川村粋邦ー賢治の絶筆短歌2首を作曲した人ー
刈り取りが終わった田圃。まもなく刈り取る田圃。
宮澤賢治の絶筆2首
「方十里稗貫(ひえぬき)のみかも稲熟れてみ祭三日そらはれわたる」
「病(いたつき)のゆゑにもくちんいのちなりみのりに棄てばうれしからまし」
戦前に宮澤賢治に傾倒し、盛岡高等農林学校に入り、東京から岩手に転居、そのまま盛岡高等農林の教官になった澤恩(さわめぐみ)というひとがいた。澤は声楽家にもなりたかったがアマチュアのままで、東京音楽学校の沢崎定之や、桐朋学園創立のメンバーであるバリトンの伊藤武雄のもとに通い、個人レッスンを受けていたという。澤恩は、昭和23年NHKのど自慢歌曲部門で第二位。一位とほとんど遜色なかったらしい。澤恩の妻チエー旧姓は辛(かのと)ーも沢崎、伊藤から個人レッスンを受けている。
澤チエが、昭和二十八年、NHK盛岡放送局で、宮澤賢治の絶筆二首を録音している。このとき澤チエが歌った曲を作曲したのが、幼いころ失明し岩手県立盲学校の音楽教師で琴を教え作曲もしていた川村粋邦であった。≪参考:八谷みち著「家族の記憶ー歴史の中の足跡ー」≫
川村粋邦にしても、澤恩、澤チエにしても、恵まれない人々、貧しい人々、弱い人々への賢治の優しさ温かさに惹かれていたのだ。
岩手の邦楽演奏の歴史を辿ってみると、川村粋邦は、昭和24年4月30日、県公会堂で開催された三曲演奏大会で「松竹梅」を演奏している。川村粋邦の名を見つけたときは嬉しかった。
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