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2015年10月

山崎美貴子先生の著書

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 「ここに来てはじめて美しい紅葉を見ました。みなさんも是非見ていってください」と山崎先生が花巻での講演のときに仰った紅葉をアップ。

 研修内容は載せませんが、おはなしに大変心がこもっており、教えられたことが多くありましたので、先生の著書だけでもご紹介させていただきます。
 

「社会福祉援助活動の展開」(岩崎学術出版)
「ボランティア活動のひろめ方」(第一法規)
 

山崎貴子先生のご経歴
1935年インドネシア生まれ。立教大学大学院終了後、英国マンチェスター大学院に留学。明治学院大学教授・副学長、神奈川県立保健福祉大学長を経て、2011年から同顧問に就任。
 日本社会福祉学会理事、日本ソーシャルワーク学会理事、日本キリスト教社会福祉学会理事、日本福祉教育・ボランティア学会長などを歴任、現在は「広がれボランティアの輪」連絡会議会長、東京ボランティア・市民活動センター所長を務め、我が国のボランティア、NPO活動の推進に精力的に尽力。

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研修会

  29、30日花巻市のホテル紅葉館で民生委員等を対象とした相談事業研修会があった。岩手県下から142人参加。班ごとに事例が多面的に真剣に検討され、存在が生かされる方策が討議された。各班の発表、そして招かれた各氏の助言、コメントには多くを考えさせられた。

 宿泊で同室になった方々と話しているうちに、太田カルテット関係者の親戚筋にあたる方々がお二人、そして私の近所の御婦人の関係者でもある事がわかってきました。私からは何も話さなかった。私が話している時間でこの方々の話をお聞きする方が益と思われた。太田の歴史部分で新たなお話を聞く事ができ、また私がこれから調べなければならなかった事項の謎が解けるという幸運に恵まれました。盛岡からの参加は30人。そのうちの2人であるこの方々と同室となった、これは大変な幸運でした。

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ペット

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てつだい

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 姉のところのペット。まだ1歳になっていないやんちゃ。

   ☆ ☆ ☆

 今日は10~3時ごろまで福祉関係の集まりの手伝いに。いくつかの町を束ねる方が陣頭指揮。わたしは謂わばその配下のまたその下あたりでのおてつだい。1人暮らしの高齢の方々約70人をお招きしての昼食会だ。誠心誠意企画し対応しておられる先輩がた、また階段の昇降に事故がないように配慮される方、手際のよい炊き出し。20人のスタッフが一丸となればこれだけの事ができるのだ。また呼びかけに応じて来てくださった方々に感謝しながら片隅で洗い上がったコップやお椀を次つぎに拭いた。

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姉の見舞い

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 朝からまたまた料理に没頭。姉のところに。
なんというすばらしい青空!!

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イヤなヤツ

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  けさ6時前の空には、広範囲に薄くれないの雲が浮遊しているかに見えた。捉えかねて県民会館などをアップしている。県民会館の傍らを歩きながら、きょうは光の具合がいま一つ、きれいな写真は撮れないだろうとふと見ると、硝子一面に川向うの建物がくっきりと納まり、一枚の絵画のようでもある。

 昨夜、主人が図書館から借りてきた中に北杜生の随筆があり、ぱらぱらと捲っているうちに、高齢になると頭では考えても体力がついてこないという一行に、やはり肝心なのは体力づくりと、今朝は歩くことを選んだ。写真を撮りながら歩くと距離が長くとも苦役にはならない。

 ことばの単純化で、ことばの持つ豊かな世界が失われてゆく。これは多くの書物を深く味わいながら読んでいる方々はみな仰っている。しかし多くの方々が、私もだが、さりげない単純なことばで癒されたり共感することはある。
 音楽では、ほんとうに音楽を聴こうとするときには、ことばは要らないと仰る方々がいる。いまはマリス・ヤンソンス来日のときのベートーヴェンのツィクルスを聴いているがこれはもう演奏の豊穣さだけで、どんな言葉も付け加える必要などない。バッハは村井先生が仰った「メシと同じ」。しかし讃美歌は音楽としては単純だけれども、潤されることが多い。時には軽音楽も爽快さをくれる。映画音楽はさまざまな場面を想起させる。
 日本語がどんどん壊れていく事を真剣に危惧されてもいる。わたしは軽さ(場合によっては)、単純さ、奥深さ、豊かさとさまざまにあってよいと思っている。ただそれがどんな心根から発せられるかが問われるところかと思う。過去において、随分と無責任に言葉を発してきたように思う。それこそ心にもない事も言ったことはある。ただ斎藤茂太は「嘘はいうべき」といっている。たとえば夫婦が高齢になったときに「元気でいてね」「すてきだよ」などと心にもないことを言いなさいと教えている。すこし的が外れてしまったけれども。
 いまはどうだろう。近頃の自分の言葉遣いのぞんざいさには、今夕うんざりしたところだ。近頃は心根は悪くはないが、物言いが高飛車で独断的になっている。イヤなヤツ、自分をそう思った。ここで心根といったけれども、辿りついたのは、何のことはない、自分の心根の反省ということになった。

