ことしもありがとうございました!
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けさ目を覚ますと、何かがかき消えているような不安とも違うけれども、閉塞感に似たすっきりしない気分が自分に張り付いていた。そのとき、コンスタンティヌス1世が夢に見た「キリストの名によって勝利を得よ」という神の啓示とされる、キリストという意味のギリシャ語Χριστόςの文字を組み合わせた紋章のようなマークが浮かんだとき、すっきりとした気分になっていた。昨夜TV『ローマ街道物語』を見て印象深かったからだろう。神の啓示との解釈には、歴史学者は否定的だったように思う。起きて忘れないうちにブログに書いておこうと思ったが、まだ起きるにはあまりに早すぎた。何とかこの時間まで忘れずにいたらしい。
年末になると第九演奏がある。きのう散歩途中、最寄りのスーパーに立ち寄ったときにも、軽快にアレンジされた第九が流れていた。そして私も、きょうは県民オケの第二定期演奏会の第九関連をすこしばかり書いた。書いたのはすこしだが、頭の中では終日第九が流れていた。きょうの2時から東京オペラシティーでも五番とともに演奏されていたろう。こうして演奏する方々の熱さ、聴きに出かける方々の熱さ、佐渡裕にも熱狂ライブと冠したディスクがあるが、すばらしい曲があったものと今更ながらに思う。もし盛岡で再び第九をやる機会があったなら、また是非参加してみたいのだが、練習はやはり日曜日となるのだろう。
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きのうはまったく歩かなかった。運動のためにはということだけれども。これはよくないなと、朝はやいうちに40分ばかり住吉、志家町方面に向かう。思えば岩山方面には足が向かなくなっている。クマ騒動以来だ。
舗道はアイスバーン。車道を歩いている方もあった。通行量がめっきり減っており、信号が虚しく点滅を繰り返している交差点がある。信号が赤になる。まったく車が通行しないあいだ、それでも法規を守って青信号になるまで待つ方、時間の無駄と渡ってしまう方とさまざまだ。
おしゃべり人形プリモが、きのうから「ことしも終わっちゃうね」を繰り返している。主婦となれば流石にきょうも座りっぱなしというわけにもいかず、きのうまで座りっぱなしで散らかってしまった分を片づけている。主人がガラス拭きをしているとなれば尚のこと知らんふりで座ってなどいられない。
ことしもあと2日。あるような無いような2日となりそう。
今しがた某夫人より電話。花の心配をされている。来年の5月、6月にはあの花が立派に咲く予感がする。いのちは終わらない。根があるかぎり、水があるかぎり、適切な温度があるかぎり、いのちは終わらない。また根が失われても、水が涸れても、温度がなくとも、終わらないいのちもある。
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月曜日はゆっくりしたいと思う。しかしそうもいかない。今朝は4時半起きだったろうか、はやく起きる癖がついてしまい、いちいち言うのは、まるできょうもご飯をたべましたと言っているようなもの。原稿書きを進める。書くといっても、あれこれ関連の活字を眺めていることの方が長い。
二男が帰っている。調理をしてもらおうかと思うも、向こうにいるときには結構自分で炊事をしているようなので、せめてここにいる時ばかりもと、最低限は作っている。わたしはプロではないので原稿は仕事とはいえない。まだまだ趣味の領域で、しかも趣味で終わってしまうかもしれないのだ。ただ締切がある。それで何とか間に合わせようとしている。
きょう、岩手日報新聞の文芸欄に高田久美子さんの詩が掲載されました。ご存じの方、ご存じでない方も読んでいただければと思います。ほんとうに嬉しい気持でいっぱい、事実自分の詩が取り上げられた時よりも嬉しかったのです。こういう種類の嬉しさもあるのだと思いました。これで冬が越せる、ブラボー、お先にハッピー・ニュー・イヤー!
そして原稿は100枚通過。団体を書くときの難しさ、極端に偏るわけにはいかない、努力はしたけれども、偏りは否めないだろう。削ったり足したり、彫刻をやっている気分にもなるが、彫刻ならば削り落してしまえばそれでおしまい。ピサの斜塔を眺めているような気分で推敲をする。舟越保武氏の著作であったろうか、削り過ぎたことはないとあった。凄いことだと思う。それにしてもパソコンの有難さは、たとえ何枚分の原稿であろうと、即座に切りだして、どこにでもストンと落してくれる。嵌め変え、切り取り、何でもござれ。忘れた漢字は瞬時に差し出してくる。親切心にどっぷりと浸かっているうちに、はたと気付けば、ペンで書こうとしたときに出てこないのだ。漢字の記憶までパソコン内に預けてしまったような気分になる。それでもやめられないパソコン。何しろ図書館をキー一つで引き出してくれる。もしパソコンがなければ、今こうして書いてはいないだろう。
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真っ白な朝です。
ことし最後の日曜礼拝となりました。
きょうはインマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924)の先週のクリスマス礼拝メッセージをおつたえします。
聖書引証 ヨハネ伝1:1~12
1 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
2 この方は、初めに神とともにおられた。
3 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。
4 この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。
5 光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。
6 神から遣わされたヨハネという人が現れた。
7 この人はあかしのために来た。光についてあかしするためであり、すべての人が彼によって信じるためである。
8 彼は光ではなかった。ただ光についてあかしするために来たのである。
9 すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。
10 この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。
11 この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。
12 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。
≪國光勝美牧師の説教の要点≫
ここに出てくる「この方」とは、イエス様のことです。
ヨハネ12:46 には、「わたしは光として世に来ました。わたしを信じる者が、だれもやみの中にとどまることのないためです。」とあります。ここに「やみ」とあります。闇、暗闇とはどういうものか、周囲から孤立してしまい、まったく独りになってしまうような状況も闇といえるでしょう。そして、暗闇の最たるものは死です。しかし、光であるお方イエス様が自分の手を握って一緒に歩いてくださるならば、私たちは暗闇から解放され、光の中を歩むことができます。私たちがこのイエス様とどういう関わり方をするかが重要なのです。
