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2014年9月

きょうのことば 『祈り待ち望む』

 いつもは日曜日に載せていた「きょうのことば」、インマヌエル盛岡キリスト教会の國光勝美牧師が先週、講壇で語った聖書の箇所などをおつたえしているのですが、一日遅れてしまいましたがアップします。

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聖書引証 使徒の働き1:3~14
3 イエスは苦しみを受けた後、四十日の間、彼らに現れて、神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。
4 彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。
5 ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」
6 そこで、彼らは、いっしょに集まったとき、イエスにこう尋ねた。「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」
7 イエスは言われた。「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。
8 しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」
9 こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。
10 イエスが上って行かれるとき、弟子たちは天を見つめていた。すると、見よ、白い衣を着た人がふたり、彼らのそばに立っていた。
11 そして、こう言った。「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」
12 そこで、彼らはオリーブという山からエルサレムに帰った。この山はエルサレムの近くにあって、安息日の道のりほどの距離であった。
13 彼らは町に入ると、泊まっている屋上の間に上がった。この人々は、ペテロとヨハネとヤコブとアンデレ、ピリポとトマス、バルトロマイとマタイ、アルパヨの子ヤコブと熱心党員シモンとヤコブの子ユダであった。
14 この人たちは、婦人たちやイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちとともに、みな心を合わせ、祈りに専念していた。

 この日の説教で、「神は愚かなつまらない者を用いて御自身の栄光をあらわして下さる」というくだりに「あっ、そうか」と安心したわけです。
 立派でありなさい、賢くありなさい、知的でありなさいとは言っていない。そうか、わたしはわたしでいいんだな、わたしの弱い部分はちょうど凹、こんなで、このへこんでる部分に神さまが力を満たしてくださるわけだ。ただ、それには、やはり悔い改めと祈りが不可欠らしい。それが齢重ねるごとになかなか柔軟になれない。そんな自分を噛もうとすれば、ガキーンと歯が砕けそうなくらいだ。やだ! やだ! と子どもみたいにさんざんダダをこねることもある。とは言うものの、ダダをこねるだけ時間の無駄だということも経験上知っているわけで、神さまの前には降伏する以外にないことを遠からず知るのだろう。

※写真は上京したときにビルの25階から撮ったもの。天が地上を見ている角度はどんなものかなと思ってみる。3Dのようであり、MRIのようであるそんな透視力でぜんぶ見透かされているのかな。

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河村襄先生、秋の特別集会「さあ、仰ぎのぞもう!」 2014/9/28(日)10:30~、14:00~インマヌエル盛岡キリスト教会

この日は、この日は主が創られた♪
おはようございます!!
きょうは、河村襄先生、迪子先生をお迎えしての集会があります。
お出かけください!!

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あすは大忙し

  きょうは、もりおか童話の会の勉強会の日だったが、あすの大きな行事に備えねばならず失礼してしまった。教会の特集、そして自治会の運動会がある。端役での参加とはいえ大忙し。

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ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(グスターボ・ドゥダメル指揮)を聴く

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  二晩に亘るウィーン・フィル、これは私にとって神さまからのプレゼントだった。
 プログラム中、ルネ・シュタール『タイム・リサイクリング』は実に衝撃だった。現代を表わし得ている。 夾雑物、澱といったものまでが執拗に強固に圧縮されて表層に弾きだされている。この曲を数回聴いたら発狂するのではないか、しかしこれが今の時代の真実なすがたであると思われた。
 シュタールは現在ウィーン・フィルに在籍している作曲家。解説には、「シュタールは、音楽とは関係ない事象を音楽によって表現・説明しようとしている。それを実現すべく作曲されたのが、四つの部分から成る作品『タイム・リサイクリング』 であり…」とある。日本初演だった。