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きょうのことば『天に響く喜びの歌』

   一旦書いた記事がエラーで掻き消えてしまったときはいくぶん気落ちもしましたが、すぐに復活、再度書き直しました。
 国連70年のパン・ギムン事務総長のメッセージの後に歌われた『アメイジング・グレイス』は感動でした。感動は神の共感と思っています。教会で歌われる讃美歌にはよく感動します。先週は深川教会音楽チームをお迎えしてのすばらしい讃美の礼拝が持たれました。


聖書引証 ルカによる福音書15:1~7


1さて、取税人、罪人たちがみな、イエスの話を聞こうとして、みもとに近寄って来た。2 すると、パリサイ人、律法学者たちは、つぶやいてこう言った。「この人は、罪人たちを受け入れて、食事までいっしょにする。」3 そこでイエスは、彼らにこのようなたとえを話された。4 「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。5 見つけたら、大喜びでその羊をかついで、6 帰って来て、友達や近所の人たちを呼び集め、『いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください』と言うでしょう。7 あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。

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ピアノ 前田史也
お証し・賛美 古舘裕万(ひろかず)/ピアノ 古舘理都(りつ)
トランペット 須藤亮典(りょうすけ)/ファゴット 古舘悠佑(ゆうすけ)
バリトン 古舘涼平(りょうへい)
熱心に耳を傾けるわが教会のエンジェルたち

 

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秋を惜しんで

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 さきほどまで雨が強く降っていたが、どうやら止んだらしい。
 一昨日撮りためた写真をアップ。
 大きなユリの木の下で行われるラジオ体操。見上げると若草色の新芽がまぶしかった春先は疾うに彼方。樹上は黄葉と様変わり。いまおられる方々のうち十数人は氷点下10℃以下でも、とにかく毎日欠かさずに参加している方々だ。
 バラ園ではまだまだきれいに薔薇が咲いている。
 近くにお住まいの方々は、広大な自分の庭を所有しているも同じ。この盛岡城跡公園といい、中津川流域といい、また北上川に望む美しい岩手山の景観も含めて、整備された景観の恩恵に与っているのは、やはり都市部の方々であることにどこか不自然さを覚えつつも感謝しながら四季折々を楽しんでいる。

 

 

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きまま

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 これもきのうの写真。6時すこし過ぎにもりおか歴史文化館を通ると、子どもたちが集団で大声をあげている。散歩している女性に「小学生たちが何かで集まってるんでしょうか」と訊くと、「久慈高校の演劇部が来てましたよ」。高校生たちが発声練習をしていたのだ。広場に行ってみると、東屋に集まって指導を受けていた。声楽の方々がやはりこのように日々怠らずに声を鍛錬している。演劇、声楽に限らず、これはやっていた方がいいのだろう。毎日曜、教会で讃美歌を歌ってきただけでもかなりプラスになっているはずだ。
 毎日雑用に追われ周りの移り変わりを見失っていたけれども、鮮明さに欠けるとはいえ紅葉の写真をアップし、やっと秋を実感している。

  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 きのうは料理作りに没頭。レアチーズケーキやらかぼちゃを器にして詰め物をし蒸しあげた料理などを作ってみた。形をできるだけそのまま生かすと面白いものができる。それとシンプルな鍋物で夕食。
 冬に向かうけれども、朝にできるだけ台所に立たなくても済むような朝食を工夫してみたい。

 国勢調査は本日提出。次は5年後だが、果たしてそのときに引き受けてくださる方がいるだろうか。今月の地域のいきいきサロンは昨日。まったくもって他の役員の方々のお陰で、これを謙遜で言えるなら立派なものだが、徹頭徹尾自分の力ではなく皆さまのお陰で成り立っている。これ即ち天の助けであると思っている。もりおか童話の会は先月、今月とお休み。先月は地域の運動会、そして今月はお茶の日と重なったため。これは童話の会の日程より先にお茶の日程が決まっていたため。お茶も地域がらみの付き合いなのだが、近頃は随分と敷居が高くなりつつある。皆さんが和服でもわたしは洋服で通したりと、何れしきたりに添わない弟子となっている。それならそれで型破りの作法でも見出せそうかといえば、その才もない。お茶は11月、12月はお休みさせていただく事にしている。 

 

 

 

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秋・秋・秋

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 久方ぶりの早朝散歩。昨夕、TVニュースに盛岡城跡公園が。紅葉が散ってしまわないうちにと行ってきました。

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疲れ目

 やるべき事を何か一つ二つ忘れているような気がしてならない。
 息子に頼まれていた礼装用の靴をきょう発送。3日以内に送ると言いながら4日目のきょうになってしまった。帰省した時に置いていったものだ。使うまでにはまだ日数があると言うものの。
 きょうこそ目を休ませよう。

