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2015年5月

きょうのことば 『神に会う備えをせよ』ーペンテコステ講壇ー

  おはようございます!
 先週は全世界のキリスト教会でペンテコステ礼拝がありました。またパンと葡萄酒をいただく聖餐式が持たれました。

インマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924)の講壇で開かれた聖書の引証聖句は、
アモス書 4:12
それゆえ、イスラエルよ。わたしはあなたにこうしよう。わたしはあなたにこのことをするから、イスラエル、あなたはあなたの神に会う備えをせよ。

 國光勝美牧師の説教から学んだことは、

 イスラエルでは、イエス様の誕生以前、神の赦しを得るためには、羊などの動物の血を流し生贄として捧げなければならなかった。イエス様がこの世に誕生してくださったのは、まさしくこの生贄の役目を引き受けるためであった。神の子羊イエス様は、十字架に架かり、贖いを成し遂げてくださいました。

 イエス様は三日目に復活し、40日間弟子達の前にご自分を現わされましたが、この十字架に罪からの救いがあり、復活が永遠の命を得る保障であることを世界中に伝える必要があった。そこで三位一体である神様のうち、聖霊という神様が50日目に人々に臨まれました。これがペンテコステであり、やってきた御聖霊様は、福音を伝えるための力となってくださいます。ペンテコステのとき、次のようなことが起こりました。
使徒21 五旬節の日になって、みなが一つの所に集まっていた。
2 すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。3 また、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。4 すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。

 

 御聖霊様は、聖書をよく理解させてくださいます。おことばを通して、示唆や導き、そして力を与えてくださる。何よりも焦点をイエス様に合わせイエス様を心のうちにリアルなものとしてくださいます。御聖霊様が介在していることを自覚させないほどに、イエス様を大きく捉えさせてくださいます。これが聖霊に満たされた人の特徴です。ところがイエス様の救いよりも、聖霊の癒しや異言の力ばかりが強調されている場合がありますが、イエス様以上にそれらが偏って強調されるのは福音に相応しくありません。

 イエス様はオリーブ山から天に帰られ、父の右の座に着き、天の父はこんどはイエス様の代わりに御聖霊様を遣わしてくださいました。イエス様の帰天から10日目の、これがペンテコステです。
 イエス様は、父なる神様の右に着座し、イエス様の御名によって祈り求める者達のとりなしをしておられます。

 アモス書4:12「神に会う備え」ですが、
 これは老若に関わらず、死は訪れます。神に会う備えとは、死に対する備えであり、裁きに対する備えのことです。罪からの赦しと罪からのきよめ、これが神に会うための必要欠くべからざる条件です。キリストの十字架への信仰こそが、その条件を満たすものです。必ず死を迎える私たち、ペンテコステの経験、罪の赦しときよめが自分のものになっておりますでしょうか、それをいまいちど確認すべきです。

ルカ24:45~
45 そこで、イエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて、46 こう言われた。「次のように書いてあります。キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、47 その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。48 あなたがたは、これらのことの証人です。49 さあ、わたしは、わたしの父の約束してくださったものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。」50 それから、イエスは、彼らをベタニヤまで連れて行き、手を上げて祝福された。51 そして祝福しながら、彼らから離れて行かれた。

  ※若干表現が異なる部分もございますが、主旨を損なわずに記すよう努力いたしました。 またこれは説教の全容ではなく、私が得たところの概略です。


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もりおか童話の会に出席

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 目ざめて、きょうは予定は何が? 手帳をなくしたらパニックになるだろう。予定をぜんぶ書き込んである。ほとんどは地域関連と教会。きょうは、もりおか童話の会だ! しかし持っていく原稿を書く暇がなく、早朝に書くつもりでいたが、明け方夢を見ていた。息子の夢だ。すぐに跳ね起きて息子に手紙を書いた。滅多に手紙を書くことはなくなった。殆どの場合、用があればメールで済ます。しかし息子にはできるだけ手紙を書いている。朝のうちに投函。