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 私にとって、コンサートよりも嬉しかった瞬間は、二人の息子たちが八重洲北口で主人と私を待っていてくれるすがたを見たときだった。実際、もうこれ以上は何も要らないという心境だった。二男が荷物を引きうけてくれ、昼食代も引きうけてくれた。わたしも「いいから」とは言わない。ありがとう!!
 そして素晴らしかったのは、東京で苦学をして淡々と誰にも温かく生き続けてきた中学以来の友だちに会う事ができたことだ。小雨が降っていたのだが、再会の時間には暑いくらいに日が差し、空も海も清々しい青さを取り戻してくれた。これには私も驚き、彼女も驚いたのだが、まわりにも、晴れた! 晴れた! と歓声があがっていた。方向感覚が怪しい私を心配した彼女は、東京駅まで私を送ってくれ、自宅に帰ると、「だいじょうぶでしたか?」と、もうパソコンにメールが入っていた。

 

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雑念のあるときには

 

頭の中で、おなじことばかりが堂々巡りしているときには、こんなことばを唱えます。

   主の祈り

天にまします我らの父よ。
ねがわくは御名〔みな〕をあがめさせたまえ。
御国〔みくに〕を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、
地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧〔かて〕を、今日〔きょう〕も与えたまえ。
我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく、
我らの罪をもゆるしたまえ。
我らをこころみにあわせず、
悪より救いいだしたまえ。
国とちからと栄えとは、
限りなくなんじのものなればなり。
アーメン。

 

これには、祈るべき内容がすべて網羅されているわけですが、時として素直になれないのが、我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく、というこの部分。けれども、私などは、ちょっと考えてみるだけでわかるわけで、傷つけようと思わずも人様を傷つけてしまったりと失敗も多々。そんなわけでまた悔い改めて、祈るわけです。


天にまします我らの父よ。
ねがわくは御名〔みな〕をあがめさせたまえ。
御国〔みくに〕を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、
地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧〔かて〕を、今日〔きょう〕も与えたまえ。
我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく、
我らの罪をもゆるしたまえ。
我らをこころみにあわせず、
悪より救いいだしたまえ。
国とちからと栄えとは、
限りなくなんじのものなればなり。
アーメン。

Our Father, which art in heaven,
hallowed be thy name;
thy kingdom come;
thy will be done,
in earth as it is in heaven.
Give us this day our daily bread.
And forgive us our trespasses,
as we forgive them that trespass against us.
And lead us not into temptation;
but deliver us from evil.
[For thine is the kingdom,
the power, and the glory,
for ever and ever.]
Amen.

