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きょうのことば 『時を握られるお方』

 前ページで、メッセージを掲載しませんでしたが、今日の午後に時間が与えられましたので何とか起し書かせていただきました。2014年6月15日の説教です。アップいたします。
 國光牧師夫妻はきょう22日の礼拝を終えられてから、20日に天に召された盛岡教会の会員であるS兄のお葬儀を執り行うべく、S兄の地に向かわれました。

【引証聖句】詩篇311416

14 しかし、主よ。私は、あなたに信頼しています。私は告白します。「あなたこそ私の神です。」
15
私の時は、御手の中にあります。私を敵の手から、また追い迫る者の手から、救い出してください。
16
御顔をあなたのしもべの上に照り輝かせてください。あなたの恵みによって私をお救いください。

【お話し】

きょうは詩篇31篇をお開きしておりますが、私の父に関わる証しを交えながら、神様は時も手中に納めていてくださる事とその意味をお分かちするのが相応しいかと思っております。

 松本の93歳になる父でございますが、医師からは老衰という形になるでしょうといわれております。皆様方に、尚も憐れみを祈って頂きたく思います。一週間前から救急車で運ばれたりしておりましたが、前回のお話しの通り、皆様方からの思いがけない旅のプレゼント切符を利用できたからこそ、まだ父がはっきりしているうちに、家内と一緒に訪れることができました。恐らくこのような機会でもなければ、二人揃っては行けなかっただろうと思います。そして、あの後、先週の火曜日、年に1度の厚生関係の会議に出席しなければなりませんでしたが、1日前の月曜日に松本に寄って父の様態を見て、それから東京に行き、火曜日の会議に出て帰ってまいりました。その時、父は自宅におりまして、呼びかけにも自発的に応えておりましたし、お祈りを捧げて、いつ天に召されても大丈夫だから、天には家がたくさんあるからと、イエス様の御言を話し祈って、そして別れてまいりました。その後私が車中にあるうちに、父の容態が急変し、大量の下血があり、誤嚥などもあって病院に運ばれた事を知りました。父の延命措置はしません。私の方も、白内障の手術を金曜日にする事に既に決めていたものですから、これをどのように対処すればいいのか祈っていたのですが、すべては主の御手の中にある事ですから、予定通り白内障の手術を受けることにしました。術後、静養しておりましたときに、松本から電話がありました。しかし地上におけるお別れはもう済ませておりますから、私たちはこちらの方に居て、そう遠くないであろう葬儀の具体的な準備など、こちらで出来る事をするのが相応しかろうと判断し、父の事は松本に居る者たちに委ねることにいたしました。

 みなこのような同じところを通るのですが、このような時にこそ、なお一層神様の時というものを深く考えさせられます。

ダビデはイスラエルの王様ですが「私の時はすでにあなたの御手の中にあります。私が生きるにしても死ぬにしても、どのような戦いの中に身を置くとしても、それは神様の御支配して居られる時の中にすべてある」と言っています。「我が時は、すべて汝の御手のうちにあり」。それにいちばん相応しいお方は、主イエスさま御自身でしょう。四福音書を見ます時に、イエス様は、「私の時はまだ来ていない」とか、「いよいよその時が来ました」というように、御自分の時をいつでも意識して歩んでおられました。イエス様にとって「私の時」というのは、神の御子がこの世に人としていらしたのは何のためなのか、私たちの罪の贖いの為に、神のひとり子が命を捨て身代わりとなって、私たちに永遠の命を与えてくださる、その贖いの救いの成就、端的にいうと十字架に架かるためにイエス様はこの世にいらしてくださった。「私の時」というイエス様の意識、イエス様は御自分の生涯における十字架がいつであるのか、今、それとどのような関わりがあるのかをいつも意識しておられたのです。たしかに、そういう表現をなさるのに、最も相応しいお方が、主イエスさまだと納得できます。ここで、私たちは、確かにイエス様は特別な御使命をお持ちですが、じゃ、私たちはどうなのかと思ってしまいます。果たして、私の時はすべて御手の中にあると告白することができるのか。また、そう告白するのはおこがましい事なのだろうか。そんなことはありません。神様はイエス様に格別な御関心をお持ちですが、神様は、私たちにもイエス様にはらわれるのと同じような想いを、私たち一人ひとりに持っておられるお方です。


