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2014年6月

雅声会主催「心のふるさと 日本のうた をたずねて その三十七」を聴く

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「雅声会が声楽を勉強するグループとして誕生したのは今から46年前。それから毎年コンサートをやってきたわけですが、ここにある日本の歌を訪ねて37回というのは、37年前、それまでは外国の曲を歌って音楽コンサートをやってきたけれども、ひとつ、日本の歌だけで演奏会をやろうかという相談になりました。その頃、ステージで歌うことは、外国の歌を歌うことでした。ですから、日本の歌だけで、お客さんが来るだろうかという心配もありましたが、何とか1回目、2回目、それまでの曲は日本の歌曲を重唱に編曲してやり、3回目からは合唱もまじえて小学唱歌、それから第二部にあるような日本映画の主題歌などを合唱と独唱に編曲して、二台のピアノ連弾で始まったのが今にいたっています。その時に編曲したのは、加藤學という作曲家でした。それからもう一人、高松瑛郎という人です。もう今は亡くなってしまいました。ただとてもいい編曲なのでこの二人の編曲を繰り返し繰り返し使っているわけであります。」(ナレーター松田晃氏)

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 作曲家、歌の時代背景、エピソードをまじえての演奏は楽しいものでした。

 

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「日本の名歌曲」では、何と、年齢の多い順の登場、これは想定外でした。いまでもレッスンに通っていらっしゃる方々と拝見、それぞれ味わい深いお声でした。

 

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 ナレーターのお話しで面白かったのは次の通りです。(いくらか言い回しが違っていますが)

 今から20年前にドイツの古い歌曲の楽譜が、ドイツの(出版社名はよく聞き取れませんでした)出版社から出された。買い求めて見ると単純な歌がたくさん並んでいた。これもそのうちに日本の出版社が翻訳出版してくれないかと思っていたところ、平成6年にドイツの古典歌曲集が出た。とてもいいので、何冊か用意しようとヤマハに問い合わせた。行く日を告げて、取っておいてもらうよう頼んだ。そして約束の日にヤマハに行った。ヤマハでは、先ず私がいちばんめに読んだドイツの出版社の楽譜を求めると、もう在庫がなく、ドイツの方に問い合わせたところ、絶版になっていた。「あなたのお持ちの楽譜は貴重な楽譜です」といわれた。それから日本で翻訳出版されたドイツ古典歌曲集、これもヤマハに在庫がないので、出版社に問い合わせると、出版社でも在庫がなく、以後刷る予定がないということだった。とてもいいものなのに売れないということです。出版社に電話し、まとまった数なら刷ってくれるかと訊いたところが、返事は「その予定はございません」。がっくりして、これを監修したのはスイスの名テノール歌手エルンスト・ヘフリガーですから一緒に編集した女性に電話しました。「このような楽譜をどうして作ったんですか?」と訊くと、「私は若い頃にドイツに留学して、ある音大で勉強しました。そのときにエルンスト・ヘフリガーと知り合いました。そしてドイツの若い学生たちが、ドイツの古い時代の楽譜を、実に一生懸命勉強していることを聞きました。非常に単純な形なので、言葉のニュアンスとかメロディーをこういった単純な曲を使って勉強することにびっくりしました。それをヘフリガーに言ったら、『そんな楽譜があるといいねえ、じゃ一緒にやりましょう』といって、曲の方を選んでくれました。それを日本の出版社に持ち込んで作ったのが平成6年の楽譜です」。
 しかし売れないから作らない。私は音楽学校の学生がドイツリードを歌うときには、それはほんとうにいい勉強になると思っていたのに、売れないから刷らないとは! それから私は考えた、ドイツの古い歌曲を使って若い人たちがニュアンスの勉強やフレーズの歌い方を勉強しているのだ。これと同じような曲が日本にもあるではないか、あの明治時代の日本の唱歌、小学唱歌、これには単純だけれどもとてもいい歌がいろいろ入っているではないか。これでニュアンスの勉強やフレーズの歌い方を勉強すればいい……」

