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2015年1月

雑感

 ことしも何とか文芸誌「天気図」に載せる原稿を校正したものを、きょう、編集長宛てに添付で送信。ところがその後で見なおすうちに、まずい部分がまたまた6ケ所。「、」が「,」になっていたり「シベリア珪肺」と書くべきところが「シベリア桂肺」と、あり得ない病名になってしまっていたり等など。たぶんまだあるかもしれない。要するに注意力の欠如だ。一通り打ち込んでしまうと、どこか注意力散漫になってしまう。
 400字詰めに換算すれば、100枚ぐらいか。今回は50枚程度でおさめようと思っていたのが、書いているうちにこのような長さに。
 たとえば、台風の凄さを書くなら、樹がどんなふうに風に嬲(なぶ)られ、どんなふうに折れ倒れたかといった光景をありのままに書き入れるのがいちばんと思いつつも、なにせ現場を見ていない脆弱さ、ついつい数字でわかっていただけると、数字を並べてしまう弱点をいまだ克服できないでいる。

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 午後に、明るく差し込む日差しに誘われて、久しぶりに写真の一枚も撮っておこうかと庭に出る。
 ことしに入ってから伐採した樹の切り株。この樹の30㌢ばかりの高さの輪切りを、庭の隅に5つばかり取り置いている。春になって、教会の子どもたちが遊びにきたときに腰かけてもらうためだ。きっと喜んでくれる。子どもたちが喜んでいるのを見たなら、この切り株もきっと喜ぶ、そんな気がする。


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 ただ裏庭にあった桜の樹を見てもらう事はもうできない。これも大きくなりすぎたため、一大決心をして伐採してしまったからだ。これまでに撮った満開の桜が浮かぶ。
 「一馬の水仙」は咲くだろう。わたしが勝手に水仙をそう呼んでいる。「一馬の水仙」を見てもらおう。

 そうだ、わたしがせっせと庭に花を植え始めた理由は、息子たちに見てもらいたい、そして晩年は、老夫婦で花に埋もれて暮らしたい、それが始まりだった。立派な花壇にはほど遠いけれども、また植え替えでもして、いまあるものを増やそう。

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きょうのことば

 おはようございます。7時の残念なニュースに心が痛みました。難しく複雑な問題を知りながらのきょうの歩みとなります。
 先週は風邪のため、教会をお休みしましたので、きょうは、インマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-622-6304)の國光牧師が教会学校誌に「日々の聖句」を担当しておられますが、その中からおつたえします。

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引証聖句 詩篇145:18
主を呼び求めるすべて、まことをもって主を呼び求める者すべてに主は近くあられる。

 救いに与る以前の自分を思い出してください。「誰に」祈ったらいいのか知らないままに、涙を流しながら願い事を訴えた日のことを。まるで空を打つような拳闘だったでしょう。
 今はどうですか。御子イエスを与えてくださったお方は、私たちを支え、立たせてくださいます。恵み深い主に思い切り呼び求めようではありませんか。 

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サプライズ

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 きょう、もりおか童話の会の初会合があった。わたしの詩『石よ』の御祝いをしてくださると聞いた時、わたしは強く辞退したのですが、何と、サプライズで御祝いをしていただいた。身に余る御祝いのことば、そして、何よりも、みなさまが詩を深く読み、共感してくださったことに胸が熱くなった。日頃批評を頂き、切磋琢磨している文筆仲間からの励まし、大変ありがたく励みとなりました!!

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太田の小正月にシンフォニエッタ盛岡のメンバーが出演

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 シンフォニエッタ盛岡の(左から)宮野ゆかりさん、鈴木道子さん、畑村保裕さんが、太田の小正月に招かれ、「美しき青きドナウ」、「アヴェマリア」、「日本の歌メドレー」などを演奏し、集まった多くの方々を魅了しました。この日、宮野ゆかりさんが用いた楽器は、大正時代の弦楽四重奏団太田カルテットのメンバーだった赤沢長五郎氏がかつて所有していたヴァイオリンで、この日、現在の所有者の御好意によりシンフォニエッタ盛岡との出会いを果たし、さっそくこの会場で奏でられたのでした。