 午前のコーヒータイムの後で、原稿書き。
それより今思い出したのだが、昨日の朝は庭で食事をした。そのとき、主人がラジオをかけていたのだが、あの有名な冒頭、「月光の曲」。聴くうちに、私はベートーヴェンの懊悩がいかに深いものであるか分かっていなかった、いや分かったつもりで分かっていなかった。あまりにも痛ましく、聴くに堪えないほどである事に気付いた。演奏は誰かと耳を澄ませば、ファジル・サイ。ピアニストにして作曲家。wikiにも出ている。今夜はもう限界。これ以上は書けない。ベートーヴェンの作曲によるものか、ファジル・サイの演奏故のものか、すぐにはたしかめようがない。何れ壮絶だ。
 
 途中はなしは逸れたが、午前に書いた5枚相当の童話を慌てて印刷、持参。時間には間にあった。帰ってから改めて目を通すと、着想は悪くないが不出来!

 

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「北の文学」70号刊行

 「北の文学」70号(岩手日報社刊)が県下各書店に出ております。
今号に、加藤和子の詩『ライバル』が掲載されています。
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 岩手県芸術祭の川柳、俳句、詩部門の芸術祭賞受賞者が書くことになっているというこで、原稿の依頼がありました。
 「詩はつくるものではなく出てくるもの」と仰った方がいます。まさしくその通りで、芸術祭賞になった詩は出てきたもの、天から与えられたものでした。それが、今回、何とかつくらなければならず、そうして出来上がった詩が、詩として立ちあがってくれたかどうか、活字と刷り上がった今でもよくわかりません。批評なりともいただければ感謝です。


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デミトリー・シシキンのピアノ

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 きのうきょうと超多忙だったために、コンサートに出かけても座った途端に居眠りになるのではと思いながら出かけたはずが。

 席から、動く右ひじの下に左手が鍵盤を駆ける美しいドラマを見ながら、エネルギッシュな打鍵に叩きだされるロシアの血脈的な響き、私はそう感じたのですが、それを自分の空白部分に吸収してきました。久しぶりに、このまま時間を気にせずにずっと聴いていたいと思えたピアノでした。第二部はオールショパン。『ノクターン』よりは『英雄』のよき理解者であるかと思われました。ショパンを聴きながら、ふっと、作曲した時のショパンの想いが流れてきたように感じた一瞬がありました。

 1992年生まれ、ロシアのデミトリー・シシキン。ちょっと検索すると幾多の活躍が出てきます。

 コンサート、最近は、人さまに背中を押されて行くことが多くなっていますが、動機はどうあれ、今回もやはり来てよかった!! 

 

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「心のふるさと 日本のうた をたずねて その三十八」雅声会 & 盛岡コメット混声合唱団第52回定期演奏会

コンサートをふたつ、ご案内いたします。

「心のふるさと 日本のうた をたずねて その三十八」雅声会
6月6日(土)岩手県民会館中ホール PM2:00開演

松田晃先生の3回目の月命日は6月8日です。

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盛岡コメット混声合唱団第52回定期演奏会
6月27日(土)岩手県民会館大ホール 開演14:30

この日、指揮者として、松田順子先生、高野洋子先生、大森明久先生が立たれます。

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きょうのことば 『しかし、主は私とともに立ち』

 先週日曜日、インマヌエル盛岡キリスト教会では、ケニアのテヌウェク病院におられる蔦田就子宣教師をお迎えしての礼拝が持たれました。

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 子どもたちの写真やケニアの方々が作られたグッズ、装身具などが展示され、また民族衣装を私も試着してみました。「似合いますよ」とひろ子師からお褒めをいただきました。

 
蔦田就子宣教師です。

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 蔦田宣教師は、ナイロビからドバイ経由で20時間をかけ帰国。盛岡へは9年ぶり。「神さまがしてくださったこと」として現地の報告をくださいました。