 教育に疎い私が言うのも顰蹙ものですが、私は、音楽教育の方法上の新たな着眼を教えられたと思いました。

 このコンサートでただ一つ残念だったのは、丸岡千奈美さんが『南の薔薇』を歌い終えて観客席に投げた薔薇が私には届かなかったことです。手に入れたのは前列から3列目あたりの方でしたでしょうか。 

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きょうのことば 『活きる望みなる福音』

2014年6月22日の國光勝美牧師の説教を公開いたします。時間的に厳しくはありましたが、大切な内容が語られておりますので頑張ってみました。引証聖句は前ページをご覧ください。

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きのうのバザーは、落ち着いた雰囲気の中に、教会が地域の方々にも受け入れられていることを実感したバザーでした。

 個人的なことになりますが、私は鞍掛山には特別な想いを持って度々登っておりますが、半年前から、折々に御目に掛かる方々がおられました。話をしてみると、教会のすぐ近くの方だったのです。この夏槍ヶ岳をめざして、その体力づくりだということでした。鞍掛山には一カ月のうち27 日登っているということでした。その方がご夫妻そろって来てくださったことは、ほんとうに感謝でした。またすぐ近くのご夫妻も、こちらが感動を覚えるほど親しく出入りしてくださり、嬉しく思いました。また品を提供してくださった方々も多くいらっしゃいました。御尽力、ご協力くださった皆様に心から感謝申し上げ、また大きな祝福となりました。

 またもう一つ、長野県の松本におります父が、93歳7カ月の生涯を主にあるうちに静かに看とられて、希望を持って天に帰りゆきました。神様の時が、折に適ってなされたという頷きを深くしております。一年半前には天に母を、そして今回は父を同じような形で送ったことでございます。松本ホーリネス教会をお借りして、私が両親に洗礼を授けております。23日午前中に火葬、午後告別式となります。会堂を快くお貸しくださった松本ホーリネス教会には心から感謝いたします。

 この教会の会員でもありますので、父の事をすこしお話しさせていただきます。父は、長野県伊那郡大鹿村の菅沼家の二男として生まれました。尋常小学校の時に実母に死なれ、気性の強い父は、後に来た継母とは折り合いが悪く家出をし、諏訪にある理髪店で修業中のところを、徴兵検査があり家に戻りました。家督は長男が継いでいましたが、菅沼家は、国策にそって、全財産を処分して満州の新京に渡りました。長野県は特に移住が盛んに行われていました。ちょうど松本の方面にいた久保田家も新京に渡り、ここで、父と母は互いの兄弟の紹介で家庭を持ちました。新京で広大な土地の開拓に従事しました。しかし間もなく終戦となります。姉は新京で生まれていますが、赤ん坊が無事に日本に帰ってくる、これはほんとうに稀なことだったのです。父は諏訪に戻り、以前に働いたことのある理髪店で懸命に働いて家族を養ってくれました。私は諏訪で生まれております。

諏訪に戻ったものの、両親は、子どもたちの為により安全な住居を求めて、母の里に近い松本の浅間温泉に3歳の時に引っ越しました。それから3年経ったとき、父は27歳で独立し、自分の店を持ちました。ところが無理がたたり病気になって数カ月働けなくなりました。母は人生に絶望し、姉の手を引き、私をおんぶして、川に飛び込もうとさ迷うという辛いところを通ったようです。結果的に父は回復し、再び猛烈に働きだしました。この時期に、浅間温泉に引き揚げ者の御夫妻がおられました。桃の湯のお嬢さんが満州で結婚して引き上げてきていたのですが、そのお嬢さんの矢口千枝さんとおっしゃる方です。この方がクリスチャンで、浅間温泉の仲居さんや女性の為に、茶道や華道を教える傍ら伝道をしておられたのです。教会ができるぐらい救いに与る何人かの方が与えられていました。松本ホーリネス教会は、谷口先生のお働きでできました。両親も先生には非常にお世話になっています。私が信仰を持ち、献身するときにも、矢口先生の存在は非常に大きなものでした。

