きょうのことば 『開かれた目と耳をもて』
引証聖句を自分の判断で割愛してはならないのだと思いました。長いと焦点が曖昧になるのではと割愛した部分が実は大切でした。説教についても同じことだと思われます。きょうは聖書のおことばだけを書かせていただきます。
それにしても、教会の方々の祈り、そして息子たちのことを想うときに、いつも神のもとに引き戻されます。結局、拠り所となるのは聖書のことばです。
イザヤ書6:1~10
1 ウジヤ王が死んだ年に、私は、高くあげられた王座に座しておられる主を見た。そのすそは神殿に満ち、
2 セラフィムがその上に立っていた。彼らはそれぞれ六つの翼があり、おのおのその二つで顔をおおい、二つで両足をおおい、二つで飛んでおり、
3 互いに呼びかわして言っていた。「聖なる、聖なる、聖なる、万軍の主。その栄光は全地に満つ。
4 その叫ぶ者の声のために、敷居の基はゆるぎ、宮は煙で満たされた。
5 そこで、私は言った。「ああ、私は、もうだめだ。私はくちびるの汚れた者で、くちびるの汚れた民の間に住んでいる。しかも万軍の主である王を、この目で見たのだから。」
6 すると、私のもとに、セラフィムのひとりが飛んで来たが、その手には、祭壇の上から火ばさみで取った燃えさかる炭があった。
7 彼は、私の口に触れて言った。「見よ。これがあなたのくちびるに触れたので、あなたの不義は取り去られ、あなたの罪も贖われた。」
8 私は、「だれを遣わそう。だれが、われわれのために行くだろう。」と言っておられる主の声を聞いたので、言った。「ここに、私がおります。私を遣わしてください。」
9 すると仰せられた。「行って、この民に言え。『聴き続けよ。だが悟るな。見続けよ。だが知るな。』
10 この民の心を肥え鈍らせ、その耳を遠くし、その目を堅く閉ざせ。自分の目で見、自分の耳で聞き、自分の心で悟り、立ち返って、いやされることのないために。」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
いよいよコンサートです!
いちどは心惹かれたことがあるイエスさまの教会のコン サートに出かけてみませんか。いつもとはちょっと違った心の栄養をこの機会に摂取してみてはいか がでしょう。
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コメント
宮原博光さま
お住まいが、コンサート会場である教会のお近くでしたので、ご案内した次第でした。
明治、大正、昭和のはじめは、演武も盛んに行われていたようですね。
居合術は、梅村保氏がやっており、功二氏もその型を残そうと稽古を重ねておられたようです。居合術にも関口流、修心流など多くの流派があるようですが、功二氏が何流であったかはわかりません。古老の先生にお声を掛けていただいたとか、これもそうざらにはないことかと思います。充実した一日となられましたこと、よかったです。
投稿: 中ぶんな | 2015年10月19日 (月) 10時40分
お久しぶりです。今頃で恐縮ですが、コンサートのご案内ありがとうございます。残念ながら
今日の午前は古武道の稽古、午後は盛岡歴史文化会館で演武と忙しく足を運べませんでした。
ささやかながらも、なかなかの盛況ぶり。昔居合術をなさっていたという古老の先生にお声をかけていただくご縁もあり、充実した1日になりました。それこそ神様に感謝ですね。
失礼ながら、深夜のメールになってしまいました。ご容赦下さい。
投稿: 宮原 博光 | 2015年10月19日 (月) 00時10分