引証聖句 使徒14:26~
26 そこから船でアンテオケに帰った。そこには彼らがいま成し遂げた働きのために、以前神の恵みにゆだねられて送り出された所であった。
27 そこに着くと、教会の人々を集め、神が彼らとともにいて行われたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったこととを報告した。
28 そして、彼らはかなり長い期間を弟子たちとともに過ごした。

 宣教地で守り、支え、道を開き、与えてくださった神さまが証しされました。

 ケニア東部で起きたガリッサ大学襲撃事件はこの年の4月、記憶に新しい。このとき、武装集団はキリスト教礼拝所に押し入り、イスラム教徒以外の人々を無差別に撃ったとニュースで報道されましたが、テヌウェク病院は西部にあるとはいえ、やはりこの緊張下にあったわけです。
 2年前には、ナイロビのショッピングセンター襲撃事件があり、やはり武装集団のたてこもりがありました。この2週間前に、蔦田宣教師はこのショッピングセンターに行っております。事件のあったそのときは、病院の倉庫にいたということでした。
 また、ケニアでは、一般の犯罪が増加しているそうです。車で、訪問くださる方の荷づくり、搬送も引き受けておられますが、運搬途中、後で思い巡らすと、明らかに車を止めようと路上で、走行中の車を待ち伏せていた数人の男たち。その近くに不自然に置かれていた石ころを意に介さず突破したお陰で難を逃れたといいます。
 エボラ出血熱が猛威をふるったとき、政府が、アフリカ西部から東にはいらぬよう対策を講じ、その難はなかったものの、先週からはコレラが流行、まだ終息の兆しは見られていないという事です。
 また、交通事故が多発。これは、整備の立ち遅れで、道路によく凸凹、波打、穴開きがあるのと、車両整備がきちんと為されておらず、ウィンカーランプが壊れたまま運転している事も珍しくない。また交通ルールの欠如といったこともあるようです。
 蔦田宣教師は、「みなさまのお祈りのお陰で、寂しすぎたりというような状況からは守られました」とも仰いました。祈りがどんなに大切であるかを教えられたことです。健康を崩したときも、むしろスタッフの方たちが先に気付いてくれ対応してくれたということです。
 ただ、現地で4期目の任務に就いて2週間目に、子どもが天に召されたり、スタッフが他の病院へ去ったときなどはがっかりし、悲しく、自分の落ち度を探ったと仰っていました。
 遠くから見ておられる存在に信頼しての伝道、医寮活動の結果、イエス様を信じ、アルコール依存症からも救われた患者さんがいらっしゃいます。

 また、韓国系のアメリカ人の方が、蔦田就子宣教師に接し、クリスチャンの少ない日本から宣教師が来ている事に感激され、是非アメリカでお証しをして欲しいと蔦田宣教師を招待、師はケニアからアメリカに渡り、その使命を果たされました。 
 
テヌウェク病院で必要とされているのは、包帯、看板、ストレッチャー等などです。2005年には、レプタの宣教車基金によって、悪路にも耐える車高の高い車があたえられました。いまは病院内に新しい建物も完成し、また新たな使命を全うすべく任地に赴かれる師の意欲と決意を伺うことができました。

       ~~~~~~~~~~
 続いて、國光師の礼拝説教がありました。

引証聖句 第二テモテ4:17

しかし、主は、私とともに立ち、私に力を与えてくださいました。それは、私を通してみことばが余すところなく宣べ伝えられ、すべての国の人々がみことばを聞くようになるためでした。私は獅子の口から助け出されました。

 
礼拝ごとに、御霊によって生まれ、御霊によって歩み、御霊によって導かれる、これらのことが語られてきました。

「息子よ、おまえの願いはよくわかっている。息子よ、いちどでいいから聖書を開いてくれ」
 とにかく聖書を読むこと。

「主は、私とともに立ち」=神は自分の味方である
パウロは殉教の瀬戸際、弟子達の離反という逆境にも、
「主は、私とともに立ち」と証言している。逆境に現実をよく見極め、主を見上げる信仰に心を留めることです。

