彼女は「負けまい」
朝一番が自分には最も都合のよい時間だと確信。4時半に起きる。聖書をすこし読んでから、今朝はハイドンの交響曲99番を聴いた。というのも、うにさんのブログを見ると、山響が定演で演奏したとある。99番って?となる。すこし原稿を書いて、すこしというのも、書くこと自体よりも、関連音楽を聴いている時間の方がはるかに長いのだ。そしてこれが楽しい。その後6時5分ほど前にTVを点けると、何とハイドンの『時計交響曲』とロンドンの街並みが流れ、ハイドンのロンドン滞在が解説されている。滞在中に12曲の交響曲を創っている。そして、ここにいる間は、聖ジェームズ教会に通っていたという。いまの時代、宗教は、戦争の火種か化石扱いにされてもいるが、音楽を考えていると神に対する敬虔さが生きていた時代の方がよい作品を生み出していると思われる。今朝も、ハイドンの99番に、神様が、ハイドンのロンドン時代を映像で付け足し、楽しませてくださったという気がしてならない。
それと福田こうへいの『南部牛追い唄』をちょっと聴いたが、彼の言葉のなまりはこれでいいのだろう。ネイティブでいい。民謡の本質に近くあるといえるのではないか。
午前中は、昨夕に近所の方が分けてくださったユリの球根やら買い置いたパンジー、ビオラの苗、チューリップ、白い水仙、水色のクロッカスを植えこんだ。もうどこに何を植えたやら、掘ったところから別な花の球根が転がり出はしないかと危ぶみながら土を起しては埋め込んだ。チューリップは植える先から芽が出ている。温暖化の影響か、ヒマヤラユキノシタがいま咲いている。雪に耐えて春いちばんに咲く花がもう咲いているのだ。これからは暑さに強い花を植えなければ、強烈な5月の日差しや夏の暑さには持ちこたえなくなるだろう。木が密集しているので、小さな庭木を1本伐り倒し、立ち枯れを片づけた
午後は、主人がふれあいランド岩手に行くというので同行。主人は水泳だが、私は第23回岩手県障がい文化芸術祭を観に。友人である詩人高田久美子さんの書が、そう詩ではなく書の応募。高田さんの詩はすでに全国的な評価を得ている。それで今回は書道部問への応募なのだ。彼女が書の部門で努力賞に入り展示されている。文字は『至大』、たしかにこの文字の通りの方だ。負けまいという彼女の強い意思を感じた。
他の方々の一点、一点を鑑賞しながら、作者の創作の喜び、努力、忍耐、集中力、緻密さが伝わってくる。そして、この1点1点に寄せるご家族、ご友人方の熱く温かい想い、喜びが察せられる。
写真部門で農家の方々が駆け抜けていく列車に手を振っている写真を私はとてもいいと思ったのだが、選外、すこし残念だった。
種々の発送もその後で済ませる。
家に戻るなり、立て続く電話。民生関係の地域行事の申込み締切がきょう。だいたい参加される方からは返事が届いているのでひと区切りと思っていたのだが。留守の間にかけて下さった方、電話がつながらないからと夕方玄関先に来てくださった方と、二度手間をおかけしてしまった。
こうして書きだしてみると、一日が無駄ではなかったと思える。大層なことはしていないが、無為に過ごしてはいなかったようだ。
11月もきょうで終わる。忙しいけれども落ち着いて過ごすことができたひと月だった。不履行になった事もありました。ほんとうに申し訳なく思っています。また至らなかった事も。お赦しください。
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