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2015年4月

きょうのことば 『見ずして信じる幸い』

 おはようございます!

 ネパールM7,8のトップニュースで迎えた朝7時。各国が支援に動きだしたようです。巨大災害が立て続く昨今です。被災された方々、何と祈ってよいかことばもない現実、しかし、永遠の角度からの神さまの御配慮を信じます。

 はやくも一週間たちました。先週は地区の会議があり、礼拝に出ることができませんでした。新年度の最初の月は、さまざまな集まりがあります。しかし、どこにいてもイエスさまとともにある事ができる。幸いなことです。
 
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説教はデータ便で送っていただきました。

聖書引証聖句はヨハネ20:24~31です。

24 十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたときに、彼らといっしょにいなかった。
25 それで、ほかの弟子たちが彼に「私たちは主を見た」と言った。しかし、トマスは彼らに「私は、その手の釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し込んでみなければ、決して信じません」と言った。
26 八日後に、弟子たちはまた室内におり、トマスも彼らといっしょにいた。戸が閉じられていたが、イエスが来て、彼らの中に立って、「平安があなたがたにあるように」と言われた。
27 それからトマスに言われた。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じるものになりなさい。」
28 トマスは答えてイエスに言った。「私の主。私の神。」
29 イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。
30 この書には書かれていないが、まだほかの多くのしるしをも、イエスは弟子たちの前で行われた。
31 しかし、これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。

 教会はいま、受難週を越え、イースターを祝い、こんどはペンテコステを待ち望んでいるところです。
 先週はイエスさまが「ありてあるもの」であることを聖書のいたるところから確認しました。きょうは「見ずに信じるものは幸い」であることを学びますが、先ず、「神を見る」とはどういうことか。それは一般的な視覚的に見るということではなく、マタイ5:8には、心のきよいものは神を見るとありますし、ヘブル12:14には、きよくなければ神を見ることはできないとあります。ですから、「神を見る」とは、きよめられた心の目で、霊的に開かれた心の目で見るということです。ヨハネ20:18で、主の復活で主にお目にかかったマリヤに、イエスさまは、このことをまだ誰にも告げてはならないといわれましたが、ここでイエスさまは、復活のすがたというものは、きよめられた心の目で、霊的に開かれた心の目で見るものであることを教えておられるとも思われます。

 イエスさまは、トマスに復活したわたしに触ってみなさいといわれ、そして「見ずに信じる者は幸いです。」といわれています。

 ヨハネ20:19,20で、扉が閉ざされた部屋に隠れていた弟子たちに、イエスさまはあらわれてくださいました。
19 その日、すなわち週の初めの日の夕方のことであった。弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが、イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。「平安があなたがたにあるように。」
20 こう言ってイエスは、その手とわき腹を彼らに示された。弟子たちは、主を見て喜んだ。

 イエスさまは、触って視覚的に見て信じることよりも、きよめられ開かれた霊的な心でご自身を見ることを願っておられます。イエスさまに心が開かれるとき、聖書に心が開かれます。聖書がわかるようになってくる。聖書を通して神様の恵、そしてイエスさまがいよいよわかってくる。神によって生まれ変わったものには、聖書の教える罪からの救いがわかるのです。見ずして信じる信仰がわかり、イエスさまが「私の主、私の神」であることがわかります。

第一ペテロ1:8、9 にはこうあります。
8 あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。
9 これは、信仰の結果である、たましいの救いを得ているからです。

 けさは自分の感想はぬきに、説教の概要をおつたえしました。そのときの状況、事情によって書き方はさまざまとなります。聖句の紹介だけになることもありますが、週ごとの「きょうのことば」におつきあい頂ければ幸いです。

 

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シンフォニエッタ盛岡 春のコンサート 2015/5/9(土)18:00~盛岡市民文化ホール(マリオス)・小ホール

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指揮は、盛岡出身のオペラ歌手 太田代将孝さん、タンゴアレンジは、いつもこの団のためにアレンジを務められている佐藤公治さんです。

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またまた桜

 5時半起床。晴れあがる気配。美しい朝の景色を撮ろうとすれば、青空は欠かせない。今朝1時間半の収穫は、

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もりおか童話の会 新年度スタート

 もりおか童話の会は、ひと月に一回、作品の発表、合評のために盛岡中央公民館に集まっています。旧年度までは菊池尋子さんが、この会を牽引してくださいましたが、このほど勇退。今年度からは浅沼誠子さんが代表となり、4月19日午後1時、新発しました。
 新年度初の会合は、都合により菊池尋子さん御欠席、やえがしこうぞうさんは所用のため遅れて到着。渡邊治虫さんは日程を勘違いされ、野鳥の観察中でした。立川ゆかりさんから写真を頂戴しましたが、欠席の方もいらっしゃりご紹介をためらいましたが、取りあえずアップいたします。