私はゼロ。キリストは1。
私たちに力は無いが、私たちが見上げる神には力がある。この認識が、実は、大きな力を賦与されることにつながります。


 しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」(使徒1:8)

※礼拝で話されたぜんぶは書ききれません。概要をおつたえしました。

  

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大信田時子さんの近作ー2015/5 個展より5点

 カメラを忘れて会場の喫茶ママへ。肉眼に焼き付けたつもりでしたが……。お願いして写真を頂戴しました。有難うございます!

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5月の生命力

 咲き継いできた春の花が一段落して、つぎに庭を明るくしてくれたのはエニシダ。ことしは、花の重みで枝がたわむほど見事に花がつきました。
 このところ、また花が一斉に開花するごとくに、アクセサリーや絵画、書道の展覧会が開かれています。観たいと思いつつ、あまりの忙しさに行きかねた展覧会もありました。

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 エニシダ。マメ科の花は明るく楽しい。この樹は常緑。この樹からとった種は発芽率20パーセントの確率で発芽、3年目になるいま、裏庭で70㌢ほどの丈に育ち、花を3つ咲かせている。ただ、播種、定植ともに条件はよくなかった。

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白い花はブルーベリー。これがしだいに緑の実となり、赤紫となり、藍色になって完熟。

 アオキや紅葉の枝先をザクザクと刈りながら、この時期の花や草や樹木の生きんとす、伸びんとす生命力に打たれる。刈ったばかりの葉先や枝先から放たれる香りは瑞々しい。細胞を生かし、肺を生かし、脳髄を洗ってくれる。太古より脈々と流れる命に畏敬の念が湧いた。

 
 


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きょうのことば 『御霊と歩む幸い』

 

おはようございます!

 先週は主人に同行し宮古市に行ったので、礼拝に欠けてしまいました。こんなことが年にいちどあり、また地域活動関連で年に2、3回おやすみすることがあります。
 このひと月は忙しく過ごしております。教会だけが神さまの世界ではなく、日常のかしこに、人に、自然に神さまは存在しご自分を現わしておられると感じた日々でした。しかし聖書は、日曜日は神さまの日として尊ぶようにと教えています。
 金曜日には、ケニアから帰国している宣教師の蔦田就子さんが、ケニアのバンダジ(揚げパン)とチャイの作り方を教えてくださり、きのうはそれをいただきながら、たのしいケニアのクイズやスワヒリ語で讃美歌を歌いました。現地の屈託のない歌声が感じられたひと時でした。きょうも蔦田就子先生のおはなしがあります。先生と呼ばないでくださいとのことでしたが、敢えてそうお呼びしたく思います。

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 先週のインマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924)國光牧師のメッセージをデータ便でお聴きしました。

引証聖句 ガラテヤ書 5:25

もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。

 神さまは、いったい何を通して私たちに語ってくださるのか。今回の説教では、神さまは聖書のことばを通して私たちに語りたく願っておられる。聖書をまったく読まないで、お告げは、などと待っていても、望んでも、身勝手な憶測や思いこみに陥ってしまいがち。日頃しっかりと聖書を読んで歩むときに、神さまは蓄えたみことばを用いて語りかけ、さとしや示唆を、なぐさめや励まし、確信を与えてくださる。そしてこの確信が原動力となる。これが御霊に導かれて進むこと。説教を聴いて、私は、このように理解しました。

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ケニア テヌウェク病院看護師蔦田就子さんの報告会 インマヌエル盛岡キリスト教会 5月16、17日午後1時半~

 恵まれた都市部の医療に与っている私たちには想像もできないような人手不足、医療器具の不足、停電、政情不安のあるケニアのエヌウェク病院で、看護師として日々奮闘しておられる蔦田就子(つただなりこ)さんの報告会があります。ぞうぞお出かけください。 