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雑感

 けさ起きがけに、「バイカル湖のほとり」をどう歌うかを無意識のうちに考えていた。

ゆたかなるザバイカルの 果てしなき野山を

やつれし旅人が 宛ても無くさまよう


「ゆたかなる」を馥郁と豊かに歌うとどうか、それとも遠くに点のように微かに見えるように今にも消え行きそうに細く微かに、砕け落ちそうなガラスのように歌うのがいいか。「ゆたか」ということばとは対極のようだが、それも悪くはない。「ザバイカル」は、果てしも無く広がるきららかな湖面を想わせるように歌うか。それともいっそ大声量でインパクトを持たせてしまうか。果てしなき野山を」もあれこれと考えて、しまいには夢うつつの中で出来上がった「バイカル湖のほとり」がわたしの中で歌われているのを心で聞いた。作曲者の指示もあるだろうが、音楽づくりとはこういったものかなとすこしばかり面白さを味わっていた。
 原稿から歌詞をコピーしたところが字体が最初と変わってしまったけれど、このままに。
 
   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 11月には甥の結婚式がある。これまでは、何を着ていても死にはしない、で通してきたけれども、ここに来てすこしは意識を変えねばと思うに至った。はやく準備をと思いつつも、洋服などを見てあるいた後はどっと疲労感に見舞われるために、ぎりぎりまで行きそびれていた。やっときのう主なところを3か所回りフォーマルをじっくりと見比べてみた。それぞれが、どのようなサービスを客に提供しようとしているかがわかった。わたしが買おうと決めたところの店員の方が「最近は結婚式をする方が少なくなっています」と仰る。結婚式もその他諸々もよい簡略に向かっているのか崩壊に向かっているのかよくわからないが、商業意識もそれに倣っていくのだろう。

 目が疲れているのできょうはブログを休もうと思っていたのだが、書き始めるとこれぐらいになっていた。

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楽しかった!「古館ファミリー&前田史也&須藤亮典 コンサート」

写真をたくさん撮ったはずが、ちょっと手違いが……というわけで、


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 國光牧師夫妻のご息女A姉が制作してくださったチラシにまたの登場を。

 それにしてもピアノの前田史也(まえだふみや)さん、トランペットの須藤亮典(すどうりょうすけ)さん、ピアノの古舘理都(ふるだてりつ)さん、バリトンの古館良平さん、ファゴットの古館悠祐(ふるだてゆうすけ)さんと、音楽もトークもこの5人だからこその楽しさ愉快さでした。前田さんは教会にある古いオルガンも弾いてくださいましたし、須藤さんはトランペット演奏。
理都さんは楽しくてならないというご様子でピアノ伴奏。悠祐さんはファゴットを分解し解説、演奏。良平さんは、アリアを2曲、体内に実にすばらしい楽器をお持ちでした。いまわたしが音楽関連小説、評伝を書いている関係で、映画シベリア物語で歌われる「バイカル湖のほとり」を暗いさ中に透明なピアニッシモで歌われるそれをリクエストしたかったのですが遠慮しておきました。コンサート会場が教会であると、ずいぶんと硬く思われ引いてしまう方もいらっしゃるでしょうが、何のなんの、和気あいあいの楽しさ、会場は和やか、笑いが絶えませんでした。

 讃美歌、バッハ、日本の歌等など、すばらしい音楽を演奏。プロとしての研鑽を積まれた音楽家たちが、よくぞこの岩手まで来てくださいました。感謝です!
 また古館裕万(ひろかず)さん、信仰のお証し、賛美は心に浸みました。有難うございます!
 


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きょうのことば 『開かれた目と耳をもて』

 引証聖句を自分の判断で割愛してはならないのだと思いました。長いと焦点が曖昧になるのではと割愛した部分が実は大切でした。説教についても同じことだと思われます。きょうは聖書のおことばだけを書かせていただきます。
 それにしても、教会の方々の祈り、そして息子たちのことを想うときに、いつも神のもとに引き戻されます。結局、拠り所となるのは聖書のことばです。

イザヤ書6:1~10
1 ウジヤ王が死んだ年に、私は、高くあげられた王座に座しておられる主を見た。そのすそは神殿に満ち、
2 セラフィムがその上に立っていた。彼らはそれぞれ六つの翼があり、おのおのその二つで顔をおおい、二つで両足をおおい、二つで飛んでおり、
3 互いに呼びかわして言っていた。「聖なる、聖なる、聖なる、万軍の主。その栄光は全地に満つ。
4 その叫ぶ者の声のために、敷居の基はゆるぎ、宮は煙で満たされた。
5 そこで、私は言った。「ああ、私は、もうだめだ。私はくちびるの汚れた者で、くちびるの汚れた民の間に住んでいる。しかも万軍の主である王を、この目で見たのだから。」
6 すると、私のもとに、セラフィムのひとりが飛んで来たが、その手には、祭壇の上から火ばさみで取った燃えさかる炭があった。
7 彼は、私の口に触れて言った。「見よ。これがあなたのくちびるに触れたので、あなたの不義は取り去られ、あなたの罪も贖われた。」
8 私は、「だれを遣わそう。だれが、われわれのために行くだろう。」と言っておられる主の声を聞いたので、言った。「ここに、私がおります。私を遣わしてください。」
9 すると仰せられた。「行って、この民に言え。『聴き続けよ。だが悟るな。見続けよ。だが知るな。』
10 この民の心を肥え鈍らせ、その耳を遠くし、その目を堅く閉ざせ。自分の目で見、自分の耳で聞き、自分の心で悟り、立ち返って、いやされることのないために。」

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

いよいよコンサートです!

