嵐と祈りと

きのうはこんな青空。きょうも日中は穏やかだった。2時半ごろから近所の方と連れだって散歩。行き過ぎる風は弱く穏やかで明るかったが、夜も8時過ぎた今、外は大荒れとなっている。小さな野菜畑も、ことしの収穫は大方おわり、尚も活き活きと蔓を延ばし深い緑を繁らせているのは蔓紫だけとなった。時折窓硝子に飛沫が激しく飛び散っている。
農作物には確実に被害が出るだろう。郊外に豊かに美しく実った葡萄や林檎、梨。栗や柿が落下するさまを実際に目前にした事はないけれども。どれだけの経費、時間と労力が注ぎこまれている事か。1年の労苦の結実が、この風雨で、この闇の中で次つぎにいとも簡単に落下していく無念さ悔しさ、その胸中もまた嵐だ。
運輸、電力、災害対策、これらすべてが無縁ではなくなっている。どんな朝が来るだろう。
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聖書はこう祈りなさいと教えている
天にまします我らの父よ。
ねがわくは御名〔みな〕をあがめさせたまえ。
御国〔みくに〕を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、
地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧〔かて〕を、今日〔きょう〕も与えたまえ。
我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく、
我らの罪をもゆるしたまえ。
我らをこころみにあわせず、
悪より救いいだしたまえ。
国とちからと栄えとは、
限りなくなんじのものなればなり。
アーメン。
祈りが役に立つか立たないか、それを知るには祈るしかない。
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