朝と夕
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昨夜、パソコンのキーにデジカメを落としてしまった。大失態。注意散漫になっていたらしい。ずいぶん以前に主人のPCのキーが故障したときのことを思い出し、それに違いないと早合点し捨て置いた。今朝になって主人に見てもらうと、まったく単純なこと、カナキーがロックしただけ。笑ってしまった。
笑えないのは、ほんとうにPCが故障した場合のことだ。原稿書きは体力の戦いになる。200字までなら何とか。しかしそれ以上は御免こうむりたい。ネットも使えないとなると、ちょっとしたことを調べるにもけっこうな時間を要する。主婦の片手間であってみれば、書かなくともどこにも迷惑をかけず、社会に影響を及ぼすことはまずない。それでも、PCに慣れ切ったいま、もし使えなくなった場合のことを考えると、手足はおろか頭脳さえも失われるかの怖さがある。ほんとうは、こういうものを使わずに済むなら、その方がはるかに好ましいとは思う。
地域の運動会をアップ。いまは子どもたちが投げ入れている。次は大人たちだ。
昨夜、写真の整理をした。あまりよくないのはみな削除。整理し終えて気付いた。随分と花の写真を撮ったけれども、ほとんど消してしまった。これにはまた同じ花は咲くという思いがある。種子から育てて咲かせるのに成功したもの、ツインで咲いた月下美人。突然変異で咲いたと思われる白い姫踊子草、7つの花がついたアマリリスは残った。そして捨てがたかったのが景色、光がつくる明暗の美しさだ。そして家族、親族、友人、知人。資料関連。これには残しておきたいという気持に、残すべきという意識が作用している。
見るたびに胸に迫るのは、息子たちの幼いころの写真。屈託のない笑顔。これだけは私の永遠の宝だ。
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きょうは地域行事のため、礼拝に出席しかねます。どうしても欠席となる日曜が年に1回か2回はあります。
先週のインマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924)では、礼拝と共に聖餐式が持たれました。山葡萄液は、ひろ子牧師が教会の裏庭で栽培し葡萄液に作ってくださったものが用いられました。また敬老のお祝いプレゼントが手渡されました。教会に真実に仕えて来られた方々。理屈より何より、その温かさと笑顔、ただ一筋に一つのことを信じて日々を過ごして来られた笑顔に励まされたことが幾度もありました。
きょうは引証聖句のみご紹介いたします。
コロサイ3章
1 こういうわけで、もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが、神の右に座を占めておられます。
2 あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。
3 あなたがたはすでに死んでおり、あなたがたのいのちは、キリストとともに、神のうちに隠されてあるからです。
4 私たちのいのちであるキリストが現われると、そのときあなたがたも、キリストとともに、栄光のうちに現われます。
※写真はイメージ写真です。聖餐式は、國光勝美牧師によって執り行われています。
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これは6月の薔薇。盛岡城跡公園。この頃はよく早朝にウォーキングしていた。いまはわざわざ時を取って歩かなくとも、日中に用足しで歩かなければならないことがある。ただかなり寒い朝でも毎日起き出して1時間ほど歩いたその冬は風邪をひかなかった。むしろ暖房ばかりに頼って過ごした時の方が風邪をひいている。
それにしても、この頃、がんに罹る方が多いように思う。年度ごとの罹患数などは調べるとすぐに出てくるけれども、そういった数字よりも自分が知っているあの方、この方であることに少なからぬショックを受けている。高齢とは言い難い方もいらっしゃる。ただ私が存じ上げている方々はほとんど手術や放射線治療によって治癒している。元気になられ海外旅行を楽しまれている方も。一時期は長くどん底を潜られたが、もう寿命を全うされるだろうと拝見。決して諦めるものではないと思わせられる。