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「響け!フルート海へ空へ」 コンサート 宮古笛の会

 台風6号のいたずらが遠ざかるかと思いきや、今朝は震度5強。自分の中にあった3・11の輪郭が若干薄れたかのところでした。申し訳ないことです。

 3・11、被災された方々のためにと、宮古ジュニア弦楽合奏団のある少年をモデルに、小説「パッヘルベルのカノン」を書かせていただいた事がありました。
 その宮古市に、
 5月10日に主人に随行。野崎千賀フルート教室とのご縁があります。
 宮古市笛の会(会長小野寺文雄)では、平成4年から、5月にはフルート講習会とミニコンサートを開いています。今回はフルート界のオーソリティー現在名古屋大学名誉教授の青木明先生がいらっしゃいました。奥行きのある温かい演奏を聴かせてくださいました。
 バスリコーダーも聴くことができました。フルートオーケストラならば、賑やか過ぎやしないかと思いこんでいたところ、柔らかな響きがホールを満たしました。小中学生、高校生、そして三陸の笛吹きたちの熱心さ、心にしみました。
 会場で梅村圭一ご夫妻、智佳子先生とお会いでき、幸いでした。
 有難うございました!

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シンフォニエッタ盛岡 春のコンサート 聴きました

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  シンフォニエッタ盛岡を【初めて】聴きに行ったきっかけはと振り返れば、そもそも成田浩先生が岩手大学の公開講座で英語を講義しておられ、そこに主人が申し込んだところ、英語ばかりではなくシンフォニエッタ盛岡という存在をも教えていただいたことにある。
 尤も、シンフォニエッタ盛岡の前身であるアンサンブル・ミックスの演奏は、この以前に太田クァルテット関連の催事でお聞きしている。
 開演を待つうちに、うしろの方から「成田先生は今回も出られるよ」と、どなたかの声。第二部に登場らしい。ところがその時になって、私の席からは、うん? いらっしゃらない……。主人に「どちらにいらっしゃるの?」と訊くと「ほら、畑村さんのうしろ」。演奏しておられました。会場で見まもられる奥さまと共に御健在、大変嬉しく拝見いたしました。
 モーツァルト【初めて】作曲の第一番。8歳のこどもの曲の初演の有様を想い浮かべるとかなり愉快でした。「太田代アニキ」(曲の解説にありました)の曲の情景、大天才といえどもまあこんな様子かと不遜に思い巡らしても許されそうな。

 今回のロビーコンサートは代表の畑村さんとコンミスの宮野ゆかりさん。階段を降りてくるお客様のお出迎えです。

 太田代将孝先生の指揮、オペラの1シーンを観ているようでもありました。第二部の演奏を聴きながら、歌ってくれるだろうか、いやたぶん歌わないだろうと切りをつけたところ、アンコールでは歌って欲しいとシンフォニエッタの方々が要望されていたらしい。聴くことができました。
 昔、と言っても戦後間もなく、となればやはり昔、盛岡に疎開していた沢崎定之という杜陵合唱研究会を立ち上げた声楽家が、北上の管弦楽団の指揮者を頼まれたときに、プログラムにはなくとも自らのバリトンを聴かせている。当時の事だから音響設備もなかったわけで、しかし、このときの人々の驚きようが、今回でわかった気がしました。

 タンゴの編曲を担当されたアレンジャー佐藤公治さんも登場、ピアノを弾いてくださいました。

 演奏も終盤の会場の盛り上がりもこれまでの最高であったかと。後ろの女性、どなたかは顔も見ておりませんが、「大満足!」との一言をのこし帰ってゆかれました。

 演奏くださったシンフォニエッタ盛岡のオールスターに感謝しつつ、ご紹介いたします。

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きょうのことば 『三位一体の神』

 

おはようございます!!
 日曜日はインマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924)の講壇で語られた聖句や心に留まった事などをおつたえしています。

