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きょうのことば 『暗闇に輝く光』

 真っ白な朝です。

 ことし最後の日曜礼拝となりました。
 きょうはインマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924)の先週のクリスマス礼拝メッセージをおつたえします。

 

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聖書引証 ヨハネ伝1:1~12
1 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
2 この方は、初めに神とともにおられた。
3 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。
4 この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。
5 光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。

6 神から遣わされたヨハネという人が現れた。
7 この人はあかしのために来た。光についてあかしするためであり、すべての人が彼によって信じるためである。
8 彼は光ではなかった。ただ光についてあかしするために来たのである。

9 すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。
10 この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。
11 この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。
12 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。

≪國光勝美牧師の説教の要点≫

 ここに出てくる「この方」とは、イエス様のことです。
 ヨハネ12:46 には、「
わたしは光として世に来ました。わたしを信じる者が、だれもやみの中にとどまることのないためです。」とあります。ここに「やみ」とあります。闇、暗闇とはどういうものか、周囲から孤立してしまい、まったく独りになってしまうような状況も闇といえるでしょう。そして、闇の最たるものは死です。しかし、光であるお方イエス様が自分の手を握って一緒に歩いてくださるならば、私たちは暗闇から解放され、光の中を歩むことができます。私たちがこのイエス様とどういう関わり方をするかが重要なのです。

 「神は愛です」。これは聖書のことばですが、あまりに引用されるために、聞き流してしまいがちです。しかし、これを、「宇宙の根源であるお方」とするとどうでしょう。はっとします。宇宙の根源そのものであるこのお方は、愛そのもののお方です。神は愛です。この神様の愛が、暁の稜線から眩くほとばしり出る光のように、御子がこの世に来てくださったのがクリスマスです。

 誰も闇の中に留まることがないように、天の父なる神様はイエス様をこの世にお遣わしくださいました。闇に留まることがないようにというところの闇がどのようなものであるかを考える先に、この闇のない状況がどんなものかを次の御聖言から見てみましょう。

黙示録21:23~25 
23都には、これを照らす太陽も月もいらない。というのは、神の栄光が都を照らし、小羊が都のあかりだからである。24諸国の民が、都の光によって歩み、地の王たちはその栄光を携えて都に来る。25都の門は一日中決して閉じることがない。そこには夜がないからである。

黙示録22:5 夜は、もはやない。あかりも太陽の光も、いらない。主なる神が彼らを照らし、そして、彼らは世々限りなく支配する。

 イエス様の救いに与るということは、やがてこのような天の世界、光の世界に迎えられるということなのです。このような世界に私たちを招くために、主はご自分の光栄ある地位をかなぐり捨てて、クリスマスにこの地上に来られました。感謝いたしましょう。


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