がんとの関連性はさておき、添加物のことだが、葡萄がたくさんなったのでワイン作りに挑戦しようとそちこちを見てみると、「ワインにも添加物がはいっているものがある」、ここまではわかる。その次に「表示が義務付けられていない添加物も入っているものがある」という。たとえ今何らかに影響を及ぼしている事実が確認されていないとしても、これは不純物。今わかっていないとしても、何らかの成分と反応し人体に悪影響を及ぼしていないとも限らない。こういった食べ物があふれている。農薬のかかっていないこの葡萄でワインをと思いたったものの、ワインイーストが必要だとわかった。探したところには無かった。ネット販売では、2、3百円。ワイナリーに行けばあるのではないか、そうだ行ってみようと思ううちに思うだけで日にちが経ってしまい、葡萄の新鮮さがいまいちに。かくしてワイン作りはことしもとん挫。また作ったとしてもそれほど飲むわけでもない。ただ添加物のことは大いに気になっている。
口から入るものが、栄養にも害にもなる。今は農薬を使わずに生産するのはほとんど不可能だろうし、食品も腐るのが当たり前のところ、なかなか腐らないものも。不可思議な食べ物がいっぱいだ。
ビオスの次元のはなしばかりと顰蹙を買うかもしれないが、病とたたかっている方々を思ううちに、こんなはなしになってしまった。苦しむのは勝利の時までと締めくくろうと思うも、ほんとうの胸中はその病を潜った方にしかわからないはず。もしこの一文が軽すぎたならお赦しください。
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あすはシンフォニエッタ、きょうはシンフォニエッタと思いながら、今回は1時間遅れの到着となりました。プログラム1番がバッハでしたから尚更残念。ご一緒くださった方と大急ぎにいそいだんですけれども。着いてモニターを見るとブラームス。ホワイエでは休憩時のお茶の準備が始まっておりました。
プログラム2番、チマローザって? どんな曲だったろうというわけで、いまyoutubeで聴いてみて納得。3番もそちこちのページを当たってみると、「デュルニッツ男爵の遺品の中から見つかったファゴット(バスーン)のための作品の一つと伝えられ、
1805年ブライトコップ社からの全集に収録されたが、自筆譜も写譜も行方不明なので、この曲の低音部がはたしてチェロなのか分からず」とあり、こんな面白さを発見。ウェーバー『コンチェルティーノ』、これもいま確かめて、なかなかいい曲。堀江さん、今野さんのはどうだったのかなと想像。5番は想像できました。というのも佐々木さん、千葉さんがおととしでしたか、演奏くださったラテン、ショーロ、ティコティコが記憶に残っていて、どうも調子が今一つだったときに思い出し、午後ずっとラテンをきいて、気分がはりっとしたことがありました。ブラジリアンも聴いてみました。せっかくの演奏、聴き損ねてしまい惜しかった。
聴けなかったプログラムのことばかり書いてしまいそうですが。
まにあったのは、6番の、ブラームスの六重奏。いま頭の中であの鳩尾にか心の奥深くにかに来るあたりが鳴ってます。
今回、弦管ともにいい音が出ているなと思いました。音が外れていたかどうかまでは聴き分けておりませんが、このことになると、ベルリン・フィルでさえあることのようですから。それにしても、ついにシンフォニエッタ盛岡のベートーヴェン五番、わくわくして待ちました。運命の冒頭がどう鳴るか。なかなかのものでした。静粛に拝聴すべきところでしょうが、このときばかりはとにかく愉快な臨場感。感謝でした。
写真は5番の音合わせ。左に立たれているのが宮野さん。右に立たれているのは指揮の畑村さん。パイプオルガンは劇場最大の楽器であり、調度品でもあるといつもながらに感心。
7番のアンダンテ・カンタービレ、畑村さんのご説明にありましたが、ほんとうは弦楽四重奏曲、それをだいたいこんなにたくさんのメンバーの方々でのおもしろい試み。五番のときは退場されましたが、アンダンテ・カンタービレのときには、この団の前身のアンサンブル・ミックスの創設者成田浩先生のお姿も指揮者のやや右手に拝見。大変うれしく思いました。帰りしな、成田夫人にも「お陰さまで元気をいただきました」とご挨拶させていただきました。
ご一緒くださった方も、「こんなコンサートもいいね」と、色々な編成での音楽の楽しさをはなしてくれました。元気をいただいた帰りには、バスはやめて歩こう! ということになり、疲れもせずにコンサートのことやら、展覧会のことやら、食べ物のはなしをし、それと今晩の夕食は簡単にしましょうかと意気投合して無事帰着しました。
有難うございました! そして朝早くからのリハも含めてお疲れさまでした!!
