« 身辺のできごと | トップページ | 写真2枚 »

きょうのことば 『神の時間と私達』

日曜日はインマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924)國光勝美牧師の説教を一週間遅れでおつたえしています。きょうは、2014629日のお話しです。

20140705_063202

 

【聖書引証】第二ペテロ3113

 

1 愛する人たち。いま私がこの第二の手紙をあなたがたに書き送るのは、これらの手紙により、記憶を呼びさまさせて、あなたがたの純真な心を奮い立たせるためなのです。
2
それは、聖なる預言者たちによって前もって語られたみことばと、あなたがたの使徒たちが語った、主であり救い主である方の命令とを思い起こさせるためなのです。
3
まず第一に、次のことを知っておきなさい。終わりの日に、あざける者どもがやって来てあざけり、自分たちの欲望に従って生活し、
4
次のように言うでしょう。「キリストの来臨の約束はどこにあるのか。父祖たちが眠った時からこのかた、何事も創造の初めからのままではないか。」
5
こう言い張る彼らは、次のことを見落としています。すなわち、天は古い昔からあり、地は神のことばによって水から出て、水によって成ったのであって
6
当時の世界は、その水により、洪水におおわれて滅びました。
7
しかし、今の天と地は、同じみことばによって、火に焼かれるためにとっておかれ、不敬虔な者どものさばきと滅びとの日まで、保たれているのです。
8
しかし、愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。
9
主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。
10
しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。
11
このように、これらのものはみな、くずれ落ちるものだとすれば、あなたがたは、どれほど聖い生き方をする敬虔な人でなければならないことでしょう。
12
そのようにして、神の日の来るのを待ち望み、その日の来るのを早めなければなりません。その日が来れば、そのために、天は燃えてくずれ、天の万象は焼け溶けてしまいます。し、私たちは、神の約束に従って、正義の住む新しい天と新しい地を待ち望んでいます。

 

【お話し】

 

きょうは、聖書が、この末の時代について何といっているのか。私たちは、この末の時代にどのような心構えであるべきなのか。ひとりの生涯の締めくくりだけではなく、この時代の締めくくりということをもうすこし広く見ていきましょう。

 

第二 ペテロ3

 

1 愛する人たち。いま私がこの第二の手紙をあなたがたに書き送るのは、これらの手紙により、記憶を呼びさまさせて、あなたがたの純真な心を奮い立たせるためなのです。

 

私たちの信仰が純真なものでありますようにと願われています。

 

2 それは、聖なる預言者たちによって前もって語られたみことばと、あなたがたの使徒たちが語った、主であり救い主である方の命令とを思い起こさせるためなのです。

 

さあ、この時代どうあるべきかをしっかり思い起しましょうとペテロは言っております。そして3

 

3 まず第一に、次のことを知っておきなさい。終わりの日に、あざける者どもがやって来てあざけり、自分たちの欲望に従って生活し、4 次のように言うでしょう。「キリストの来臨の約束はどこにあるのか。父祖たちが眠った時からこのかた、何事も創造の初めからのままではないか。」

 

 この終末の特徴は、不敬虔な時代である、人々が欲望のままに生活する時代であるとあります。今の時代、どういう倫理観で世の中が動いているのか、敢えて言うまでもありません。各々が自分の欲望に従った生活をしている、これが終わりの日といわれる今のときです。そして、その人たちは何と言うのか、4「キリストの来臨の約束はどこにあるのか。父祖たちが眠った時からこのかた、何事も創造の初めからのままではないか。」

 

聖書がいってる特別なことなんかありはしない、こう言い張っている。別訳として5節の欄外には「彼らは次の事を故意に忘れようとしているのです。」とあり、5節には「こう言い張る」とある。世の中には神様の御干渉なんてあるわけない。世の歴史が変わることなぞないのさ、こう言い張る。或いは、敢えて、故意に過去を忘れようとしている。しかしどうでしょう。聖書は、かつてノアの洪水という大きな裁きがあったと教えています。人々は、聖書を通してこの事を知っているはずなのです。にも拘わらず、そんなこと一体どこにあったんだ、あんなものはただの神話だ。ありゃしない。そう言い張るのです。

 

イエス様が話した金持ちとラザロのたとえ話があります。信心深いラザロは死んでアブラハムのふところに憩う。しかし、欲望のままに生きて死んだ金持ちは火に苦しみ渇いた。彼は漸く死後の裁きの厳粛さに気付いたのです。そして、親族が今のうちに悔い改めるように、どうかラザロを遣わしてくれと言います。ところが、答えはこうでした。「御言(みことば)に聞き従わないならば、たとえ死んでよみがえったとしても彼らは信じようとはしない」と。意味深いことです。彼らは信じようとしないのです。敢えて言い張っているのです。そんなことはない、神の裁きなんかない。しかし、彼はどんなに言い張っても、5節にはこうあります。
5 こう言い張る彼らは、次のことを見落としています。すなわち、天は古い昔からあり、地は神のことばによって水から出て、水によって成ったのであって、6 当時の世界は、その水により、洪水におおわれて滅びました。

 

 かつては水によって世界が裁かれました。しかし聖書の中で、イエス様は、この世の終わりには森羅万象が崩れ去ると言っています。そして、ペテロも、この手紙の中でこう言っています。

