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きょうのことば

 先週の日曜、11月8日は教会を欠席。この日のメッセージをデータ便で送っていただき聴くことができました。

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聖書引証 第一列王19章

1 アハブは、エリヤがしたすべての事と、預言者たちを剣で皆殺しにしたこととを残らずイゼベルに告げた。2 すると、イゼベル は使者をエリヤのところに遣わして言った。「もしも私が、あすの今ごろまでに、あなたのいのちをあの人たちのひとりのいのちのようにしなかったなら、神々がこの私を幾重にも罰せられるように。3 彼は恐れて立ち、自分のいのちを救うため立ち去った。ユダのベエル・シェバに来たとき、若い者をそこに残し、4 自分は荒野へ一日の道のりをはいって行った。彼は、えにしだの木の陰にすわり、自分の死を願って言った。「主よ。もう十分です。私のいのちを取ってください。私は先祖たちにまさっていませんから。」5 彼がえにしだの木の下で横になって眠っていると、ひとりの御使いが彼にさわって、「起きて、食べなさい。」と言った。6 彼は見た。すると、彼の頭のところに、焼け石で焼いたパン菓子一つと、水のはいったつぼがあった。彼はそれを食べ、そして飲んで、また横になった。7 それから、主の使いがもう一度戻って来て、彼にさわり、「起きて、食べなさい。旅はまだ遠いのだから。」と言った。8 4 彼はそこにあるほら穴にはいり、そこで一夜を過ごした。そこで、彼は起きて、食べ、そして飲み、この食べ物に力を得て、四十日四十夜、歩いて神の山ホレブに着いた。9すると、彼への主のことばがあった。主は「エリヤよ。ここで何をしているのか。」と仰せられた。10 エリヤは答えた。「私は万軍の神、主に、熱心に仕えました。しかし、イスラエルの人々はあなたの契約を捨て、あなたの祭壇をこわし、あなたの預言者たちを剣で殺しました。ただ私だけが残りましたが、彼らは私のいのちを取ろうとねらっています。」11 主は仰せられた。「外に出て、山の上で主の前に立て。」すると、そのとき、主が通り過ぎられ、主の前で、激しい大風 が山々を裂き、岩々を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。風のあとに地震が起こったが、地震の中にも主はおられなかった。12 地震のあとに火があったが、火の中にも主はおられなかった。火のあとに、かすかな 細い声があった。13 エリヤはこれを聞くと、すぐに外套で顔をおおい、外に出て、ほら穴の入口に立った。すると、声が聞こえてこう言った。「エリヤよ。ここで何をしているのか。」14 エリヤは答えた。「私は万軍の神、主に、熱心に仕えました。しかし、イスラエルの人々はあなたの契約を捨て、あなたの祭壇をこわし、あなたの預言者たちを剣で殺しました。ただ私だけが残りましたが、彼らは私のいのちを取ろうとねらっています。」15 主は彼に仰せられた。「さあ、ダマスコの荒野へ帰って行け。そこに行き、ハザエルに油をそそいで、アラムの王とせよ。16 また、ニムシの子エフーに油をそそいで、イスラエルの王とせよ。また、アベル・メホラの出のシャファテの子エリシャに油をそそいで、あなたに代わる預言者とせよ。17 ハザエルの剣をのがれる者をエフーが殺し、エフーの剣をのがれる者をエリシャが殺す。18 しかし、わたしはイスラエルの中に七千人を残しておく。これらの者はみな、バアルにひざをかがめず、バアルに口づけしなかった者である。」19 エリヤはそこを立って行って、シャファテの子エリシャを見つけた。エリシャは、十二くびきの牛を先に立て、その十二番目のくびきのそばで耕していた。エリヤが彼のところを通り過ぎて自分の外套を彼に掛けたので、20 エリシャは牛をほうっておいて、エリヤのあとを追いかけて行って言った。「私の父と母とに口づけさせてください。それから、あなたに従って行きますから。」エリヤは彼に言った。「行って来なさい。私があなたに何をしたというのか。」21 エリシャは引き返して来て、一くびきの牛を取り、それを殺し、牛の用具でその肉を調理し、家族の者たちに与えてそれを食べさせた。それから、彼は立って、エリヤについて行って、彼に仕えた。

 

≪國光勝美牧師の説教≫

 エリヤもまた旧約聖書を代表する預言者です。イスラエルで、当時、イゼベルに推奨されるバアルという偶像に仕える預言者が増えてしまい、人々はすっかり堕落してしまいました。これに、まことの神に仕えるエリヤが挑戦状を叩きつけます「バアルがほんとうの神だというのか、それとも数は少ないが先祖の神である主がまことの神であるのか」。エリヤはここでまことの神を信じる預言者としての立場を確立したのです。エリヤが充足感に満ち足りていたときに、イゼベルがエリヤを亡きものにしようとします。エリヤは逃げ出しました。追跡から逃れひとり旅をし、極限の空腹、疲労に見舞われたときに神の声を聞いたというのが今日のおはなしです。

  

 第一列王19:4にはエリヤの失望落胆が、19:5、6節には神は食事を準備してくださった事が出ています。そして9節で、神の山ホレブの穴に入って一夜を過ごし時に、彼は「ここで何をしているのか」という声を聞いたのです。大きな事を越えて一区切りした時の危機。大きなことを成し遂げた時などは心に隙ができます。このような時に、彼は「ここで何をしているのか」という声を聞いたのです。彼は「私は万軍の神、主に、熱心に仕えました。しかし、イスラエルの人々はあなたの契約を捨て、あなたの祭壇をこわし、あなたの預言者たちを剣で殺しました。ただ私だけが残りましたが、彼らは私のいのちを取ろうとねらっています。」と答えている。すると主は「山の上に立ちなさい」。彼はそこで起こった11,12節にあるようなさまざまな現象を目にします。彼がほら穴の入口に立った。すると、声が聞こえてこう言った。「エリヤよ。ここで何をしているのか」。またしてもの問いかけに、私は万軍の主に仕えた。しかし私の命は風前のともしびであるとまたも同じ答えをしています。

