上京
19~21日に上京。今回は二男が忙しく、一緒に過ごす事ができず唯一残念だった。心配していたのだろう、2日目の夕刻に連絡が入り、私が長男といる事がわかり安心したようだ。
シュターツカペレ・ベルリン&ダニエル・バレンボイムが来日。1/31の仙台を皮切りに 2/20 の東京まで実に13公演をこなした。そのうち9公演にはバレンボイムのピアノ、弾き振りでモーツァルトのピアノ協奏曲を入れたブルックナーの交響曲ツィクルスだ。この全曲を携えて日本入りした事に恐れ入るが、日本でブルックナーツィクルスを試みた自体驚きだった。
尤も、私は全曲ではなく、19、20日に聴く機会を得た。今回でブルックナーの9番をより理解できた。強烈な印象として刻まれた。最終日でもあり、スタンディングオーベーション、拍手、ブラボーの嵐、バレンボイムにか、シュターツカペレにか、ブルックナーにか、恐らくはどれもに。惜しみない称賛が湧きに湧き日本公演はおわった。1日目は、赤澤長五郎氏の孫であるという方に東京駅近くでお会いした。女性でありながら既成観念に囚われない(でたらめという意味ではない)パワフルな生き方をしておられる。シナリオライターTさん、日本放送の中にお名前があった。DJやロック系の雑誌の編集長。東京というところでの多様な生き方を、また多様に生き得るというパターンをお聞きした。初めてなので、取りあえず2時間のお時間を頂戴する。駅に戻る途中イヤリングを落としたのだが、Tさんが見つけてくださった。視力1,5が羨ましい。
ひとりで歩けるといったものの、時間の空費を恐れ息子に連絡、神保町の古書店に同行してもらい、おもしろそうな本5冊を入手。タワーレコードを回って、その後、サントリーホールへ。終了後、姉のところに直行、宿泊。
2日目、家周りに咲く桜、梅、アネモネ、パンジ-などを写真に。まだ寒い岩手との温度差だ。午前は図書館に行く予定だったが、流石に、午前ばかりも姉たちと共にと思い直し、新居を構えた甥に会うなどする。甥はインフルエンザの熱が下がったばかりとか。
開演2時に間に合ってホールへ。全奏のすごい迫力。いまも耳の奥で鳴っている。アントン・ブルックナーは敬虔なプロテスタント。その彼の神への訴え、不条理を懊悩し、神に詰め寄るかの嘆きとも聴こえた。心和む旋律、清浄さ、平穏、カタルシス。音に託された作曲家の心の内を、あらえびすは、吉田秀和は何と言っていたろうか。
野菜系の夕食最中に二男からの連絡。とにかく渋谷で降りてそこで井の頭線に乗り換えるようにと息子は帰っていった。7時ごろには姉宅着。三日目は、友だちと待ちあわせ。姉は東京駅まで送ってくれるつもりが、友人Kさんが、「お姉さんもどうぞご一緒に」と受け入れてくださったので、国立新美術館へは3人で。大原美術館が来ている。このコレクションにもの申すことなどあろうはずもない。ただ、なぜコレクションに加えたのか気になった絵画が2点あった。たぶん私の眼力がないせいだろう。個人的には『受胎告知』が写真などと比べ物にならないすばらしさだったこと。当たり前といえば当たり前なのだが。それと、前田寛治、これも写真からは到底推しはかることのできない絵画性を備えていたことに驚く。
3人で昼食。看護師として清廉に生きてきた中学校以来の友だちを姉に紹介できたことが嬉しかった。彼女はいつも前向きだった。今も淡々と前向きに生きている。これからも同じく歩んでいくだろう彼女の姿が浮かぶ。自分を質し、正すために神はこのような友だちを私に巡り合わせてくれたと私は思っている。東京駅まで送ってくれた。ほんとうにありがとう!!
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