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メリー・クリスマス!!  きょうのことば『博士たちのクリスマス』

クリスマス、おめでとうございます!!

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 きょうは、全世界の教会でクリスマス礼拝が捧げられます。
 このブログでは、きょうは、インマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924)の第三アドベントのメッセージをお届けいたします。どうか皆様に、今の人生に、後の人生に、神様の祝福がございますように、心から心からお祈り申し上げます。命は神の手のうちにあれば永遠、朽ちることはない、これが聖書の約束です。


聖書引証 マタイ伝
2112

1 イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。2 「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」3 それを聞いて、ヘロデ王は恐れ惑った。エルサレム中の人も王と同様であった。4 そこで、王は、民の祭司長たち、学者たちをみな集めて、キリストはどこで生まれるのかと問いただした。5 彼らは王に言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者によってこう書かれているからです。6 『ユダの地、ベツレヘム。あなたはユダを治める者たちの中で、決して一番小さくはない。わたしの民イスラエルを治める支配者が、あなたから出るのだから。』」7 そこで、ヘロデはひそかに博士たちを呼んで、彼らから星の出現の時間を突き止めた。8 そして、こう言って彼らをベツレヘムに送った。「行って幼子のことを詳しく調べ、わかったら知らせてもらいたい。私も行って拝むから。」9 彼らは王の言ったことを聞いて出かけた。すると、見よ、東方で見た星が彼らを先導し、ついに幼子のおられる所まで進んで行き、その上にとどまった。10 その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。11 そしてその家に入って、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。12 それから、夢でヘロデのところへ戻るなという戒めを受けたので、別の道から自分の国へ帰って行った。

≪國光勝美牧師のおはなし≫

きょうはマタイの福音書からイエスさまのご誕生に関わるエピソードを学んでいきたく願っております。

よく東方から3人の博士がやって来たといわれます。聖書には3人と記されてはいませんが、黄金、乳香、没薬の3種類が捧げられた事から、3人と言われたものでしょう。東、ペルシャの方から、博士たちがエルサレムにやってきた事が書かれているのがマタイの2章です。彼らは、ペルシャのバビロン或いはシュシャンから出発、数か月の長い旅をしました。

登山家の田部井淳子さんの話では、エベレストに登るときに掛かる費用は、同行する人たちの食料、荷物、そして現地でガイドを雇う費用等々、ただ単に一人の者が目的地に行って帰ってくるということではなく、大きな犠牲が払われるということです。

ご想像ください。博士がもし3人だとして、宝物を持って無防備であってはいけません。運搬、警備の人を雇わなければならない。キャラバンを組むことになります。物見遊山の旅ではない。彼らにはそれができる財産、地位があった。敢えてそれをなげうって、また彼らは、そのような物が無かったとしても、是非にでも救い主にお会いしたいというこの1点に人生を賭けたはずです。博士たちとありますが、これは、私たち異邦人が救い主イエスさまにお目に掛かるその雛型、模範なのです。旅を終えて故国に帰ったとしても、彼らの地位が保障されているとは限りません。つまり、彼らは、すべてを犠牲にしてでも、このお方にお会いし礼拝を捧げることが人生の究極の目的でした。シメオンもそうでした。シメオンが聖霊に感じて救い主にお目にかかったように、真理を求める者たちには、神様は、その求めに不思議なように応じてくださる。それが導きの星でした。私たちが救いに与かったときを思い出してください。導いてくれた星があった。それは1枚のトラクトであり、或いは1人の友人であり、或いは親族の友人の導きでした。ギデオンから聖書を貰った人もいるでしょう。捨てることもできずに、小学、中学、高校とずっと書架にあったその聖書が星であった方もいるはずです。いずれ私たちがイエス様に出会い、礼拝を捧げるきっかけとなった星、博士たちの星のような存在があったのです。

博士たちには星がわかった。しかし世の中の人たちは気づかなかったでしょう。博士たちには導きの星であっても、他の多くの人々にとっては、導きの星ではなかった。厳粛な思いがいたします。

 最近、金星が話題になっています。JAXAで「はやぶさ」による小惑星イトカワの探査をしたところ、見失ってしまった。しかし研究者たちの執念、使命感から、宇宙で迷子になった「はやぶさ」の静かな信号をキャッチした。見つけたのです。そして軌道を無事に帰ってきました。非常に感動的なことでした。私たちもあの研究者たちのように、諦めずに真実にイエスさまというお方を探求したいものです。

博士たちは、長い旅をして漸くエルサレムに着き、真っ先に向かったのがヘロデ大王の宮殿でした。

2 「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」

彼らは、イエス様はエルサレムの神殿か宮殿に生まれたに違いないと思っていたでしょう。ですからヘロデの宮殿に行ったのです。もし単なる彼らの先入観で宮殿に生まれていると思ったとしたら、彼らには星が見えなくなっていたはずです。しかし9節を見ると、また星が彼らを先導する。神様の導きと、人間の思いこみは違います。博士たちには星の導きが分かり、ヘロデのところに行きました。

資料によりますと、王位についたヘロデは、本来のユダヤの血筋はハスモン王朝ですが、その者たちを次々に抹殺。BC37年はハスモン朝の最後の王アンティゴロスをローマ人によって処刑。BC36年、妻マリアンネ1世の弟アリストグロス3世を暗殺。その6年後BC30年には、先の大祭司ヒルカノス2世をヘロデに対する陰謀を企んだとして処刑。その1年後、BC29年妻マリアンネ1世を処刑。翌年BC28年、妻マリアンネ1世の母アレキサンドラを処刑。そしていよいよBC7年、ヘロデと妻マリアンネ1世との間に生まれた自分の二人の王子アリストグロス4世とアレキサンドロスを処刑。ですから、マタイ216にある、ヘロデ王が、新しい王であるという救い主イエス様の誕生を博士らから知り、2歳以下の幼児をみな虐殺したという記述はその通りでしょう。

