きょうのことば
先週の講壇のお花は國光ひろ子牧師。ほんとうはもっと素敵に飾られているのですが、写真の出来が今一つでごめんなさい。ケニアの薔薇が売られているらしく、白い菊をプラスして立ててくださいました。
先週のインマヌエル盛岡キリスト教会のおはなしは、詩篇119:130から。
みことばの戸が開くと、光が差し込み、わきまえのない者に悟りを与えます。
霧が晴れると視界が開けるように、みことばを覆っているものが晴れると、見るべきものが見えるようになると。
イエスさまの弟子達も同じ経験をしている。イエスさまがついに十字架に架けられ、弟子たちが落胆して歩いていたところ、誰かが近付いてきて一緒に歩きながらみことばの解き明かしをするのですが、実はそれが復活したイエスさまであることに弟子たちは気付かない。宿泊する宿で食事をするときになって、やっと弟子達の目が開かれ、一緒にいるのがイエスさまであると気付く。みことばの戸が開くときというのは、まさにこのような瞬間であるのだろうと私は思いました。
國光勝美先生が牧師になられたのも、以下のみことばに導かれてのことだといいます。
創世記12:1、2 主はアブラムに仰せられた。あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたを大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。
出エジプト28:36『主への聖なるもの』
聖職といわれる先生方は、多くの犠牲をはらって伝道をしておられます。そして多くの場合、どんな犠牲を払ったかを人に告げることはない。それが報酬となって返ってくることも殆どない。それで何を言いたいの? と訊かれても答えようがないのですが、とにかくそうです。それでも、伝道者として献身し牧師になる方々が現れる。やはり神様からの特別な納得があってのこととしか思えない。世の中には、一円にもならなくとも何かをやれる方々がいる。そんな美談は信じないという人たちもいます。しかし、そういう姿を見て知り信じることができる自分は運がいいのでしょう。それから、ここに書いたことは説教のごく一部であることをお断りしておきます。
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