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19日未明、「安保法案 参院特別委で可決し成立」。多数の“勝利”です。キリスト教会は圧倒的に少ない。しかし、ひとりでも過酷な状況下で勝利した先達がいます。シベリア抑留でも、絶望的なラーゲリで明るさ、希望を失わなかったのは、歌うひと、祈るひとだったと証言された方がいます。
聖句引証 ルカ伝22:39~46
39それからイエスは出て、いつものようにオリーブ山に行かれ、弟子達も従った。40いつもの場所に着いたとき、イエスは彼らに、「誘惑に陥らないように祈っていなさい。」と言われた。41そしてご自分は、弟子達から石を投げて届くほどの所に離れて、ひざまずいて、こう祈られた。42「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」43すると、御使いが天からイエスに現れて、イエスをちからづけた。44イエスは、苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた。45それで、彼らに言われた。「なぜ、眠っているのか。起きて、誘惑に陥らないように祈っていなさい。」
以下に、先週のインマヌエル盛岡キリスト教会(℡019‐646-2924)國光勝美牧師の説教のポイントのみをおつたえします。
4年前の3・11をも含め、このところの大きな自然災害の報道を目の当たりにするとき、これがまさしく人間の罪の帰結であることを悟らねばなりません。ではどうしてあの人が助かり、この人は亡くなってしまったのかといった疑問もあるでしょう。しかし、聖書の中に記されているノアの時代もそうでした。世の中が堕落しきったとき、神は、神の前に正しく生きたノアとその家族と動物を各々一つがいを箱舟に乗せて救い、その他はみな滅ぼされました。
ノアが丘の上で舟を造っているのを見て、人々はあざけりました。しかし神の裁きが来る。そして、いまは、ノアの箱舟ではなく、まことの救いの箱舟である主イエス・キリストの十字架の贖いがあるのです。私たちには、この十字架の救いを、今の世に力強く提供していく使命があります。皆さまとご一緒に、切に祈って、伝道のわざを進めたく願っております。
祈りについての理解が、私たちの働きを大きく左右します。ルカ22:39~46から、このことを学びましょう。登場する場所は、イエス様が祈った場所として有名なゲッセマネです。ゲッセマネの祈りの数時間後には捕まえられ、金曜日には十字架につけられることをご存じのイエス様の祈りの苦しさ、激しさ。御使いまでが天から力づけました。鬼気迫る真剣勝負の祈りです。
39「いつものように」40「いつもの場所に」とあります。いつものように行かれた。ゲッセマネはイエス様にとって、「いつものように」、「いつもの場所」だったのです。これがイエス様の力の秘訣、イエス様の働きの源泉でした。「祈りなくしては私は何もできない」とイエス様は言われました。言うだけではなく、実際にそれを弟子達に表わしておられたのです。
イエス様が公生涯に発たれるとき、荒野で悪魔の試練を受けました。イエス様ほど悪魔の厳しい試練に遭われた方はいらっしゃいません。悪魔は手を変え品を変えてイエス様を誘惑し、十字架からイエス様を遠ざけようとし、十字架の救いを完成させまいとしました。イエス様はその時、ゲッセマネで血の汗を流しながら祈られました。弟子達に、この祈りがなければやっていけない事を示された。イエス様は、「いつものように」「いつもの場所で」弟子達と共に祈る事を教えてくださった。それが力でした。
私たちは、神様に祈り、神様からの力を充電するための「いつものように」「いつもの場所で」を持っているでしょうか。これをいまいちど確認し、祈りをもって前進していきましょう。
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食事を終えたころに、取りこぼしを思い出す。提出書類が3日過ぎている。朝のうちに届ける。「だいじょうぶです」の応対にほっと。ゆるくされるほど齢をとってしまったということか。バスで席を譲られた気分で退去。これが在職中のことなら、小言の一つもかしこまって拝聴せねばならないところ。
傘がなくとも歩ける程度に疎らに落ちるか落ちないかの小粒な雨。母親に手を引かれ幼稚園に入っていく幼児たち。動物の耳のついた雨合羽を着た子も。家に戻りつつはたと気が付いた。昨日会った人をブログに書いたけれど、姪と子どもたちにも会っているではないか。私がスクーターで右折しようとしていたところ、その方向から左折しようとする車がやってくる。すれ違いざま、なかなか動かない。どうしたのかと運転席を見ると、姪が私に話しかけているのだった。後部座席にレッスンを終えた子どもたちが3人。こんどの発表会がいつかを訊くと、何と、親戚の結婚式があるその当日とは
。残念!
