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2014年8月

きょうのことば 『福音の種蒔き』

 出エジプト記20:8 に「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ」とあります。日曜日は聖なる日、その事を覚え、教会の講壇で取り上げられた御言をおつたえいたします。

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聖書引証 マタイ13:1~9
       マタイ13:18~23

1 その日、イエスは家を出て、湖のほとりにすわっておられた。
2 すると、大ぜいの群集がみもとに集まったので、イエスは舟に移って腰をおろされた。それで群集はみな浜に立っていた。
3 イエスは多くのことを、彼らにたとえで話して聞かされた。「種を蒔く人が種蒔きに出かけた。
4 蒔いているとき、道ばたに落ちた種があった。すると鳥が来て食べてしまった。
5 また、別の種が土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに芽を出した。
6 しかし、日が上ると、焼けて、根がないために枯れてしまった。
7 また、別の種はいばらの中に落ちたが、いばらが伸びて、ふさいでしまった。
8 別の種は良い地に落ちて、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結んだ。
9 耳のあるものは聞きなさい。」

18 ですから、種蒔きのたとえを聞きなさい。
19 御国のことばを聞いても悟らないと、悪い者が来て、その人の心に蒔かれたものを奪って行きます。道ばたに蒔かれるとは、このような人のことです。
20 また岩地に蒔かれるとは、みことばを聞くと、すぐに喜んで受け入れる人のことです。
21 しかし、自分のうちに根がないため、しばらくの間そうするだけで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。
22 また、いばらの中に蒔かれるとは、みことばを聞くが、この世の心づかいと富の惑わしとがみことばをふさぐため、実を結ばない人のことです。
23 ところが、良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。」

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きょうのことば 『恵と憐れみの神』

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【聖書引証】 詩篇23:1~6

1 は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。
2 主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。
3 主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。
4 たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。
5 私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。
6 まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、の家に住まいましょう。

【つぶやき】
 ああ、日曜日だな。
1週間ブログの更新をやすみ、とにかく最低限すべきこと以外の一切を措いて休息しました。そしてきょうの日曜日。久方ぶりの更新です。

 先週のこの御言のメッセージでは、職場にあって“谷”の経験をされた方が、とにかく祈りをもって見事にスランプを乗り越えられたことが語られ、大きな励ましとなりました。
 朝ごとに、また何につけても、教会や家族、特に私は息子の事をよく祈りますが、家族の、親族、友人、知人のために祈ることの大切さ、あだや疎かにしてはならないと思ったことです。

 きょうは好天に恵まれました。
この爽やかな朝の風を浴び、ちょっぴりきついめの光、それでも長雨の後ではこのうえなく有難いこの光に感謝しながらのスタートです。
 

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きょうのことば 『再生の恵』

 特別な事情がない限り、わたしは毎週日曜日にはインマヌエル盛岡キリスト教会に行き、そこでお話しを聞いて、ブログに掲載してまいりましたが、自らの持ち時間が厳しくなっている事情と、文章が長すぎるといった御指摘もあり、また適切に編集することの限界も覚え、さまざまに思い巡らしをしました結果、きょうからは、私が教会で教えられた事や励まされた事を書かせていただく事にいたしました。先ずは聖書の引証箇所です。

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【聖書引証】 エゼキエル37:1~10
1 主の御手が私の上にあり、主の霊によって、私は連れ出され、谷間の真ん中に置かれた。そこには骨が満ちていた。
2 主は私にその上をあちらこちらと行き巡らせた。なんと、その谷間には非常に多くの骨があり、ひどく干からびていた。
3 主は私に仰せられた。「人の子よ。これらの骨は生き返ることができようか。」私は答えた。「神、主よ。あなたがご存知です。」
4 主は私に仰せられた。「これらの骨に預言して言え。干からびた骨よ。主のことばを聞け。
5 神である主はこれらの骨にこう仰せられる。見よ。わたしがおまえたちの中に息を吹き入れるので、おまえたちは生き返る。
6 わたしがおまえたちに筋をつけ、肉を生じさせ、皮膚でおおい、おまえたちの中に息を与え、おまえたちが生き返るとき、おまえたちはわたしが主であることを知ろう。
7 私は、命じられたように預言した。私が預言していると、音がした。なんと、大きなとどろき。すると、骨と骨とが互いにつながった。
8 私が見ていると、なんと、その上に筋がつき、肉が生じ、皮膚がその上をすっかりおおった。しかし、その中に息はなかった。
9 そのとき、主は仰せられた。「息に預言せよ。人の子よ。預言してその息に言え。神である主はこう仰せられる。息よ。四方から吹いて来い。この殺された者たちに吹き付けて、t彼らを生き返らせよ。」
10 私が命じられたとおりに預言すると、息が彼らの中に入った。そして彼らは生き返り、自分の足で立ち上がった。非常に多くの集団であった。

