声のふしぎ
去年の11月10日の写真。いちど載せたかもしれない。
4時半、オートバイが走っては停まり、またすこし走っては停まり、次第に遠ざかる。各戸への新聞配達がいつから始まったものか。あるブログを見ると、明治の中ごろに新聞社直営の販売店ができ、徐々に今のようなシステムになったようだ。毎朝、たとえ1部でも各戸に配達してくれる、それが今日に至るまで営々と続けられている。2009年の数字であったか、全国で約40万人がこの業務に携わっている。朝4時~6か7時までの間、世間の多くがまだ眠りこけている間に、全国の津々浦々で一斉に40万人(現在はこれより多いのか少ないのか)の人たちが動いているわけだ。
起きだして熱い紅茶にする。何か手つかずで、TVオン。バルバラ・フリットリのソプラノだった。フリットリがいうに、わたしは悲しみと相性がいい、わたしは多くの悲しみや苦しみを通ってきた、それが歌に生かされている。たしかにそういうものが昇華された表現の美しさがある。人生辛いことがあっても無駄にはならないのだな、そのように受け取った。
さまざまな声質がある。あれやこれやと聴いているうちに、いつの間にかドン・ジョバンニのあの終盤の石像の大迫力を聴いていた。あの声でぜんぶを納得してしまう。人の声、特に神から授かった特別な声はふしぎだ。
午後も雨。午前中、家事以外は座ってばかりいたところ、血液の循環が悪くなっている気がしてならない。雨の中を無目的に歩くのもはばかられる。そこで思い出したのが岩手県高等学校文化祭の美術工芸展。散歩にはちょうどいい距離だ。そして、これがすばらしかった。お孫さんが出品なさっているという方が話しかけてくださったが、「スマホばかり見ていると思ってたら、こんな立派なのを描いてたのね」としきりに感心してらした。まったく同感だった。「特賞」と添付された作品のうち5、6点は印象深いものだった。高校生の力はすごい。やたらに絵を描きたがっている自分だが、展示されてあるどれにも届きそうにはない。
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- あれこれ (2022.12.03)
- あれこれ (2022.11.26)
- 秋はどこに来てるかな(2022.10.29)
- TVをどんなふうに(2022.10.22)
- パキスタンの水害 (2022.09.17)
コメント