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きょうのことば 『良い知らせの日』

 日曜日です。おはようございます。
今朝は5時起き。室温は17℃。東の樹木の向こうに朱色がにじんでいます。
先週、教会で取り上げられた御言をお伝えします。

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Ⅱ列王7:1~16
1 エリシャは言った。「主のことばを聞きなさい。主はこう仰せられる。『あすの今ごろ、サマリヤの門で、上等の小麦粉一セアが一シェケルで、大麦二セアが一シェケルで売られるようになる。』」
2 しかし、侍従で、王がその腕に寄りかかっていた者が、神の人に答えて言った。「たとい、主が天に窓を作られるにしても、そんなことがあるだろうか。」そこで、彼は言った。「確かに、あなたは自分の目でそれを見るが、それを食べることはできない。」
3 さて、四人のツァラアトに冒された人が、町の門の入口にいた。彼らは互いに言った。「私たちはどうして死ぬまでここにすわっていなければならないのだろうか。
4 たとい、私たちが町に入ろうと言っても、町はききんなので、私たちはそこで死ななければならない。ここにすわっていても死んでしまう。さあ今、アラムの陣 営に入り込もう。もし彼らが私たちを生かしておいてくれるなら、私たちは生きのびられる。もし殺すなら、そのときは死ぬまでのことだ。」
5 こうして、彼らはアラムの陣営に行こうと、夕暮れになって立ち上がり、アラムの陣営の端まで来た。見ると、なんと、そこにはだれもいなかった。
6 主がアラムの陣営に、戦車の響き、馬のいななき、大軍勢の騒ぎを聞かせられたので、彼らは口々に、「あれ。イスラエルの王が、ヘテ人の王たち、エジプトの王たちを雇って、われわれを襲うのだ」と言って、
7 夕暮れになると、彼らは立って逃げ、彼らの天幕や馬やろば、すなわち、陣営をそのまま置き去りにして、いのちからがら逃げ去ったのであった。
8 このツァラアトに冒された人たちは、陣営の端に来て、一つの天幕に入り、食べたり飲んだりして、そこから、銀や金や衣服を持ち出し、それを隠しに行った。また、戻って来ては、ほかの天幕に入り、そこから持ち出し、それを隠しに行った。
9 彼らは話し合って言った。「私たちのしていることは正しくない。きょうは、良い知らせの日なのに、私たちはためらっている。もし明け方まで待っていたら、私たちは罰を受けるだろう。さあ、行って、王の家に知らせよう。」
10 彼らは町に行って、門衛を呼び、彼らに告げて言った。「私たちがアラムの陣営に入ってみると、もう、そこにはだれもおらず、人の声もありませんでした。ただ、馬やろばがつながれたままで、天幕もそっくりそのままでした。」
11 そこで門衛たちは叫んで、門のうちの王の家に告げた。
12 王は夜中に起きて家来たちに言った。「アラムが私たちに対して計ったことをあなたがたに教えよう。彼らは私たちが飢えているのを知っているので、陣営から出て行って野に隠れ、あいつらが町から出て来たら、生けどりにし、それから町に押し入ろう、と考えているのだ。」
13 すると、家来のひとりが答えて言った。「それでは、だれかにこの町に残っている馬の中から五頭だけ取らせ、その者たちを遣わして偵察してみましょう。どう せ彼らはこの町に残っているイスラエルの全民衆と同じめに会い、または、すでに滅ぼされたイスラエルの全民衆と同じめに会うのですから。」
14 彼らが二台分の戦車の馬を取ると、王は、「行って、偵察して来なさい」と命じ、アラムの陣営のあとを追わせた。
15 彼らはアラムのあとを追って、ヨルダン川まで行った。ところが、なんと、道は至る所、アラムがあわてて逃げるとき捨てていった衣服や武具でいっぱいであった。使者たちは帰って来て、このことを王に報告した。

 説教では、ききんの真っただ中にあって、伸るか反るかの思い切った行動に出たツァラアトの人たちにスポットがあてられました。神さまは、食料、物資に足りている敵アラムの陣営を撹乱され、アラムがほうほうのていでr逃げ去った後に置き去りにされた物資をツァラアトの人たちに与えられたということです。このツァラアトの人たちの伸るか反るかの行動はイエス・キリストの十字架への信仰の決断であるとし、この決断によってもたらされた豊かな食糧、即ち神さまの恵をただ黙って自分たちだけのものにしておくのではなく、多くの人々に告げ知らせようではないかというおはなしでした。

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雑感

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 どうしてこんなに忙しいのかな。とはいうものの、ひまで何もすることがないよりはずっといいのかも。
 

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すじ雲

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感謝!

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体操をしながら空を仰ぐと、朝6時半の月。

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もりおか歴史文化館の庭に朝の光

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木立の下で朝のラジオ体操

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体操を終えて中津川の遊歩道を帰る人たち
(写真はきのう撮ったものです)

 息子が家にいたときに使っていた車を手放す事に決め、今晩8時ごろ電話をしたところ、「ああ、いいよ」とのこと。
 もともと私の実家の母の介護に通うために、私の名義で買った軽自動車だ。母が亡くなってからは、舅の介護がはじまり、病院や図書館、買い物などに連れていくために使った。それと並行して私たちが使わない時には息子が乗り回していた。舅が亡くなってからは、息子が通勤に使うようになった。息子が関東に職を得てからは、私にも殆ど使われなくなった。それでも息子が帰ってきたときのために置いておいたのだが不必要な経費の支出は止めようと手放すことにしたのだ。
 母は人工透析を受けていた。週3回、4時間、管に繋がれる。病院への行きは介護タクシーのお世話になり、帰りは私が迎えに行き、買い物などを手伝い、また耳鼻科や眼科などに立ち寄るなどして家に送り届けたものだ。もしこの車が無かったなら、行き帰りにも大変な時間と労力を費やしただろうと思う。舅の介護でも然り。
 この車は当初は介護のための車だった。息子が乗るようになってからは、出かけていく度に事故を起こさなければよいがと、特に冬場は心配したものだ。しかし、早朝にバッテリーが上がったことがあるのと、左側後輪にトラブルがあるのに気付き対応したのみで、ついに所謂事故には遭わなかった。そしてこの車で誰をも傷つけずに済んだことを、私はほんとうに神様に感謝している。膝を折って有難うございますと頭を下げたい。

