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きょうのことば 『活きる望みなる福音』

2014年6月22日の國光勝美牧師の説教を公開いたします。時間的に厳しくはありましたが、大切な内容が語られておりますので頑張ってみました。引証聖句は前ページをご覧ください。

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きのうのバザーは、落ち着いた雰囲気の中に、教会が地域の方々にも受け入れられていることを実感したバザーでした。

 個人的なことになりますが、私は鞍掛山には特別な想いを持って度々登っておりますが、半年前から、折々に御目に掛かる方々がおられました。話をしてみると、教会のすぐ近くの方だったのです。この夏槍ヶ岳をめざして、その体力づくりだということでした。鞍掛山には一カ月のうち27 日登っているということでした。その方がご夫妻そろって来てくださったことは、ほんとうに感謝でした。またすぐ近くのご夫妻も、こちらが感動を覚えるほど親しく出入りしてくださり、嬉しく思いました。また品を提供してくださった方々も多くいらっしゃいました。御尽力、ご協力くださった皆様に心から感謝申し上げ、また大きな祝福となりました。

 またもう一つ、長野県の松本におります父が、93歳7カ月の生涯を主にあるうちに静かに看とられて、希望を持って天に帰りゆきました。神様の時が、折に適ってなされたという頷きを深くしております。一年半前には天に母を、そして今回は父を同じような形で送ったことでございます。松本ホーリネス教会をお借りして、私が両親に洗礼を授けております。23日午前中に火葬、午後告別式となります。会堂を快くお貸しくださった松本ホーリネス教会には心から感謝いたします。

 この教会の会員でもありますので、父の事をすこしお話しさせていただきます。父は、長野県伊那郡大鹿村の菅沼家の二男として生まれました。尋常小学校の時に実母に死なれ、気性の強い父は、後に来た継母とは折り合いが悪く家出をし、諏訪にある理髪店で修業中のところを、徴兵検査があり家に戻りました。家督は長男が継いでいましたが、菅沼家は、国策にそって、全財産を処分して満州の新京に渡りました。長野県は特に移住が盛んに行われていました。ちょうど松本の方面にいた久保田家も新京に渡り、ここで、父と母は互いの兄弟の紹介で家庭を持ちました。新京で広大な土地の開拓に従事しました。しかし間もなく終戦となります。姉は新京で生まれていますが、赤ん坊が無事に日本に帰ってくる、これはほんとうに稀なことだったのです。父は諏訪に戻り、以前に働いたことのある理髪店で懸命に働いて家族を養ってくれました。私は諏訪で生まれております。

諏訪に戻ったものの、両親は、子どもたちの為により安全な住居を求めて、母の里に近い松本の浅間温泉に3歳の時に引っ越しました。それから3年経ったとき、父は27歳で独立し、自分の店を持ちました。ところが無理がたたり病気になって数カ月働けなくなりました。母は人生に絶望し、姉の手を引き、私をおんぶして、川に飛び込もうとさ迷うという辛いところを通ったようです。結果的に父は回復し、再び猛烈に働きだしました。この時期に、浅間温泉に引き揚げ者の御夫妻がおられました。桃の湯のお嬢さんが満州で結婚して引き上げてきていたのですが、そのお嬢さんの矢口千枝さんとおっしゃる方です。この方がクリスチャンで、浅間温泉の仲居さんや女性の為に、茶道や華道を教える傍ら伝道をしておられたのです。教会ができるぐらい救いに与る何人かの方が与えられていました。松本ホーリネス教会は、谷口先生のお働きでできました。両親も先生には非常にお世話になっています。私が信仰を持ち、献身するときにも、矢口先生の存在は非常に大きなものでした。

菅沼の家は姉が継ぎ、私は献身いたしました。父は「俺は絶対にクリスチャンにはならない」そして母に対しては「お前はどちらでもいい、だが俺はならない」と言いました。これが十数年前のことです。しかし神様の恵みの時は来ました。最初、父が母よりも早く体調が悪くなりました。姉から、父が危ないから来てもらえないかと電話があり、駆けつけました。人の人生、特に戦争を経験した人たちは心に闇の部分を持っていると思います。恐らく家族にも言えない様な戦争の暗部を持っていた。それがいよいよ自分が危ない時が来、死が現実の問題となり、しかも息子が牧師として伝えている聖書というものを知っているとき、これでほんとうにいいのだろうかと、父は自問自答したのでしょう。私が行きましたとき、父は言いました。「俺はお前が信じているキリスト教を信じる」。私は大変嬉しかったのですが、どこまでほんとうに分かって言ってくれる言葉だろうかという思いが心にありました。しかし、動機は何であれ「勝美の信じている神様を信じて俺は生きたいし、お前に葬式をしてもらいたい」という。父の決心は確かでした。それで私は「イエス様を信じたらば罪赦されて、そして永遠の命が与えられるんだからね」と念を押しました。「わかった」と父。「じゃお祈りするね」。そして「そう度々は来れないから洗礼を受ける?」と訊くと「受ける」と。私はすぐにホーリネス教会に電話をし、会堂をお借りしました。「どうぞおいでください」。急でしたが準備をしてストーブを炊いて待っていてくれました。そのときに、母はもう信仰を持っておりましたから、二人一緒に、ちょうど震災の年である2011125日に松本ホーリネス教会で洗礼を受けました。その後、父が、ほんとうに心の底から「良かった、これで俺の行くところは決まった」と発した言葉は非常に私を慰めてくれました。父は父なりの理解で「ほんとうに良かった、俺の行くところは決まった」と安堵しています。ですから私は、告別説教の時には、「御子イエスの血すべての罪より我らをきよむ」という、イエス様の福音がどんな罪をも赦して、天国の命を与えてくださることを語らせていただきました。

 

第一ペテロ13 私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました」。
 この
ことばが、まさに父は父なりの幼い理解ではありましたが、これは、神様のあわれみなんです。神様の憐れみのゆえに神様がほめたたえられますようにとほんとうに思うことです。

父が救われたのは、父の信仰が深かったとか何かに優れていたというようなことではない、ただ神様のあわれみのゆえに、ただイエスさまの十字架のお陰でなのです。ですので、皆様方、どうかご親族のために、希望を失うことなく絶えず絶えず祈り続けて行きましょう。神様はその人に相応しい取り扱いをしてくださる。いける望みを与えて下さるということを私はこの事を通して一層深くしました。

 いったい私がこのように福音を携えて皆様方の前で何をお伝えしようとしているのか、結局私たちが神の国に入ることができる、これを多くの方々にお伝えし、お導きさせていただき、そして尊いこの生涯を皆様がたと共に歩ませていただく、教会とはそういうところなのだと、私は覚えております。 きょうは予め準備していたお話しの内容とはすこし違ったお話しをさせていただきました。このような時ですので、どうかお赦しください。


※若干聴き間違いがあるかもしれません。御指摘ください。文責:中ぶんな

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