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  いちどは心惹かれたことがあるイエスさまの教会のコン サートに出かけてみませんか。いつもとはちょっと違った心の栄養をこの機会に摂取してみてはいか がでしょう。

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友だちの絵画1点

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  これは大信田時子さんの油彩です。喫茶ママで開かれた展覧会での一点。青の色遣いに惹かれてアップ。
 
 きょうもすばらしい青空。午前は親戚の火葬、そして午後は、ちょっと調べたいことがあり岩手大学の図書館に行ってきました。ちょうどオープンキャンパスで多国籍料理の屋台がずらりと並び大賑わい。揚げ物系多し。芝生に書籍を並べて売っているのでしょうが、“店主”がどなたかと話しこんでおり、商談(?)どころではなく、『ユダヤ人』、『ロシア短編小説集』をあきらめ、コーヒー(マンデリン)を飲んで帰ってきました。

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四十四田ダム・発電所見学

 午前、自治会の防災学習で四十四田ダムを見学。
 総工事費は当時で17億(現在に換算すると約200億弱)。4年をかけて昭和42年12月完成。一般家庭約2万世帯分を発電。盛岡市全世帯の15%に供給。管轄は国土交通省。

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堰堤の下を貫く30度の階段を降りた約50m地下では漏水を計測。45度の階段をのぼって地上へ。 


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発電所

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 大雨のときには土砂、流木、ゴミも流入。流木、ゴミの引き揚げ処分に年間3,000万かかるという。ダムの底に沈殿した土砂を引き上げることはない。ヒ素などの有害物質を引き上げると地上に晒すことにも繋がるため。ダムの許容量を保つために、それを越える場合には放流する。従ってダムがあっても大洪水は起こり得る。みなさまの質問に対するダム側の回答のうち記憶に留まった点を挙げてみました。
 それにしても、ダムの見学は申し込めばいつでもできるけれども、工事中のダムを見学するチャンスは滅多にない。ダムは巨大重機を入れての巨大工事だ。胆沢ダム工事の時、見学者を募集したことがある。秋口までには何とか参加してみたいと思っていたところが、小澤の談合疑惑が浮上するかで気が重くなり申し込まないでしまったが、やはりあの時行ってみるべきだったといまだに残念に思っている。 

  

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音楽と聖書の集い

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  いちどは心惹かれたことがあるイエスさまの教会のコン サートに出かけてみませんか。いつもは使わない筋肉をたまには動かした方がいいように、いつもとはちょっと違った心の栄養をこの機会に摂取してみてはいか がでしょう。

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 入場料? ありません。みなすばらしい音楽家たちです。

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光をのぞめば

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 近頃はよく大空に黒い雲が広がっている。雨になるのか雪になるのか。胸中に広がるのは警戒心。黒い雲ばかりを見あげながら歩くと、黒い雲はいよいよ重たくおどろおどろしく巨大になる。しかし、雲のあいだにのぞく光をきっかりと見あげて歩くと、黒い雲の威力は退き、心には雲の向こうにある青空が広がる。

 

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トリオ・シンフォニエッタ盛岡 有難う!

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  10/11(日)18:00から、トリオ・シンフォニエッタ盛岡のコンサートがありました。岩手県公会堂21号室です。公会堂竣工は昭和2年。このときに、盛岡の音楽家の先達圓子正(まるこただし)は、自分の樂隊で盛んに「天国と地獄」を演奏しオープニングを飾り、自らが初めて作曲した「秋の夜の夢」をピアノもまじえた弦、管アンサンブルで披露したのです。太田カルテットの梅村保、赤沢長五郎は、この圓子正に影響を受けました。そして、昭和4年には、大正の太田カルテットのメンバーであった赤沢長五郎が、帝室雅学部のメンバーも加えるハイドン・カルテットの賛助出演でリサイタルを開いています。当時としては華々しいことでした。
 この岩手県公会堂でのコンサート。会場には赤沢長五郎の弟子であった成田浩先生が、夫人とともにお見えでした。太田カルテットのメンバーを直接ご存じである最後の方です。
 そのような写真も撮りたかったのですが、動きまわるのも僭越、恐縮、自分の位置からやっとこの一枚を撮らせていただきました。宮野ゆかりさん、鈴木道子さんのすがたが奥まってしまい残念です。

