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きょうのことば 『福音の種蒔きー2』

 先週のインマヌエル盛岡キリスト教会のメッセージで取り上げられた聖書のおことばをお伝えいたします。

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マタイ13:1~9、18~23
1 その日、イエスは家を出て、湖のほとりにすわっておられた。
2 すると、大ぜいの群集がみもとに集まったので、イエスは舟に移って腰をおろされた。それで群集はみな浜に立っていた。
3 イエスは多くのことを、彼らにたとえで話して聞かされた。「種を蒔く人が種蒔きに出かけた。
4 蒔いているとき、道ばたに落ちた種があった。すると鳥が来て食べてしまった。
5 また、別の種が土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに芽を出した。
6 しかし、日が上ると、焼けて、根がないために枯れてしまった。
7 また、別の種はいばらの中に落ちたが、いばらが伸びて、ふさいでしまった。
8 別の種は良い地に落ちて、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結んだ。
9 耳のあるものは聞きなさい。」

18 ですから、種蒔きのたとえを聞きなさい。
19 御国のことばを聞いても悟らないと、悪い者が来て、その人の心に蒔かれたものを奪って行きます。道ばたに蒔かれるとは、このような人のことです。
20 また岩地に蒔かれるとは、みことばを聞くと、すぐに喜んで受け入れる人のことです。
21 しかし、自分のうちに根がないため、しばらくの間そうするだけで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。
22 また、いばらの中に蒔かれるとは、みことばを聞くが、この世の心づかいと富の惑わしとがみことばをふさぐため、実を結ばない人のことです。
23 ところが、良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。」

  この日の國光勝美牧師のおはなしの中で、なるほどと思ったのは、福音の種蒔きは、蒔くひとは、ただイエス様の御愛に感謝しながら淡々と蒔けばよいということだった。その種を育ててくださるのは神様であること、結果は我々の責任の領域ではないのだということだった。
 これは説教の中にはないはなしですが、中国では、2010年時点では約6700万人のキリスト教者がおり、ということは今はもう大変な数になっているでしょう。いま盛んに報道されている中国の顔とは別な事実に、たいへんな親近感を覚えたわけだけれども、ならば、なぜこの国では、という大きな枠ではなくとも、身の周りに受け入れる人が少なく、多くが新興宗教に流れてしまうのか、わたしはこのことに力が抜けるのを覚えたこともある。しかし、神が御自分の存在がわかるように折々にそれをわからせてくださっている事実に押し出されて信仰を失わずにいる。伝道となると自分の非力を痛感させられてしまう事がしばしばだ。しかし、この日、主は講壇から、結果は神様の責任である。わたしたちは、それが徒労だと思われても、一心に蒔き続けなさいと語られたのでした。
 これはたしか國光ひろ子牧師が言っておられたが、その昔、ハドソン・テーラーが中国に蒔いた種は脈々と生き続けてきたのだと。種蒔きの結果が目には見えなくとも悲観的であることはないと励まされたことです。

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