祈りは天に届く
最近、昔流行った流行歌なぞを聴いてみたくなり、ユー・チューブを検索。なかなかいいじゃない。悦に入って次つぎに聴いてみた。すると翌日あたりに、そんなメロディーが頭の中で奏でられている。何か物足りない気がしたのと、頭の中を流れてくれるなら讃美歌の方が心が休まると、その夕方は、オラトリオ『パウロ』全曲を聴き、夜は讃美歌を次つぎに聴いた。たまにはポップス、シャンソン、ロックもいい、しかし無意識のうちに心に通わせたいのは、やはり聖歌、讃美歌でありたい。買い物をしている先で、もし演歌が流れていたなら、それはそれで楽しんで聴こうと思う。しかし人生の最後に心に通って欲しいのは讃美歌だ。心がきよめられるような讃美歌をできるだけ多く聴いておこう。
それにしても、オラトリオ『パウロ』の中に、イエスがパウロに「どうしてわたしを迫害するのか」と歌われるところがある。手元にあるCDでは、ソプラノで表現されている。ところが、この部分はバスでやるべきだという表現者もいる。考えてしまった。わたしは、どちらでといえるものではないと思った。たしかにイエス・キリスは男性の形をとって地上に来られた。しかし天においては、わたしたちに分かりやすく現れてくださった“形体”と果たして同じ“形体”であるかどうかはわからないからだ。
祈りは天に届く。
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