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河村襄先生、秋の特別集会「さあ、仰ぎのぞもう!」 2014928(日)10:30~、14:00~インマヌエル盛岡キリスト教会

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河村襄先生のご紹介があります。

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無題

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  一週間前、朝の6時ごろにウォーキングで八幡宮を通りかかると、流鏑馬の練習をしていた。きょう肴町のアーケードでの買い物途中、山車1台を間近にする。通り抜けた八幡町界隈で、笙、篳篥の音を耳に。これが八幡祭と自分との距離ということになる。祭りもきょうで終わり、秋は深まる。

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河村襄先生、秋の特別集会「さあ、仰ぎのぞもう!」 2014928(日)10:30~、14:00~インマヌエル盛岡キリスト教会 

 いまは楽しい娯楽がたくさん。飲み会もあればカラオケもある。コンサート、観劇、ゲーム。携帯もあればスマホもある。新機種も次つぎに出て来る。遊んでいる暇なぞないという方、仕事、勉強がもうみっちり。しかし、人生にいちどぐらい、はたと立ち止まって、聖書からのはなしを聞いてみてはいかがでしょうか。

  河村襄(かわむらのぼる)先生は、40年前の教会開拓に関わられ、また、私に洗礼を授けて下さった先生でもあります。すばらしい聖書の説きあかしをお聞きください。

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チラシの裏面に印刷されている、これは國光勝美牧師のおはなしです。拡大してご覧ください。

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※このチラシは國光先生ご夫妻のお嬢様A姉がデザインしてくださいました。

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きょうのことば 『主イエスのみもとに』ー特集を前にー

 週にいちど教会に行くのは自分の傲慢さや落ち度を反省するために必要だと思わせられる。何のこれしきと自己弁護していても、教会で講壇から諭されると、やはりこれではいけないなと自分を改めることができるわけです。

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 先週はマルコ伝2:1~12からのおはなしでした。

1 数日たって、イエスがカペナウムにまた来られると、家におられることが知れ渡った。
2 それで多くの人が集まったため、戸口のところまですきまもないほどになった。
3 そのとき、ひとりの中風の人が四人の人にかつがれて、みもとに連れて来られた。
4 群集のためにイエスに近づくことができなかったので、その人々はイエスのおられるあたりの屋根をはがし、穴をあけて、中風の人を寝かせたままその床をつり降ろした。
5 イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に、「子よ。あなたの罪は赦されました」と言われた。
6 ところが、その場に律法学者が数人すわっていて、心の中で理屈を言った。
7 「この人は、なぜ、あんなことを言うのか。神をけがしているのだ。神おひとりのほか、だれが罪を赦すことができよう。」
8 彼らが心の中でこのように理屈を言っているのを、イエスはすぐにご自分の霊で見抜いて、こう言われた。「なぜ、あなたがたは心の中でそんな理屈を言っているのか。
9 中風の人に、『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて、寝床をたたんで歩け』と言うのと、どちらがやさしいか。
10 人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに知らせるために。」こう言ってから、中風の人に、
11 「あなたに言う。起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい」と言われた。
12 すると彼は起き上がり、すぐに床を取り上げて、みなの見ている前を出て行った。それでみなの者がすっかり驚いて、「こういうことは、かつて見たことがない」と言って神をあがめた。

 説教を聞いた自分なりの解釈ですが、
 中風の人を担いだ四人の人たちを、四本の救いの綱にたとえて、この四本は愛の綱であり、信仰の綱であり、祈りの綱であり、協力の綱であるとし、この四人の力、即ち、みんなの持てる力を合わせて、それぞれが自分のできることを果たして、多くの方々をイエス様のもとにお連れいたしましょうということでした。