「神は愛です」。これは聖書のことばですが、あまりに引用されるために、聞き流してしまいがちです。しかし、これを、「宇宙の根源であるお方」とするとどうでしょう。はっとします。宇宙の根源そのものであるこのお方は、愛そのもののお方です。神は愛です。この神様の愛が、暁の稜線から眩くほとばしり出る光のように、御子がこの世に来てくださったのがクリスマスです。
誰も闇の中に留まることがないように、天の父なる神様はイエス様をこの世にお遣わしくださいました。闇に留まることがないようにというところの闇がどのようなものであるかを考える先に、この闇のない状況がどんなものかを次の御聖言から見てみましょう。
黙示録21:23~25
23都には、これを照らす太陽も月もいらない。というのは、神の栄光が都を照らし、小羊が都のあかりだからである。24諸国の民が、都の光によって歩み、地の王たちはその栄光を携えて都に来る。25都の門は一日中決して閉じることがない。そこには夜がないからである。
黙示録22:5 夜は、もはやない。あかりも太陽の光も、いらない。主なる神が彼らを照らし、そして、彼らは世々限りなく支配する。
イエス様の救いに与るということは、やがてこのような天の世界、光の世界に迎えられるということなのです。このような世界に私たちを招くために、主はご自分の光栄ある地位をかなぐり捨てて、クリスマスにこの地上に来られました。感謝いたしましょう。
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きのうの青空は一転、雪景色に。
真夜中の地震、直下型のように感じられ怖かった。息子たちがいる関東は大丈夫かと思うも、それ以上の事はなくほっとする。時計は午前2時に近い。目が醒めてしまい原稿書きでもしようかと一旦は起き出したものの、後で反動が来るのを恐れ、Uターン。環境のこと(温暖化)などあれこれが頭を過り終止がつきそうにもない。そこで意識的に讃美歌を思い出すようにしたところが、よい睡眠効果が得られた。
冬らしい冬の到来。今夕、除雪車は出動するだろうか。外を眺めていると、白い点描に、幼い子どもたちの笑う声、泣く声、だだをこねる声が聞こえるような気がした。きのう歩かなかったので、特に必要なものもなかったが、40分をかけてスーパーまでを往復する。
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数分間、キャンドルを灯しました。はじめは撮るつもりはなかったのですが、ふと思い立ってのことですから、人様に見られることを意識してはおりません。クリスマス礼拝、クリスマス祝会、そして家のクリスマスと3回目です。
本来クリスマスはイエスさまのお誕生をお祝いするもので、賑やかなパーティー企画などとは遠いもの。
きのうの教会のキャンドルサービスのときには、なぜかイエスさまがお架かりになった十字架が、正面からではなく、私が十字架の後ろから見ている図が浮かびました。イエス様が十字架上からご自分の足元におかれた飼い葉おけに寝かされている幼子イエスさまを見ている。今まさに死にゆこうとするときに、ご自分の生まれたばかりの姿を見ている、そのような図でした。
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午前は片づけ、午後は民生のYさんと一緒に届け物。途中通りかかったケーキ屋さんの混雑、きょうクリスマスを祝う方も。
そして午後6時までに教会に行き、7時からキャンドルサービスでした。
聖書朗読中心に讃美歌をうたい、メサイアを聴き、ショトメッセージがあり、トンーチャイム演奏、祝祷がありました。会衆席の前の方々の蝋燭から次つぎに灯りがともされていきます。
ルカ2:15~20
15 御使いたちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは互いに話し合った。「さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう。」
16 そして急いで行って、マリヤとヨセフ と、飼葉おけに寝ておられるみどりごとを捜し当てた。
17 それを見たとき、羊飼いたちは、この幼子について告げられたことを知らせた。
18 それを聞いた人たちはみな、羊飼いの話したことに驚いた。
19 しかしマリヤは、これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。
20 羊飼いたちは、見聞きしたことが、全部御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。
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午前は民生関係で配布するものがあり、受け取るために指定された会場に向かう。すぐに失礼するつもりが大先輩から「まずお掛けなさい」とのお勧め。その方は長らく民生委員をしておられるのだが、任期が終わるたびに後任をお願いに回っても、何らかの理由で何人にも断られ続けて今に至っているとのこと。齢80ぐらいかとお見受けする。他の自治会役員とは違い、誰かがやらないと生活上困る方々がいらっしゃる、それが心配で投げ出せないのだ。この方ばかりではない。他にも年齢的にきつくとも後継がないために止むなく続けておられる方々がいる。「もうゆっくりおやすみください」と申し上げたいところ。何としたことだろう。
午後は髪を切りに出かける。すっきりしたいと思いつつ、なかなか行きかねていた。ふと一生切らなかったらどれぐらいのびるのだろうと余所を開いて見ると、例のベストアンサーには、5年半で伸びなくなり抜けおちる。長さは70㌢~1㍍。ギネスの7㍍は特異な例とある。そういえば、某音楽家(没)の岩手出身の奥さまの髪はいつも1㍍ほどの長さだった。
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きのう教会のクリスマス会でいただいたプレゼントです。このネコは、きっとモロッコのネコかもしれない。モロッコではノラネコも地域の住民に大切にされている。誰もいじめたり追い払ったりはしません。青色系のとてもたのしいカップです。さっそく紅茶やコーヒーをいただいています。ムーミンののったふたも付いています。朝はやくのお茶も冷めにくくなるでしょう。
きのうはもうとにかく楽しいクリスマス祝会でした。日頃はわたしの奥まったところに隠れているインナーチャイルドが出てきたようで、ゲーム、クイズに大張りきり。この日ばかりはじっくりとお付き合い。皆さまのギター演奏、トーンチャイム演奏、美しい讃美歌が心にしみました。
準備くださった教会の牧師夫妻、兄弟姉妹方に、すてきなトーンチャイム演奏をしてくれた子どもたちにありがとう、楽しかったです。ごくろうさまでした!
あすは冬至。これでやっと日が長くなってきます。暗闇は日々に遠くに、光よとく来たれ!
☆ ☆ ☆
きょうは朝から推敲。2時半まで続けたところが流石に眼精疲労からか……続けたい意思は強くとも、黄色信号が点灯。止むなく休息。15分後には復活。すこし歩いた方がいいとついでに郵便局やら食材の買い出しに。20時。きょうこそはもう切り上げよう。きのうはといえば、ついつい「下町ロケット」を見てしまい遅くなってしまった。TVは時間を思いのままに食べてしまう怖い生き物でもあるようです。
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クリスマス、おめでとうございます!!
