« プルシェンコ in 盛岡 | トップページ | 散乱している紙類 »

日曜日のおはなし「主を待ち望む者」

 インマヌエル盛岡キリスト教会(電話019-646-2924)の先週、新年初の日曜礼拝のメッセージをおつたえします。

P1130212

聖書箇所 イザヤ402730

27 ヤコブよ。なぜ言うのか。イスラエルよ。なぜ言い張るのか。「私の道は主に隠れ、私の正しい訴えは、私の神に見過ごしにされている。」と。 28 あなたは知らないのか。聞いていないのか。主は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。 29疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。 30 若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。 31しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。

≪國光勝美牧師のおはなし≫

わたしたちは神の家である教会に、切なる求めを持っているでしょうか。「その路はきよき路と唱えられん」というこのシオンへの大路が心にあるでしょうか。「我は道なり真理なり命なり」と仰るイエス・キリスト様を心の真中心にお迎えし、シオンへの大路を辿らせていただきたいものです。神様との交わりで信頼を強くし、このお方にすべてを委ねて進みゆくことができますように。これが詩篇84篇からのおすすめであり、ことしのベースとなっております。

詩篇8411まことに、神なる主は太陽です。盾です。主は恵みと栄光を授け、正しく歩く者たちに、良いものを拒まれません。

このおことばから、恵 Grace栄光 Glory良いもの Good thing の三つのGをあげました。これも心に留めましょう。

イザヤ402731に、三つのポイントを確認できます。

①27節 疲労困憊している神の民 

②28・ 29節 神はいったいどのようなお方であるのか

 31節 力の賦与

どんな時に私たちは疲れるでしょう。いくら祈りを捧げても、こたえが無いと感じられるとき、答えが目に見えて出て来ないときです。しかしルカ伝18章のやもめの訴えを思い出しましょう。やもめの女性が、不正な裁判官に訴えをとりあげてもらおうと嘆願するのですが、裁判官は煩わしさから聞き届けません。しかしこの女性は諦めなかった。繰り返しくりかえし訴えます。裁判官はうるさくてならず、ついに女性の訴えを聞き入れました。どうかこの婦人の切なる祈りを思い起こしてください。イエス様は仰います「あなたがたに言いますが、神はすみやかに彼らのために正しい裁きをしてくださいます」と。

祈りが聞かれない、何をやっても結果が得られないで沈むとき、このやもめの女性のように、それでも耐え、主は見ておられる、必ず聞いてくださると信じ祈り続けたいものです。

28 あなたは知らないのか。聞いていないのか。主は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。

そうです。すべてを主が知っておられます。マタイ14章で、弟子たちがガリラヤ湖で大嵐に遭ってしまいます。弟子たちが「われらは滅んでしまう」と思ったそのとき、イエス様はその様子を丘の上からご覧になっていました。イエス様は知っておられる。イエス様は見ておられます。そして近付いてこられるお方です。知恵を働かせ、創造されるお方は、嵐をも支配できるお方なのです。

わたしたちの神様がどういうお方であるのか、詩篇84篇の57節を読んでみましょう。

5 なんと幸いなことでしょう。その力が、あなたにあり、その心の中にシオンへの大路のある人は。6 彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とします。初めの雨もまたそこを祝福でおおいます。彼らは、力から力へと進み、シオンにおいて、神の御前に現われます。

 イザヤ4031から、力の更新についてのべます。

人となられたイエス様は、私たちの弱さをよくご存じです。しかし、主を待ち望む者には約束されていることがあります。

31しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。

 これを今年のおことばとして、皆さまの励ましにしていただきたいと思います。

 このおことばがインマヌエル讃美歌の613番で歌われております。讃美歌で覚えて口ずさんでいただければ幸いです。1930年中田羽後作詞作曲です。インマヌエル讃美歌集が刊行されたとき、中田羽後先生が、献本式でこの讃美歌指導をされたということです。

31しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。

 鷲のような著しい働きもいいでしょう。大きな集会などで大きく恵まれることは有益です。しかし、日常の一回、一回の礼拝、祈祷会に淡々と、黙々と励み続ける、これもまた意味のあることです。

 ここで、詩篇62篇にも心に留めましょう。

11 神は、一度告げられた。二度、私はそれを聞いた。力は、神のものであることを。12 主よ。恵みも、あなたのものです。あなたは、そのしわざに応じて、人に報いられます。

 わたしたちが信じている神、イエス様は、私たちの弱さをよく知っておられる。ですから霊的な恵をもって疲れている私たちをあしらってくださいます。詩篇8411節にあります「まことに、神なる主は太陽です。盾です。主は恵みと栄光を授け、正しく歩く者たちに、良いものを拒まれません。」。ここから今一度「三つのG」を心に留めましょう。

 イザヤ書にある「新しい力」とは、この世的な力ではなく、霊的な力であることはおわかりいただけるでしょう。その力とは、罪に勝つ力であり、最終的な闇である死に勝つ力であります。そして、キリストの復活の力、キリストのような人格を持つに至らせる力です。

聖霊汝らのうえに臨まれるとき、汝ら力を受けん」という約束の力です。キリストの証し人となる力を与えていただきたいと心から願っております。

 讃美歌「ひむなる」106番を讃美しましょう。

 

 

 

|

« プルシェンコ in 盛岡 | トップページ | 散乱している紙類 »

教会」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/461668/63384617

この記事へのトラックバック一覧です: 日曜日のおはなし「主を待ち望む者」:

« プルシェンコ in 盛岡 | トップページ | 散乱している紙類 »