菅沼の家は姉が継ぎ、私は献身いたしました。父は「俺は絶対にクリスチャンにはならない」そして母に対しては「お前はどちらでもいい、だが俺はならない」と言いました。これが十数年前のことです。しかし神様の恵みの時は来ました。最初、父が母よりも早く体調が悪くなりました。姉から、父が危ないから来てもらえないかと電話があり、駆けつけました。人の人生、特に戦争を経験した人たちは心に闇の部分を持っていると思います。恐らく家族にも言えない様な戦争の暗部を持っていた。それがいよいよ自分が危ない時が来、死が現実の問題となり、しかも息子が牧師として伝えている聖書というものを知っているとき、これでほんとうにいいのだろうかと、父は自問自答したのでしょう。私が行きましたとき、父は言いました。「俺はお前が信じているキリスト教を信じる」。私は大変嬉しかったのですが、どこまでほんとうに分かって言ってくれる言葉だろうかという思いが心にありました。しかし、動機は何であれ「勝美の信じている神様を信じて俺は生きたいし、お前に葬式をしてもらいたい」という。父の決心は確かでした。それで私は「イエス様を信じたらば罪赦されて、そして永遠の命が与えられるんだからね」と念を押しました。「わかった」と父。「じゃお祈りするね」。そして「そう度々は来れないから洗礼を受ける?」と訊くと「受ける」と。私はすぐにホーリネス教会に電話をし、会堂をお借りしました。「どうぞおいでください」。急でしたが準備をしてストーブを炊いて待っていてくれました。そのときに、母はもう信仰を持っておりましたから、二人一緒に、ちょうど震災の年である2011125日に松本ホーリネス教会で洗礼を受けました。その後、父が、ほんとうに心の底から「良かった、これで俺の行くところは決まった」と発した言葉は非常に私を慰めてくれました。父は父なりの理解で「ほんとうに良かった、俺の行くところは決まった」と安堵しています。ですから私は、告別説教の時には、「御子イエスの血すべての罪より我らをきよむ」という、イエス様の福音がどんな罪をも赦して、天国の命を与えてくださることを語らせていただきました。

 

第一ペテロ13 私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました」。
 この
ことばが、まさに父は父なりの幼い理解ではありましたが、これは、神様のあわれみなんです。神様の憐れみのゆえに神様がほめたたえられますようにとほんとうに思うことです。

父が救われたのは、父の信仰が深かったとか何かに優れていたというようなことではない、ただ神様のあわれみのゆえに、ただイエスさまの十字架のお陰でなのです。ですので、皆様方、どうかご親族のために、希望を失うことなく絶えず絶えず祈り続けて行きましょう。神様はその人に相応しい取り扱いをしてくださる。いける望みを与えて下さるということを私はこの事を通して一層深くしました。

 いったい私がこのように福音を携えて皆様方の前で何をお伝えしようとしているのか、結局私たちが神の国に入ることができる、これを多くの方々にお伝えし、お導きさせていただき、そして尊いこの生涯を皆様がたと共に歩ませていただく、教会とはそういうところなのだと、私は覚えております。 きょうは予め準備していたお話しの内容とはすこし違ったお話しをさせていただきました。このような時ですので、どうかお赦しください。


※若干聴き間違いがあるかもしれません。御指摘ください。文責:中ぶんな

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きょうのことば 『活ける望みなる福音』

 インマヌエル盛岡キリスト教会の会員である國光勝美牧師の父故S兄(93歳)は、6月19日夜、平安のうちに天に召されました。22日20時から前夜式、23日13時から松本ホーリネス教会で告別式が滞りなく執り行われました。S兄の信仰のすがたは、私たちの天国への確信を更新してくださいました。

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 取りあえず引証聖句第一ペテロ1:3~9のみを書かせていただきます。

3 私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。
4 また、朽ちることも汚れることも、消えて行くこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました。これはあなたがたのために、天にたくわえられているのです。
5 あなたがたは、信仰により、神の御力によって守られており、終わりのときに表されるように用意されている救いをいただくのです。
6 そういうわけで、あなたがたは大いに喜んでいます。いまは、しばらくの間、さまざまな試練の中で、悲しまなければならないのですが、
7 あなたがたの信仰の試練は、火で精錬されつつなお朽ちて行く金よりも尊く、イエス・キリストの現れのときに称賛と光栄と栄誉になることがわかります。
8 あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。
9 これは、信仰の結果である、たましいの救いを得ているからです。