 


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帰ってゆく人々

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  お盆のあいだ、散歩はお休みということにしていたが、歩かないでいると足腰が痛むことがある。痛む足が歩いているうちに治ったこともある。運動不足がさまざまな故障を引き起こすように思い、30分だけでも歩こうと、まるせい呉服店さん近くの富士見橋まで出てみると、中津川が増水、河川敷にまで水位が上がり樹木が水に浸かっていた。

 午後はたまたま、甥姪たちと高校野球のTV観戦、盛附の勝利に湧いた。生徒の活躍でまたも輝く校歌。作曲者は千葉了道。ここのところは作曲者が誰であれいつも何か不思議な気がする。

 お盆も終わる。明日で息子も遠来の姉家族も帰っていく。帰省していた多くの方々も。盛岡の街はまたいつもの顔を取り戻すだろう。

 

 

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終戦記念日

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 戦争の報道も全真相のほんの一部分でしかない。ネットやグラフ誌、週刊誌に出るものもそうだ。私が、比較的詳しく活字を通して知った戦争の惨禍は、過去にあった満州、シベリヤ抑留、これも第二次世界大戦のうちのほんの一部でしかない。
 しかし今ここで、そのほんの一部という内容だけでも、事実のままに映像化するなら、誰も正視できないだろう。活字で読む分には何とか読み進むのだけれども。戦争とは所詮こういうものだろう。

 今こうして一応、平和である事が、勿論きな臭い事は多くあるのだけれども、今この瞬間平穏である事がどれほどに有難いことか。帰ってきている二男、一緒に食べる夕食、停電はなく、銃声もせず、爆撃もなく、戸をぶち破る者もいない。引きたてられる悲鳴も聞こえない。この平穏さをかき乱す戦争に巻き込まれたくない。
 平和が兵器の性能次第で、軍事力増強で、まして核でもたらされるとは思わない。しかし現実はそんな方向に傾いている。

 正午には人並みに平和を祈った。人の死とは思われない、人の扱いとは思われない非業を強いられた方々がいた。本気で祈った。

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共感

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もりおか歴史文化館の広場。お盆中、早朝散歩はしなかったので、その前々日かに撮ったもの。大きな樹木のむこうに見える風景が私は好きなようだ。撮りためた写真にはこんな構図が多い。岩山周辺のクマ出没に、朝の進路はいま専らこの辺りになっている。お盆が終わればまた散歩の再開だ。

 毎朝歩くことで四季の移り変わりを一通りていねいに見ることができた。ヒマラヤシーダーのlimegreenよりすこし白っぽく見える美しい実を発見、初めて間近に見た時は感動だった。

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 対岸から見て、植物に詳しい友だちが、白い合歓の木ではないかといった。そこでわたしは、合歓の木の花にはピンクだけではなく、白もある事を知った。その方は自然観察会にも随分と参加しているけれども、秋になるとあの茶色の見事なまつかさのようになる実のいまのすがたに大いに感激していた。
 そのともだちも、近々転居することになるだろう。樹木、花々の解説を聴くことができなくなる。残念でならない。

         ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 きょうもブログは更新なしでいいかなと思っていた。ところが、「頑張れ、頑張れ」と心のどこからか声がする。ああ、これは神様が何らかを通して私に頑張れと言っておられる、そう思った。何をどう頑張るかなのだが、一応日常生活は今のところ怠けているとは言えない。それ以外で頑張るとすれば何を頑張ればいいのか。何れ結果はどうであれ、私はいまよりほんのちょっとのところでかもしれないが、頑張らなくちゃならないようだ。
 