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引証聖句 ヨハネ伝14:26
26 しかし、助け主、すなわち父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。

 三位一体というのは、父なる神、子なるキリスト、御聖霊という三つの位格を持つ神様は一つであり唯一であるという事。車に譬えるなら、自動車を設計し作るのは神様であり、聖霊はガソリンの働きをし、十字架の意味を、きよめという実際を解らせてくださる。そして運転はイエス・キリスト様。一体誰がハンドルを握るかが肝心。神をないがしろにする自己中心か、それともイエス様におゆだねしているのか。そこが問われました。

 
 

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ケニア テヌウェク病院看護師蔦田就子さんの報告会 インマヌエル盛岡キリスト教会 5月16、17日午後1時半~

 恵まれた都市部の医療に与っている私たちには想像もできないような人手不足、医療器具の不足、停電、政情不安のあるケニアのエヌウェク病院で、看護師として日々奮闘しておられる蔦田就子(つただなりこ)さんの報告会があります。ぞうぞお出かけください。 

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「人の生命に格差があってはならない」ー深澤晟雄とともに沢内を歩むー

 「人の生命に格差があってはならない」
じわりと胸にしみるこのことば。沢内村の村長だった深澤晟雄先生のことばです。村の人たちが気軽に訪れる小さな温泉館にあったポスターに、つい、村長とは呼ばず、「あっ、深澤先生だ!」。医療費無料化と乳児死亡率ゼロを達成した先生です。    

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映画

 

 

書籍 

 及川和男『村長ありき-沢内村 深沢晟雄の生涯』(新潮社、1984年)  **1987年に文庫本化(新潮文庫)、2008年に単行本でれんが書房新社より復刊。

 原作、映画に深澤先生の功績を想い起し、感動を新たにしながら、沢内の地を歩いてきました。深澤先生ご自身は医者嫌いだったというのですから何ともはや……

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きょうのことば 『あなたが歩む一歩一歩』

 おはようございます。
 毎日曜は、インマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924)でお聞きした説教をもとに、時にはその内容を、また時には感想を、また時間的に厳しい時には引証聖句だけでもおつたえしています。

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引証聖句 
箴言4:12  あなたが歩むとき、その歩みは妨げられず、走るときにも、つまずくことはない。

 きょうの説教では、あなたは神を利用しようとする信仰者なのか、それとも、神に用いられんとする信仰者なのかを問われました。

 ヘブル11:7  信仰によって、ノアは、まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき、恐れかしこんで、その家族の救いのために箱舟を造り、その箱舟によって、世の罪を定め、信仰による義を相続する者となりました。

 このように、信仰によって歩み行動することに意味があること。神様が備えてくださった道を歩むことこそが必ず祝福へと通じること。人間的な画策によって選択した道はまた必ず人によって壊される道であり、神が備えられた道は、人によってこぼたれる事はないと語られました。


 さて自分は? 自分のために神様を利用しているかな? と問うまでもなく、今現在自分のために神を利用しようという想いはない。今自分にできる事を、できる範囲で為そう、そんな想いでおります。この日曜ごとのブログもそうです。
 画策によって道を選択しているかな? これまで画策して道を選ぶほどのこの世の賢さは自分にはなく、今も自分が画策してうまくやろうとしている事項はない事は確かです。
 

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はや5月

 ともだちの引っ越しのてつだい、種々の会議、気になりだした鍋やボールの汚れ落とし、台所の整理、裏庭の畑の整備。ことしはきれ いな赤い花が咲き勿論おいしいエンドウもなる「赤花鈴成砂糖豌豆」をメインに作ろうと種はすでに確保。連休にやってくる息子たちの部屋の掃除等など連日動き回るうちに、カレンダーは5月に。庭の椅子でほっと一息。気がつけば山吹の花が朝日に照らされ輝いていました。すばらしい5月の到来です。

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