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 今回演奏されたモーツァルト、シンフォニエッタ盛岡はこれまで、モーツァルト演奏を積まれてきたと拝見していますが、古楽奏法の音色に挑戦しているということでした。聴く側の耳がそれを聴き分けるに力不足であることを申し訳なく思いつつ、モーツァルトのピアノ三重奏曲変ロ長調、しかし楽しく聴かせていただきました。
 次なるメンデルスゾーンのピアノ三重奏曲第一番1、2楽章、ピアノ、ヴァイオリン、チェロがまるで息を吹き返したように起ちあがり、取り組みの姿勢がぐんと伝わってきました。すばらしい演奏でした。

 トリオが身近になるいつものトーク、これも楽しみのうちです。

  ここに宮野さんのお父様が病を押して来ておられたようです。どんなにお喜びであったかと思います。

 おいしいお菓子、ドリンクからコーヒーを頂戴しながら、アルコール分はなくとも、酔いは十分に回ったまま帰ってまいりましたが、今も、ここはこうです、こう弾くんですというように、建物のアンチークな香りを醸しながら鳴っているようです。

 「岩手では、プロ、アマあわせても常設的なピアノ・トリオは見ない」と宮野さん。皆さまを力づけ応援できるコンサートを築きゆかれると期待しています。

 また、いらしていたお客様のおひとりから「中ぶんなさんの本読みました」とお声をかけていただき、大変励まされました。お礼を申し上げます。
 
 

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あれこれ

遠来の宿泊のお客さま接待中。
きょうはいとこ会がありました。

昨夜は、生演奏でメンデルスゾーンピアノ三重奏曲第一番を聴くチャンスがありました。

かはきゅこちゃん(教会の方々にはわかるはず)、忙しくてごめんなさい!
Tさん、快癒を祈っています!

あすの朝は冷えこむのかな。かぜをひかないように!

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きょうのことば 『種まきのたとえ』

 雀でしょうか、起きたばかりの鳥のさえずりが聞こえています。以下の一文を書き終えていま6時。うすぐもりの空のもとに、カラスが鳴きながらビルから木々へとわたり、通勤車輛が行き交う音もしてきました。新しい朝が来ています。

 先週日曜日のインマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924)國光勝美牧師のおはなしのポイントをおつたえします。

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聖書引証 マタイ伝13:1~23

3 イエスはたとえを用いて彼らに多くのことを語られた。「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。
4 蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。
5 ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。
6 しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。
7 ほかの種は茨の間に落ち、茨が伸びてそれをふさいでしまった。
8 ところが、ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。
9 耳のある者は聞きなさい。」
      10 弟子たちはイエスに近寄って、「なぜ、あの人たちにはたとえを用いてお話しになるのですか」と言った。
11 イエスはお答えになった。「あなたがたには天の国の秘密を悟ることが許されているが、あの人たちには許されていないからである。
12 持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。
13 だから、彼らにはたとえを用いて話すのだ。見ても見ず、聞いても聞かず、理解できないからである。
17 はっきり言っておく。多くの預言者や正しい人たちは、あなたがたが見ているものを見たかったが、見ることができず、あなたがたが聞いているものを聞きたかったが、聞けなかったのである。」
      18 「だから、種を蒔く人のたとえを聞きなさい。
19 だれでも御国の言葉を聞いて悟らなければ、悪い者が来て、心の中に蒔かれたものを奪い取る。道端に蒔かれたものとは、こういう人である。
20 石だらけの所に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて、すぐ喜んで受け入れるが、
21 自分には根がないので、しばらくは続いても、御言葉のために艱難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう人である。
22 茨の中に蒔かれたものとは、御言葉を聞くが、世の思い煩いや富の誘惑が御言葉を覆いふさいで、実らない人である。
23 良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて悟る人であり、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結ぶのである。」

≪おはなしのポイント≫
 畑や庭にはよく雑草が生えます。雑草を取る時に、雑草に追われるように取るのではなく、雑草を追うように取るのがよいそうです。
 ちょっと油断していると、心の中に雑草が生えてきます。それを放っておくと雑草がどんどん増えてゆきます。心をよい土壌に保つには、生えてきた雑草をすぐに取り除く注意深さ、勤勉さが必要です。肥料を入れることも大切です。化学肥料にするか有機肥にするかは、その時の状態によります。
 聖書のおことばは、優れた心の肥料です。スポルジョンの「朝ごとに夕ごとに」といった聖書の副読本ともいうべき霊想書も有益ですが、何といっても、聖書のことばに直に触れることがいちばんです。読んでいて恵まれたところには赤線を、警告をいただいたところには青線を引きながら読むなどすれば、より一層心に留まります。

 また種まきという行為についてですが、4,5,7,8節には、「種が……に落ち」とある。私たちがまくときには種はそこかしこに落ちるものである。しかし、19,20、22、23節には「蒔かれた」とある。これはイエスさまが蒔いてくださるということです。私たちが落した種にイエスさまが関与してくださる。イエスさまが蒔いてくださっているのです。
 落された種が、たとえ屑かごに捨てられてあったとしても、失望することはありません。