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 着物すがたでの登場に、心は大正時代に飲食、私語を控え、皆様が集中して熱心に聴いてくださっています。

 

 宮野さんは「赤沢氏から成田氏に、そしてシンフォニエッタ盛岡にと受け継がれてきたこうした歴史を絶やさずに行きたい」と熱く語っておられます。 

 

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きょうのことば

 おはようございます! きょうの積雪はとみれば、木の上に新たな雪はなく、ほっとしている。1月に入ってからは、ほとんど家にこもりきり。きょうも家で慎重に過ごした方がよさそう。きのう送っていただいた説教のデータ便に入っていた聖句を書かせていただきます。

詩篇32篇
1 幸いなことよ。そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。
2 幸いなことよ。が、咎をお認めにならない人、その霊に欺きのない人は。
3 私は黙っていたときには、一日中、うめいて、私の骨々は疲れ果てました。
4 それは、御手が昼も夜も私の上に重くのしかかり、私の骨髄は、夏のひでりでかわききったからです。セラ
5 私は、自分の罪を、あなたに知らせ、私の咎を隠しませんでした。私は申しました。「私のそむきの罪をに告白しよう。」すると、あなたは私の罪のとがめを赦されました。セラ
6 それゆえ、聖徒は、みな、あなたに祈ります。あなたにお会いできる間に。まことに、大水の濁流も、彼の所に届きません。
7 あなたは私の隠れ場。あなたは苦しみから私を守り、救いの歓声で、私を取り囲まれます。セラ
8 わたしは、あなたがたに悟りを与え、行くべき道を教えよう。わたしはあなたがたに目を留めて助言を与えよう。
9 あなたがたは、悟りのない馬や騾馬のようであってはならない。それらは、くつわや手綱の馬具で押さえなければ、あなたに近づかない。
10 悪者には心の痛みが多い。しかし、に信頼する者には、恵みが、その人を取り囲む。
11 正しい者たち。にあって、喜び、楽しめ。すべて心の直ぐな人たちよ。喜びの声をあげよ。

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大木の伐採

 きのう、きょうにかけて、この町内ではいちばん高いと思われる樅の木、ある方は、栢ではないかと仰ったが、樹高30メートルはあるだろうか、2日がかりで伐採された。大型のクレーン車を横付けしワゴンに乗り込んだ2人の作業員の方が伐り、クレーンで吊り下ろす。写真も撮ったが、何しろ人様の住居でもあり、一旦はアップしたが削除した。市街地に大木を繁らせる事にどのような責任が伴うかを教えられる。

 真っ青な空に悠然と抜きんでて、風にゆらゆら樹上を揺らすさまは、見ているだけでも心地よいものだった。この町のシンボルツリーでもあった。もうそのすがたは無い。午後は自宅の2階から伐採の様子を見ていたけれども、決して侮れない樹木ののっちりとした重量感に圧倒された。チェーンソーが木の重みで挟まってしまった一幕もあったが、巧く切り抜けていた。ハプニングもあったが、人にケガはなかった。ゆったりとした大きな樹があすからはもう見られない。さびしい限りだ。

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明るい日差し

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  文芸誌の編集、校正が来ている。編集長の指示は受けているので、それに則って動けばよい。また地区関係の調査が入っている。
 思いがけないひどい咳に見舞われ、5日は昼夜の戦い。熱がないので侮ったのがいけなかった。はたと、ああ、神さま、ことしももう15日も過ぎてしまいましたね。どうかまた活動ができるようにお願いします。そうお願いしていた。自分がこうしなければと思っても、そのようにいく事といかない事があると知っている。
 これほど主人に家事を負担してもらったのは、もしかすれば数十年ぶりだろう。

 午後の日差しを惜しみながら、久しぶりに庭に出てみる。

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きょうのことば 『幸いな生涯』

 すこし疲れが出てしまい休んでおりました。元気だよ~と書くことができるのは幸いですが、このように率直に書いて、このようなときに神様がどのように自分に臨んでくださるかを期待するのもまた幸いであると思われます。

