生内義夫の作曲
ここのところ三日間、雪がふっている。忙しいは忙しいのだけれども、週の半ば、いちどは更新したいとログイン。
ことしの冬は風邪をひいたけれども、健康的な不安に委縮することなく、好きなことをしていられる。就寝時間も、22時厳守だったのが、23時まで延びている。ただこれが好ましい事かどうかはわからない。運動時間がめっきり減っている。
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文芸誌に載せる「村井正一物語 中編」、後編にするつもりが、今回は中編になってしまった。つまり、次号では、後編を書かなければならない。
中編に書かせていただいた生内義夫(おぼないよしお)先生について、自分の原稿から、すこしだけここに転載しておきたい。
生内義夫は岩手郡雫石町の出身。盛岡商業高等学校卒業後、上京し、武蔵野音楽学校(現武蔵野音楽大学)、東京音楽学校(現東京芸術大学)に学び、中退して、昭和23年4月25日に岩手高等学校講師として着任。
岩手高等学校の国語教諭水原一の詩 『岩手山』『北上川』『三陸海岸』を作曲、交声三部作とした。
生内は、岩手高等学校内に男声合唱団「グリークラブ」を立ちあげ、岩手女子高等学校にも呼びかけて100人の混声合唱団とし、24年2月には、自作を初演した。
生内は、昭和25年4月、国立音楽大学作曲科に入学。休みに岩手を訪れ、27年に、やはり水原の詩で『平和』を作曲、岩手県公会堂で演奏している。
髙田三郎に師事。29年国立音楽大学を卒業。NHKに入るが健康を害し、37年盛岡に帰る。生活学園短期大学に勤めるなどしたが、昭和51年、51歳で死去している。
平成15年12月20日発行の石桜同窓会報第28号の第4面をご覧ください。
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