終戦記念日
戦争の報道も全真相のほんの一部分でしかない。ネットやグラフ誌、週刊誌に出るものもそうだ。私が、比較的詳しく活字を通して知った戦争の惨禍は、過去にあった満州、シベリヤ抑留、これも第二次世界大戦のうちのほんの一部でしかない。
しかし今ここで、そのほんの一部という内容だけでも、事実のままに映像化するなら、誰も正視できないだろう。活字で読む分には何とか読み進むのだけれども。戦争とは所詮こういうものだろう。
今こうして一応、平和である事が、勿論きな臭い事は多くあるのだけれども、今この瞬間平穏である事がどれほどに有難いことか。帰ってきている二男、一緒に食べる夕食、停電はなく、銃声もせず、爆撃もなく、戸をぶち破る者もいない。引きたてられる悲鳴も聞こえない。この平穏さをかき乱す戦争に巻き込まれたくない。
平和が兵器の性能次第で、軍事力増強で、まして核でもたらされるとは思わない。しかし現実はそんな方向に傾いている。
正午には人並みに平和を祈った。人の死とは思われない、人の扱いとは思われない非業を強いられた方々がいた。本気で祈った。
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- あれこれ (2022.12.03)
- あれこれ (2022.11.26)
- 秋はどこに来てるかな(2022.10.29)
- TVをどんなふうに(2022.10.22)
- パキスタンの水害 (2022.09.17)
コメント