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雑感

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 書きたいことはさまざまにあるけれども、休息のときもたいせつ。
朝5時の西洋スグリ摘み。8時には地域のみなさまとともに、公園の刈り取った草の後始末。午後は雅声会のコンサートでひと息。帰宅してすぐにやり残した福祉関連のしごとをこなす。

 種苗用の土に播いた黄色コスモス、赤いサルビア、日々草といったごく身近な花の種の芽が出そろった。これで夏から秋の外回りの装いは安心。

 散歩でたまに歩いていた上水場や岩山の四季園の辺りにクマが出没したとか、まもってくれる愛犬を連れているわけではない、当分このコースは外そう。もしかすれば最も安全なのは、真冬の早朝かもしれない。

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「太田クァルテット創立100周年記念 クァルテットの夕べ」 2014/7/21(月) 16:00~17:20 岩手県立美術館グランド・ギャラリー 

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  太田クァルテット100周年記念コンサートがあります。梅村保のひ孫にあたる梅村隆一、真美、智佳子、そして韮澤有の各氏がこの日のためにクァルテットを組み、演奏いたします。どうぞご来場ください。

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休息

ちょっとひとやすみ。

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野田村の海

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 19日福祉関係の野田村研修で見た海。雨にぬれる林の向こうに、ようやく海かと見える景色がおぼろに浮かんでいた。
 訪れる客人に対する被災地の方々の心遣いが沁みた。やって来るすべての方々への応対、これもまた大変なことだと思う。すべてを善意として快く受け入れざるを得ない側面があることも推しはかられ、現地に足を踏み入れながら、たいして御地にもたらすものを持たない自分は、何か申し訳なさを覚えた。

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花一輪

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 丈高い草むらにただ暁の空をあおいで咲くこの一輪

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ぐんぐんと過ぎてゆく時

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 「ぐんぐんと」、このことばはよく草花の成長などにつかってきたけれども、ここのところ時がぐんぐんと過ぎてゆく。ことしに入ってもう半年が経とうとしている。ことしは福祉関連のことだけで終わってしま
いそう。

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きょうのことば 『時を握られるお方』

 前ページで、メッセージを掲載しませんでしたが、今日の午後に時間が与えられましたので何とか起し書かせていただきました。2014年6月15日の説教です。アップいたします。
 國光牧師夫妻はきょう22日の礼拝を終えられてから、20日に天に召された盛岡教会の会員であるS兄のお葬儀を執り行うべく、S兄の地に向かわれました。

【引証聖句】詩篇311416

14 しかし、主よ。私は、あなたに信頼しています。私は告白します。「あなたこそ私の神です。」
15
私の時は、御手の中にあります。私を敵の手から、また追い迫る者の手から、救い出してください。
16
御顔をあなたのしもべの上に照り輝かせてください。あなたの恵みによって私をお救いください。

【お話し】

きょうは詩篇31篇をお開きしておりますが、私の父に関わる証しを交えながら、神様は時も手中に納めていてくださる事とその意味をお分かちするのが相応しいかと思っております。

 松本の93歳になる父でございますが、医師からは老衰という形になるでしょうといわれております。皆様方に、尚も憐れみを祈って頂きたく思います。一週間前から救急車で運ばれたりしておりましたが、前回のお話しの通り、皆様方からの思いがけない旅のプレゼント切符を利用できたからこそ、まだ父がはっきりしているうちに、家内と一緒に訪れることができました。恐らくこのような機会でもなければ、二人揃っては行けなかっただろうと思います。そして、あの後、先週の火曜日、年に1度の厚生関係の会議に出席しなければなりませんでしたが、1日前の月曜日に松本に寄って父の様態を見て、それから東京に行き、火曜日の会議に出て帰ってまいりました。その時、父は自宅におりまして、呼びかけにも自発的に応えておりましたし、お祈りを捧げて、いつ天に召されても大丈夫だから、天には家がたくさんあるからと、イエス様の御言を話し祈って、そして別れてまいりました。その後私が車中にあるうちに、父の容態が急変し、大量の下血があり、誤嚥などもあって病院に運ばれた事を知りました。父の延命措置はしません。私の方も、白内障の手術を金曜日にする事に既に決めていたものですから、これをどのように対処すればいいのか祈っていたのですが、すべては主の御手の中にある事ですから、予定通り白内障の手術を受けることにしました。術後、静養しておりましたときに、松本から電話がありました。しかし地上におけるお別れはもう済ませておりますから、私たちはこちらの方に居て、そう遠くないであろう葬儀の具体的な準備など、こちらで出来る事をするのが相応しかろうと判断し、父の事は松本に居る者たちに委ねることにいたしました。