詩篇84:1~12
1 万軍の。あなたのお住まいはなんと、慕わしいことでしょう。
2 私のたましいは、の大庭を恋い慕って絶え入るばかりです。私の心も、身も、生ける神に喜びの歌を歌います。
3 雀さえも、住みかを見つけました。つばめも、ひなを入れる巣、あなたの祭壇を見つけました。万軍の。私の王、私の神よ。
4 なんと幸いなことでしょう。あなたの家に住む人たちは。彼らは、いつも、あなたをほめたたえています。セラ
5 なんと幸いなことでしょう。その力が、あなたにあり、その心の中にシオンへの大路のある人は。
6 彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とします。初めの雨もまたそこを祝福でおおいます。
7 彼らは、力から力へと進み、シオンにおいて、神の御前に現れます。
8 万軍の神、よ。私の祈りを聞いてください。ヤコブの神よ。耳を傾けてください。セラ
9 神よ。われらの盾をご覧ください。あなたに油そそがれた者の顔に目を注いでください。
10 まことに、あなたの大庭にいる一日は千日にまさります。私は悪の天幕に住むよりはむしろ神の宮の門口に立ちたいのです。
11 まことに、神なるは太陽です。盾です。は恵みと栄光を授け、正しく歩く者たちに、良いものを拒まれません。
12 万軍のよ。なんと幸いなことでしょう。あなたに信頼するその人は。


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一段落 ー春がやってきたー

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 自分のことを書いたものを、第三者が読んだときに、果たして楽しいだろうか。有名人ならちょっとした平凡な仕草までが、或いは、ちょっとした言葉でも人を楽しませることができるだろうけれども。等など考えて、ついブログの更新から引いてしまっていた。しかし今日文筆を一段落させた事で、気持のどこかに清涼な風が吹いている。クリスマスが終わってから何とか書かねばとまた続行。主人は主人で自分の原稿を書いている。私は私で今日でひと区切り。

 27日に二男が帰省、続いて30日に長男帰省。ことしは形式を廃し、と言っても、お飾りやお供え餅などは準備。おせちは全員が食べるものだけを厳選、といっても、これは厳選した食材という意味ではなく、料理の数を絞ったのだけれども。三段重ねのおせちなどは、わが家には凡そ関係が無い。
 年越しと元旦だけは辛うじて全員が食卓に揃う。しかしこれはほんとうに神様に感謝したことだ。齢を経るごとに、全員が意識して集まることは少なくなるだろう。息子たちは、東京近辺にいる者達に連絡を取り合って、たまには会合しているようだ。長男が二男に、こんど一緒に食事しようと言っていたが、ふだんあまり飲まない長男は、こんなときには或いは少しは飲むのかもしれない。
 主人が飲まない事もあり、息子たちも家で飲むことは滅多にない。たぶん友だちと合流した時などは飲んでいるのだろう。

 年末年始でわたしがいちばん美味しいと思った飲み物は、自家製の山葡萄ジュース。去年の秋に友だちが庭に生えてきたという山葡萄を届けてくれた。絞る前に一旦冷凍させるようにと教えられ冷凍したまでは良かったが、そのまま冷凍庫に放り込んだままだった。これを息子たちが帰ってきたら作って飲ませようと思っていた。ところがやっと作ったのは新年に入ってから。作ると言ってもさほど喜びもしなかったからだ。
 いよいよ鍋に4つの袋に冷凍した山葡萄1キロほどを入れて加熱。もっと早く作り方を確かめるといいものを、ふつふつを見てから慌ててパソコンを検索。煮る前に絞る方法もある。しかしもう煮てしまっている。先ずそれを笊にあけて、味を確かめる。すっぱい。砂糖を控えめに加える。うん、こんなものかな。それが1日経ち、2日経つうちに素晴らしく美味しく変身したのである。息子たちに美味しいからと言っても「まず、また」。飲まなかった。庭木を整理したばかりのところに、こんどは山葡萄を植えたいと思いながら今迷っている。この山葡萄ジュースは、私の原稿を上回る最高傑作となっている。

