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きょうのことば 『幸いな生涯』

 先週、インマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924)では、聖餐式が持たれ、また教会総会が開かれました。聖餐式は、やはり厳粛な想いになります。イエスさまの十字架の血潮をあらわす葡萄液、イエスさまの御体をあらわすパンを祈りながらいただきます。教会総会では、神さまからいただいた1年間のめぐみ、教会の歩みが報告され、会計報告も、信徒の質問に対して、きちんと答えられており、現金、預金通帳の残高も明らかにされています。

 この日の説教は詩篇65:1~13の聖句からでした。特に、詩篇65:3,4が心にのこりました。

20141118_134816 詩篇65:1~13
3 咎が私を圧倒しています。しかし、あなたは、私たちのそむきの罪を赦してくださいます。
4 幸いなことよ。あなたが選び、近寄せられた人、あなたの大庭に住むその人は。私たちは、あなたの家、あなたの聖なる宮の良いもので満ち足りるでしょう。

 4節の「幸いなことよ」ですが、どういう人たちのことか、それは、次につづく「あなたが選び、近寄せられた人、あなたの大庭に住むその人であるというのです。これは悔い改めた人たちのことでした。そして、「住む」という意味は、これが一時的な宿泊のことではなく、住む拠点が、イエスさまの十字架のあがないの愛に留まりつづけることだと講壇から語られました。
 これを聞きながら、どこに居ようとも、そこにイエスさまと共にあること、十字架に感謝し、イエスさまに信頼し、安心していることが肝心と思われました。

 息子たちが帰省したときなど、よく、たいした母親じゃなかったわね、ごめんなさいね、そんな気持ちになることがあります。一昨日もそんなことを考えていたときに、「神は真実にして正しければ、我らの罪を赦し、凡ての不義よりわれらをきよめ給はん」という聖句が心に通いました。十字架のもとにあれば、自分の足りない分は赦されている、そう思うと同時に、神の選びは、優れ、秀でた者を特別扱いにするのではなく、むしろ、欠点の多い足りないだらけの者を、神は特別扱いされ、用に足るものにしてくださるのだったなと思い至りました。

 十字架に生かされている、それで、この日曜日には、イエスさまを書きます。教会の説教と祈り、また教会の兄弟姉妹方の真実さに諭されながら今の自分があることに深く感謝します。

 このページをアップしたあと、7時15分まえに、こんどは後藤さんが殺害されたか? というニュースが。心の痛むことです。湯川さん、後藤さん、そのご家族、関係者の方々に天の計らいがございますようにお祈り申し上げます。

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