そして、きのうとほぼ同じ一日が瞬く間に過ぎた。健康でさえあれば、忙しい方がいいのかもしれない。連休には息子が帰る。
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きょうも朝から忙しかった。晴れあがってくれたので助かった。天気に助けられ、地域の方々に助けられて予定をこなす。
きょうは、どなたどなたにお会いしただろう。思いがけない出会いもあった。朝から順に。役目がら町内を回っていたところ、斜め向かいの方1人。地域の方々の集まりで15人。その後、役目がら準備しなければならない品物を買いにいった先で叔母にばったり。話したかったが次の機会に。そして、買った品物をお届けした先、それは、こんどお子さんが生まれたお宅なのだが、何と、花巻時代にお世話になったSさんが玄関に出て来られてびっくり! つまりこんど出産された方はSさんの娘。手伝いにきていたのだ。「ずっと会いたいと思っていたの」と言ってくださる。人口1億2690万人の中に、ほんとうに自分に会いたいと思っていてくれた人が1人はいたということなのだ。何と有難いことだろう。名刺をお渡しし、「家はすぐ近くなので是非来てほしい。電話をかけてから」とお願いした。突然の場合、片づけが行き届いている確率は低い。それは兎も角、Sさんのお孫さんたちにもご挨拶。これできょう何人に会っただろう。21人。決して少なくない。こうして日々多くの方々に生かされている。
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ここのところ立ちあがりが億劫だと感じられる事が少なくなったように思う。どこかすっきりとした気分でいられる時間が長くなった。何かなと思い巡らす。思い当ったのはツルムラサキ。
過密植栽の畑に、ツルムラサキが跋扈している。手抜きで支柱を立ててはいないが、ひと株から次つぎに出たツルが八方にぐんぐんとのびている。野菜の葉っぱとしては分厚く緑色が濃い。大きい葉っぱで掌大にもなる。とてもよく繁るので、来た方に分けようとすると3人の方に断られた。独特の香りが苦手だという。ひとりの方は、嫌いだけれど栽培が簡単で丈夫だから一応植えてはいるという。
私も去年までは、一応植えてはおくが、食べるのは1回か2回。あとは繁らせっぱなしだった。しかしことしになって、この野菜の力強さ、活き活きとした生命力に面白さを感じたのだ。これは必ず健康にいいに違いない、そう確信し、毎日食べ続けている。すこし大袈裟だけれども、体内のパーツがほどよく納まり、潤滑油をさされたと思えるくらいに、各気管がほどよく機能しているといった実感。まるで健康食品のコマーシャルみたいだが、このような実感を得ている。
きのういらっしゃった方が、何か一つ元気が出ないと仰るので、さっそくツルムラサキをお勧めした。人様にお勧めするからには確かめねばと調べてみると、やはり私の直感はあたっていたようだ。
栄養価が高く、ホウレンソウよりも優れている。ビタミンA、ビタミンC、カルシウム、鉄などのビタミンやミネラルを非常に多く含む。
ツルムラサキのスピナコシド(spinacoside)類とバセラサポニン(basellasaponin)類には小腸でのグルコースの吸収抑制等による血糖値上昇抑制活性が認められた。ー以上はウィキペディアからー
これ以上詳しく成分を知りたい方は旬の食材百貨 へ飛んでください。
レシピを見ると、炒め物や中華の食材に使うことが多いようですが、むしろさっと茹でてザクザクと切り、胡麻和えにしたり、鰹節を混ぜてだし醤油で味付けをすると、けっこう独特な香りを沈黙させ、しかも手軽に美味しく食べられます。
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いまも救助は続いているのでしょうか。絶えまない災害情報の渦中です。
この朝4時半にPCを開けると、いま横浜で看護師をしている中学校時代の友だちからメールが入っていました。何十年ぶりかで彼女に会った時に、それまで清冽に生きてきた事がわかり心を打たれたことを思い出します。その彼女からの今朝のメッセージは、「今を最高にするために最善を尽くせ」でした。
さて、先週のインマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924)國光勝美牧師の説教からポイントをおつたえしますが、その前に次の写真、これは講壇の花ではありませんが、ひろ子先生が、先週生けられた花でまだ咲いているものを生かし、身近にある草花を添えてとても可愛らしく玄関に飾ってくださったもの。写真ではちょっとわかりにくいのですが、載せてみました。
聖句引証 ヨハネ黙示録21:1~5