 長男は3日に、二男は5日にUターン。長男は寝てばかりいた。二男は主人の車を2日ばかり占有。私は彼らの食事と洗濯と年末掃除のずさんだった部分を掃除。

 6日と8日はまたまた3本の木が切り倒されたのと芯が止められたのに、若干は手伝う。6日は地域の翌日の餅つき大会の準備の手伝い。330人分の雑煮、きなこ、納豆、あん作りだ。7日はいよいよどっとやって来た子どもたちにお餅を作ったり、盛付けたり、子どもたちが喜んで食べているのを見るのは楽しいものだ。8日はボランティアでこの地域でお茶会を開いてくださる方の所へ、立場上もあり参加練習。その後は、地域の、新年会、表彰者の方々の御祝いをかねた定例会議というのがあり、夕方5時までに会場へ。

 

 

 

 

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伐採

  陸前高田市の奇跡の一本松に似ている左から二番目の松とその右隣に立つ樅の木が、きょう伐採された。積った雪が路上に落下し、人や車を直撃しては危険だからだ。樹木がもつ癒しを考えると残念ではあった。実際にチェーンソーが入ったときには胸に痛みが走った。奇跡の一本松を何とか蘇生させようとした方々の気持がわかるような気がした。

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 毎年お願いしていた業者さんが、高齢の為に引退され、一年間放置していたために、繁りすぎてしまっている。主人がかねてからお願いしていた方が昨日見えて、明日来ますと急遽の作業となった。
 先ずベルトで身の安全を確保し、上から2メートルずつ見当をつけて、切り落とす材にロープをかける。切断しきる直前に、下の二人がロープを力いっぱい引いて、空いているスペースに落下させるのだ。もし下に障害物があれば吊り下ろす。見事な連携プレーだ。

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これは伐られた樹の一部。

 はなしは飛躍するけれども、戦後70年と言われている。終戦とともに、スターリンの捕虜50万人移送計画で主に満州からシベリアに連行され、そのまま労働力として抑留になった方々の最も過酷な作業は、原生林の伐採作業だった。道具はピラといわれる鋸とタポール(斧)だけ。今のようにチェンソーや刈り払い機や安全装具などはまったくなかった。毎日10人、20人と死傷者が出ていた。しかも氷点下20度の厳寒である。それ以下での作業もあった。
 写真の輪切りにした材は、径30㌢、高さ30㌢。持ちあげてみた。一つ持ちあげるのがやっとだ。生木はずっしりと石のように重たい。2㍍の材は業者の方が2人がかりで移動させていた。

 課せられるべきだった賠償を、抑留者の方々が労働力で支払ったともいえる両国家間の内実がある。戦後、日本は大変な経済成長を遂げているけれども、その遂げた要因はさまざまあるようだが、一つには、シベリア抑留者の方々のこのような大きな犠牲の上にもあるという事ができるように思う。その数は厚生労働省の数字では57万人、しかし実際には70万人であったようだ。

 過酷な労働は勿論、伐採だけではなく、炭坑労働等など。しかも、多くはすこしの黒パンと、うすい粥。栄養失調と寒さによる病気。厚生労働省は5万5千人が亡くなったとしているが、事実は最初の冬で亡くなった方々は、7万人とも10万人とも証言されている。

 きょうの作業をすこしばかり手伝っただけで、その方々の無念の想いがわかるはずもないが、しかし、思い返す機会があった事は幸いだった。
 

 

 

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きょうのことば 『一つの石を取って』ー年末感謝講壇ー

 暁の空。おはようございます! 朝起きて、さて、きょうは雪は降ったかなと窓から確かめる毎日ですが、盛岡は、新たな降雪もなく、曇ってはいるものの穏やか。年末年始の一週間は、元旦礼拝に出かけただけで、籠城しています。忙しいためにブログの更新が滞っていますが、きょうは日曜日、せめて聖書のおことばだけでもとPCに向かっております。 

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 先週、インマヌエル盛岡キリスト教会では、年末礼拝ということで、一年を振り返り、確認することに多くの時間が用いられました。後半で、以下の第一サムエル記を取り上げ、神様の祝福をいただきたいと思うなら、感謝とともに、悔い改めるべき点があったなら、真実に率直に悔い改めることが必要であることが語られました。