きょうは、全世界の教会でクリスマス礼拝が捧げられます。
このブログでは、きょうは、インマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924)の第三アドベントのメッセージをお届けいたします。どうか皆様に、今の人生に、後の人生に、神様の祝福がございますように、心から心からお祈り申し上げます。命は神の手のうちにあれば永遠、朽ちることはない、これが聖書の約束です。
聖書引証 マタイ伝2:1~12
1 イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。2 「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」3 それを聞いて、ヘロデ王は恐れ惑った。エルサレム中の人も王と同様であった。4 そこで、王は、民の祭司長たち、学者たちをみな集めて、キリストはどこで生まれるのかと問いただした。5 彼らは王に言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者によってこう書かれているからです。6 『ユダの地、ベツレヘム。あなたはユダを治める者たちの中で、決して一番小さくはない。わたしの民イスラエルを治める支配者が、あなたから出るのだから。』」7 そこで、ヘロデはひそかに博士たちを呼んで、彼らから星の出現の時間を突き止めた。8 そして、こう言って彼らをベツレヘムに送った。「行って幼子のことを詳しく調べ、わかったら知らせてもらいたい。私も行って拝むから。」9 彼らは王の言ったことを聞いて出かけた。すると、見よ、東方で見た星が彼らを先導し、ついに幼子のおられる所まで進んで行き、その上にとどまった。10 その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。11 そしてその家に入って、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。12 それから、夢でヘロデのところへ戻るなという戒めを受けたので、別の道から自分の国へ帰って行った。
≪國光勝美牧師のおはなし≫
きょうはマタイの福音書からイエスさまのご誕生に関わるエピソードを学んでいきたく願っております。
よく東方から3人の博士がやって来たといわれます。聖書には3人と記されてはいませんが、黄金、乳香、没薬の3種類が捧げられた事から、3人と言われたものでしょう。東、ペルシャの方から、博士たちがエルサレムにやってきた事が書かれているのがマタイの2章です。彼らは、ペルシャのバビロン或いはシュシャンから出発、数か月の長い旅をしました。
登山家の田部井淳子さんの話では、エベレストに登るときに掛かる費用は、同行する人たちの食料、荷物、そして現地でガイドを雇う費用等々、ただ単に一人の者が目的地に行って帰ってくるということではなく、大きな犠牲が払われるということです。
ご想像ください。博士がもし3人だとして、宝物を持って無防備であってはいけません。運搬、警備の人を雇わなければならない。キャラバンを組むことになります。物見遊山の旅ではない。彼らにはそれができる財産、地位があった。敢えてそれをなげうって、また彼らは、そのような物が無かったとしても、是非にでも救い主にお会いしたいというこの1点に人生を賭けたはずです。博士たちとありますが、これは、私たち異邦人が救い主イエスさまにお目に掛かるその雛型、模範なのです。旅を終えて故国に帰ったとしても、彼らの地位が保障されているとは限りません。つまり、彼らは、すべてを犠牲にしてでも、このお方にお会いし礼拝を捧げることが人生の究極の目的でした。シメオンもそうでした。シメオンが聖霊に感じて救い主にお目にかかったように、真理を求める者たちには、神様は、その求めに不思議なように応じてくださる。それが導きの星でした。私たちが救いに与かったときを思い出してください。導いてくれた星があった。それは1枚のトラクトであり、或いは1人の友人であり、或いは親族の友人の導きでした。ギデオンから聖書を貰った人もいるでしょう。捨てることもできずに、小学、中学、高校とずっと書架にあったその聖書が星であった方もいるはずです。いずれ私たちがイエス様に出会い、礼拝を捧げるきっかけとなった星、博士たちの星のような存在があったのです。
博士たちには星がわかった。しかし世の中の人たちは気づかなかったでしょう。博士たちには導きの星であっても、他の多くの人々にとっては、導きの星ではなかった。厳粛な思いがいたします。
最近、金星が話題になっています。JAXAで「はやぶさ」による小惑星イトカワの探査をしたところ、見失ってしまった。しかし研究者たちの執念、使命感から、宇宙で迷子になった「はやぶさ」の静かな信号をキャッチした。見つけたのです。そして軌道を無事に帰ってきました。非常に感動的なことでした。私たちもあの研究者たちのように、諦めずに真実にイエスさまというお方を探求したいものです。
博士たちは、長い旅をして漸くエルサレムに着き、真っ先に向かったのがヘロデ大王の宮殿でした。
2 「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」
彼らは、イエス様はエルサレムの神殿か宮殿に生まれたに違いないと思っていたでしょう。ですからヘロデの宮殿に行ったのです。もし単なる彼らの先入観で宮殿に生まれていると思ったとしたら、彼らには星が見えなくなっていたはずです。しかし9節を見ると、また星が彼らを先導する。神様の導きと、人間の思いこみは違います。博士たちには星の導きが分かり、ヘロデのところに行きました。
資料によりますと、王位についたヘロデは、本来のユダヤの血筋はハスモン王朝ですが、その者たちを次々に抹殺。BC37年はハスモン朝の最後の王アンティゴロスをローマ人によって処刑。BC36年、妻マリアンネ1世の弟アリストグロス3世を暗殺。その6年後BC30年には、先の大祭司ヒルカノス2世をヘロデに対する陰謀を企んだとして処刑。その1年後、BC29年妻マリアンネ1世を処刑。翌年BC28年、妻マリアンネ1世の母アレキサンドラを処刑。そしていよいよBC7年、ヘロデと妻マリアンネ1世との間に生まれた自分の二人の王子アリストグロス4世とアレキサンドロスを処刑。ですから、マタイ2:16にある、ヘロデ王が、新しい王であるという救い主イエス様の誕生を博士らから知り、2歳以下の幼児をみな虐殺したという記述はその通りでしょう。
7 そこで、ヘロデはひそかに博士たちを呼んで、彼らから星の出現の時間を突き止めた。
ヘロデは安全策をとってプラス1年と考えたのでしょうか。
そして8 そして、こう言って彼らをベツレヘムに送った。「行って幼子のことを詳しく調べ、わかったら知らせてもらいたい。私も行って拝むから。」
ここでヘロデの本心は見えています。殺すつもりなのです。どこにその新しく生まれたとユダヤ人の王と称するものがいるのか、博士らからの情報を期待していた。
9 彼らは王の言ったことを聞いて出かけた。すると、見よ、東方で見た星が彼らを先導し、ついに幼子のおられる所まで進んで行き、その上にとどまった。
11 そしてその家に入って、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。
9、11は、よくクリスマスのカードとか、讃美歌で親しまれている場面です。
