不思議という付加価値
きのうは久方ぶりの全休。すこし体調をくずし薬を服用。長男からPCにメールが届いていた。滅多にメールを印刷することはないのだが、印刷して枕元に置く。二男のことも書いてあったからだ。読んでいると元気がでる。
ほんとうに不思議だが、こういうときには必ず元気づけられる事がある。
「しかし、ついには、上から霊が注がれ、荒野が果樹園となり、果樹園が森とみなされるようになる」(イザヤ32:15)
聖書のこんなことばが思い出された。
ついでにこんな事も思い出した。
買い物に行ったとき、品質のよい立派なイチジクが出ていた。シロップ漬けにすれば美味しいだろう。どうしようかな。迷っているうちに気付いた。あら、食べたいと思っているのは私だけ。夫は食べない。それで私は買うのを止めて家に帰った。するとほどなく小姑さんが立派なイチジク持参でやってきて私に下さった。小姑さんはたまたまたくさん頂いたので、私に分けたのだという。
これを偶然と思う人は偶然と思い、必然と思う人は必然と考えるだろう。また近頃では、「自分にごほうび」という買い物があるようだ。それも楽しい在り方ではある。
しかし、時として、何でも思いのままに手に入れてしまわない方が、「ちょっと不思議」という付加価値のついたものがもたらされることがあるようだ。
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