この闇にも
ひとよりも優れて関係しているとは言えないまでも、福祉関係に携わっている事は、少なくとも善事善行をしている範疇にあると一時期は勘違いしていた。
きょう、ある方の様子を知りたいと、これは探ると言うよりは、心配だったので様子を別な方に教えていただいたのだが、そしてすっかり安心できた事があった。家に帰ってから、あららら、イエスさまは、どんな人たちと関わりを持っていたっけと聖書に出て来る様々な人々を思い起こしてみた。そしてわかったのだ。どの方との関わりも、すべて神様がわたしに下さっている人との出会いなのだということ。そしてイエスさまとともにあるときに、それは重荷ではなくなるのだということ。
加えて感謝なことに、「大変なときはいつでも言って、手伝うから」と言ってくださる方がいらっしゃる。社交辞令ではなく、本気で言ってくださっている。
今のところ、もうどうしたらよいかわからないとか、不安で仕方がないというところには直面していない。
この事とは別に、この度の広島の大雨による土砂災害には暗澹たる思いがしていたが、唯一感動し心が慰められたのは、支援の意思を表明し、現地に入って懸命に働いて下さっている多くの方々の姿だった。災害に遭った方々にばかりではなく、ニュースを通して見る者にも希望と力を与えてくれた。このような人の心がある限り、何とか暗闇にも模索し続け生き抜いていくことができるのではないかと感謝したことです。
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