12月25日がイエスさまの誕生日であることには確証がありません。むしろそれは異教的なローマの風習で、当時一年で一番暗さが増し、それから光がだんだん強くなっていくというところから、光なる主のお誕生はこの頃、そして次第に25日がクリスマスとなったのでしょう。ただ明らかにしておきたいのは、聖画などには羊飼いたちや博士たちが馬小屋で生まれたばかりのイエス様を礼拝しているように描かれています。しかし、9節に「幼子」とあるように、聖書の背景から見ると、礼拝を受けたのは馬小屋ではありません。「幼子」ですから、赤ちゃんとは思えない。その背景にあるのは、ヘロデ王が自分に情報をもってくるようにと言っておいたのに、博士たちは導きにより、別の道から自分の国へ帰っていったということで、ヘロデ王は、情報を受け損ねてしまったので、16節にあるように、その後ヘロデは博士たちに騙されたことを非常に怒って、ベツレヘムとその近辺の2歳以下男の子を1人残らず殺させた。その年齢は博士たちから突きとめていた時間から割り出しています。イエス様の誕生、そして博士たちの長い旅路、そして、これらの事を見ると、2年よりはかかってはいない。しかし、念のために2歳以下のこどもを殺したのです。
何れにせよ、博士たちはその星に導かれてイエス様のいるところに辿りつきました。重複するようですけれども、私たちが救い主にお会いしようとする時に先入観を持ってはいけない。必ず王宮に生まれると彼らは思っていたに違いない。しかし、導かれていったのは、マリヤ、ヨセフが幼子と共にベツレヘムでしばしの時を持っていた、つまり、そこに彼らは導かれていきました。
「はやぶさ」を見出したJAXAの研究者ではありませんが、ようやくあの宇宙の中から小さなものを見つけた喜び、それは、導いて導かれてようやくイエスさまにお会いした喜びと、或る意味それとよく似ていると思うのです。彼らは、小さな天の星を、他の人たちは気付かなかった、わからないであろうその星を頼りとして行く事ができる。私たちイエスさまにお会いするときに、彼らの持っていたような霊的な要素を欲しいと思います。そして彼らは黄金、乳香、没薬を贈り物として捧げました。黄金というのは、これは、王様、王権、王位を象徴するものであるとすれば、まさにユダヤ人の王。その王としてお生まれになった方に、彼らは捧げたのでした。きらびやかな宮殿にいるイエスさまに捧げたのではなく、貧しいそのところに捧げた事は、ほんとうにすばらしいです。そして神だけが受けるに相応しい讃美と礼拝のシンボルとしての乳香、没薬、これは死体の腐敗を止めるために使います。死で朽ちてしまうのではなく、再びそこから新しい命、死に打ち勝つシンボルとして没薬が捧げられたのではないか、こういう解説がございます。王様としての権威を黄金で、そして神に捧げられる賛美と礼拝の乳香、そして永遠の命、腐敗から私たちを再び新しい命に甦らせてくださるそれを象徴する没薬、これを捧げていった。
彼らが念願の贈り物を捧げた後、13彼らが帰っていったとき、見よ、主のつかいが夢でヨセフに現れて言った。「立って、幼子とその母を連れ、エジプトへ逃げなさい。そして、わたしが知らせるまで、そこにいなさい。」
ヨセフは立って夜のうちに母と幼子を連れてエジプトに立ち退きました。ここでヨセフは、ちょっと待ってくださいとは言ってない。この礼拝が捧げられ、博士たちがヘロデのところには帰らず別の道で帰っていった。ヘロデは今や遅しと待っている。しかし、何時まで待っても来ない。このままだと、直ぐにヘロデの魔の手が迫って来る。直ぐに、立っていきなさい。しかもエジプトに逃げなさい。そしてヘロデが死んだあと15節「わたしはエジプトから、わたしの子を呼び出した」。救い主がエジプトから呼び出されました。エジプトから、これで連想するでしょう。モーセが罪のエジプトに奴隷として捕えられていたとき、エジプトから約束の地カナンへと導きだされた、あの出エジプトの出来事と、ここに15節にあることは、見事に符合している。救い主、罪のエジプトから私たち救いだしてくださるお方として、私たちは、エジプトから私の子を呼び出した。ヘロデが死ぬのは紀元後4年。それまでの間のエジプトにおける生活はどうだったでしょう。東の博士たちの捧げものが大きな財的サポートになったでしょう。神はエジプト財を備えてくださった。これが聖別されて用いられたに違いない。これらぜんぶを御手のうちに納めていらっしゃるということ。私たちは、博士たちのようなほんとうの礼拝、救い主に対する渇望、そして救い主にお会いしたいという犠牲と、真実をもった聖霊の導きに従って博士たちから学びたいと思う事でございます。
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夕べ、土曜分のブログ書きを忘れてしまった。けさ4時に起きてそれでも気付かず、いま5時近いが、紅茶の湯が煮たっている音でなぜか思いだしPCをあける。
ブログカレンダーをぜんぶ埋めるつもりが、空いてしまった。やはり完璧にはいかないもの。
きのうは、午前中は、ケーキの台づくり。そしておやつ用のお菓子づくり。近所の方に教えていただいた「がんつき」。午後は、1時からもりおか童話の会。いつも遅れがちで、これではいけないと思い、はやめに行動。ずっと休んでらした方も見えてほっと。東京まで出かけては学んでおられる方も。所属の機関誌「エリナイト」をいただく。いつも代表の浅沼誠子さんに世話係としてのご負担をかけてしまっている。私は今書いているものを印刷し持参して2か所読みあげ聞いていただいた。
3時からは、教会で、あすのクリスマス祝会のためのケーキのデコレーションと、4時からのトーンチャイム練習がある。それで2時半には、申し訳なかったが、童話の会を退出。童話の会では来月は新年会だそう。
教会での練習を終えて教会近くのスーパーで買い物をし帰宅したのは5時半ごろだったろうか。
帰宅すると、主人がPCに向かって自分の原稿を書いている。一旦手がけたものは途中で捨てずに最後まで推敲し続けるようだ。主人は児童文学。こうなればライバルでもある。
さまざまな文芸をやってきた。いちばんおもしろいのは川柳だった。俳句や短歌はリズム感がいい。詩は自分の原点だったように思う。それがなぜか成り行きで、音楽との出会いからといっていいかもしれないが、今は小説的評伝、自分ではそう位置づけているが、小説的評伝を書くようになっている。「締切」の掛け声のある都度、漸々駆けだしている。
ここまでを、一応昨日分としてアップしておこう。あと1時間半もすれば、あたらしいブログの下になってしまうけれども。
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今朝は4時半に目覚め、聖書を開いた。旧約聖書の律法がこまごまと書かれているところだ。聖書が西欧の法律の土台になっていると聞いている。法律が実情に即して変えられつつある。頷ける、頷けない、よくわからない。しかし本来はやはり聖書があるべき姿を示しているのだろうと思う。というのは、私は仏教をよく知らず、イスラム教をよく知らない。ただ今教えられていることが本当だと思われる。なかなか聖書がいう通りに心の隅々までというのに難しさを感じてもいるが、少なくとも彼の地に入るときが来たときには全身全霊をかけるのだろう。やはり、そのこまごまとした旧約聖書にある教えは、とても人間が考えだせるものではないと思われ畏怖を覚えさえする。この律法からの救済がキリストの十字架の血を信じることで罪を赦されることなのだが。
血圧が不安で一喜一憂していたのは一昨年であったか。もう年齢的に降圧剤を飲んだ方がいいということで、いちばん軽い錠剤を服用。いまは安心し怖々せずに好きな事ができる。これは食物、生活の節制の成果は3割、薬の恩恵が7割かと根拠も無く思っている。運動などを含めて体調管理は要るけれども、時間を止めることも跳ね返すこともできないわけで、自重しながら控えめに、できるだけ人様の重荷や迷惑とならないように今この瞬間に感謝しながら明るく齢を重ねていくしかないだろうと自分に言い聞かせている。