 みなこのような同じところを通るのですが、このような時にこそ、なお一層神様の時というものを深く考えさせられます。

ダビデはイスラエルの王様ですが「私の時はすでにあなたの御手の中にあります。私が生きるにしても死ぬにしても、どのような戦いの中に身を置くとしても、それは神様の御支配して居られる時の中にすべてある」と言っています。「我が時は、すべて汝の御手のうちにあり」。それにいちばん相応しいお方は、主イエスさま御自身でしょう。四福音書を見ます時に、イエス様は、「私の時はまだ来ていない」とか、「いよいよその時が来ました」というように、御自分の時をいつでも意識して歩んでおられました。イエス様にとって「私の時」というのは、神の御子がこの世に人としていらしたのは何のためなのか、私たちの罪の贖いの為に、神のひとり子が命を捨て身代わりとなって、私たちに永遠の命を与えてくださる、その贖いの救いの成就、端的にいうと十字架に架かるためにイエス様はこの世にいらしてくださった。「私の時」というイエス様の意識、イエス様は御自分の生涯における十字架がいつであるのか、今、それとどのような関わりがあるのかをいつも意識しておられたのです。たしかに、そういう表現をなさるのに、最も相応しいお方が、主イエスさまだと納得できます。ここで、私たちは、確かにイエス様は特別な御使命をお持ちですが、じゃ、私たちはどうなのかと思ってしまいます。果たして、私の時はすべて御手の中にあると告白することができるのか。また、そう告白するのはおこがましい事なのだろうか。そんなことはありません。神様はイエス様に格別な御関心をお持ちですが、神様は、私たちにもイエス様にはらわれるのと同じような想いを、私たち一人ひとりに持っておられるお方です。


 氷が解けると何になりますか? と質問してみましょう。「水になります」と答えた方、正解です。しかし、「春になります」と答える方もある。どちらも間違ってはいません。水になることを春になると意義づける価値観がある。これを持つ時、私たちは神様によって創造されたものです。しかし、そういう表現をしなくとも、私たちは気が付いたら、人として人生をスタートさせていた。自分でこの時代に生きようと思ってきた人、どの両親のもとにうまれようかと親を選んで生まれてきたひとは一人もいません。気が付くと、わたしは、ここに、この時代このようにして、この環境の中に、私は生きているわけです。これをどう意味づけるのか。この大きな出来事を、ただの偶然だと人生を送る有りようもある。しかし、今自分がこのように生きているのは、偶然の産物というのではなく、奇跡的な必然の産物と、自分の命、そして人生を意義づけることは、これは、非常に意味のあることです。

イザヤ43:4を見ましょう。

4 わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だからわたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにするのだ。

 新約の光から、これを理解するなら、神様は私たちを何億のうちの一人である、偶然の産物であるとは仰らない。あなたは高価で尊い、というのです。そして、あなたの身代わりとして私は自分のひとり子イエス・キリストをあなたのいのちの代わりとして十字架の贖いまでする、それほどまでに、私はあなたを愛している。とこのように自分の人生を意味づけてくれるのです。ですから、「私の時はすべてあなたの御手の中にある」ということは、私たちをこのようにこの世に送り出し、いま私たちをこのように愛していてくださるお方は、私の人生に最も麗しい最もタイムリーなことをちゃんと御計画していてくださるのです。「神のなさることは、すべて時に適ってうるわしい」。神様のタイムテーブルはあります。