 
 

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川村粋邦ー賢治の絶筆短歌2首を作曲した人ー

  刈り取りが終わった田圃。まもなく刈り取る田圃。

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宮澤賢治の絶筆2首

「方十里稗貫(ひえぬき)のみかも稲熟れてみ祭三日そらはれわたる」

「病(いたつき)のゆゑにもくちんいのちなりみのりに棄てばうれしからまし」

 戦前に宮澤賢治に傾倒し、盛岡高等農林学校に入り、東京から岩手に転居、そのまま盛岡高等農林の教官になった澤恩(さわめぐみ)というひとがいた。澤は声楽家にもなりたかったがアマチュアのままで、東京音楽学校の沢崎定之や、桐朋学園創立のメンバーであるバリトンの伊藤武雄のもとに通い、個人レッスンを受けていたという。澤恩は、昭和23年NHKのど自慢歌曲部門で第二位。一位とほとんど遜色なかったらしい。澤恩の妻チエー旧姓は辛(かのと)ーも沢崎、伊藤から個人レッスンを受けている。
 澤チエが、昭和二十八年、NHK盛岡放送局で、宮澤賢治の絶筆二首を録音している。このとき澤チエが歌った曲を作曲したのが、幼いころ失明し岩手県立盲学校の音楽教師で琴を教え作曲もしていた川村粋邦であった。≪参考:八谷みち著「家族の記憶ー歴史の中の足跡ー」≫

 川村粋邦にしても、澤恩、澤チエにしても、恵まれない人々、貧しい人々、弱い人々への賢治の優しさ温かさに惹かれていたのだ。
 岩手の邦楽演奏の歴史を辿ってみると、川村粋邦は、昭和24年4月30日、県公会堂で開催された三曲演奏大会で「松竹梅」を演奏している。川村粋邦の名を見つけたときは嬉しかった。
 


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網張温泉へ

 きょうは自治会女性部のみなさまと網張温泉に。傘をさすほどではないけれども、ときおり小雨が。一緒に歩いていたお二人を撮ろうとしたところが、「さ、あなたがそこに立って」とポーズの指図。それに従い撮っていただいたのがこの写真。顔がはっきりとわからないので背景を見ていただこうとアップしてみました。網張もいつの間にかこんなにきれいに便利に整備されていました。

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 それにしても巨大台風23 号。発生時は、これで計画も中止かと半ばあきらめていた。それが異例のコースを取って進んだ。これは10月としては異例中の異例だという。自分だけが災害に巻き込まれ命を落とすならまだしも、ひと様を巻き込むことになればゴメンナサイでは済まない。役員の皆さまの一致した判断で迎えたこの日、帰着して全員が無事にバスから降りたときはほっとしました。そして心あたたかい方々に感謝したことでした。

 昔は、こんな雨ぐらい、こんな風ぐらい、と軽んじてもきた。台風が去った直後に土砂災害や川の増水を見に行ったこともある。しかし今の気象状況を軽視すればとんでもない事態に巻き込まれそうだ。危険な情報が出るたびにそれなりの対応策を講じたつもりで家に籠もり、讃美歌などを聴きながら身を縮めている。

 

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備忘録

 きょうは備忘録として記しおきたい。
 午後に近くのお茶に参加した。柄にもなくお茶席に。先生は徹頭徹尾こだわりをお持ちで、掛軸、生け花、茶道具ともに私には過ぎたるものばかり。

 台風23号の影響だろう、風が吹くたびに茶室の戸がカタカタと鳴る。どなたかいらしたのかなと耳を澄ます。やはり風のいたずらだ。それからしばらくして、また戸口がカタリと鳴り、こんどはほんとうに誰かいらした。明るい声をひびかせて入ってきたのは○○さん。80は過ぎておられるが風のように飄々としている。私のとなりに着かれた。私の心に讃美歌503番が通った。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 昔日、絵画教室で知り合った友だちがいる。2、3年のブランクを経つつもこれまで続いている。その友だちが最近言ったことだけれども。「小学生の時亡くなった弟と父が私のところにいることがある」。これを彼女の妄想だと片づけてしまう気は私にはない。弟さんは、姉である彼女にとても懐いており、どこへ行くにも付いて来たという。お父さんは、彼女の誕生日には必ずプレゼントを準備してくれていたようだ。いつも心に掛け心をくだいてくれていたという。
 彼女は今も、弟さんやお父さんの愛を受けながら生きている、私にはそう思われた。彼女のところにいる弟さんやお父さん、それは、とりもなおさず弟さんやお父さんの愛情がいまもって生きているという事なのではないか。愛されたという記憶はいつまでもその人を支え生かすのだと教えられた。

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コルンゴルトのヴァイオリン協奏曲

 さて、すこしの間でも、いま取りかかっている原稿の1行でも書こうかとPCのまえに座ったはいいが、つい、デジタルコンサートホールの次のアップを見てしまったのがいけなかった。