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読書、そして資料に目を通す。何をそんなに地方にこだわる、と自分の中で声がする。一方、その地方の独特なものをやることこそ実はグローバルなのだと仰った方がいらした。これは地方を励ます言葉だとも思うのだが、しかし素直にうん、そうかと頷いて頑張る事の方が何らかの積み上げにはなるだろう。
さまざま目を通して、この岩手で音楽を本気で教えようとした方々のうちには、教える途上で、本気でご自分で学び、またこの地にある方々と共に学んでこられたのだと尊敬の念が湧いた。齊藤秀雄、またまた古い話になるけれども、古い話の方が差しさわりがないと思っての事だが、とにかく厳しかった、怖かった。今でもそういう体質はあるだろう。地方にいる志のある方々は、場合によっては、たとえそういった師であるとしても、旅費をかけ、高価なレッスン料を払い、地方蔑視の悪口雑言にも耐え堪えながらでも上京しては学んできている。そうして下さった先達がいてくれたお陰で、今の地方が辿りついた段階がある事に気付かされた。これは音楽に関してばかりではないように思う。
グレン・グールドのバッハを聴く。ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番。おもしろい。グールドのピアノのオケの引っ張り具合がおもしろいとこんな言い方をして許されるだろうか。ピアノにオケが括りつけられてしまうといえば言いすぎだろうが、そんな感じを受けた。
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きょうは『第九』。そちこち聴いているうちに、何と、you tube、,岩手県民オケの第九の岩手初演が出てきた。まさしくこのすばらしきひと時を掴もうと聴いていたわけだけれども。但し第一楽章、第三楽章のみ。第一、第四、眠っている方々もはっと目を覚ます第四があったかどうか、探すためにそれ以上の時間はかけない。見ると佐渡裕の10000人の第九も。ディスクでパーヴォ・ヤルヴィ、カラヤン、朝比奈隆、そういえば、バーンスタインは聴いていない。部分、部分を聴き比べ、これ以上、演奏を相対化してどうなるというのか、ぎりっとブレーキを踏む。岩手でも確か寺崎巖先生が1000人だったろうか、演奏したはず。
この第九をワーグナーが取り上げている。以下は.wikipediaからの転載、怖々ですが。
「1846年、ワーグナーは毎年恒例であった復活祭の直前の日曜日におこなわれる特別演奏会の演目として、ベートーベンの『第九』の演奏を計画。当時『第九』は演奏されることも少なく、忘れられた曲となっていたため猛反対の声が上がったが、徹底したリハーサルや準備のかいあってこの演奏は大成功に終わった。以後、『第九』は名曲としての評価を確立する。」
民生関係で一つ用事も足し、空気を吸いにと庭に出たところが、あまりに雑然としているのを見かね、数時間片づけをする。3食の食事作りは当たり前。それでも説教の起しをすこしと、すこしの原稿書きで字数は90枚相当を通過。今月末締切。何とか春が来そうな目処が。ただまだ推敲が残っている。1月の校正も残っている。それでも何とか何とか春が来そうで、早々と水仙をアップしてみた。
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文章を書く時間は短い。音楽を聴いている時間が長い。やっと岩手県民オケが県民会館落成の杮落しでワーグナーの『ニュールンベルクのマイスタージンガー』前奏曲を演奏している場面を書き入れた。ワーグナーの人種差別的な側面(後にはそれを改めてもいるが)、その他諸々を先に取り込んでしまったために、真剣に聴いてみようという気にはなれなかった。それでもワーグナーの音楽は、こうちらが好むと好まざるとに関わらず、周辺で流れているとまるで耳が選択したかのように優先的に入ってくる。そういう意味ではやはり凄い作曲家と認めざるを得ない。美のもつ特異性、独立性を想う瞬間だ。それがきょう、県民オケに分け入った心境で、ヘッドホンで拾いながら聴き書いているうちに感動し涙が出てきた。霊的な何かに感応したものか、自分でもよくわからない。最後のシンバルの後に全オケが終盤を力に満ちて括る。美というものも、もしかすれば諸刃の剣であるのかもしれない。カラヤンの周到な美の構築が一方で人々の嫌悪を買ってしまうのもそういうことかもしれない。楽曲に浸るのも時間を適度にほどほどにがいいのだろう。
松田晃氏にお話しを伺うことはついぞ無かったが、きょう奥さまの順子先生から当時のことを教えて頂く機会があった。感謝したい。
今しがた降りだした雨。すっきりとした季節感が無くなっている。しかし、いまこの時、生かされている今に感謝する。
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これは雪が降るまえ、11月に撮ったベルケア。花が十字対生(上から見ると十字に見える)のようについている。90度ずつねじれているところがおもしろい。
ゆっくりと寛いだ日曜の夕方からきょうまで、3日は経ったような気がする。
午前は健康維持のためのプチ検査。ブログを開くと「5秒に1人幼い命が。きょうも奪われていく1万6000の幼い命」と訴えてくる。…。何をもって先進国というのか、最近はわからなくなっているけれども、何れここにある都市部は医寮に恵まれている。感謝である。ただ、申し訳なさもある。
きょうもガンの術後の方にお会いしたが、身の周りにこんなにもいらっしゃる事に、なんといったらよいのか、いうべきなのか、ことばがない。何か言わねばと焦って言ったことばでかえって人を苦しめてしまったこともある。こんなとき、ほんとうにことばが出なくなる。
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きょうは第三アドベントです。実は金曜日、23時ごろまで、説教を起していたのですが、誤作動で記事を一瞬に失ってしまいました。昨日、朝食を終えると同時に次つぎに用事が舞いこみ終日大忙し。こんなこともあります。今回はおことばだけをご紹介することにします。
ー今朝は、庭から収穫した葡萄をジュースにして冷凍したものを解凍、ひと煮たちさせて飲んでみましたがとても美味しい。飲みながら、「わたしはぶどうの木で、あなたがたが枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。」というイエスさまのおことばが通いました。とどまる、人がどういおうとも動かされず、どんな形でも、とどまる、これが肝心なのだと思わせられました。来年も葡萄ジュースを凍らせ、年中飲むようにします。(この部分はこの朝8時の書き足しです)-
聖書引証 ルカ 2:21~40