 説教を聞きながら思ったことですが、ここのところ自然災害が頻発、集中豪雨で日本が押し流されてしまいそうな不安。地球温暖化が進む中で、これを何としても食い止める確固たる善後策もないまま、それこそ地球というタイタニックがいま沈没しかけているかの危機感さえ覚えつつも、如何とも為し難い現実。資源獲得、経済優先は止むことがない。神の光を知る事のない暗闇の深さを思い、伝道の難しさを思ったことですが、「四人の力」、自分の力は微々たるものでも、撚り合わせた力があるということに気付きを与えられたことでした。

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庭の花々

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 ことしは庭の花をあまり撮らなかった。これからは花が少なくなっていく。いま庭に咲いてくれている花たち。まだサルスベリも咲いている。朝顔や小菊も。
 
 昨年の9月から始めたウォーキング、体操。冬場氷点下9度になったとき休みに入り春から再開。きょう一応の成果を確認してひと区切りとする。体重は5㌔減、数値はみな基準値内に納まる。心身ともにできるだけ自らの状態を弁えて進みゆくことができればと願い感謝しつつ。

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『街 もりおか』 2014 9 №561 に 「大正の文化は太田村から」が掲載されました

 2014年7月21日、岩手県立美術館で、太田クァルテット100周年記念コンサートがありましたが、太田クァルテットがどのような性格を持ちあわせた弦楽四重奏団であったかを、『街 もりおか』に書かせていただきました。ズームでご覧ください。

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※訂正が2か所ございます。
3段 8 行目 下総鶴覚三→下総覚三
3段19行目  榊原原→榊原

 

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アトリエ・ミツコ七宝ジュエリー展ー2014/10/1(水)~7(火)さくら野仙台店さくら野MONO創り広場1階

 七宝ジュエリー作家天沼三津子さんの展示会があります。会場は仙台市のさくら野仙台店さくら野MONO創り広場1階です。
 労を決して厭わない丹念で緻密な手仕事から創りだされたすばらしい七宝の数々を是非ご覧ください。

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立川ゆかりさん、大衆文学研究会会員に

  わたしが所属している「もりおか童話の会」、文筆修行のための集まりですが、会員である立川ゆかりさんについての報告です。この方は同人誌「天気図」の編集長であり、岩手日報新聞に小説を連載した方であり、また1年8カ月に亘って「SFマガジン」にSF作家光瀬龍の評伝を連載した方ですが、またもう一つ新たに「大衆文学研究会」の会員となられました。

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「えりないと」の神奈川支部会報に、立川さんが寄稿した会員エッセイ「文学と私」が掲載されています。寄稿している方々はみなこの世界の錚々たる顔ぶれです。ご覧ください。

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 立川さんは、エッセイの中で、文学に傾倒するに到った経緯を述べ、最後には「文学に支えられながら生きている」と結んでいるが、家庭、仕事、地域での役割を持ちながら文筆をこなしておられる実にパワフルな作家なのです。

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雑感

 ここのところ、ニュースといえば自然災害、戦争、デング熱など、暗いニュースが多い。圧倒される中で、自分はいったい何やってんの? 何れ大したことはやってない。正直なところブログの更新にも意義を見いだせなくなっている。ただ、このようなときに、何らかの救いに通じることならば、無駄ではないかもしれないと思える。洗脳かとの印象を与えるとしても、イエスさまのことを書くのは無駄ではなく、そのうちにあるときには明るみを覚える。実際神が存在しないとしたら、この世の暗闇の深さはどれほどであろうか。scissors

 絵筆で人物を描くことがどれほど難しいことか、昔カンバスを立てて挑戦したことがある。上手くいった為しがない。近頃、言葉を連ねて人物を著わすのも、実はなかなか難しいことであるのに気付いた。著わし得ない、ある場合にはただの一側面、またある場合には奥にあるものを見いだせないままに書いてしまっている。何れ一朝一夕にできるはずがないのだ。
 このブログにも何人かの方々を書かせていただいたが、本人にしてみれば心外だったこともあられたかと思う。
mobaq