 メータのサンサーンス≪オルガン付き≫、これはわかる。その次、コルンゴルトのヴァイオリン協奏曲とある。コルンゴルト、知らなかった。そしてつい聴いてしまったのがいけなかった。実に魅力的な曲。当初批評家からは「時代錯誤」という評価を受けたらしい。何がどこが時代錯誤だったのか私にはまったくわからない。とにかくあのすごいハイフェッツ、いまだに日本の代表的な批評家によるランキング1位(2012年レコード芸術11月号のヴァイオリニストランキング)を誇るあのハイフェッツが、その後も演奏と録音を続けた結果、代表的作品と認識されたもののようだ。
 エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルトは1897年チェコ生まれ。ユダヤ系。ハリウッド映画音楽の祖とされている。

 というわけで、またまた寄り道をしてしまった。コルンゴルトと検索したらコンコルドが出てきたり。コンコルド? いえいえコルンゴルト。

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刈り入るる日は近し

田んぼ 水田 稲 稲田 稲穂 青空 秋の空 雲

 巨大台風23号、異例のコースを取って日本の東海上を北北西に進んでいるもよう。近場にある田圃の稲は倒れずに頑張っている。刈り入れが始まるだろう。


きょうは一日こんな歌が心に流れていました。

讃美歌503番♪

春の朝(あした) 夏の真昼  秋の夕べ 冬の夜も
勤(いそ)しみ蒔(ま)く 道の種の  垂穂(たりほ)となる 時来たらん
Chorus:
  刈り入るる 日は近し  喜び待て その垂穂
  刈り入るる 日は近し  喜び待て その垂穂

御空(みそら)霞(かす)む のどけき日も  木枯らし吹く 寒き夜も
勤しみ蒔く 道の種の  垂穂となる 時来たらん
  Repeat Chorus.

憂(う)さ辛(つら)さも 身に厭(いと)わで  道のために 種を蒔け
ついに実る その垂穂を  神は愛(め)でて 見そなわさん
  Repeat Chorus.

 

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つれづれ

 午前、友人のてつだい。何の? ゴミの片づけ処分。おてのもの。
彼女がわたしを見て言う「何だかお掃除おばさんみたい」
「みたいじゃない、わたしはお掃除おばやんです」
「頑張らなくていいよ」
「そりゃ頑張りますよ」
彼女「疲れちゃった」
「あなたは病気なんだから、休むのも仕事のうち」

 かくして午前は、ただお茶のみをしダベっているより、かなりまともな半日に。
時間がない、余生短いと焦って何になる。これも人生、それも人生。

 午後は地域女性関連の文書作成、印刷。いらした方の応対。電話の応対。まずまずの半日に。
時間がない、余生短いと焦って何になる。これも人生、それも人生。 

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きょうのことば 『主イエスに護られて』

  きのうの雷雨もうそのように、明るく静かな朝を迎えています。

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 先週のインマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924)國光勝美牧師の説教をおつたえします。

聖句引証 ルカ伝23:31~46
31シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。32しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。…(略)…」33シモンはイエスに言った。「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」34…(略)…37あなたがたに言いますが、『彼は罪人たちの中に数えられた。』と書いてあるこのことが、わたしに必ず実現するのです。わたしにかかわることは実現します。」38…(略)…39それからイエスは出て、いつものようにオリーブ山に行かれ、弟子たちも従った。40いつもの場所に着いたとき、イエスは彼らに、「誘惑に陥らないように祈っていなさい。」と言われた。41そしてご自分は、弟子たちから石を投げて届くほどの所に離れて、ひざまずいて、こう祈られた。42「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」43すると、御使いが天からイエスに現われて、イエスを力づけた。44イエスは、苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた。45イエスは祈り終わって立ち上がり、弟子たちのところに来て見ると、彼らは悲しみの果てに、眠り込んでしまっていた。46それで、彼らに言われた。「なぜ、眠っているのか。起きて、誘惑に陥らないように祈っていなさい。」


≪説教の概略≫

 イエスさまはペテロを弟子に選んだときからずっと暮らしを共にしており、ペテロの人となりをすべてご存じでした。イエスさまは、ペテロが、3度自分を知らないと裏切ることも、また回復して偉大な伝道者となることも知っていたのです。同じように、イエスさまは、私たちを逐一知っておられる。そのうえで、「
わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。」と仰る。

 また、「
サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。」とありますが、ということは、サタンが弟子達をふるいにかけることを神様が許しているわけです。弟子達の試練もすべては神様の許容範囲にある。ペテロが試練に遭い、しかし回復することを知っておられるイエスさまが、「あなたのために祈りました。」とこう言われるのです。