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 近くにいた方にシャッターをお願いしたところ、代表の浅沼誠子さん(右端)が下を向いているときに映ったようです。
   
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 これは、浅沼誠子さんを待っている間に、近くにいた方が撮ってくださいました。左から やえがしこうぞうさん、加藤、立川ゆかりさん、はらまもるさん

 昨年は、立川ゆかりさん、菊池尋子さんが岩手日報新聞に小説を連載しました。ことしは間もなく渡邊治虫さんが登場しますので、いましばらくお待ちください。


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morioka

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きょうのことば 『我は復活なり生命なりー2』

 おはようございます!
 web 上には、全国の桜が爛漫、咲き輝いているでしょう。このブログではもう桜は載せましたので、木瓜と水仙にしてみました。

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 先週のインマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924) で開かれた聖書の箇所は

ヨハネ11:17~29
17 それで、イエスがおいでになってみると、ラザロは墓の中に入れられて四日もたっていた。
18 ベタニヤはエルサレムに近く、3キロメートルほど離れた所にあった。
19 大ぜいのユダヤ人がマルタとマリヤのところに来ていた。その兄弟のことについて慰めるためであった。
20 マルタは、イエスが来られたと聞いて迎えに行った。マリヤは家ですわっていた。
21 マルタはイエスに向かって言った。「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。
22 今でも私は知っております。あなたが神にお求めになることは何でも、神はあなたにお与えになります。」
23 イエスは彼女に言われた。「あなたの兄弟はよみがえります。」
24 マルタはイエスに言った。「私は、終わりの日のよみがえりの時に、彼がよみがえることを知っております。」
25 イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。
26 また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」
27 彼女はイエスに言った。「はい。主よ。私は、あなたが世に来られる神の子キリストである、と信じております。」
28 こう言ってから、帰って行って、姉妹マリヤを呼び、「先生が見えています。あなたを呼んでおられます」とそっと言った。
29 マリヤはそれを聞くと、すぐ立ち上がって、イエスのところに行った。

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説教でおもしろかったのは、イエスさまが何通りにもご自分を言い表わされていること。
「わたしはある」(I Am that I Am )(エゴエイミー)
「わたしは、世の光です」
「わたしは羊の門です」
「わたしは、よみがえりです。いのちです」
わたしが道であり、真理であり、いのちなのです」

そして、

マタイ14:27 しかし、イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ、恐れることはない」と言われた。

 
このようなイエスさまと信仰の有機的なまじわりがあるなら、今週もまた有意義な一週間を過ごすことができるでしょうpenと締めくくられました。

※これは説教の全容ではなく、心に残った部分です。

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トンネル

「トンネルの写真」の画像検索結果

 盛岡市の松園、緑が丘方面に抜けるために、北山トンネルを通ることがある。このトンネルは上下線で長さが異なる。上り延長は923.5m、下り950.3m、何れ1キロ足らず。それが、突入した途端に恐怖感を覚えてしまう。安全性に問題はないと信じられる。心理的なものだろう。それがなぜか、自分なりに分析すれば、いきなり曲線。出口が見えない。これだ。新仙人トンネルというのがあり、こちらは4492m、4キロもの近代設備を備えた穴蔵だ。1キロ弱で怖いなどといってはいられない。しかしいくばくかの恐怖感が拭えない。新仙人では実際には曲線なのだが、直線と感じられる区間が長い。
 人生もこのような幾通りものトンネルを潜らなければならないようだ。出口が見えて、そこが明るければ、明るい気持ちで4キロでもドライブできる。しかし出口が見えないときには、しかもカーブに継ぐカーブであったりすると、つい恐怖心がふっと首をもたげる。だが確かにその先には出口が待っているのだ。間違いなく出口はある。脳内に出口を見失うとき、不安に駆られてしまう。こんなふうに思った。 

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石割桜

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岩手県盛岡市の石割桜。花崗岩の割れ目から育った樹齢約360年というエドヒガンザクラ。
1932年(昭和7年)に盛岡地方裁判所が火災に遭い石割桜も北側の一部が焼けたが、幸い全焼を免れ翌春には再び花を咲かせた。火事の際、庭師・藤村治太郎が身につけていた半纏(はんてん)を水で濡らし、濡れた石で足を滑らせて口を切るケガをしながらも石割桜を守ったという。(wikipedia から転載)