21 八日が満ちて幼子に割礼を施す日となり、幼子はイエスという名で呼ばれることになった。胎内に宿る前に御使いがつけた名である。22 さて、モーセの律法による彼らのきよめの期間が満ちたとき、両親は幼子を主にささげるために、エルサレムへ連れて行った。23 ――それは、主の律法に「母の胎を開く男子の初子は、すべて、主に聖別された者、と呼ばれなければならない。」と書いてあるとおりであった。――24 また、主の律法に「山ばと一つがい、または、家ばとのひな二羽。」と定められたところに従って犠牲をささげるためであった。25 そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい、敬虔な人 で、イスラエルの慰められることを待ち望んでいた。聖霊が彼の上にとどまっておられた。26 また、主のキリストを見る までは、決して死なないと、聖霊のお告げを受けていた。27 彼が御霊に感じて宮にはいると、幼子イエスを連れた両親が、その子のために律法の慣習 を守るために、はいって来た。28 すると、シメオンは幼子を腕に抱き、神をほめたたえて言った。29 「主よ。今こそあなたは、あなたのしもべを、みことばどおり、安らかに去らせてくださいます。30 私の目があなたの御救いを見た からです。31 御救いはあなたが万民の前に備えられたもので、32異邦人を照らす 啓示の光、御民イスラエルの光栄です。」33 父と母は、幼子についていろいろ語られる事に驚いた。34 また、シメオンは両親を祝福し、母マリヤに言った。「ご覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人が倒れ、また、立ち上がるために定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。35 剣があなたの心さえも刺し貫くでしょう。それは多くの人の心の思いが現れるためです です。」36 また、アセル族のパヌエルの娘で女預言者 のアンナという人がいた。この人は非常に年をとっていた。処女の時代のあと七年間、夫とともに住み、37 その後やもめになり、八十四歳になっていた。そして宮を離れず、夜も昼も、断食と祈りをもって神に仕えていた。38 ちょうどこのとき、彼女もそこにいて、神に感謝をささげ、そして、エルサレムの贖い を待ち望んでいるすべての人々に、この幼子のことを語った。39 さて、彼らは主の律法による定めをすべて果たしたので、ガリラヤの自分たちの町ナザレ に帰った。40 幼子は成長し、強くなり、知恵に満ちて行った。神の恵みが その上にあった。
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明けてゆく街。午前6時50分
ここのところ、早朝は自分の時間にあてている。5、6時台に散歩しなくなってから2ヶ月にはなる。天気予報できょうは晴れあがるはず。6時15分でもけっこう暗かったが久しぶりに岩手公園の体操に向かう。もりおか歴史文化館に着くと、小型トラックが横付けされており、荒巻が降ろされていた。私はこういったものはコンテナなどに入れて運ばれ、器ごと降ろされるものと思っていたが、3人の方が、1匹(荒巻の数え方がどうであるかわからないのだが)、或いは1本か、とにかく1本づつの手渡しだった。これにもきっと商品をまもる何らかの理由があるに違いない。設置された長机に次つぎに積み重ねられていく。ざっと200はあるのではと思った。鮭祭りイベントの幟が賑々しく立てられている。10時開催だという。それまでにはまだまだ海産物が搬入されるだろう。積まれた荒巻は隆々と黒光りしている。叔母が荒巻を描いて評価されたことを思い出した。描くためにわざわざ宮古まで鮭の取材に来たのだ。その時に訪れた宮古水産高校。荒巻が寒風を受けて見事に並んで吊るされていた。燻製室のさまも壮観だった。水産加工の面白さ見事さの断片を垣間見、何とも充実した心持ちになったことを思い出します。
寒風や 荒巻空に 口開く
俳句を始めて間もない頃の一句。
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12月4日、雪が積もった朝にも、しおれながらも花を持たせていたベルケア。チェリーセイジ、黄色のバラとともにこの年、庭のアンカーを務めてくれた。
きょうは岩手県民オケの朝明けを辿る。初演、岩手県民会館の杮落としはワーグナーの『ニュールンベルグのマイスタージンガー』前奏曲だったが、第一回定期演奏会はベートーヴェンの『交響曲第一番』。ツィクルスで聴くとき、一番はハイドン、モーツァルトの亜流などという先入観があるためか、身を入れて聴く事が少なかった。真剣に聴こうとして、さて映像も欲しいと、棚をあたったところが、カーテンを開けた光が照らしてくれた盤がパーヴォ・ヤルヴィ。ドイツ・カンマーフィル。何と封が切られていない。聴こうとして買った息子が、どうも聴きたいものが他に出てきたために措いておいたものを、こちらに送ったらしい。2010収録。こちらに来てから3年は経っている。 そういえば、ことしN響にパーヴォ・ヤルヴィが就任したはずだ。2015年9月から3年契約。偶然にもヤルヴィ着任3カ月での開封。だから何なのかと問われると答えはないけれども。
カンマーフィルのステージの奏者たちが、初演に向けて音出しをする岩手県民オーケストラの奏者たちに重なる。ほんとうにものを言いたければ、やはり楽譜が要ることを痛感はするけれども、自分はそこまで専門的にはできかねるというところ。イーハトーブの楽団と重ねると、当初はもの足りなく感じた滑り出しも、こういうもの、こういうよさと納得し、これまで聴きどころと聴いたところは、いよいよ説得力をもって聴こえる。身近な楽団を重ねて聴くとこうも違うものか。楽しさに付加がつくのだ。
しかし、石井宏は、作曲者の譜面を独自に解釈したカラヤンの音を、しっかりと譜面に書き表わしてその違いを説明しているが、どうも私は、今後も聴いて楽しむだけで、楽譜を持ち出し云々するところまではできそうにない。
きょうは終日荒れもよう。風が勝手気ままに吹き荒れているようだけれども、これも体系のなかに在る事象。やはり青空がいい。抜けるような青空が。
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きょうはランチ。主人が行こうとひと声。まさか真珠湾攻撃記念ではないだろう。それにしても勝ち目のない戦争をしかけたものだ。勝ち目がある戦争ならいいとは思わないけれど。
ここのところ運動不足。メリハリのない暮らしになっている。
きょうは何をしただろうか。やはり細かく書いておく必要があると思いつつもなかなか。朝のうちに、ボランティアでお茶会を開いて下さるというこの地域の方にご挨拶と日時のお願い。民生関係を4軒回ってからコーヒータイム。そう、きょう書こうと思ったのは、ホームヘルパーさんの見守りの有難さ。もしこれが無かったなら、家族の方々や見守りの責任を負う方々がどれほど心配、不安を抱えなければならなかった事か。どうしておられるかなとドアを開けたときに、まな板で青菜を刻んでお料理を作ったり、お掃除をして下さっているヘルパーさんのすがたに会うと、心からほっとするのです。
午後は宮古市の友人からのお電話で、今こちらに来ているということで自転車で急行。帰ってみると文芸誌関係の連絡メールが来ている事に気づく。
朝はやくからの電話、いらしてくださった地域の方々のおはなし、夕方からの身内を含めての5件の電話。ありがとうございます。感謝なことです。ありがとうございます。恐縮です。そしてきょうの終わりに神さま、有難うございました。
※写真は昨年11月の高松の池。
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パイプオルガン。荘厳な美しさ。サンサーンスのオルガン付きやバッハのフーガが聴こえてきそう。
きのうは日曜日だけれども、今朝は、もうそれから三日は経っているような感じがした。きのうはひろ子師の準備した昼食を皆さんでいただいてから、トーンチャイムの練習があった。私たちが終わると、こんどはギターの方々の練習。この時期、われらが教会のマエストロT姉は忙しい。