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雑感

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 台風11号、地震警報と立て続き、やっと大雨警報解除の速報が出たときには思わず涙が。雨で滞っていた庭仕事をきょうで終えてしまおうと躍起になったが、買い物にも行かねばならず半ばに。

 ヘブル13:5 いま持っているもので満足しなさい。主ご自身がこう言われるのです。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」


  



 

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きょうのことば 『磐上の家』

 日曜日はインマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924)の説教を一週間遅れでおつたえしていますが、きょうは、2014年8月3日に取り上げられた御言のみをお伝えいたします。

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【聖書引証】マタイ伝7:24~29


24 だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。

25 雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。

26 また、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行わない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができます。

27 雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもそれはひどい倒れ方でした。」

28 イエスがこれらのことばを語り終えられると、群衆はその教えに驚いた。

29 というのは、イエスが、律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように教えられたからである。

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詩篇23篇

 台風11号襲来。深刻化する災害に臨んで、情報に耳を澄まし、それなりの対応を取るべき事を念頭に、心に通うシェルターともいうべきことばは、詩篇23篇。

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1 は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。

2 主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。

3 主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。

4 たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。

5 私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。

6 まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、の家に住まいましょう。

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気になるエボラ出血熱

 ニュースでアフリカに多数の患者が出ている事を知った。もうすこし詳しく見ようと検索したが、眼精疲労が甚だしく、読み取りに困難をきたしている。
 近所では犬でさえも、勿論犬もだいじな命だけれども、手厚い医療と看護を受けている。アフリカに深刻な病が発生するたびに、この落差に心が痛む。現地で医療に携わっている方々、インマヌエル教団からも派遣されているけれども、無事であっていただきたい。
 

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雑感

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 久しぶりにブログを更新しないでしまった。5日火曜日は何をしていたかなと思い致せば、その日は一緒に歩いている方が朝6時に玄関先にいらしたのに始まった。昨日散歩の道々いつもの犬の姿が見えないと彼女と話し心配していたところ、この日は飼い主が玄関先に出て犬に付き添っていた。訊くと2泊3日で入院してきたのだという。初めての入院だったらしい。飼い主と離れて狭いケージに入れられ食べなかったらしい。犬の事とはいえ、これも個人情報のうちになるのかもしれないが。冷たいタオルをのせてもらったり、扇風機にもあててもらったりと、実に手厚い看護を受けている。いつまでも木戸口のところに座っていて欲しいものだ。
 午前は原稿書き。午後には福祉関係の定例会があった。夜中に目を醒まし、あらら、ブログの更新わすれちゃった、と気付いたが、そのまま快眠続行。
 6日は東北聖会、謂わば教会の合宿だ。当日になって「参加したいので(会場の花巻まで)一緒に乗せていって欲しい」という方がいらっしゃり、思いがけず車中ではその方とお嬢さんと楽しい会話が弾んだ。
 東北各地からの参加者に混じって聴講。自分に今欠けているのは、自分の所属している教会がどういっているかも大切なことだが、聖書を読んで自分がどう思いどう考えるのか、つまり神様は聖書を通してわたしに何を直接語りたく願っておられるかを知る事ではないかと気付いた。十和田、秋田の方々と同室だったが、遅くまでさまざま話し合う事ができた。これまでで最も有意義な聖会だったと思う。

 気付けば、さんさ踊りには行かないでしまった。さんさ踊りを見に行って帰りゆく方々の話声を窓の下に聞いてはいたが。ギネスの太鼓はどうだったろう。
 今夜もバッハで、私にとっては常に新しいバッハで締めくくろう。虫の音も聞こえている。

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第49回「音楽の夕べ」 ー太田カルテット100周年記念ーを聴く

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 久しぶりに日曜日の午後、国道106号線を盛岡 -宮古間、往復飛ばしました。但し50~60キロで。先を急ぎたい後続車が後方に数珠つなぎに。追い越しをかける車が出はじめたのでPに退避、やり過ごしました。帰りの北上山地のど真ん中の真っ暗闇はなかなかのものでした。