 きょう、ほんとうは文藝仲間の活躍を載せようとPCを開いたのだが、その方の活躍もすばらしいのだけれども、仲間たちの中には、まだ書籍化しないまでも、時代の背景などを克明に調べ上げ、その時代の事件を盛り込んで、面白い作品を熱心に書いておられる方や、質のよい童話などを書き続けておられる方々もある事に思いが及び、つい雑感を書き綴っている。きょうはここまでかな。aries

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十五夜

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 写真にすると、黒い四角な枠の中に白い円が納まっている、それだけのことになってしまうのだが、それでもついカメラに取り込んでしまう。
 こんなとき、先に月に気付くのはたいてい主人の方で、わたしは知らされてカメラを片手に走り出るといったパターン。実は最初に呼ばれて外に出て見た時には雲の向こうだった。すこし待っても現れないので、これは駄目かなと戻ったところ、また知らされて出てみると、こんどは雲を脱してやや高いめの位置に。
 花や鳥なら色彩、鳴声がある。しかし月は黙している。語らずに煌々と、押しつけがましくもなく、存在を知らしめている、そう感じられるところがいい。そしてこちら側のありように関係なく自らを運行させているかに見える。宇宙開発が進んだとはいえ、月もまだまだ宇宙の彼方、そんな距離感もいい。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 8月31日に息子に出したメールが今さっき返ってきた。「いま見たよ!」。10日もあれば、光ならどれぐらいの距離を進むやら。ま、返事があったのだから良しとしよう。生きてはいるらしい。

 

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きょうのことば 『福音の種蒔きー2』

 先週のインマヌエル盛岡キリスト教会のメッセージで取り上げられた聖書のおことばをお伝えいたします。

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マタイ13:1~9、18~23
1 その日、イエスは家を出て、湖のほとりにすわっておられた。
2 すると、大ぜいの群集がみもとに集まったので、イエスは舟に移って腰をおろされた。それで群集はみな浜に立っていた。
3 イエスは多くのことを、彼らにたとえで話して聞かされた。「種を蒔く人が種蒔きに出かけた。
4 蒔いているとき、道ばたに落ちた種があった。すると鳥が来て食べてしまった。
5 また、別の種が土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに芽を出した。
6 しかし、日が上ると、焼けて、根がないために枯れてしまった。
7 また、別の種はいばらの中に落ちたが、いばらが伸びて、ふさいでしまった。
8 別の種は良い地に落ちて、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結んだ。
9 耳のあるものは聞きなさい。」

18 ですから、種蒔きのたとえを聞きなさい。
19 御国のことばを聞いても悟らないと、悪い者が来て、その人の心に蒔かれたものを奪って行きます。道ばたに蒔かれるとは、このような人のことです。
20 また岩地に蒔かれるとは、みことばを聞くと、すぐに喜んで受け入れる人のことです。
21 しかし、自分のうちに根がないため、しばらくの間そうするだけで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。
22 また、いばらの中に蒔かれるとは、みことばを聞くが、この世の心づかいと富の惑わしとがみことばをふさぐため、実を結ばない人のことです。
23 ところが、良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。」

  この日の國光勝美牧師のおはなしの中で、なるほどと思ったのは、福音の種蒔きは、蒔くひとは、ただイエス様の御愛に感謝しながら淡々と蒔けばよいということだった。その種を育ててくださるのは神様であること、結果は我々の責任の領域ではないのだということだった。
 これは説教の中にはないはなしですが、中国では、2010年時点では約6700万人のキリスト教者がおり、ということは今はもう大変な数になっているでしょう。いま盛んに報道されている中国の顔とは別な事実に、たいへんな親近感を覚えたわけだけれども、ならば、なぜこの国では、という大きな枠ではなくとも、身の周りに受け入れる人が少なく、多くが新興宗教に流れてしまうのか、わたしはこのことに力が抜けるのを覚えたこともある。しかし、神が御自分の存在がわかるように折々にそれをわからせてくださっている事実に押し出されて信仰を失わずにいる。伝道となると自分の非力を痛感させられてしまう事がしばしばだ。しかし、この日、主は講壇から、結果は神様の責任である。わたしたちは、それが徒労だと思われても、一心に蒔き続けなさいと語られたのでした。
 これはたしか國光ひろ子牧師が言っておられたが、その昔、ハドソン・テーラーが中国に蒔いた種は脈々と生き続けてきたのだと。種蒔きの結果が目には見えなくとも悲観的であることはないと励まされたことです。