書きたいことは多々あるけれども、眼精疲労、無理をしないことに。いま聴いておくべき音楽はワーグナー。朝のクラッシックや名曲アルバムは、番組表を見て聴いているわけではなく、まったくの気まぐれ、気晴らしなのだが、たまにつけてみるとその時々の関連の曲であることが多く、ちょっと不思議。今朝はワーグナー、ワーグナーを聴いておかなければと思っていた矢先のワーグナーだった。
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夜明け前は暗い。夜明け前は寒い。けれども朝は来ている。まもなく日が昇る。感謝します。
きょうは第二アドベント、クリスマスを待ち望む二週目です。
聖書朗読 第一ヨハネ4:7~11
≪先週の國光牧師のおはなし≫
きょうはご降誕に焦点を合わせてみます。
6 キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、7 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じように なられたのです。8 キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし 、死にまで従い、実に十字架の死 にまでも従われたのです。(ピリピ2:6~8)
これは、イエスさまが天の御位を離れて人の子となってくださった事を私たちに教えてくれる非常に大切なところです。是非覚えていただきたいと思います。
私は1968年11月16日に信仰に導かれました。ですから正確にはその時からクリスマスを迎えたことになります。その頃、学園紛争の只中で学園が封鎖になっおり、郷里の松本でクリスマスと年末年始の間、待機しておりました。いつ卒業試験があるのかわかりません。卒業試験となれば、全国新聞の広告欄に必ず載せるから、いつも新聞は注意して見るようにとの学務課からの連絡がありました。
しかしどうしても教会に行きたいので、12、1月いっぱい、いちばん寒い時期だったのですが、松本の教会にお養いをいただきました。私にとっては、そこでご指導いただいた先生のお話しはとても印象深いものになりました。その先生が話してくださった例話をいつも思い出します。神様が人となってくださったということは、神様が汚い地面の中を潜っているあのミミズのような姿になってくださったと同じようなことであり、また実際に神様がそのようになってくださったのだという話がとても心に留まりました。
またこんな話しもしてくださいました。イエスさまが罪人となってくださったという意味がわかりますか、十字架に架かって身代わりとなってくださったという意味が。皆さんは肥溜めから汲んだ肥やしを飲めと差しだされたら飲めますか。極端と思われる質問でした。しかし先生は仰いました。イエスさまはそれを飲みほしてくださったのです。十字架に架かって下さったという事はこういう事なんです。これを何十年たった今も感動と共に思い出します。キリストは栄光の座から、この世に降りて来て下さった。私たちの罪を贖うために、実に十字架の死にまでも従われた、これが降誕の意味です。
「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。(1テモテ1:15)
「世に来られた」とあります。ということは、この前にすでにイエスさまの存在があったわけです。ある目的を達成するためにこの世に来られた。罪びとを救うためです。パウロは言っています。「この言葉はまことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです」。パウロの時代にはまだ聖書はできておりません。当時は、イエスさまの十字架を信じて救われるということは、このことを頷くかどうかということ、つまり、「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」というこの事を信じるか否かにかかっていました。アーメン信じます。これがクリスチャンとしてのスタートです。聖霊に感じなければ誰も言う事の出来ない信仰告白の言葉です。イエス様の十字架の、クリスマスのこの意味をそのまま受け入れるかどうか、これがテストでした。あなたはこの言葉を信じますか。はい。これであなたは今救われているのです。聖書がなかった当時は、それがその人たちの信仰の確信だったのです。私たちは聖書を持ってますから、信仰に立つ時に「聖書のおことばを握って信仰に立つんですよ」と教えられますが、それはこういうことなのです。
次の御言葉を皆さんで読みましょう。
「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。(1テモテ1:15)
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは、御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネ伝3:16)
神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。 (第一ヨハネ4:9)
「世に遣わし」ということばがあります。まさに救い主イエス様は、天から降された贈り物であるということであります。
オー・ヘンリーの物語を思い出してください。
奥さんは、夫の大切にしている懐中時計に金の鎖を付けてあげたいと、自慢のブロンドの髪を売りました。御主人は懐中時計を質屋に入れ、奥さんのブロンドの髪につけてあげたいと髪飾りを買いました。クリスマスになって、何とすれ違ってしまう。彼女のブロンドの髪はなくなっており、金時計もありません。金鎖も髪飾りも無駄になってしまいました。おもしろいことです。すれ違ってしまった。しかしお互いにいちばんすばらしい贈り物をしたのです。それぞれ相手を想っていちばんいいものをよかれと贈ったのです。
もう一つの例話をしてから聖餐式に入ります。
これは1980年12月22日にカリフォルニアであった心臓移植の実話です。ある高校生の青年が心臓疾患を発症しました。もし心臓移植しなければ、余命幾ばくもないと告げられます。彼はいつ心臓提供者が現れてもいいようにその病院の近くに住んでいました。しかし、クリスマスも近付き、彼は一旦両親とともに自宅に帰ります。ああ自分にとってこのクリスマスは最後のクリスマスになるのだな、彼はそう思いました。ところが、玄関に着くなり、おばあちゃんが、直ぐに病院に戻るように、心臓の提供者が現れたと言いました。病院に戻るタイムリミットは午後4時30分。車では心臓保存期間に間に合いません。そのとき既におばあちゃんが飛行機を手配をしており、それで、救急車が待ち構えている飛行場に到着。リミット4時半の数分前に病院に着き、手術を受けることが可能となったその時、エゼキエル36章にある「わたし
どうでしょか、イエスさまは、私たちをいかすために、地上に降ってきてくださいました。私たちを生かすために、自らの死と引き換えに私たちを生かすためにこの世においでくださった。これがクリスマスであることを覚えたいと思います。
人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。 (マルコ10章45節)
※案内のはがきは國光夫妻のご息女A姉のデザインです。
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早起きはするけれども、散歩どころではない。真夜中にけっこう風がいたずらをし回っていた。植物たちは一応は無事。そう厚くはない積雪が凍っていた。
