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きょうのことば 『真夜中の賛美』

日曜日はインマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924)國光勝美牧師の説教を一週間遅れでおつたえしています。きょうは、2014年7月27日のお話しですが、この日はトリオ・グラシアさんをお迎えした音楽礼拝の中での説教となりました。

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【聖書引証】使徒の働き162431

24 この命令を受けた看守は、ふたりの奥の牢に入れ、足に足かせを掛けた。
25
真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、ほかの囚人たちも聞き入っていた。
26
ところが突然、大地震が起こって、獄舎の土台が揺れ動き、たちまちとびらが全部あいて、みなの鎖が解けてしまった。
27
目を覚ました看守は、見ると、牢のとびらがあいているので、囚人たちが逃げてしまったものと思い、剣を抜いて自殺しようとした。
28
そこでパウロは大声で、「自害してはいけない。私たちはみなここにいる」と叫んだ。
29
看守はあかりを取り、駆け込んで来た、パウロとシラスとの前に震えながらひれ伏した。
30
そして、ふたりを外に連れ出して「先生がた。救われるためには、何をしなければなりませんか」と言った。
31
ふたりは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」と言った。 

【おはなし】

 トリオ・グラシアさんの賛美を聴き、ともに歌いながら、詩篇403にあります「主は、私の口に、新しい歌、われらの神への賛美を授けられた」という御言が心の中に思い浮かんでまいりました。このような賛美に共感できる人生を神様が与えてくださっております。これを他の方々にもお伝えしたいという気持ちが一層こみ上げてまいりました。

きょうは引証聖句のうち、特に25節「夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると」、この一点に心を向けたく思います。

ここに、囚人とされたパウロとシラスが出てまいります。特にパウロという人物は、イエスさまにお仕えしていた代表的な使徒であります。罪を犯して投獄されたのではなく、イエス様をお伝えしたことが、その町の人たちの反感を買い、そこの為政者によって牢屋に入れられてしまったのです。理不尽な事です。単に投獄されたばかりではなく、尖った魚の骨や鋭い石の破片を付けたムチで打たれるという刑罰もあったのです。それは人を傷つけることを目的とした刑具であり、30回以上叩くと肉が裂けて死んでしまうために、それ以上叩いてはならないという決まりがありました。

ここでいう「真夜中」は、いったいどんな状況なのでしょう。これには、絶望、孤独、恐怖の三つがある。私たちが人生を歩んでいるとき、「真夜中」を経験することはないでしょうか。ちょうどパウロとシラスのような不条理に置かれることはないでしょうか。悪いことを何もしていない私がなぜ? なぜわたしが? よくこんな「真夜中」を経験することがあります。

「絶望」という角度からみてみましょう。もうどうすることもできない、最早生きている望みも無い、そんな状況です。更にこの後、聖書を読み進みますと、大地震が起きて牢屋の扉が全部開いてしまい、囚人たちが逃げてしまったかもしれないという状況になります。牢屋の看守は責任を果たせなかったことで絶望したでしょう。当時のローマの掟では、囚人を逃がした場合には、看守はその囚人と同じ刑罰を受けなければなりませんでした。これは看守だけではなく、私たちの人生に於いても、もう生きてはいけない、どうしてこんな辛い思いをして生きていなくちゃいけないのか、そういう真夜中に直面する人が少なくない。真面目に生きていこうとする殆どの方々が経験されるところでしょう。

また人は、まるでポッカリと穴が開いたように孤独になることがある。ソ連の宇宙飛行士テレシコワさんが言った「わたしはかもめ」のほんとうの意味は、地上にも連絡が取れなくなってしまい、唯一のコールサインをキャッチしてくれキャッチしてくれと宇宙酔いでふらふらになりながら言い続けていた。悲痛な叫びだったということです。宇宙で、誰とも連絡が取れなくなってしまったその絶望感。孤独というのは、そうなんです。誰からも理解されない、誰も自分のことを解ってくれない孤独。私たちにもあるこれが「真夜中」です。

このような「真夜中」に、パウロとシラスは、牢屋の中で賛美を歌っていた。不条理の中で賛美歌を歌う事が出来たのです。これは決して小さなことではありません。これは神様に対する信頼、或いは、摂理信仰といったらいいでしょう。誰にも解ってもらえない、しかし、天のお父様が私をご覧になっておられる。天の父がおられる。この信頼に立って、神様に対して賛美し、不条理の中にいても、賛美を歌う事が出来る。

それからもう一つ、絶望の中で、私たちは賛美を歌う事が出来る。「真夜中」にあるとき、恨みや自己弁護、弁解、言い訳をしたくなるかもしれない。しかしそんな想いの一切を措いて絶望の中で神様を賛美できるのです。歌うことによって自らを励ますことができる。呟きや恨み事は何の解決にもならない。そのようなときに、敢えて、神様に向かって賛美を捧げ、神への信頼を自ら鼓舞することです。そして祈りましょう。クリスチャンの心の中には、神様がくださった御聖霊様が心に宿っておられますが、このような時にこそ、この御聖霊様が、私の置かれている真夜中の状態を私に代わって呻いてくださいます。私の祈りを助けてくださる。わたしの呻きなんて誰が耳にするだろうか。しかし、内にある神様の霊が呻きのように叫びだしてくださる。神様は、この聖霊の呻きを聴いてくださいます。賛美というのはその意味で聖霊の呻き、聖霊が私たちの代わりに迸り出てくださる。その呻きがトリオ・グラシアさんの場合は賛美という形を取って、私たちに語りかけて下さるのです。

孤独の中で賛美する時、あなたは決してひとりぽっちじゃない、「神共にいます」。先ほど申し上げましたけれども、内に在すお方は、「私はあなたとともにいる、どんなときにも」といっておられるのです。先ほどテレシコワさんの例を挙げましたが、私たちが「真夜中」の中にいても、「だいじょうぶ、私は、あなたと共にいるよ」仰って、そして共にいてくださる。

詩篇234 たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから」

神が一緒にいてくださるところには力が与えられます。私たちは真夜中に賛美を歌う事が出来る者たちです。このようになることを、神様は私たちを通して人々に知らせようとしておられます。こういう人生を送りたい、呟きではない、恨みではない、このような真夜中に、神様への賛美を歌う人生を送りたいと思う方々、きょうが大きな転換となりますように心から願うことであります。

グラシアさんが歌ってくださった曲の中から2曲、ご紹介します。

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※文責:中ぶんな


 

 

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