救済
今朝は4時半に目覚め、聖書を開いた。旧約聖書の律法がこまごまと書かれているところだ。聖書が西欧の法律の土台になっていると聞いている。法律が実情に即して変えられつつある。頷ける、頷けない、よくわからない。しかし本来はやはり聖書があるべき姿を示しているのだろうと思う。というのは、私は仏教をよく知らず、イスラム教をよく知らない。ただ今教えられていることが本当だと思われる。なかなか聖書がいう通りに心の隅々までというのに難しさを感じてもいるが、少なくとも彼の地に入るときが来たときには全身全霊をかけるのだろう。やはり、そのこまごまとした旧約聖書にある教えは、とても人間が考えだせるものではないと思われ畏怖を覚えさえする。この律法からの救済がキリストの十字架の血を信じることで罪を赦されることなのだが。
血圧が不安で一喜一憂していたのは一昨年であったか。もう年齢的に降圧剤を飲んだ方がいいということで、いちばん軽い錠剤を服用。いまは安心し怖々せずに好きな事ができる。これは食物、生活の節制の成果は3割、薬の恩恵が7割かと根拠も無く思っている。運動などを含めて体調管理は要るけれども、時間を止めることも跳ね返すこともできないわけで、自重しながら控えめに、できるだけ人様の重荷や迷惑とならないように今この瞬間に感謝しながら明るく齢を重ねていくしかないだろうと自分に言い聞かせている。
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