  

 一週間前、東京の雪ヶ谷にある伝道所が老朽化し解体されることになり、片づけるために行ってきました。ここで國光幾代子先生が長らく伝道してこられました。ひと区切りつけて盛岡に帰ってまいりましたところで、幾代子先生からお電話があり、ご苦労様でしたという感謝のことばとともに、このようなおはなしを伺いました。

 

「あそこは私の生涯の証しの塚でした。色々な思い出が過ります。あるとき、四国で伝道しておられる婦人牧師に招かれてご奉仕に行き、真っ暗な雪ヶ谷伝道所に帰ってきました。お帰りなさいと迎えてくれる者はなく、ひっそりとしたところに、たった一人です。そのとき、心の中に、あなたはここで何をしているのか、そんな想いになりました。神様からの問いかけなのだと真っ先に思いました。しかしそればかりではない、あなたはここでこんなことで一生を終るのか、これがあなたのしてきた一生の結果なのか、こんな否定的な考えがふっとやってきたのです。おかえりなさいと温かくご飯を用意してくれる者もなく、疲れた体を暗い伝道所に置いた時に、ふうっと寒くなるような寂しい想いがしました。あなたはここで生涯を費やして何をしているのかという思いが来たのです。それはほんの一瞬でした。そのとき、誰も居ない真っ暗な伝道所の中に入って行って、その声を留めながら祈りました。主よ、私は人々にイエス・キリストの貌(かたち)を刻む彫刻史の働きをしております。そう神様に申し上げました。あれは私の一つの転機でした」

 

皆さんはこれをどのように理解しますか。わたしはこれをだんだん理解できるようになりました。「 あなたはここで何をしているのか」という問いかけ、それは心の中に寂しさを与えるいわばサタンからの声であり、また神様からの声でもある。そのように理解した時に、たとえば、皆さんがパウロというあの偉大な人物が獄中において人々をさとし、励ますために多くの手紙を書いていましたが、それを見ますと何の弱さも持っていない、もう、これぞ信仰の偉人というパウロ像を選んでしまうでしょう。しかし、さきほどの幾代子先生の証しを想い起すときに、獄中に捕えられたパウロに去来する様々な想いの一端がわかってきます。私はどんな困難も厭わずにガラテヤに行き、アンテオケ、エルサレム、この地中海世界を福音を携えて回ったのだ。この自分がいまこのように捕えられ獄中にある。そのときに恐らくは「おまえはいったいここで何をしているのか」という問いかけがあったでしょう。その時、毅然として、これを神様からの問いかけとしてしっかり受け留め「はい私はいま、あなた方のうちにいますキリスト、栄光の望みの事を伝えているのです」、コロサイ書1:27にもありますが「この奥義とはあなた方の中におられるキリスト、栄光の望みのことです」とお答え申し上げる。獄中のパウロの数々の働きは、「あなたはいったいここで何をしているのか」という悪魔のささやきを神様からの声として受け留めて、信仰に立った応答をするという営みが為されされてきた結果なのではないかと思われます。

 

 そしてさらにそれを敷衍して、蔦田二雄という人物のことも、偉大な現代のパウロのような時代の器として考えますけれども、私は、捕えられ、獄中にあって「神われらとともにいます」という奥義に達するまでには、悪魔の試みを受けた事でしょう。 いったいあなたはこれまで何をしていたんだ。あなたのこれまでの働きはどうなってるんだ。リバイバルリーグは、いまどうなってる?ホーリネス教会はどうだ、分かれて無様な新聞記事にまでなっただろう、いったいあなたは何してるんだ、と熾烈な悪魔の誘惑があったに違いない。それはちょうどイエス様が荒野において、さまざまな誘惑を受けたと同じようにみんな誘惑を受けるのです。私たちの信仰生涯と同じだと思うのです。悪魔は自分は悪魔だよといって声をかけてはきません。一見敬虔そうです。決して悪魔はそれとわかるようには持って来ずし、あなたはいったいここで何してるんだ。何も無いんだろう。悪魔のいうそれもこれもをどう受け留めるのかです。エリヤはどう答えていますか。9節を見ると、私は神様に一生懸命に仕えたんです。だけど、あなたの民イスラエルの人々はあなたの預言者を剣で殺してそして私をも殺そうとしているんです。ただ私だけ残っているんです。神様のさらなる取扱いに対しても同じく答えています。

 「あなたは、どこにいるのか」、これは創世記の3:9、エデンの園で、人が罪を犯し隠れていたときに、神様が問われたおことばです。これに対してどのようにお答えしますか。アダムはどうだったでしょう。責任転嫁、自己弁護の答えです。これが人間の赤裸々なすがたです。

 

 私はこの朝、皆様方にこのことを考えていただきたい。「あなたは、どこにいるのか」「あなたはいったいここで何をしているのか」。この神様の問いかけに、摂理的にこの教会に加わった者としてあなたはどう答えますか? 
 責任転嫁、自己弁護、自己憐憫、自己卑下の発言をするのですか?
今一度自分に問いましょう。そしていまいちど自分の責任と使命を想い起しましょう。この問いかけに、パウロも蔦田も幾代子師も、使命を全うする覚悟をしました。

 

  

  

 

 

 

 


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