 氷が解けると何になりますか? と質問してみましょう。「水になります」と答えた方、正解です。しかし、「春になります」と答える方もある。どちらも間違ってはいません。水になることを春になると意義づける価値観がある。これを持つ時、私たちは神様によって創造されたものです。しかし、そういう表現をしなくとも、私たちは気が付いたら、人として人生をスタートさせていた。自分でこの時代に生きようと思ってきた人、どの両親のもとにうまれようかと親を選んで生まれてきたひとは一人もいません。気が付くと、わたしは、ここに、この時代このようにして、この環境の中に、私は生きているわけです。これをどう意味づけるのか。この大きな出来事を、ただの偶然だと人生を送る有りようもある。しかし、今自分がこのように生きているのは、偶然の産物というのではなく、奇跡的な必然の産物と、自分の命、そして人生を意義づけることは、これは、非常に意味のあることです。

イザヤ43:4を見ましょう。

4 わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だからわたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにするのだ。

 新約の光から、これを理解するなら、神様は私たちを何億のうちの一人である、偶然の産物であるとは仰らない。あなたは高価で尊い、というのです。そして、あなたの身代わりとして私は自分のひとり子イエス・キリストをあなたのいのちの代わりとして十字架の贖いまでする、それほどまでに、私はあなたを愛している。とこのように自分の人生を意味づけてくれるのです。ですから、「私の時はすべてあなたの御手の中にある」ということは、私たちをこのようにこの世に送り出し、いま私たちをこのように愛していてくださるお方は、私の人生に最も麗しい最もタイムリーなことをちゃんと御計画していてくださるのです。「神のなさることは、すべて時に適ってうるわしい」。神様のタイムテーブルはあります。

そして私はヨセフ、マリヤのごとくという言葉を深く心に示されましたが、その場面のできごとをきょうの大切なメッセージとしてお伝えしたいと、このように導かれております。

 マリアがすでに身重になっていた時、時の絶対権力であるローマ皇帝アウグストは人口調査を命じました。マリアたちも、すべての者たちが生まれ故郷に戻って住民登録をしなければならないという旅を強いられたのです。マリアは臨月が近づいているにも関わらず、この無謀な旅にもヨセフとともに黙々とこの摂理の神様のタイムテーブルに従いました。神様を信頼して、この理不尽と思われる旅を続けて、御子を誕生させると言う大役を果たした。神のなさることは、すべて麗しい。

私たちは、置かれた状況に即して、よかれという思いから、神様のタイムテーブルに細工することがある。神様のタイムスケジュールに細工してはいけません。神様は、ヨセフが最悪と見える時にも、ちゃんと御自身の御業を備えていてくださる。私たちの時を握っておられるお方は、神様なのです。このお方に私たちがすべてを委ねて進んでいくならば、神様が責任を取ってくださる。なぜなら私たちが生まれた事、これは神様がなさったことなんですから。私たちが、この生涯を締めくくるときにも、神様が責任を取ってくださるはずです。とすれば、私たちが今心しなければならないことは、先ず、神の国とその義とを求めて、神様のタイムテーブルに小賢しい細工をするのではなく、ヨセフやマリヤのように淡々と主よあなたの御心がなりますようにと身を置き続けること。そのときにこそ尤も麗しい時として私たちに神の業が展開していくのだというように信じております。

 詩篇31のほうにもどりましょう。、

神様がすべてを御支配していてくださる。私たちの責任は、先ず神の国とその義とを求めることです。あとは、神様が責任を取ってくださいます。

神学院時代の朝比奈寛先生のピリピ書からのメッセージが心に残っています。「何事も思い煩うな、事ごとに祈りをなし、願いをなし、感謝して汝らの求めを神に告げよ」というピリピ4章の御言が開かれました。そのとき、朝比奈先生が、「思い煩うということは神様の領域を土足で踏みにじるようなものだ」と仰いました。「神様は最善のことをしてくださる。私たちが、何を心配したらいいのか、それは、先ず神の国とその義とを求めているかどうか、神第一の在り方をしているのか、これを為しているかどうか、これこそが自分たちの責任であって、それさえやっているならだいじょうぶ、それでいい。それを、どうなるか、ああなるかと思い煩うことは、怖れ多くも神様の領域に土足で入り込むようなことだというのです。 思い煩いというものは当然あり得る事としていた私がはっとした瞬間でした。

「明日は明日自ら思いわずらはん。一日の労苦は一日にして足れり」。神様が私たちを心配し、私たちに最善を為してくださる。私たちはこの事を信じて、進ませていただきたいと思うことです。

文責:中ぶんな

 

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