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盛岡市立城南小学校の桜。

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武満徹を聴く

 深淵でもあり破壊的にも聴こえ、渺茫と象徴的に鳴り響く武満徹の音楽世界。you  tube  をひと渡りし、代表作品、論評、解説を聞く。小澤征爾の著書『おわらない音楽』を読み終えて真っ先に聴いてみたくなったのが武満。断片的には聴いたことがあるという程度だったが、耳を澄ましてみる気になったのだ。これまでとは違った世界がひらけた。
 音楽家は忙しい。たぶんものを書いているひまがないのではないかとも思われる。小澤征爾も病気療養で時間ができたときの執筆ではなかったか。日本の音楽家の立ち位置などもわかり、興味深く読んだ。

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花・花・花

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 ヒヤシンスの根元にもう一つの花芽が。
 めずらしくはない。けれども白いヒヤシンスはとても美しい。

 



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きょうという一日に向かって

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 これは先週金曜の朝のラジオ体操。一日に立ち向かい起きあがり、歩いて集ってきた方々。

 月曜日はゆっくりしたいとついブログも休みがち。それでなにかを書こうと。
きょう、空いた空間を埋めるためにシャクナゲを買った。それほど手がかからない、これが選んだ理由。花屋さんがユリの球根を2種類サービスしてくださった。品種は「シベリア」。どういうわけで命名されたものか。このなまえが嬉しかった。
 家にもどると、近所の方が、黄色いスミレと青いヒヤシンスをざっくりと掘り上げて持ってきてくださった。すぐに植えにかかる。よい香りがしている。開きかけた沈丁花の花の香りに似ている。漂う沈丁花の香りに癒されながらヒヤシンスの香も。球根の塊をほぐすと20球ほど。これを一列に植える。
 いま22時40分。雨がふっている。気温は低めだが植え替えた植物にはちょうどよい。

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きょうのことば 

 おはようございます!
 本日は晴天。桜も一気に開花か。伐り過ぎて心配していた薔薇の芽を枝のそちこちに発見、また香り豊かな花は咲くでしょう。
 先週はイースターでした。インマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924)からいただいたイースターエッグとカードです。

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引証聖句 マタイ27:50~マタイ28:10

50 そのとき、イエスはもう一度大声で叫んで、息を引き取られた。
51 すると、見よ。神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。そ
して、地が揺れ動き、岩が裂けた。
52 また、墓が開いて、眠っていた多くの聖徒たちのからだが生き返った。

53 そして、イエスの復活の後に墓から出て来て、聖都に入って多くの人に現れた。
54 百人隊長および彼といっしょにイエスの見張りをしていた人々は、地震やいろいろの出来事を見て、非常な恐れを感じ、「この方はまことに神の子であった」と言った。
55 そこには、遠くからながめている女たちがたくさんいた。イエスに仕えてガリラヤからついて来た女たちであった。
56 その中に、マグダラのマリヤ、ヤコブとヨセフとの母マリヤ、ゼベダイの子らの母がいた。
57 夕方になって、アリマタヤの金持ちでヨセフという人が来た。彼もイエスの弟子になっていた。
58 この人はピラトのところに行って、イエスのからだの下げ渡しを願った。そこで、ピラトは、渡すように命じた。
59 ヨセフはそれを取り降ろして、きれいな亜麻布に包み、
60 岩を掘って造った自分の新しい墓に納めた。墓の入口には大きな石をころがしかけて帰った。
61 そこにはマグダラのマリヤとほかのマリヤとが墓のほうを向いてすわっていた。
62 さて、次の日、すなわち備えの日の翌日、祭司長、パリサイ人たちはピラトのところに集まって、
63 こう言った。「閣下。あの、人をだます男がまだ生きていたとき、『自分は三日の後によみがえる』と言っていたのを思い出しました。
64 ですから、三日目まで墓の番をするように命じてください。そうでないと、弟子たちが来て、彼を盗み出して、『死人の中からよみがえった』と民衆に言うかもしれません。そうなると、この惑わしのほうが、前の場合より、もっとひどいことになります。」
65 ピラトは「番兵を出してやるから、行ってできるだけの番をさせるがよい」と彼らに言った。
66 そこで、彼らは行って、石に封印をし、番兵が墓の番をした。