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笑顔

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  一昨日は、病床洗礼を受けられた教会のある方のお父様が天に召された。
そして、きょうは、行き先でたまたま出会った高校の同期生である方が、最近洗礼を受けられた事を知った。これまで個人的な付き合いは殆ど無かったけれども、ほんとうに嬉しかった。思わず「兄弟姉妹になったんだね、ほんとうにおめでとう! 天国でも会えるね」と握手。
 亡くなられた方の葬儀次第がどのようになるのか気になりつつも、洗礼を受けたという彼女の笑顔がいま心に通っている。

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この闇にも

  ひとよりも優れて関係しているとは言えないまでも、福祉関係に携わっている事は、少なくとも善事善行をしている範疇にあると一時期は勘違いしていた。
 きょう、ある方の様子を知りたいと、これは探ると言うよりは、心配だったので様子を別な方に教えていただいたのだが、そしてすっかり安心できた事があった。家に帰ってから、あららら、イエスさまは、どんな人たちと関わりを持っていたっけと聖書に出て来る様々な人々を思い起こしてみた。そしてわかったのだ。どの方との関わりも、すべて神様がわたしに下さっている人との出会いなのだということ。そしてイエスさまとともにあるときに、それは重荷ではなくなるのだということ。
 加えて感謝なことに、「大変なときはいつでも言って、手伝うから」と言ってくださる方がいらっしゃる。社交辞令ではなく、本気で言ってくださっている。
 今のところ、もうどうしたらよいかわからないとか、不安で仕方がないというところには直面していない。

 この事とは別に、この度の広島の大雨による土砂災害には暗澹たる思いがしていたが、唯一感動し心が慰められたのは、支援の意思を表明し、現地に入って懸命に働いて下さっている多くの方々の姿だった。災害に遭った方々にばかりではなく、ニュースを通して見る者にも希望と力を与えてくれた。このような人の心がある限り、何とか暗闇にも模索し続け生き抜いていくことができるのではないかと感謝したことです。

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青紫蘇ジュース

 裏の小さな畑が、いつの間にか青紫蘇に占拠されてしまった。トマト、胡瓜、サヤインゲン、オクラなどを植えているが、隙間という隙間に繁茂。よくもこれだけ種子がこぼれていたものだ。去年までは刈り取っては捨てていた。けれども今回は紫蘇ジュースが簡単に作れるということで、葉っぱを集めて煮え立った鍋に分けて入れ、煮だしてみた。赤紫蘇でも作ってみたが、これはよくできた。青紫蘇では初挑戦。すこし茶色っぽく、とても美味しそうには見えない。レモンの買い置きがなくなっていたので、砂糖だけを控えめに加えて試飲。何か薬効ぐらいはあると思えば飲めない事もないというぎりぎりのところかな。sweat02 

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はや9月

 

きのうの日曜日から、なにか1週間もの時が経ってしまったような感覚です。
 ブログの更新がなかったので、心配してお電話をくださったり、玄関先に来てくださった方もいらっしゃいました。ありがとうございました。cat

 精神的に眠っている間に、やっと醒めかけて辺りを見回してみると、もう木の実が熟する秋になっていた、そんな心境のところです。eye

 昨日、教会の礼拝の後で、教会学校の先生を囲んで、兄弟姉妹がとても楽しそうに次つぎにゲームをしたり、本を読んだり、お互いに助けあったり、面倒を見あったりしている姿には心が和みました。明るく屈託ない子どもたち。いちばん上のお姉ちゃんが、小さい子をだっこしたり、歌を唄って聞かせたり。誰かが「大草原の小さな家みたい」と言いましたが、ほんとうに!
 みんなでお昼をいただいてから、教会周辺のチラシ配布に参加。暑い日差しの中ですが、なかなか清々しい気分でした。club

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