1また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。2私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下ってくるのを見た。3そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らは園民となる。また、また、神ご自身が彼らとともにおられて、4彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。5すると、御座についておられる方が言われた。「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」また言われた。「書きしるせ。これらのことばは、信ずべきものであり、真実である。」
先ず、第一コリント2:5~9があげられ、黙示録にあるすばらしい天国の啓示、神の国の奥義は、この世の知恵ではなく、御霊によって理解されるものであることが語られました。
5それは、あなたがたの持つ信仰が、人間の知恵にささえられず、神の力にささえられるためでした。6しかし私たちは、成人の間で、知恵を語ります。この知恵は、この世の知恵でもなく、この世の過ぎ去って行く支配者たちの知恵でもありません。7私たちの語るのは、隠された奥義としての神の知恵であって、それは、神が、私たちの栄光のために、世界の始まる前から、あらかじめ定められたものです。8この知恵を、この世の支配者たちは、だれひとりとして悟りませんでした。もし悟っていたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。9まさしく、聖書に書いてあるとおりです。「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」
そして次のようなメッセージがありました。
黙示録21章1節には、「新しい天と新しい地を見た」「以前の天と以前の地は過ぎ去った」とあり、2節には「新しいエルサレム」とあります。4節の最後には「以前のものはもはや過ぎ去った」5節「見よわたしはすべてを新しくする」。ここに「以前」と「新しく始まる」とあるように、黙示録はこれからのことなのです。「以前のこと」というのは聖書に記されていることです。聖書は創世記で始まって黙示録で締めくくられている。創世記1章では、太陽が作られている。昼をつかさどり夜をつかさどる。しかし新しいエルサレムでは、神ご自身が光であって、もはや太陽が夜を照らすことはない。黙示録の22章の5節「もはや夜がない。神である主が彼らを照らされるので、彼らにはともしびの光も太陽の光もいらない。彼らは永遠に王である。」のです。神ご自身が私たちを照らす光であってくださる。もはや古い過去を照らした太陽は必要ない。
また創世記では神様がおつくりになられた人間をサタンが誘惑し堕落をさせてしまいました。その意味ではサタンが勝ちました。しかし、黙示録では、もはやサタンはその存在を失っています。もはや誘惑するものがいない。神に敵対するものはいない。のろわれるものはない。創世記に於いて罪が人類に入り込みました。アダムとエバのあの出来事です。しかし、黙示録では罪がまったく消し去られています。創世記において、罪を犯した人は逃げて神から隠れました。しかし、黙示録では、神が彼らとともに住んでくださるとある、21章3節 「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らは園民となる。」。創世記に於いて人の罪のために地はのろわれました。いばらを生じました。しかし、黙示録に於いては、2、3節を見ると「川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができる。また、その木の葉は諸国の民をいやした。もはや、のろわれるものは何もない。」
私たちは「以前」悲しみの涙を流します。しかし、黙示録21:4「彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」
「以前」、楽園は失われました。しかし、21章に見るように楽園は回復いたします。創世記に於いて罪を犯した人間は、死ななければなりませんでした。しかし、もはや死はありません。クリスチャンは神と共に永遠に王として、支配するものとして、統治するものとして、あり続けるものでござます。新しいエルサレム、聖なる都とあります。この事は、21:2を見ると、「神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。」とあります。ちょうど、イエス様が、天から私たちの世界に救いのために来てくださったその出来事と同じように、こんどは、天から整えられた新しいエルサレムが、神の御もとを出て、天からくだってくるというのです。何と言う特権でしょうか。イエスさまの十字架の時には、救いの為に十字架につくためにくだってくださった。しかしこのとき、天のエルサレムは、私たちの涙をぬぐい去って共に住んで下さる。苦しみ悲しみ叫び、それらのものがみななくなるのです。私たちはこのゴールに向かって歩んで行くものなのです。