7 そこで、ヘロデはひそかに博士たちを呼んで、彼らから星の出現の時間を突き止めた。

ヘロデは安全策をとってプラス1年と考えたのでしょうか。

そして8 そして、こう言って彼らをベツレヘムに送った。「行って幼子のことを詳しく調べ、わかったら知らせてもらいたい。私も行って拝むから。」

ここでヘロデの本心は見えています。殺すつもりなのです。どこにその新しく生まれたとユダヤ人の王と称するものがいるのか、博士らからの情報を期待していた。

9 彼らは王の言ったことを聞いて出かけた。すると、見よ、東方で見た星が彼らを先導し、ついに幼子のおられる所まで進んで行き、その上にとどまった。

11 そしてその家に入って、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。

911は、よくクリスマスのカードとか、讃美歌で親しまれている場面です。

1225日がイエスさまの誕生日であることには確証がありません。むしろそれは異教的なローマの風習で、当時一年で一番暗さが増し、それから光がだんだん強くなっていくというところから、光なる主のお誕生はこの頃、そして次第に25日がクリスマスとなったのでしょう。ただ明らかにしておきたいのは、聖画などには羊飼いたちや博士たちが馬小屋で生まれたばかりのイエス様を礼拝しているように描かれています。しかし、9節に「幼子」とあるように、聖書の背景から見ると、礼拝を受けたのは馬小屋ではありません。「幼子」ですから、赤ちゃんとは思えない。その背景にあるのは、ヘロデ王が自分に情報をもってくるようにと言っておいたのに、博士たちは導きにより、別の道から自分の国へ帰っていったということで、ヘロデ王は、情報を受け損ねてしまったので、16節にあるように、その後ヘロデは博士たちに騙されたことを非常に怒って、ベツレヘムとその近辺の2歳以下男の子を1人残らず殺させた。その年齢は博士たちから突きとめていた時間から割り出しています。イエス様の誕生、そして博士たちの長い旅路、そして、これらの事を見ると、2年よりはかかってはいない。しかし、念のために2歳以下のこどもを殺したのです。

何れにせよ、博士たちはその星に導かれてイエス様のいるところに辿りつきました。重複するようですけれども、私たちが救い主にお会いしようとする時に先入観を持ってはいけない。必ず王宮に生まれると彼らは思っていたに違いない。しかし、導かれていったのは、マリヤ、ヨセフが幼子と共にベツレヘムでしばしの時を持っていた、つまり、そこに彼らは導かれていきました。

「はやぶさ」を見出したJAXAの研究者ではありませんが、ようやくあの宇宙の中から小さなものを見つけた喜び、それは、導いて導かれてようやくイエスさまにお会いした喜びと、或る意味それとよく似ていると思うのです。彼らは、小さな天の星を、他の人たちは気付かなかった、わからないであろうその星を頼りとして行く事ができる。私たちイエスさまにお会いするときに、彼らの持っていたような霊的な要素を欲しいと思います。そして彼らは黄金、乳香、没薬を贈り物として捧げました。黄金というのは、これは、王様、王権、王位を象徴するものであるとすれば、まさにユダヤ人の王。その王としてお生まれになった方に、彼らは捧げたのでした。きらびやかな宮殿にいるイエスさまに捧げたのではなく、貧しいそのところに捧げた事は、ほんとうにすばらしいです。そして神だけが受けるに相応しい讃美と礼拝のシンボルとしての乳香、没薬、これは死体の腐敗を止めるために使います。死で朽ちてしまうのではなく、再びそこから新しい命、死に打ち勝つシンボルとして没薬が捧げられたのではないか、こういう解説がございます。王様としての権威を黄金で、そして神に捧げられる賛美と礼拝の乳香、そして永遠の命、腐敗から私たちを再び新しい命に甦らせてくださるそれを象徴する没薬、これを捧げていった。

彼らが念願の贈り物を捧げた後、13彼らが帰っていったとき、見よ、主のつかいが夢でヨセフに現れて言った。「立って、幼子とその母を連れ、エジプトへ逃げなさい。そして、わたしが知らせるまで、そこにいなさい。」

ヨセフは立って夜のうちに母と幼子を連れてエジプトに立ち退きました。ここでヨセフは、ちょっと待ってくださいとは言ってない。この礼拝が捧げられ、博士たちがヘロデのところには帰らず別の道で帰っていった。ヘロデは今や遅しと待っている。しかし、何時まで待っても来ない。このままだと、直ぐにヘロデの魔の手が迫って来る。直ぐに、立っていきなさい。しかもエジプトに逃げなさい。そしてヘロデが死んだあと15節「わたしはエジプトから、わたしの子を呼び出した」。救い主がエジプトから呼び出されました。エジプトから、これで連想するでしょう。モーセが罪のエジプトに奴隷として捕えられていたとき、エジプトから約束の地カナンへと導きだされた、あの出エジプトの出来事と、ここに15節にあることは、見事に符合している。救い主、罪のエジプトから私たち救いだしてくださるお方として、私たちは、エジプトから私の子を呼び出した。ヘロデが死ぬのは紀元後4年。それまでの間のエジプトにおける生活はどうだったでしょう。東の博士たちの捧げものが大きな財的サポートになったでしょう。神はエジプト財を備えてくださった。これが聖別されて用いられたに違いない。これらぜんぶを御手のうちに納めていらっしゃるということ。私たちは、博士たちのようなほんとうの礼拝、救い主に対する渇望、そして救い主にお会いしたいという犠牲と、真実をもった聖霊の導きに従って博士たちから学びたいと思う事でございます。

 

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