日曜日のおはなし「主を待ち望む者」
先週は聖餐式に与り、またインマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924)の第42回の教会総会が開かれました。國光勝美、ひろ子牧師夫妻が盛岡に赴任されて42年経っているわけです。毎日曜にここで礼拝のおはなし、或いは、時には礼拝で開かれた聖書箇所などをおつたえしていますが、牧師さんはどんな方かと思っておられる方は、世界のための福音の通路CGNTVをご覧ください。動画が出ております。
聖書引証 イザヤ書40:27~31
27 ヤコブよ。なぜ言うのか。イスラエルよ。なぜ言い張るのか。「私の道は主に隠れ、私の正しい訴えは、私の神に見過ごしにされている。」と。 28 あなたは知らないのか。聞いていないのか。主は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。 29疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。 30 若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。 31しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。
≪國光牧師のメッセージ≫
ことし、わたしたちはイザヤ書40:31を神様から与えられた御聖言として捉えさせていただきました。
27節には疲労困憊している民のすがたがあります。しかし主がどういうお方なのかをお示しくださる28節からのおことばがあります。そしてその主は、弱りやすい疲れやすいわたしたちに力を与えるとございます。
第42回の教会総会を開きますが、わたしたちがこの盛岡の地に遣わされてからこれだけの年数が経過し今日に至っております。そしてこれは、牧師として遣わされております私自身に、もう一度神様が語りかけてくださったように思います。わたしたちは目に見える何かがあると励まされたり元気になったりします。けれども、目に見える成果というものがなかなか見えない時、わたしたちは疲れ、また祈りがなかなか答えられないと思う時に、落胆してしまいます。しかし、ルカ18章のやもめの執拗な訴えを思い出してください。やもめが不正な裁判官に裁きを求め続けたように、わたしたちが主に求め続けたときには、イエス様は、さあ、もう一度、信仰をもって、主を待ち望んでご覧というふうに語りかけてくださると思うのでございます。
主を待ち望む者への約束、それは「鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。」、鷲のような飛翔、天高く鮮やかにそのような働きをすることもできますし、また地道に走る、歩くというような淡々とした教会生活、特別集会のようなときもあるでしょうし、しかしまた、いつものことを淡々とやり続けることもそうです。主を待ち望む者は新しく力を得ると神様は仰いました。特別集会、みんなで一緒に大きなイベントをするとき、また、いつもの変わりない教会生活を淡々と疲れることなく弛むことなく、新しい力をいただいて歩むということはとても意味のあることでございます。
そして詩篇62編のことばを心に留めましょう。
神は、一度告げられた。二度、私はそれを聞いた。力は、神のものであることを。主よ。恵みも、あなたのものです。あなたは、そのしわざに応じて、人に報いられます。
この神様をわたしたち真実に待ち望ませていただきたい。
そして、ネヘミヤ記8:10には 「あなた方の力を主が喜ばれる」とあります。この別訳は「主を喜ぶことは、あなたがたの力である」とあります。これはどちらが先、どちらが結果ということではありません。この二つの御聖言は、聖なる永久運動ということができます。この御聖言と、イザヤ書40:31「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。」、これも心に留めてこれからの聖餐のテーブルに与らせて頂きたいと思います。
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