るのかというと、聖霊なる神様がおられて、このお方はイエス様のことを私たちに拡大してくださる。そして、そこにイエス様というお方がいらっしゃることがわからないように、でもその拡大鏡のようなそのお方を通すのならば、イエス様のことがはっきりとわかる。それは、私たちのうちに聖霊が働いておられるということです。そして、きょう心に留めたいのは、イエス様がどこにお生まれになったのかということですが、イエス様は、馬小屋で人々から拒絶されて、誰からも顧みられないようなそんなところでお生まれになりました。イエス様はそこに喜んでご自分の場所を定めてくださった。そのお方は、私たちのような取るに足りないこのような心の中にも、イエス様は喜んで、その場所を占めてくださる。イエス様が、あの馬小屋でお生まれになったと同じように、あなたの心の中に、私の心の中に、イエス様はいま喜んで宿っていてくださるお方なのです。これを心に留めたいと思います。
実は昨日、面白いことがありました。私は、必要あって古いパソコンを手放せずにおります。2002年に購入したパソコンです。使わなくなったのは、ディスプレイに接続するコードの調子がよくないのです。本体で打ったことがディスプレイに反映されません。別なパソコンに変えて、現在はそれを使っております。しかし古いパソコンのデータが必要なときが出てくる。何とかならないかと思っていたところ、マック仲間から、使っていないコードがあるからどうぞ、と連絡があり、きのうそれを手にしました。それまで画面が乱れていたのが、そのコードに変えた途端に、たちまちに機能が回復したのです。たった一つのコードで買ったときと同じように画面が回復しました。感動でした。神様との関係が、私たち、しっかりできているでしょうか。この神様との関係がしっかりと接続されているかどうか。原因は何かというと、コードです。コードをつくている細い線のどれかが断線していたわけです。切れているわけではなくとも、そこに不都合なものを生じているために正常に働かない。私たちの神様との関係はどうなっているでしょう。ほんのちょっと外れているとまた画面が乱れてしまう。ちょっとコードの角度をあげると、一瞬接続できたりする。どうか聖霊のお働き、私たち信仰をしっかりと神様にコネクトして、そうするのならば、神様が願っておられるすばらしい恵みが自分たちの信仰生涯の中に展開してくることをきっと経験いたします。どうか信仰の断線、あるいは接触不良、そのようなことがないように、聖霊さまに豊かに扱っていただき悔い改め、あるいはコードを変えるなりして、健康なすばらしい恵みにあふれた信仰生活を送らせていただきたいと思うことでございます。
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今日は盛岡市が企画した「盛岡の農業」に参加、田鎖農園とみかみ農園を訪問。
田鎖農園ではハウスでのサンチュ、三つ葉、水菜、ベビーリーフ3種の水耕栽培を見学。水面に発砲スチロールに穴をあけ、種がとどまる工夫をして播種。酸素を送りこんだ水は、水が腐食するのを防ぐために、発砲スチロールの下で絶えず動いている。
次は、収穫したコメを、籾殻をつけたまま保存しているところ。この保存方法で一定の室温に保つための電気料などの経費が節約できる。できるだけ出荷直前、または食べる直前に精米する。
この農園のコメの食味は魚沼産のコメとそれほど遜色はないが二等米とされている。それは、カメムシの駆除用の農薬などを使っていないために見た目に差がつくため。
みかみ農園では、いちご、りんご、ミニトマト、ブルーベリー、水稲などを栽培。1万株のいちごを栽培。
いちごの需要は冬場だけではなく夏場も多く、生産量が少ないために輸入に頼っている。最近は北海道で夏いちごの栽培面積、出荷が増えているがまだまだ少ない。何とか3年後を目途に夏場のいちごの収穫量を増やすことが今後の課題だとか。いまは冬からの収穫が一段落しつつあるところ。最盛期にはもっとすばらしい見事ないちごがたくさん。こんなシーズンにお見せして申し訳ないと仰っていました。
現在の盛岡地域では、販売農家が2,781戸、自給農家が1,300戸、合計4,081戸。合計面積は781,319aとなっている。
この国の食料自給率は平成26年度で39%。6割以上を輸入。輸入先に大干ばつでもあれば食は絶たれる。バスで隣り合わせたご婦人が、娘さんご夫婦が安定したサラリーマン生活を捨てて岩手に帰り、農業に転じたと嘆いておられた。しかし、わたしは内心ありがたいと思った。今はもうすっかり軌道に乗り、作物を出荷しておられるという。
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その昔、お世話になったヴァイオリン教室の先生が卒寿を迎えられるという葉書を、発起人となられた方から頂戴した。出席か欠席か。それにしても随分とご無沙汰をしてしまった、これはこの機会に出席してご挨拶、お祝いを申し上げねばと思いつつ、さらに目を滑らせると「楽器もお連れください」とある。
子供たちもお世話になり、自分も教えていただき、アンサンブルに加えていただき、ステージの端に加えていただいたことはある。しかし、ヴァイオリンを弾くことは、その地を去ってからもうすっかり諦めてしまっていた。1999(平成11)年に盛岡に来てからは実家の母の介護に8年、その母が亡くなってすぐに舅の介護が始まり、これが東日本大震災のあった2011(平成23)年の5月まで続いた。楽器を弾くという落ち着いた心境にはなれなかったのと、コンチェルトでも易々と弾きこなせるようならまだしも、初歩の練習曲なぞをかき鳴らされたのでは舅もあまり愉快ではなかろうと、なぜかそう思いこみ、家で楽器を弾くことはしなかった。
しまい込まれて久しいヴァイオリンを持ち出し、チューナーの442㎐で音あわせを試みたものの、4本の弦が完全に廃れてしまっており、ペグを慎重に回しながら弦を鳴らし耳を澄ますも、それらしい音には程遠く、我ながらあきれ果て、そのままケースに戻してしまった。
「楽器もお持ちください」。さてはてどうしたものか。
何れ、一旦やめてしまったものを取り戻すには、大変な時間を要する。それに時間をかけるだけの必要性があるかどうかになる。孤軍奮闘した挙句に、名曲を名曲たらしむる力もない。この時間で、他の方々の真心からの演奏に耳を傾けることのほうがどれほどに有益かわからないのだ。それも楽器を手にしなくなった今一つの理由ではあった。
投げ出さずに続けてきたものだけが今後の自分に残っていくのだろう。それは文筆といえるかもしれないが、ならばこれしかない文筆を、今自分はどれだけ大切にしているだろうか。ここに至って、平成2,3年頃に舅が言った大予言がよみがえる。
「あんだは、俳句、短歌、川柳、詩(当時はまだ小説、評伝は書いてはいなかった)と器用に書き分けてるが、最後には何者にもならなかったづ事もある」
何か一つに絞ったほうがいい、という勧めであったかと思う。そのときは気にも留めなかったが、いまになってこれはまさしく予言であり、しかもいよいよ成就したかとつい笑いがこみ上げた。いまだ詩人でもなく、小説家でもない、ましてエッセイストでもない自分がいる。いっそ「中はんぱ」とでも名乗ってみたなら面白いだろうか。
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