 第一サムエル7:1~14
1 キルヤテ・エアリムの人々は来て、主の箱を運び上げ、それを丘の上のアビナダブの家に運び、彼の子エルアザルを聖別して、主の箱を守らせた。
2 その箱がキルヤテ・エアリムにとどまった日から長い年月がたって、二十年になった。イスラエルの全家は主を慕い求めていた。
3 そのころ、サムエルはイスラエルの全家に次のように言った。「もし、あなたがたが心を尽くして主に帰り、あなたがたの間から外国の神々やアシュタロテを取り除き、心を主に向け、主にのみ仕えるなら、主はあなたがたをペリシテ人の手から救い出されます。」
4 そこでイスラエル人は、バアルやアシュタロテを取り除き、主にのみ仕えた。
5 それで、サムエルは言った。「イスラエル人をみな、ミツパに集めなさい。私はあなたがたのために主に祈りましょう。」
6 彼らはミツパに集まり、水を汲んで主の前に注ぎ、その日は断食した。そうして、その所で言った。「私たちは主に対して罪を犯しました。」こうしてサムエルはミツパでイスラエル人をさばいた。
7 イスラエル人がミツパに集まったことをペリシテ人が聞いたとき、ペリシテ人の領主たちはイスラエルに攻め上った。イスラエル人はこれを聞いて、ペリシテ人を恐れた。
8 そこでイスラエル人はサムエルに言った。「私たちの神、主に叫ぶのをやめないでください。私たちをペリシテ人の手から救ってくださるように。」
9 サムエルは乳離れしていない子羊一頭を取り、焼き尽くす全焼のいけにえとして主にささげた。サムエルはイスラエルのために主に叫んだ。それで主は彼に答えられた。
10 サムエルが全焼のいけにえをささげていたとき、ペリシテ人がイスラエルと戦おうとして近づいて来たが、主はその日、ペリシテ人の上に、大きな雷鳴をとどろかせ、彼らをかき乱したので、彼らはイスラエル人に打ち負かされた。
11 イスラエルの人々は、ミツパから出て、ペリシテ人を追い、彼らを打って、ベテ・カルの下にまで行った。
12 そこでサムエルは一つの石を取り、それをミツパとシェンの間に置き、それにエベン・エゼルという名をつけ、「ここまで主が私たちを助けてくださった」と言った。
13 こうしてペリシテ人は征服され、二度とイスラエルの領内に、入って来なかった。サムエルの生きている間、主の手がペリシテ人を防いでいた。
14 ペリシテ人がイスラエルから奪った町々は、エクロンからガテまで、イスラエルに戻った。イスラエルはペリシテ人の手から、領土を解放した。そのころ、イスラエル人とエモリ人の間に平和があった。

   
☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 元旦礼拝では、『幸いな生涯』と題し、聖書の詩篇84:1~12が開かれました。

1 万軍の主。あなたのお住まいはなんと、慕わしいことでしょう。
2 私のたましいは、主の大庭を恋い慕って絶え入るばかりです。私の心も、身も、生ける神に喜びの歌を歌います。
3 雀さえも、住みかを見つけました。つばめも、ひなを入れる巣、あなたの祭壇を見つけました。万軍の主。私の王、私の神よ。
4 なんと幸いなことでしょう。あなたの家に住む人たちは。彼らは、いつも、あなたをほめたたえています。セラ
5 なんと幸いなことでしょう。その力が、あなたにあり、その心の中にシオンへの大路のある人は。
6 彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とします。初めの雨もまたそこを祝福でおおいます。
7 彼らは、力から力へと進み、シオンにおいて、神の御前に現れます。
8 万軍の神、主よ。私の祈りを聞いてください。ヤコブの神よ。耳を傾けてください。セラ
9 神よ。われらの盾をご覧ください。あなたに油そそがれた者の顔に目を注いでください。
10 まことに、あなたの大庭にいる一日は千日にまさります。私は悪の天幕に住むよりはむしろ神の宮の門口に立ちたいのです。
11 まことに、神なる主は太陽です。盾です。主は恵みと栄光を授け、正しく歩く者たちに、良いものを拒まれません。
12 万軍の主よ。なんと幸いなことでしょう。あなたに信頼するその人は。

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2015年に踏み出す

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     新年おめでとうございます!

 お陰さまで、新たな年に踏み出すことができました。感謝とともに、みなさまの平安とご多幸を心からお祈り申し上げます。

「光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」(ヨハネ1章5節)

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