黙示21:10には、「そして、御使いは御霊によって私を大きな高い山に連れて行って、聖なる都エルサレムが神のみもとを出て、天から下って来るのを見せた。」とあります。
既に天に帰っていった方々は、天のエルサレムにいる。それは私たちにとって大きな希望であり慰めです。このゴールに向かって走っているなら、私たちは、いま目の前にある多くの艱難を耐え忍ぶことができるのではないでしょうか。
ヘブル12:1,2
こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。
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時間にゆとりがあった頃には、ダムの堰堤から放水されるさまを撮ってみたい、お母さんに抱っこされた赤ちゃんの安心しきった顔がいい、真っ青な空を仰ぐ巨木を、などとイメージに従って被写体のあるところに出かけたりもした。ところがいつしか、たまたま足元の花が目に留まったから、たまたま庭にアゲハチョウがとんでいたから、ふと見やると光が突き抜ける葡萄の葉がきれいだったからといった身辺半径数メートル範囲での写真になってしまった。
のんびりとした老後がなかなか来ない。ことしに入って、やってくださる方々をさがすのが大変だったことから、労働調査、そして民生委員関係では百数十人にのぼる高齢の方々の調査。そして今回の国勢調査。その他に地域がらみで成り行きから引き受けた役目が一つある。これまでは書くことが躊躇われたけれども、思い切って書いてみた。自治会の役員などもいつも同じ方が引き受けてくださっている場合が多い。そのたびに教えられることや助けられたことも多くあったけれども、たくさんの時間を費やしている。こういった会合に出ると70、80代といった方々が多く、頭が下がるほどに頑張ってくださっている。
大して世の中に役立つこともしていないという自覚から、すこし奉仕でもさせていただくのもよいかと多少の失敗もまじえながら何とかこなしてきましたが、すこ~し息切れが。
災害の頻発、巨大化。それこそ言葉もない、そんな心境。どんなことばを並べても軽く感じられる。
こんな暗雲に空気孔があるとすれば、それはやはり祈りであるように思う。
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ブログなど書いている場合ではないが、かつて宮古市の「音楽の夕べ」に来ていた少女時代の堀米ゆず子、長沼由里子、安良岡ゆう、加藤知子。彼女らが揃って岩手県までやって来たことがあると知る人は少ないだろう。国際的な活躍をし、また教授として桐朋学園に迎えられるなど、後にみなすばらしい活躍をしている。名声、地位で説明するのは躊躇われる側面があるけれども、ヴァイオリンに興味のない方にもわかりやすいかと思う。ついついまたそんな事を追っていて時間を費やしてしまった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
咲いている芙蓉は、奥の線囲みにある芙蓉が親。これから自然にこぼれた種が発芽、3年目に咲いたもの。左の線囲みは種から育てたエニシダ。エニシダがこぼれ種から発芽したことは、この庭ではまだ無い。発芽するかどうか種苗用のトレーでためしたところ何とか発芽。これを地植えし、やはり3年目で花をつけている。右下はいちご。きれいな赤い実をジュースに。その上を這っているのがツルムラサキ。植物や野菜はおもしろい。過密に植え過ぎた結果、ツルムラサキはサヤインゲンの網を潜り抜けて跋扈。トマトは伸び放題に伸びて、ピーマンやナスの花の付きを脅かし、地植えに成功したアガバンサスの上に傍若無人にのしかかっている。ひとの身勝手な過密な植栽に、花や野菜といえどもそのうち抗議行動に立ちあがるかも。ただオクラ16本だけは、ゆとりの空間を与えられ、日々誇らしげにとんがり帽子の実をつけながら、向こう側に悲鳴をあげる一角を悠然と見渡しては、またきれいなクリーム色の花を幾つか開花させる気配。
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今朝6時まえ、何かおもしろいクラッシックをやってるかなとTVをつけてみると、名曲100選の中から、バッハのシャコンヌが流れていた。憂いを水底に曳くかに聴こえる旋律に、バッハが最も充実した時を過ごし、この地に永住を望んでいたケーテン、そしてバッハの職場であったケーテン城が映し出されていた。弦の響きの美しさ、演奏は堀米ゆず子。そういえば、岩手県宮古市にある宮古ジュニアオーケストラに、堀米ゆず子が来ていたことがある。資料を取り出してみると、宮古ジュニア弦楽合奏団20周年記念誌の3頁にあった。