 「写真撮影は御遠慮ください」のアナウンスにデジカメを一旦はバックに納めたものの、最後だけ一枚、真後ろから撮らせていただきました。

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 後部はただの暗闇のようですが、お客様がぎっしり座っていらっしゃいます。2011年東日本大震災に、梅村ヴァイオリン教室の子どもたちの家庭が、そしてここに出演しておられる合唱団の関係者にも被災された方々が。これまでにない困難な状況の中で、こういうときだからこそ絶やしてはならないと「音楽の夕べ」を演奏すべく立ちあがられたところ、宮古市民文化会館も被災、その苦境に会場の提供を快諾くださったのがこの陸中ビルでした。ここを会場に音響、照明、撮影機材を持ち込み続けられた「音楽の夕べ」はことしで4回目です。宮古市の事業計画では、宮古市民文化会館の修復は26年度末には完成となっており、もしかすれば、この会場での「音楽の夕べ」は今回が最後かと、感慨深いものがありました。

 大正の時代、太田クァルテットの主宰者だった梅村保のひ孫にあたる梅村隆一、梅村真美、小松智佳子の各氏と韮澤有氏は、7月21日に岩手県立美術館で開かれた太田クァルテット創立100周年記念演奏会を成功させての今回の出演です。

『キラキラ星変奏曲』、そして、中1の方のヴァイオリン、譜の理解に感心しました。第四部の聴きごたえのある演奏、そして最後、心を明るくしてくれる歌声は感動でした。コンサートでいただいた元気さで、帰り路の100キロの夜道もしっかりとハンドルを握り、淡々とドライブ、無事帰着。現地にいる友人、またこちらから同行してくれた近所の方からも「ほんとうによいコンサートだった」との感想をいただいております。有難うございました!! 

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きょうのことば 『真夜中の賛美』

日曜日はインマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924)國光勝美牧師の説教を一週間遅れでおつたえしています。きょうは、2014年7月27日のお話しですが、この日はトリオ・グラシアさんをお迎えした音楽礼拝の中での説教となりました。

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【聖書引証】使徒の働き162431

24 この命令を受けた看守は、ふたりの奥の牢に入れ、足に足かせを掛けた。
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真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、ほかの囚人たちも聞き入っていた。
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ところが突然、大地震が起こって、獄舎の土台が揺れ動き、たちまちとびらが全部あいて、みなの鎖が解けてしまった。
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目を覚ました看守は、見ると、牢のとびらがあいているので、囚人たちが逃げてしまったものと思い、剣を抜いて自殺しようとした。
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そこでパウロは大声で、「自害してはいけない。私たちはみなここにいる」と叫んだ。
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看守はあかりを取り、駆け込んで来た、パウロとシラスとの前に震えながらひれ伏した。
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そして、ふたりを外に連れ出して「先生がた。救われるためには、何をしなければなりませんか」と言った。
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ふたりは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」と言った。 

【おはなし】

 トリオ・グラシアさんの賛美を聴き、ともに歌いながら、詩篇403にあります「主は、私の口に、新しい歌、われらの神への賛美を授けられた」という御言が心の中に思い浮かんでまいりました。このような賛美に共感できる人生を神様が与えてくださっております。これを他の方々にもお伝えしたいという気持ちが一層こみ上げてまいりました。

きょうは引証聖句のうち、特に25節「夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると」、この一点に心を向けたく思います。

ここに、囚人とされたパウロとシラスが出てまいります。特にパウロという人物は、イエスさまにお仕えしていた代表的な使徒であります。罪を犯して投獄されたのではなく、イエス様をお伝えしたことが、その町の人たちの反感を買い、そこの為政者によって牢屋に入れられてしまったのです。理不尽な事です。単に投獄されたばかりではなく、尖った魚の骨や鋭い石の破片を付けたムチで打たれるという刑罰もあったのです。それは人を傷つけることを目的とした刑具であり、30回以上叩くと肉が裂けて死んでしまうために、それ以上叩いてはならないという決まりがありました。

ここでいう「真夜中」は、いったいどんな状況なのでしょう。これには、絶望、孤独、恐怖の三つがある。私たちが人生を歩んでいるとき、「真夜中」を経験することはないでしょうか。ちょうどパウロとシラスのような不条理に置かれることはないでしょうか。悪いことを何もしていない私がなぜ? なぜわたしが? よくこんな「真夜中」を経験することがあります。