 

7 しかし、今の天と地は、同じみことばによって、火に焼かれるためにとっておかれ、不敬虔な者どものさばきと滅びとの日まで、保たれているのです。8 しかし、愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。

 

私たちは、自分たちの時間というものを、どういう尺度で考えるでしょうか。私にとって、1週間は時間の尺度としては大きなものです。私にとって、時間は日曜日、それに向かっての備え、それと週半ばの祈祷会、またさまざま入って来る営み、これが私にとりましては、いちばん身近な時間の尺度です。きっと皆さまも色々な尺度をお持ちでしょう。しかし、私たちが時代を考えるときには、自分たちが慣れ親しんでいる時間の尺度を取り変えなければなりません。神様の前に、一日は1000年のように長く。また、1000年は一日のように短い。開闢以来何も変わっていないという人々は、2000年は長い時間だと考えますけれども、神様の前にはほんの一日にも満たないぐらいです。神様の前にはいつでも今なのです。遅いのではありません。

 

9 主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。

 

 どうかすべての人が、この今と言う時に悔い改めることができるように。イエス様が十字架で贖いの御業を成されてから2000年経っておりますが、神様にとっては、この2000年はほんの一瞬のことなのです。そして神様はこの間に一人でも滅びることを望まず、すべての人が悔い改める事を望んでおられます。

 

マタイ2435 この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることはありません。

 

この地上における文明は、まるでバベルの塔のごとくです。頂きをどこまでも天に届かせようとする。このような文明がいつまでも続き、そしていよいよ発展していくばかりだという幻想に捉われていますが、イエス様は、「この天地は滅び去る。しかし私の言葉は決して滅びることがない」と言われます。そして次のように続きます。

 

36 ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。
37
人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです。
38
洪水前の日々は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりしていました。
39
そして、洪水が来てすべての物をさらってしまうまで、彼らはわからなかったのです。人の子が来るのも、そのとおりです。

 

 そして第二コリント6章には次のようにあります。

 

1 私たちは神とともに働く者として、あなたがたに懇願します。神の恵みをむだに受けないようにしてください。
2
神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。

 

第二ペテロ3:9 主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。

 

 今の恵みの時をいたずらに費えることなく、私たちは二つのことに心を向けねばならないと思います。一つは宣教です。この恵の時に神様が願っておられることは、悔い改めに到って福音を伝えること。そして、もう一つは私たちが御前に潔(きよ)い生き方をすることです。

 

11 このように、これらのものはみな、くずれ落ちるものだとすれば、あなたがたは、どれほど聖い生き方をする敬虔な人でなければならないことでしょう。

 

 私は改めて思います。インマヌエルという群れを神様が興してくださったときに、聖と宣ということば「聖宣」を神様は与えてくださいました。「聖」は、聖書に忠実であること。聖書はすべて誤りの無い神の御言とする立場を鮮明にする事と共に、潔め、聖潔ということを何よりも大切な事とします。そしてもう一つは宣教、地の果てにまで宣教することです。

 

今は恵みの時、今は救いの日です

 

それに向かって私たちはいよいよ潔くあるべきです。これは神学の問題ではない、ほんとうに神様の前に立とうという時に、罪がきよめられていない、神に対する不服従な想いを持ったままで、神様の前に立ち得るなど出来る事ではありません。どれほどきよい生き方をし、敬虔なものでなければならないのか。私たちは、そのことに向かって、一つになっていきたいと思うのでございます。

 

 上半期が締めくくられます。「深みにこぎいだし、網を下ろして魚を取りなさい」と神様は語ってくださいました。「今は恵の時、今は救いの日」です。このことをしっかりと捉えたいと思います。そして、いつ主のおいでがあっても、「御子イエスの血、すべての罪よりわれらをきよむ」、100パーセント汚れの無い純真なイエス様への愛をもって生き続けていく、真摯な生き方をさせていただきたいと思うのでございます。

 

11 このように、これらのものはみな、くずれ落ちるものだとすれば、あなたがたは、どれほど聖い生き方をする敬虔な人でなければならないことでしょう。

 

 12 そのようにして、神の日の来るのを待ち望み、その日の来るのを早めなければなりません。その日が来れば、そのために、天は燃えてくずれ、天の万象は焼け溶けてしまいます。

  この前、広島に行って見てまいりました。今の文明は原子爆弾を手にしております。必ずしもコントロールできる国ばかりがそれを用いるとは限りません。テロリストや狂気にある指導者に使われる事はいくらでもあり得る。どれほど危険な時代に私たちがいる事か。天の万象が焼け溶ける、恐らくこれまでのどの時代よりもあり得ることです。まさしくそうだという納得をもってこの終末を見る事が出来ると思います。民族は民族に、国は国に敵対し、また、大きな地震が起きる。マタイの御言を見ますと、まさにその時、果たして私たちは今どう生きているでしょうか。「今は恵みの時、今救いの日です」、この御言を自らの内に一層明確にし、歩ませていただきたいと思います。


文責:中ぶんな

|

« 身辺のできごと | トップページ | 写真2枚 »

教会」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/461668/56707230

この記事へのトラックバック一覧です: きょうのことば 『神の時間と私達』:

« 身辺のできごと | トップページ | 写真2枚 »