きょうは友だち4人でランチの予定があった。その前に民生関係の訪問。そしてランチから帰ってからまた訪問を数軒続行。回るうちにお聞きしたことで、これは書いておこうと思ったことは、
高齢の親のところに、息子や娘たちが来てくれることは嬉しい。楽をさせようとすぐに食べられる弁当や惣菜などを買ってきてくれる、これも嬉しい。ただ、何人かで食事をした場合、けっこうなゴミが出る。ぜんぶ洗い分別してゴミの日に出さなければならない。これがひと仕事になる。そう思っても、ゴミを持ち帰って欲しいとは流石に言いかねている。
そうかもしれないと思った。
ずっと家にばかり居ると、これは離人症になりかけたかなと思う事がある。玄関に人様が来ても、人に会っているという実感を持つまでに、ほんの瞬間ではあるが齟齬を感じることがある。バージョンが即座に切り替わらない。土いじりの最中に来客があっても、そういったことはない。生活感覚のないものに没頭していると浮きあがるまでに時間がかかるという感じがすることがある。気分転換は必要だと思った。きょうのように4人ぐらいでランチもちょうどいいかもしれない。
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今朝見ると庭の樹木に雪が積もっている。3センチかな5センチかな。しまった、オリーブはだいじょうぶかしらん。昨日、日にあてるために外に出したままだ。たしかめると震えながらも何とか耐えしのんでくれたよう。
民生の関係で、たまに数軒ずつ回っていたが、クリスマス前に訪問すべきところがまだまだある。自分をも含めて何とか皆でこの冬を無事に越えたい。予めコピーを取りおいてから持参した方がよいものもある。
きのうは、やっと3時半ごろに電気店に用があり出かけたが、ついでに食材を買いだめ。助かった。沈丁花の雪囲いもまだしていない。取りあえずは70リットルのゴミ袋をかぶせておく。沈丁花は枝が柔らかく雪の重みに弱い。マリーゴールドの種を取っておこうと思いつつ、それもやっていない。これは一昨年、中津川河畔から採取。隣の町内会の方々が植えたものだが、大量に立ち枯れ種子が捨てられ状態だったものの一部を採取。これを救助と言いたいところ。それが去年は植えないでしまった。忙しすぎた。それを今年植えてみた。24粒の種を種苗トレイに。発芽したのは6粒だけ。さらに5センチの苗に育ったものは4本。どれも立派な花をいっぱいにつけてくれた。つまり、この4本にできた種は、24粒の種のうち丈夫な性質を備えているわけだ。今からでも遅くはない。晴天を見計らって種子を取り置こうと思う。今更ながら2000年前のハスの実が発芽、開花したというその強靭な生命力に驚く。ハスが斯くも丈夫であるとすれば、と思いつつも、またこの先を辿ろうとすれば22時就寝は覚束なくなる。これはもうここまでに。
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昨夜、BS朝日で「黒柳徹子コドモノクニ作家島田雅彦がたどる芥川龍之介と太宰治」が放送された。この中で芥川が改造社から出た現代日本文学全集の宣伝旅行で北海道、東北を回ったことに触れていたが、盛岡にも来ている。私が太田カルテットを調べるために昔の新聞を当たっているうちに、この記事に出会った、モニター画面に出てきたときには、ほんとうに出会ったと思い感激した。もう30年近く宮古在住の頃のことだ。中ぶんな著『光炎に響く』(新風舎刊)の芥川の場面は、みなこの資料を基に書いています。一枚目の見出しの余白にあるメモは私が入れたのですが、岩手日報新聞昭和2年5月17日第2面ということです。
この記事の末尾に、「佐々木休次郎、館澤半次郎(正しくは繁次郎です)君に見送られて出盛した」とあります。この佐々木休次郎、館澤繁次郎が太田カルテットのメンバーです。ですから、『光炎に響く』の芥川の場面は、強引に太田カルテットを結びつけて単なる想像で書いたものではなく、史実通り、またはこれに基づく類推から書いています。
次は、芥川が宣伝旅行から帰ってから寄稿した『改造』からの抜粋です。
5月に盛岡に来た芥川は、7月には自殺。
上の記事と同じ面の掲載記事ですが、わかりにくいかもしれませんが、これは芥川自殺後の記事。写真は盛岡駅で、芥川が青森に向けて汽車に乗る直前に佐々木休次郎が撮っている。非常に不鮮明ですが、新聞には「左から里見氏、中央芥川氏」と書かれていますが、右隣は、館澤繁次郎であったと思われます。
またこれも宮古時代のことに遡りますが、主人に同行してもらい、太田カルテットのメンバー赤澤長五郎のご子息赤澤和夫さんのもとに資料をお借りしに行ったことがあります。ダンボール一つ分の中には、芥川龍之介の名刺がありました。
親しかったかどうかはわかりませんが、太田カルテットのメンバーたちは、東京でも盛岡でも機会あるごとに接触があったものと思われます。
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氷点下3。神々しい岩手山の冠雪。寝坊し7時起床。締めくくりのこの月を、充実させることができるかどうか。午前はお祈り会。教会の心しずかに真実に主のご降誕を待ち望む空気に一時を過ごす。午後は民生の定例会。全国の民生の大会から帰られた方の報告の中に、ほっとするお話しがあった。帰宅すると、主人の友人が作ったという野菜が届けられていた。さっそくこの野菜を夕食に供する。
夕方のニュースで、秋田県の70歳前後の方々が現役で活躍している。若者たちの多くが首都圏に出たために頑張っているのだという。
さまざま考えることはあるけれども、総じて、いま危険にさらされることなく、災害に巻き込まれてもいない。元気で過ごし、衣食住にも事欠いてはいない。思えばこれ自体、大して社会貢献のない自分には過ぎたる恵であるだろう。感謝したい。ここのところ、これを忘れていたようだ。
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朝のうちに原稿に手を加えすこし書き足す。廊下の日差しがあたたかいので、そちらの椅子で読みさしの本を開ける。庭の落ち葉を片づけ、発送しなければならない郵便物を出しに。
郵便局で、こちらを観察している気配を感じる。なかなかどなたであるか分からない。その方がマスクをはずした。それで主人が入っている児童文学の会の方だと気付いた。児童文学書を20冊出版している。奥さまとご一緒だった。「書いてるかな?」と訊かれ「いま書いているところです。刷り上がったらまたお届けします」と申し上げた。「あんたは筆力がある、リズムもいい」。天がくださったものを、私はもっと大切にするべきであったかもしれない。そう思うこともある。けれども一方では、何かを犠牲にしてまでやることではないという思いがある。この葛藤がどの事にもブレーキとなり力が削がれ、結局はどれもこれも中途半端になっている。
午後はマリア・カラスだった。マリア・カラスの音楽そのものをよくわからずして否定していた側面があると思い、聴き直したのだ。まさしくオペラの成り行きをそのまま生きたような人生。しかし歌はたしかにすばらしい。カラヤンがあまりに高額なカラスの出演料を劇場に払わせることができなかったために失敗した公演があるが、カラヤンの美の構築が崩れ去った無念さはいかばかりだったろうか。
夕方6時半~自治会の年末反省会があった。さまざまな意見を聞きながら、何ら抜本的な改革に繋がる意見を持たない自分である。
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