そして私はヨセフ、マリヤのごとくという言葉を深く心に示されましたが、その場面のできごとをきょうの大切なメッセージとしてお伝えしたいと、このように導かれております。

 マリアがすでに身重になっていた時、時の絶対権力であるローマ皇帝アウグストは人口調査を命じました。マリアたちも、すべての者たちが生まれ故郷に戻って住民登録をしなければならないという旅を強いられたのです。マリアは臨月が近づいているにも関わらず、この無謀な旅にもヨセフとともに黙々とこの摂理の神様のタイムテーブルに従いました。神様を信頼して、この理不尽と思われる旅を続けて、御子を誕生させると言う大役を果たした。神のなさることは、すべて麗しい。

私たちは、置かれた状況に即して、よかれという思いから、神様のタイムテーブルに細工することがある。神様のタイムスケジュールに細工してはいけません。神様は、ヨセフが最悪と見える時にも、ちゃんと御自身の御業を備えていてくださる。私たちの時を握っておられるお方は、神様なのです。このお方に私たちがすべてを委ねて進んでいくならば、神様が責任を取ってくださる。なぜなら私たちが生まれた事、これは神様がなさったことなんですから。私たちが、この生涯を締めくくるときにも、神様が責任を取ってくださるはずです。とすれば、私たちが今心しなければならないことは、先ず、神の国とその義とを求めて、神様のタイムテーブルに小賢しい細工をするのではなく、ヨセフやマリヤのように淡々と主よあなたの御心がなりますようにと身を置き続けること。そのときにこそ尤も麗しい時として私たちに神の業が展開していくのだというように信じております。

 詩篇31のほうにもどりましょう。、

神様がすべてを御支配していてくださる。私たちの責任は、先ず神の国とその義とを求めることです。あとは、神様が責任を取ってくださいます。

神学院時代の朝比奈寛先生のピリピ書からのメッセージが心に残っています。「何事も思い煩うな、事ごとに祈りをなし、願いをなし、感謝して汝らの求めを神に告げよ」というピリピ4章の御言が開かれました。そのとき、朝比奈先生が、「思い煩うということは神様の領域を土足で踏みにじるようなものだ」と仰いました。「神様は最善のことをしてくださる。私たちが、何を心配したらいいのか、それは、先ず神の国とその義とを求めているかどうか、神第一の在り方をしているのか、これを為しているかどうか、これこそが自分たちの責任であって、それさえやっているならだいじょうぶ、それでいい。それを、どうなるか、ああなるかと思い煩うことは、怖れ多くも神様の領域に土足で入り込むようなことだというのです。 思い煩いというものは当然あり得る事としていた私がはっとした瞬間でした。

「明日は明日自ら思いわずらはん。一日の労苦は一日にして足れり」。神様が私たちを心配し、私たちに最善を為してくださる。私たちはこの事を信じて、進ませていただきたいと思うことです。

文責:中ぶんな

 

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きょうのことば 『時を握られるお方』

日曜日はインマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924)國光勝美牧師の説教を一週間遅れでおつたえしていますが、大変多忙のため、きょうは、20146月15 日の引証聖句のみを掲載させていただきます。

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14 しかし、主よ。私は、あなたに信頼しています。私は告白します。「あなたこそ私の神です。」
15 私の時は、御手の中にあります。私を敵の手から、また追い迫る者の手から、救い出してください。
16 御顔をあなたのしもべの上に照り輝かせてください。あなたの恵みによって私をお救いください。

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雑感 第4回チャリティー ケニア テヌウェク病院支援バザー などなど 

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  けさは5時ごろに歩き始めたところ、ひと町ほど歩いたところで、掃除をしていた御婦人に挨拶すると、3年前御主人に先立たれた方だった。そして、しばらく話をしてから、とにかく歩かなければと盛岡城跡公園をめざして着いたのが6時10分。ならば20分待って体操をしてから帰ろうとベンチにかけたところ、そこに先に掛けていた女性が、つい先月にお姉さんを亡くされたという方だった。人との出会いは1秒ずれても出会ったり出会わなかったりするものだ。それが1時間ばかりの間に、夫を、姉を亡くされた方と出会い、心境をお聞きすることになった事に神妙な想いになった。私も、この方々も、目が醒めたときに立ちのぼってくる考えても如何とも為し難いさまざまが去来せぬように立ちあがり、立ち向かう行動を取っている、或いは、今よりもより良い自分をつくりあげようと努力しているのだ。一日は日々立ち上ることから始まる。立ち上がらなければ何も始まらないだろう。

