第二の葬儀
私の実家の相続人から電話があり、売却はしないが土地を更地にしたい、解体屋を頼むので、ついてはもし要るものがあったなら引き取って欲しいと連絡があった。亡くなって7年の月日が流れている。相続はもう終わっているが、亡き母が使っていたものはほとんどそのままになっている。
20代の頃、油絵を習っていたが、実家の壁に掛けてあるのを思い出し、外して持ち帰ろうと行ってみた。30号の静物画が2点。その時は悦に入って描いていたが、今見ると、色彩感覚はまあまあ、しかし構図がよくない。これに手を入れたとしても、やはり迷画にしかならないと分かる。それでも惜しい気がして持ち帰ることにした。いつか暇になったときに、新たに描いた絵を、この額に納めることもできるだろう。
母の遺した着物や服など、兄弟姉妹が遠隔にいる事もあり引きとる者がいない。しかしタンスを開けて見ているうちに、他人の手で始末されるのは母にとって不本意なのではないかと思い到った。また生前に「人の目に晒したくないものはみんな始末して頂戴」と頼まれたのも私だった。これまで真剣に実行してこなかったが、きょうこそきちんとそれを果たさねばと1日がかりで取り組んだ。廃棄できるものはみな市の焼却所に持ち込んだ。第二の葬儀をしているような心境だった。
サラリーマン家庭で、大層な財産など持ち得なくとも、人が地上に生きる時に、なぜこれほどの物を必要とするのか、もっと身軽に生きられないものなのか、世間に比べるとコンパクトに生きたはずの母でさえそうである。もっともこれらの中には晩年になって子どもたちからプレゼントされたものも多くある。
兄弟姉妹でよく遊んだトランプなどのゲームが出てきたときは懐かしかった。また、書簡類を見て、けっこう甥や姪達が葉書を寄せていた事、兄弟姉妹がどれほど写真をアルバムにするなどして送っていたかを知った。写真貼の山である。そして兄弟姉妹の結婚写真。これをどうしたものか迷ってしまった。
今自分の家の方を身軽にしようと、折を見ては踏ん切りをつけて処分しているのだが、取りあえず母のものを、私は自宅に持ち込んだ。これからどうするかを決めたい。
遺品から、やはり母は、子どもたちの為に一生を生き、父を精いっぱい看護し、送り、自分はいつ孤独死してもよいと覚悟し、できるだけ子どもたちに迷惑をかけまいとしたした事だけは確かだ。我慢強い人だった。母の弟、叔父が、母を「天才的な忍耐力をもってる」と笑ったことを思い出す。
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