 
ではペテロの側はどうでしょうか。ペテロは心からイエスさまを愛している、これは疑うべくもありません。ユダがローマ兵にイエスさまを捕まえさせようとしたとき、ペテロはイエスさまを守ろうとしました。そのペテロが、「誘惑に陥らないように祈っていなさい。」と念を押されたにも関わらず、眠り込んでしまいました。自分ではいつも一生懸命仕えているつもりなのですが、どうも肝心なときになると弱さをあらわにしてしまいます。ペテロがイエスさまを「あんな男は知らない」と言ったとき、にわとりが鳴き、イエスさまは振り向いてじっとペテロを見つめました。この裏切りをもわかっていて「あなたのために祈っています。」と仰るイエスさまなのです。ペテロはこのとき、不甲斐ない自分に落胆し絶望し自己嫌悪でいっぱいだったでしょう。しかし、このときこそが、実は大きな転機なのです。神さまの無限の赦しと愛と希望を把握するチャンスの到来です。自分に絶望しきったときに、大きく信仰がはたらきます。

ローマ7:24をご覧ください。

「私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。」
 ここにはどうしようもない自己認識があります。しかしここでパウロの信仰が働き、8章には急転直下、次のように続きます。
こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。
 「
我弱きときに強ければなり」とはこういうことです。
 失敗したペテロに、悪魔は「だからおまえは駄目だ!」と言うでしょう。しかしイエスさまは「わたしはあなたのために祈っているよ」と言われる。
 ここに信仰の秘義、奥義があります。ここで信仰を発動できるかどうかです。
 強いのはサタンの祈りですか? それともイエスさまの祈りの方でしょうか?
どうぞこの信仰機能を起動させて信仰生活をしっかりと歩みましょう。

       ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

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  いちどは心惹かれたことがあるイエスさまの教会のコン サートに出かけてみませんか。いつもは使わない筋肉をたまには動かした方がいいように、いつもとはちょっと違った心の栄養をこの機会に摂取してみてはいか がでしょう。

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 入場料? ありません。みなすばらしい音楽家たちです。

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気落ちせずに

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  夕方についうたた寝。二男の夢を見ていた。夜8時を待って電話をしてみる。
「変わりない? いま何してたの?」
「皿洗い」
 耳に携帯を挟んでいるらしい。漆器がぶつかる音がし水道の水が流れる音がしている。
「そっちはどう?」と息子。
「いますごい雷。変な天気が続いてる」とわたし。
 ちょうど電話する直前から雷鳴がしていた。
「ま、気落ちせずに頑張って」と息子。

 毎日仕事に出て稼ぎ、こうして暮らしている、それでいい。健康で無事であればそれでいい。ありがとう。

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つれづれ

 うつむき加減になった草木はあったものの、大きな被害はなかった。新聞も遅れずに5時には届く。ニュースでは予測した被害が流されていた。実った稲が地にへたり重なっている。対応策はどうであったか……。家周りの掃き掃除、庭の片づけの後、朝食前の2時間はPC。
 午前中、先日思いがけずお会いした花巻時代のSさん来訪。当時に戻って1時間ばかり歓談。お孫さんを心配され帰ってゆかれた。
 午後は民生の定例会議。その後買い物に肴町へ。これは今朝歩いていなかったので、運動のためだ。魚売り場で重量69㌔のマグロの解体実演があった。切り落とした頭だけで10㌔ある。切られた半身がさらに半分に。それから三つに割り、柵を切り取っていく。それから4階にあがり、事務用品を3点購入。
 きょうも自治会関係やら主人のテニスの仲間、そしてわたしの友だち、親族関係からとあわせて10回は電話に出ている。

 いま9時。これから何をどれだけできるだろうか。たしか10時からは山田耕筰のTVがあるはず。それも見ておいた方がよさそうだ。

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嵐と祈りと

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 きのうはこんな青空。きょうも日中は穏やかだった。2時半ごろから近所の方と連れだって散歩。行き過ぎる風は弱く穏やかで明るかったが、夜も8時過ぎた今、外は大荒れとなっている。小さな野菜畑も、ことしの収穫は大方おわり、尚も活き活きと蔓を延ばし深い緑を繁らせているのは蔓紫だけとなった。時折窓硝子に飛沫が激しく飛び散っている。

 農作物には確実に被害が出るだろう。郊外に豊かに美しく実った葡萄や林檎、梨。栗や柿が落下するさまを実際に目前にした事はないけれども。どれだけの経費、時間と労力が注ぎこまれている事か。1年の労苦の結実が、この風雨で、この闇の中で次つぎにいとも簡単に落下していく無念さ悔しさ、その胸中もまた嵐だ。
 運輸、電力、災害対策、これらすべてが無縁ではなくなっている。どんな朝が来るだろう。

         

 聖書はこう祈りなさいと教えている

天にまします我らの父よ。
ねがわくは御名〔みな〕をあがめさせたまえ。
御国〔みくに〕を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、
地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧〔かて〕を、今日〔きょう〕も与えたまえ。
我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく、
我らの罪をもゆるしたまえ。
我らをこころみにあわせず、
悪より救いいだしたまえ。
国とちからと栄えとは、
限りなくなんじのものなればなり。
アーメン。


祈りが役に立つか立たないか、それを知るには祈るしかない。 

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