  集合時間の12時に教会に行くと、もう他の方々はみないらしていた。バザーの準備。これも滑りこみセーフは私だった。他の姉妹方の創意工夫で、実にきちんとしたマーケットが出来上がっている。“開店”時間には、このバザーにご協力くださった地域の方々が来てくださった。また、家に戻って、さまざまな供出品を両手に持って戻ってきてくださった方もあり、ほんとうに嬉しかった。単に物を売るということばかりではなく、来て下さった方々と教会の方々との会話が弾み、気持ちが通じ合うような素敵なバザーとなった。

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第4回チャリティー ケニア テヌウェク病院支援バザー 2014/6/21(土)インマヌエル盛岡キリスト教会で 13:00~14:30

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 テヌウェク病院では、慢性的な停電や医療器具の不足、そしてスタッフの不足と戦いながら、厳しい状況の中で、現地の方々を救うために医療の働きをしております。どうぞご協力ください。

             

☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 

 今週もあと一日。水曜日は福祉関係の催しもののお手伝い、そして木曜日はこれもまた福祉関係の団体で野田村へ。きょうは教会のバザー準備。何れも中心となってほとんどをやって下さる方々の衛星のような存在として、ほんの端っこをお手伝いしているに過ぎない。手伝っているといえるかも疑わしいのだが、時間だけは投入。すでに書いたことではあるけれども、これまで社会のために何ら役に立ったこともない自らを思うとき、幾分かでもこのような事に身を当てはめて終わるのもいいかもしれない。

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雅声会主催「心のふるさと 日本のうた をたずねて その三十七」平成26年6月28日(土)午後2時開演 岩手県民会館中ホール

雅声会のコンサートの御案内をいたします!!

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第4回チャリティー ケニア テヌウェク病院支援バザー 2014/6/21(土)インマヌエル盛岡キリスト教会で 13:00~14:30

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 テヌウェク病院では、慢性的な停電や医療器具の不足、そしてスタッフの不足と戦いながら、厳しい状況の中で、現地の方々を救うために医療の働きをしております。どうぞご協力ください。

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無題

 三日ばかり朝の散歩をお休みしている。その時間にやるべきことがあったからだが、ちょっと休んだだけで、動きが重くなっているような気がしないでもない。継続は力、またあすにでも歩いてみよう。

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盛岡コメット混声合唱団 第51回定期演奏会 を聴く

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 コメット合唱団、今回は30人の方々が歌ってくださった。団員の入れ代りはあるということだけれども、おそらくこの多くの方々が、幾多のコンクールを踏んでこられたのだろうと思われる。私は音楽の専門家ではないけれども、内に熟成されたハーモニーに心が捉えられ、プログラムの1~5番まで、よく涙がでた。これは齢をとったせいかなとも一瞬思ったが、やはり内容のある演奏だった。6番は肩の力を抜き楽しませていただいた。アンコールは、なかにしあかねさんの『会いたい』。身近に、東日本大震災で家族を亡くされた方がいらっしゃり、そのお気持が推しはかられるので、何か切ない思いになりましたが、繰り返し歌われる「遠くて見えないのですか、近すぎて見えないのですか、小さくて見えないのですか……」を聴くうちに、そのような悲しみが浄化されていくのを覚えました。

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きょうのことば 『約束の聖霊』ーペンテコステ礼拝ー

日曜日はインマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924)國光勝美牧師の説教を一週間遅れでおつたえしています。きょうは、201468日のお話しです。この日はペンテコステ講壇であり、聖餐式がありました。これはいまもって厳粛なものです。