1 さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方、マグダラのマリヤと、ほかのマリヤが墓を見に来た。
2 すると、大きな地震が起こった。それは、主の使いが天から降りて来て、石をわきへころがして、その上にすわったからである。
3 その顔は、いなずまのように輝き、その衣は雪のように白かった。
4 番兵たちは、御使いを見て恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。
5 すると、御使いは女たちに言った。「恐れてはいけません。あなたがたが十字架につけられたイエスを捜しているのを、私は知っています。
6 ここにはおられません。前から言っておられたように、よみがえられたからです。来て、納めてあった場所を見てごらんなさい。
7 ですから急いで行って、お弟子たちにこのことを知らせなさい。イエスが死人の中からよみがえられたこと、そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれ、あなたがたは、そこで、お会いできるということです。では、これだけはお伝えしました。」
8 そこで、彼女たちは、恐ろしくはあったが大喜びで、急いで墓を離れ、弟子たちに知らせに走って行った。
9 すると、イエスが彼女たちに出会って、「おはよう」と言われた。彼女たちは近寄って御足を抱いてイエスを拝んだ。
10 すると、イエスは言われた。「恐れてはいけません。行って、わたしの兄弟たちに、ガリラヤに行くように言いなさい。そこでわたしに会えるのです。」

 説教では三つのポイントが語られました。

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 その中で、得心したことは、

イエス様は復活し、人々の目に見えるように現れてくださることによって、あなたがたもこのようになるのですよ、と教えてくださった。よみがえりのすがたは、今のすがたに共通しており、またさらにすぐれていること。イエス様の復活は、私たち自身の復活の保障であること。

 また、イエス様の絶命のあと、弟子達のほとんどがイエス様を離れた中にあって、アリマタヤのヨセフが、自らがクリスチャンであることを衆目にわかることも構わずに、イエス様の御遺体の下げ渡しをピラトに願い出たこと。

 イエス様の処刑に立ちあい、イエス様の成り行きを逐一見ていた百人隊長が、「この方はまことに神の子であった」と証言したことでした。

※個人的に心に残った部分のみを書いております。これが説教の全体ではありません。

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面倒がらずに

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  秋に同時に植えた白と赤のヒヤシンス。球根の大きさもみなほぼ同じ。なぜか赤の開花が遅れている。

 午後に用事があり、叔母のところに立ち寄る。へやに入ると描きかけの水彩画が並んでいる。「水仙一本でもいいから面倒がらずに描いてみなさい」と私にも勧める。なりゆきで、次に行くときには、描いた絵をもっていく事になった。正直なところ、
幼稚園児以上に描ける自信がない。小学生以上に、と言いたいところだが、いまは小学生もすばらしい絵を描いている。……どうなる事やら。

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この日は主がつくられた

 

きのう9日の朝に「この日はこの日は主がつくられた主がつくられた♪」という讃美歌が心に通った。あ、きょうはなにかいい事がありそう。あれかこれかと思いながら待つ。夜になって、関東にいる二男から電話があり、ちょっとした用事を頼まれた。待っていたいいこととはこれだったかな。でも、これがどうして?
 翌日その用足しのために盛南にでかけたが、その先で、息子の関係者である、ある方にお会いした。そしてその方がクリスチャンであることを知った。向こうからそう仰ってくださったのだ。これを読んだ方々には「何のことやら」ということにしかならない。しかし私にとっては驚くべきことであり嬉しいことだったので、備忘録として書いておくことにする。個人情報が喧しいいま、ここにお名前をあげることはできないが、何れ私にとって大いに元気の出る驚きだった。

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シンフォニエッタ盛岡 春のコンサート 2015/5/9(土)18:00~盛岡市民文化ホール(マリオス)・小ホール

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ものいう切り株

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 どれもこれも軽い写真ばかりと思いながら撮りためた写真をスライドさせるうちに、これならすこしは絵画的な雰囲気もあるかと、富士見橋からの景色をアップしてみた。松本竣介の絵画の色調が思い出される。

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 立ち枯れた松を伐採したあとの切り株。いまだに語りかけてくるものがある。切り口が新しいうちは、その声につい耳を澄ましてしまう。ギンドロであれば、残された根からも若枝が不死身に伸びでてくる。この木は松かさを遺している。

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きょうの岩手日報に、日曜日の山形交響楽団&山響アマデウスコア&盛岡バッハ・カンタータ・フェラインのコンサートの記事が載っていた。指揮者の飯森範規氏が、亡くなられた松田晃先生に届くように、と追悼の想いを表わされたらしい。合唱団の写真、写真では個々は小さく見えるが、声のマッスの凄さは想像できた。

 飯森氏のブログを見ると、「モーツァルトのレクイエムは世界に誇れる素晴らしい合唱」「山形交響楽団新専務理事、事務局長の西浜さんもあまりの凄さに驚いて」「合唱のご指導の佐々木正利先生」などと出ていた。

 行けなかったことは残念。しかし、これも天のご支配のうち。 


 

 

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天沼三津子 第14回 「七宝に遊ぶ展」 

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  今日は展示会のご案内のみに。おでかけください。
 

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イースター、おめでとうございます!

