盛岡バッハ・カンタータ・フェライン オラトリオ『聖パウロ』演奏会 聴きました
この壮大な曲をほんとうにこの盛岡で聴いたのか、終演から4時間経った今もまだ現実味を帯びていません。解説を含めて3時間は短いものになると私は言いましたが、ほんとうにその通りでした。あっという間でした。最終曲に入ったとき、これで終わりなのか、ほんとうにこれで終わってしまうのか、惜しいことだと思いました。
聴くごとに聴くごとに惹き入れられる不思議さ。14曲の(天からの声)に児童合唱団が入った。それで私は、自宅で聴いていたディスクのこの部分をソプラノだと勘違いしていたことに気付いた。ここに児童の声を入れることに深く頷くものがあった。次の15番は、実に天の扉が開いたごとくだった。はじめはユダヤ教徒であったメンデルスゾーンがキリスト教に改宗した自らの高らかな信仰告白が美しい旋律となって綿々と続く。
23番の合唱からは、この曲がくれる喜びが湧いて来た。
33、34、35番の甘美なゆらめき、ここは「メンデルスゾーンは偶像礼拝にロマンティックな歌を与えている」と解説され、それに補足説明があった。36曲に荘重さを与えてくれたアンサンブルの響き。これは全曲を通じてそうなのだが。38曲、怒りがこんなに激しくドラマテッィクで、しかも、こういう言い方が赦されるか、やはり美しいのだ。
私が最も心に沁みたのは、40番のテノール、「死に至るまで誠実であれ。そうすれば、あなたに命の冠を授けよう怖れるな、私はあなたの側にいる! 死に至るまで誠実であれ!」
誠実さに欠けることを自認する私には十分に堪えた。涙が溢れた。これを包んでくれた楽器はチェロ、コントラバス、そしてホルン。ほかにも鳴っていたかもしれない。合唱を通して諭され、慰められたときであった。そして曲は終曲の45番へと。
神が人間に与えたもう四つの声、これまでは、単純にソプラノ、或いはメゾソプラノ、アルト、テノール、バスという括りだったけれども、今回聴いていて、アルトはアルトで、バスはバスで、またその中に音域とは別にさまざまな個性が幾通りもあること、これはこれまでも分かっていたようだったのですが、さらにはっきりと聴かせていただいたことです。
いにしえ、この曲が演奏される先々で大成功を収めた光景が浮かぶとともに、これまで演奏される、されたと聞いたことがないのがやはり不可解ということになります。
またとないすばらしいチャンスをありがとうございました!!
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