「絶望」という角度からみてみましょう。もうどうすることもできない、最早生きている望みも無い、そんな状況です。更にこの後、聖書を読み進みますと、大地震が起きて牢屋の扉が全部開いてしまい、囚人たちが逃げてしまったかもしれないという状況になります。牢屋の看守は責任を果たせなかったことで絶望したでしょう。当時のローマの掟では、囚人を逃がした場合には、看守はその囚人と同じ刑罰を受けなければなりませんでした。これは看守だけではなく、私たちの人生に於いても、もう生きてはいけない、どうしてこんな辛い思いをして生きていなくちゃいけないのか、そういう真夜中に直面する人が少なくない。真面目に生きていこうとする殆どの方々が経験されるところでしょう。

また人は、まるでポッカリと穴が開いたように孤独になることがある。ソ連の宇宙飛行士テレシコワさんが言った「わたしはかもめ」のほんとうの意味は、地上にも連絡が取れなくなってしまい、唯一のコールサインをキャッチしてくれキャッチしてくれと宇宙酔いでふらふらになりながら言い続けていた。悲痛な叫びだったということです。宇宙で、誰とも連絡が取れなくなってしまったその絶望感。孤独というのは、そうなんです。誰からも理解されない、誰も自分のことを解ってくれない孤独。私たちにもあるこれが「真夜中」です。

このような「真夜中」に、パウロとシラスは、牢屋の中で賛美を歌っていた。不条理の中で賛美歌を歌う事が出来たのです。これは決して小さなことではありません。これは神様に対する信頼、或いは、摂理信仰といったらいいでしょう。誰にも解ってもらえない、しかし、天のお父様が私をご覧になっておられる。天の父がおられる。この信頼に立って、神様に対して賛美し、不条理の中にいても、賛美を歌う事が出来る。

それからもう一つ、絶望の中で、私たちは賛美を歌う事が出来る。「真夜中」にあるとき、恨みや自己弁護、弁解、言い訳をしたくなるかもしれない。しかしそんな想いの一切を措いて絶望の中で神様を賛美できるのです。歌うことによって自らを励ますことができる。呟きや恨み事は何の解決にもならない。そのようなときに、敢えて、神様に向かって賛美を捧げ、神への信頼を自ら鼓舞することです。そして祈りましょう。クリスチャンの心の中には、神様がくださった御聖霊様が心に宿っておられますが、このような時にこそ、この御聖霊様が、私の置かれている真夜中の状態を私に代わって呻いてくださいます。私の祈りを助けてくださる。わたしの呻きなんて誰が耳にするだろうか。しかし、内にある神様の霊が呻きのように叫びだしてくださる。神様は、この聖霊の呻きを聴いてくださいます。賛美というのはその意味で聖霊の呻き、聖霊が私たちの代わりに迸り出てくださる。その呻きがトリオ・グラシアさんの場合は賛美という形を取って、私たちに語りかけて下さるのです。

孤独の中で賛美する時、あなたは決してひとりぽっちじゃない、「神共にいます」。先ほど申し上げましたけれども、内に在すお方は、「私はあなたとともにいる、どんなときにも」といっておられるのです。先ほどテレシコワさんの例を挙げましたが、私たちが「真夜中」の中にいても、「だいじょうぶ、私は、あなたと共にいるよ」仰って、そして共にいてくださる。

詩篇234 たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから」

神が一緒にいてくださるところには力が与えられます。私たちは真夜中に賛美を歌う事が出来る者たちです。このようになることを、神様は私たちを通して人々に知らせようとしておられます。こういう人生を送りたい、呟きではない、恨みではない、このような真夜中に、神様への賛美を歌う人生を送りたいと思う方々、きょうが大きな転換となりますように心から願うことであります。

グラシアさんが歌ってくださった曲の中から2曲、ご紹介します。

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※文責:中ぶんな


 

 

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第49回「音楽の夕べ」 ー太田カルテット100周年記念ー2014/8/3(日)開演16:00陸中ビル3階大ホール

 宮古市で交響曲を演奏する会の主催で宮古ジュニア弦楽合奏団主幹のコンサート第49回「音楽の夕べ」が8月3日(日)16:00陸中ホールで開かれます。
 7月21日には、岩手県立美術館で太田クァルテット100周年記念コンサートを成功させ、続いてのコンサートです。弦の響き、そして沿岸で活躍する各合唱団、アンサンブルの共演があります。どうぞご期待ください!!

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