イースター
   おめでとうございます!

キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、
4 また、葬られたこと、また、
聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと、
5 また、ケパに現れ、それから十二弟子に現れたことです。
6 その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現れました。その中の大多数の者は今なお生き残っていますが、すでに眠った者もいくらかいます。
7 その後、キリストはヤコブに現れ、それから使徒たち全部に現れました。
8 そして、最後に、月足らずで生まれた者と同様な私にも、現れてくださいました。

 

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明日は 山響&盛岡バッハ・カンタータ・フェライン&山響アマデウスコア コンサート

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 二メートル樹上に咲きはじめた椿。

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 上が白いヒヤシンスの花芽。下が赤いヒヤシンスの花芽。 花の色が滲みでているよう。

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  明日は

第1回盛岡演奏会~「アマデウスへの旅」盛岡公演~
日 時:2015年4月5日(日) 開演:15:00
会 場:盛岡市民文化ホール(マリオス)大ホール
管弦楽:山形交響楽団
指 揮:飯森範親
ソリスト:ソプラノ 伊藤 晴
     アルト  富岡明子
     テノール 安保克則
     バ  ス 与那城敬
合 唱:盛岡バッハ・カンタータ・フェライン
    山響アマデウスコア
曲 目:モーツァルト作曲
    交響曲 第41番 ハ長調 K.551「ジュピター」
    レクイエム ニ短調 KV 626

 

 転載させていただいたけれども、午後2時~自治会の総会に出席義務があり、行くことができない。山響の定期演奏会については、作曲家木島由美子氏のブログで必ずようすを読んでいる。聴いていると言えないところが可笑しくもあるのだが。「ジュピター」は宮古に住んでいた頃に飽きずに毎日聴いた思い出のある曲。そして盛岡バッハ・カンタータ・フェラインの合唱は毎年欠かさずに聴いてきている。残念でならない。合唱団の方々の顔が浮かぶ。教会で讃美歌を歌うとき、わたしはよくこの合唱団の中にいるような心境で歌っていることがある。そうすると不思議に声がよく出るのだ。昨年のメンデルスゾーンの「聖パウロ」も記憶に残る演奏だった。このときには、佐々木正利先生の解説が入ったが、非常に心打たれ、思わず悔い改めた事項がある。この合唱団を聴きにいくたびに、事前にCDなどで予習を重ねたお陰で、宗教曲の理解を訓練されたと思っている。感謝なことである。明日の御成功を祈りつつ。


 


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花粉症

 できるだけ薬を使わないようにと、花粉症を緩和するといわれる林檎、ブロッコリー、ヨーグルト、ニンニク、甜茶等々を摂るように心がけていたが、鼻詰まりがひどくなり、睡眠が妨げられ、寝不足のためか覇気に乏しく、集中力が削がれてきたので、ついに耳鼻科に掛かった。 控えた方がよいと思いつつ、天気があがるたびに、庭に出てしまう。はじめのうちは、球根の芽の伸び具合を見廻るのだが、落ちている枯葉や枯れ枝が気になりだし取り片づけ、雑草を引き抜くなどしているうちに、けっこうな時間を外で過ごしてしまっている。これが花粉症を悪化させている原因の一つだ。
 花粉症が肺炎を引き起こすことがあると知った。花粉症は病気のうちではないと括っていたが、こうなると侮るわけにはいかない。運動不足は免疫低下にもつながると、時間は掛かってもできるだけ歩くように心がけていたが、これも当分のあいだほどほどにしておこう。

 ネットにもさまざま対処法が出ているが、一日2食にし動物たんぱくを減らす、これは実践してみる価値がありそうだ。

 花粉症のことも含め、大気汚染、環境の悪化をおもうとき、防毒マスクを着けることが自然に見える時代がくるのでは、ふっとそんな気がした。

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友からの桜メール

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 関東に住む中学以来の友だちから届いた桜の写真。仰ぎながら携帯を向けている彼女のすがたが浮かぶ。卒業してから一緒に『メリーポピンズ』の映画を観に行ったことがある。あのときとすこしも変わってはいない。

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