写真がすこし傾いてしまいましたが、後列中央にいます。14歳のときでしょうか。これは、宮古市磯鶏にある教室の2階、当時は梅村功二氏宅(現在は圭一氏宅)で撮っています。東日本大震災のときには、この教室の玄関前まで津波が押し寄せました。すんでのところで被災を免れたのです。
堀米ゆず子は1957年生まれ。1980年エリザベート王妃国際コンクールで優勝(日本人で初)。ブリュッセル王立音楽院客員教授。使用楽器は1741年製「ヨゼフ・グァルネリ・デル・ジェス」。
この写真の堀米ゆず子の右隣は誤植で、正しくは加藤知子だと思われます。長沼由利子の「利」は、「里」。長沼由里子も堀米ゆず子と同年生まれ。前列、後列ともみな後に活躍する凄いヴァイオリニストたち。このメンバーたちは毎夏、「音楽の夕べ」への参加を楽しみにしていたのでした。故久保田良作先生の才能溢れる愛弟子たちです。
TVを通してでしたが、思いがけず久しぶりに聴いた演奏。番組を確かめてTVをつけたわけではありません。こんな時は、ああ神さまはきょうもすばらしいプレゼントをくださったと嬉しくなるのです。
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沈んでいるようなこんな朝もある。人類愛という高さが自分にあるとは言い難い。それでも、今朝はなぜかシリア、イラクの難民となった人たちの窮状が想われる。いま窓から早朝道行く人たちのすがたが見える。健康維持のためのジョギング、ウォーキング、犬の散歩。恐らくは夜勤明けと思われる方のすがたも。そして各紙新聞配達。9条の行方はさておき、まずは平和な眺めだ。さしあたっての深刻さはない。それが一方、いま住むところ、いま食べるものもない人たちがいる。この落差はいったい何なのか。
先週のインマヌエル盛岡キリスト教会の説教、きのう振り返ってみていましたが、どう纏めてよいものか、力が及ばないときがある。そんなときは、ポイントだけでもゆるされるかと、聖句を冠しておつたえいたします。
引証聖句 第二歴代14:9~15
9 時がたって、クシュ人ゼラフが、百万の軍勢と三百台の戦車を率いて、彼らに向かって出陣し、マレシャにまで寄せて来た。
10 そこで、アサは彼に対抗して出陣し、マレシャにあるツェファテの谷で戦いの備えをした。
11 アサはその神、主に叫び求めて言った。「主よ。力の強い者を助けるのも、力のない者を助けるのも、あなたにあっては変わりはありません。私たちの神、主 よ。私たちを助けてください。私たちはあなたに拠り頼み、御名によってこの大軍に当たります。主よ。あなたは私たちの神です。人間にすぎない者に、あなた に並ぶようなことはできないようにしてください。」
12 主はアサの前とユダの前に、クシュ人を打ち破られたので、クシュ人は逃げ去った。
13 アサおよび彼とともにいた民は、彼らをゲラルまで追いつめた。クシュ人は倒れ、生きている者はなかった。主の前、その宿営の前に、打ち砕かれたからである。そこで、彼らは非常に 多くの分捕り物を持ち帰った。
14 さらに、彼らはゲラル周辺のすべての町々を攻め打った。主の恐れが彼らに臨んだからである。そこで、彼らはすべての町々をかすめ奪った。その中には多くの獲物があったからである。
15 また、彼らは家畜の天幕も打ち、多くの羊とらくだを奪い去って、エルサレムに帰って来た。
この日は、アサという王様からの学びでした。
イスラエルはサウル王、ダビデ王、ソロモン王の時代が黄金期。後に国は、血筋的には正統性のあるユダ王朝(レハブアム王)とイスラエル王朝(ヤロブアム王)とに分裂。アサはユダ王国の3代目の王様で信仰は篤かった。南と北が並立した時代に、北で活躍したよく知られている預言者には、エリヤ、エリシャがおり、南の方預言者としてよく知られているのは、イザヤ、エレミヤ、エゼキエルという人物でした。
アサ王のとき、大軍が攻めよせてきました。その時、アサはひたすら主に叫び求めています。それが赤い字で示したところです。
イエス様は「おそれるな、小さき群れよ」と言われている。私たちはアサ王のように、この神様に「助けてください」と叫ぶことができる。いにしえの偉大な王ヨシャパテも、ヒゼキヤも緊迫感をもって天に叫び求め勝利を得ている。神の前に心を注ぎ出して祈りましょうとのお勧めがありました。
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そちこちの林で見られるテングタケ。これは8月3日に重茂半島で撮ったもの。またの名をヒョウタケ、ハエトリタケともいうらしい。食べると下痢、おう吐、幻覚、最悪には意識不明になるという。食べても安全なキノコは、まだ出ていなかったか、もう採られてしまった後であったかは分からない。ただキノコの面白さはこれでも充分。
