いい音
いまひと通り自分のゲラを見終える。同人の間で原稿を回してチェックし合っている。一つの作品に2人は関わる。わたしが『光炎に響く』を出版するときには、疲れていたこともあり、フリーライターの菅原伊保子さんに校正だけをお願いしたのだった。それが今は仲間内で行っている。思えば有難いことだ。校正も際限がない。これで完璧ということがないように思う。
作曲の世界ではどうだろうか。ベートーヴェンは自分の作品には口を挟ませなかった。尤も溢れ出る彼の激情、奔流に逆らえる者などいるとも思えない。片や、ブルックナーは自分の作品への意見はよくとりいれ、しばしば修正を試みていたらしい。
夕刻、きょうも終わるなという頃に、どういうわけか、大したこともしないで過ごしたという想いになる。それから一日を振り返ると、けっこうこんなにやっていたじゃない、となる。
きのうは盛岡のアマチュアの方々の平成のはじめ頃のCD,DVDをお借りした。聴いてみる。仕事を持ちながら、これだけ弾くにはかなりの練習時間を積まれたはずだ。ほんとうに好きでやっていた方々なのだ。管が強めかと思うが弦は気負わずしかも自然ないい音がしている。室内楽は個々の音がくっきりと聴こえるだけに、合わせるのには大変に神経をつかうものだろう。往時の盛岡の一角に、こんな弦と管が響いていたのだと思うと感慨深かった。
またきのうは駆け足で平山郁夫を観る。当初行く気はなかった。「夢に手足を」という詩があるようだ。その中に、「夢には栄養を」のフレーズがある。実はこの一言に押し出されて行ってみた。心に栄養を与えるために。
食後は説教の起しだった。
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