日曜日のおはなし 『十字架の主を見上げて』
先週のインマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924 )のおはなしをお伝えします。
- 1神は、むかし先祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、
- 2この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。神は、御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました。
- 3御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。
≪國光勝美牧師のおはなしの概要≫
受難週を迎えようとしております。十字架の血潮を貴いものとしてここで捉えなおしましょう。
創世記3:14~17には、人間が罪を犯した結果を刈り取るという辛く悲しい出来事が記されています。罪を犯したアダムとエバへの神の宣告です。
創世記3:14~17
14 神である主は蛇に仰せられた。「おまえが、こんな事をしたので、おまえは、あらゆる家畜、あらゆる野の獣よりものろわれる。おまえは、一生、腹ばい で歩き、ちりを食べなければならない。15 わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫 との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」16 女にはこう仰せられた 。「わたしは、あなたのうめきと苦しみを大いに増す。あなたは、苦しんで子を産まなければならない。しかも、あなたは夫を恋い慕うが、彼は、あなたを支配することになる。」17 また人に仰せられた 。「あなたが、妻の声 に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、土地は、あなたのゆえにのろわれ てしまった。あなたは、一生、苦しんで 食を得なければならない。
その時、神様が、 アダムとイブのために、神様が、皮の衣を作られ、神様が、彼らに着せてくださいました。
創世記3:21 神である主は、アダムとその妻のために、皮の衣 を作り、彼らに着せてくださった。
ある方は、このときはじめてエデンの園に血が流された、 アダムトエバに神様がそれをおおう皮衣をお作りになったときに、そこに罪のない動物の血が流されたといいます。罪のゆえにエデンから追放されますが、神はすでに罪のないものの血を流すことを用意しておられた。このように、聖書は、そのはじめから私たちの罪のために血が流されていることを教えています。ヨハネの黙示録をご覧ください。
黙示録5:2~12
2 また私は、ひとりの強い御使いが、大声でふれ広めて、「巻き物を開いて、封印を解く のにふさわしい者はだれか。」と言っているのを見た。3 しかし、天にも、地にも、地の下にも、だれひとりその巻き物を開くことのできる者はなく、見ることのできる者もいなかった。4 巻き物を開くのにも、見るのにも、ふさわしい者がだれも見つからなかったので、私は激しく泣いていた。5 すると、長老のひとりが、私に言った。「泣いてはいけない。見なさい。ユダ族から出たしし、ダビデの根が勝利を得たので、その巻き物を開いて、七つの封印を解く ことができます。6 さらに私は、御座――そこには、四つの生き物がいる。――と、長老たちとの間に、ほふられたと見える小羊が立っているのを見た。これに七つの角と七つの目があった。その目は、全世界に遣わされた神の七つの御霊である。7 小羊は近づいて、御座にすわる方の右の手から、巻き物を受け取った。8 彼が巻き物を受け取ったとき、四つの生き物と二十四人の長老は、おのおの、立琴と、香のいっぱいはいった金の鉢とを持って、小羊の前にひれ伏した。この香は聖徒たちの 祈りである。9 彼らは、新しい歌 を歌って言った。「あなたは、巻き物を受け取って、その封印を解く のにふさわしい方です。あなたは、ほふられて、その血により、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から、神のために人々を贖い、10 私たちの神のために、この人々を王国とし、祭司とされました。彼らは地上を治めるのです。11 また私は見た。私は、御座と生き物と長老たちとの回りに、多くの御使いたちの声を聞いた。その数は万の幾万倊、千の幾千倊であった。12 彼らは大声で言った。「ほふられた小羊は、力と、富と、知恵と、勢いと、誉れと、栄光と、賛美を受けるにふさわしい方です。」
ここにある封印というのは、この後、どのような事が起きるのか、この世の終末に関わる出来事が記されています。
6節からは、ユダ族の血すじから出たユダの士師、ダビデの子孫、イエス・キリストご自身のことが書かれており、その血によって、あらゆる部族、民族、国民の中から、そしてあらゆる時代を貫いて、このほふられた主が、神の右の座に巻物をとくに相応しい者として登場してまいります。聖書は始めから終りまで、十字架の贖いというもののに貫かれております。
聖書が、このイエス・キリストの十字架に貫かれた書物であると知った時に初めて、私たちは目が開かれ、十字架の意味、十字架の救いの意味がわかるのであります。ヘブル書9:12、22をご覧ください。
12 また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって 、ただ一度、まことの聖所にはいり、永遠の贖いを成し遂げられたのです。
22 それで、律法によれば、すべてのものは血によって きよめられる、と言ってよいでしょう。また、血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦し はないのです。
罪は個人の不確かな思念にあるものではありません。血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです。自分の罪の為には、この貴いお方の血が必要なのである思いを一層深くするものです。先ごろ、或る情報に接したとき、数秒という一瞬のときではありましたが、ふっとよからぬ思いが過りました。この心の奥底を見た時に、私は、ああ、このことのためにイエス様は十字架にお架かりになったのだ、この十字架がなければ、誰一人神様の前に立つことはできないのだ、そして、ああ、主よ、どうか憐れんでくださいと、瞬時でもこのような感情に捕われた事を悔い改めました。世の中に照らすならどうという事ではないかもしれない、しかし、神の前には、これが神の御子を十字架につけなければならない人間の罪なのです。いつでも、イエス様、こんな私をお赦しください、受け入れてくださって感謝しますと、十字架の血潮を仰ぎましょう。きよめの証しとはこれです。
きよめが何かといえば、よからぬ思いが過ったときに、これはイエス様のきよさ、正しさには相応しくないと、瞬時に、主よといって、そのお方に目をあげる、その心の修正をする事、これをクリスチャンの完全、きよめというのです。
悪魔はすぐにやってきて、十字架を見上げようとするものを、そら、駄目だろうtいって打ちのめす。へこんでしまう。こんなときにこそ、だからこそ、十字架の愛があなたのためにあるのです。弱さを神の前に告白し、そして、いつでも十字架を見上げる、このことをさせていただきましょう。これこそ、信仰生活のあるべき姿です。イザヤ45:22を読みましょう。
22 地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。わたしが神である。ほかにはいない。
お一人お一人、それぞれに、いつでもこの十字架に目をあげて、信仰の大道を歩ませていただきましょう。
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