先月の文学の集まりのとき、「文芸誌『天気図』の締切は12月末」と編集長立川さんからのお達し。いよいよ始まる。わたしはまた100枚(400字詰め換算)ぐらいかな。並んでスタートラインに立ったものの、その後もカレンダーには毎日のように用事が書きこまれている。これまでのような気負いはとれて、打ち込みの時にも、肩のあたりが軽い感じはするのだが。さて、どういう結果になるのやら。
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すがたを消したとばかり思っていたアゲハの幼虫が、1頭まだ生きていたようだ。
それはさておき、アゲハチョウに心があるかどうか、幼虫を外敵から保護しては、日に何度もことばがけをしながら、30年以上にわたって飼育している方がいらっしゃる。特別な変化が見られるたびにお電話を頂戴しカメラを持って急行している。今夏は「1頭がなかなか羽化しない、死んでいるのかと話しかけてみたところピクピクと反応。顔立ちがふつうの蛹に比べエキゾチックでやせている、どうなったのか」ということで駆けつけてみた。聞いた時には思いこみではないかと思ったが確かにその通りだった。少なくとも蛹は夫人の声をどういう形でかキャッチしている。周波数でか何かはわからないが、わかっているとしか思えない。夫人は虫には心があると信じている。羽化して旅立つ時に名残惜しそうに夫人の周りを旋回し、肩に背中に留まってから離れていった写真も見せていただいた。
虫に心があるかどうかは、正直なところまだ確信がない。長い間夫人と虫の交流を拝見していて、やはりあるかもしれないな、と信じる方に傾いてはいる。何れであるにしても、これほどにチョウに関心をもち、虫に心があることを信じ、毎年飼育し観察し、ありとあらゆる地球上の生物のために環境の悪化を憂いながら生き物に愛情を注ぎ続けている夫人のすがたが、心が、私には貴く美しく思われる。
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日付は8月27日となっているから、この日は朝1時間はあるいたようだ。
このところ、朝は写真のようなすっきりとしない空もよう。中ノ橋から。
ユリの樹の下でラジオ体操。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
わが家にあるサンショウの木にキアゲハの幼虫が3頭ついていたのが、けさになって3頭とも忽然とすがたを消した。蛹になったとは思えない。鳥に食べられたかもしれない。
ことしはトンボを2回見かけたのと、木の繁みに蝉の抜け殻を二つ発見。そういえば夏の日盛りに蝉がひときわ甲高く鳴声をあげていたが、あれが羽化した瞬間だったのだろう。この庭の土の中に蝉の幼虫が7,8年も生きていたことに何かしらの感慨がある、と書きながら、ほんとうに7,8年地中にいたのかと調べてみると、
ニイニイゼミで 4 ~ 5 年
ツクツクボウシで 1 ~ 2 年
アブラゼミで 3 ~ 4 年
ミンミンゼミで 2 ~ 4 年
クマゼミで 2 ~ 5 年
抜けがらの形状と、聞いた鳴声からアブラゼミだとすると、3,4年前からじっと潜んでいたわけだ。4年前だとすると東日本大震災のあった年。これは大変なときを生きてきた蝉、と思うのはヒトの思いこみで、蝉は蝉。我関せずと地中でただひたすら虫の生命を全うせんがために生きていたのだろう。それでたった1週間しか生きられないとは! 羽化してからの蝉の寿命の悲しさを思い出すも、またほんとうに1週間?と疑問に。諸説あるのだろうけれども、これかなというところを見てみると、何と、3週間~1ヶ月であるようだ。春、秋の季節はずれに成虫になった蝉は2カ月生きるらしい。はじめは1週間と思いこんでいたのが、2ヶ月の可能性も。wikipediaにかなり詳しくあるけれども、もうここまでに。地の中の生き物であるという蝉。遠い林の中に育っているとばかり思っていた蝉が、案外身近なところに育っていた意外性。このような事一つで、この夏は、何か特別なプレゼントを受けた気分になるのです。
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音楽と聖書の集い
2015/10/18(日) 午前10:30~12:00
午後2:00~3:30
インマヌエル盛岡キリスト教会
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※チラシのデザインは國光牧師夫妻のご長女A姉です。
チラシをスキャナにかけたところ、なぜか上部10センチばかり欠けて取り込まれたので、上部を書き足しておきました。原稿はきちんと書かれていますのに、申し訳ありません。
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