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【聖書引証】ルカ244453

44 さて、そこでイエスは言われた。「わたしがまだあなたがたといっしょにいたころ、あなたがたに話したことばはこうです。わたしについてモーセの律法と預言者と詩篇とに書いてあることは、必ず全部成就するということでした。」
45
そこで、イエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて、
46
こう言われた。「次のように買いてあります。キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、
47
その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。
48
あなたがたは、これらのことの証人です。
49
さあ、わたしは、わたしの父の約束してくださったものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。」
50
それから、イエスは、彼らをベタニヤまで連れて行き、手を上げて祝福された。
51
そして祝福しながら、彼らから離れて行かれた。
52
彼らは、非常な喜びを抱いてエルサレムに帰り、
53
いつも宮にいて神をほめたたえていた。

【おはなし】

ことしも皆さま方とともにペンテコステ礼拝を守ることができ感謝でございます。

きょうはルカの福音書24章をお開きしておりますが、ルカの福音書はルカが記したものです。ルカはまたルカの福音書の続編のように使徒の働きも記しております。使徒の働きと密着しているのがこのルカの福音書24章でございます。

ペンテコステといいますと、使徒の働きにある、聖霊が天から降って皆が聖霊に満たされたことを思い起こします。実は、その素晴らしいことが為される前に、人々が、その恵を受ける準備ができて、つまり神様は私たちの心備えをそれまでお待ちくださって、漸く2章のできごとが展開したわけです。私たちの備えができるのならば、この使徒の働き2章に見られるすばらしい御業は今この時にも為されるのです。何が整えられるのなら、あのペンテコステの恵みに臨むことができるのでしょうか。その事に心を向けるべく、ルカの24章の最後の部分を心に留めたわけでございます。

ルカ2444というところ、

44 さて、そこでイエスは言われた。「わたしがまだあなたがたといっしょにいたころ、

 イエス様のこの最後の御言をあつかうときに、先ず次の聖句をお読みします。

50 それから、イエスは、彼らをベタニヤまで連れて行き、手を上げて祝福された。
51
そして祝福しながら、彼らから離れて行かれた。
 このところを見ると、イエス様はオリーブ山から天に帰って行かれた。その後、弟子たちが必死に祈り求めペンテコステ、つまり聖霊降臨に浴したことと密接に関係するわけです。ところが、舞台は急にエルサレム、オリーブ山近く、ベタニヤとなるのですが、それまでには実際には長い期間があった事を、聖書の背景的な知識として知っておかれるとよいでしょう。ガリラヤのできごとがあり、復活のイエス様とお弟子さんたちが出会った出来事があり、その後もう一度、舞台はイエス様と弟子たち、そしていよいよエルサレムにおけるペンテコステのできごとへと展開していくわけです。

 さて、44節から読みます。

44 さて、そこでイエスは言われた。「わたしがまだあなたがたといっしょにいたころ、あなたがたに話したことばはこうです。わたしについてモーセの律法と預言者と詩篇とに書いてあることは、必ず全部成就するということでした。」
 「モーセの律法と預言者と詩篇とに書いてあること」、これは今ある旧約聖書全体を指しています。当時はまだ新約聖書ができ上がっていませんから、この時代でいうと、「聖書に書いてある通り」という理解になるわけです。「モーセの律法と預言者と詩篇とに書いてあること」も、当時で言えば、「聖書に書いてあること」なのです。

聖書に書かれているイエス様についての預言は、ことごとく成就しました。そして45節からを見ますと

45 そこで、イエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて、
46
こう言われた。「次のように買いてあります。キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、
47
その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。
48
あなたがたは、これらのことの証人です。
 この中の「彼らの心を開いて」、これに心を向けてみましょう。

イエス様は御自分について記された聖書の真理を悟らせるためにどうされたのか。「彼らの心を開いてくださった」とあります。心を開いて聖書を読んだ者が、イエス様の福音の真理を納得できます。御聖霊様は私たちの心を開いて、真理がわかるように接してくださるお方です。

 弟子たちは、エマオの途上で、復活したイエス様と一緒に歩きながら、それがイエス様だと気付きもしませんでした。しかし、目が開かれる。

31 それで、彼らの目が開かれ、イエスだとわかった。するとイエスは、彼らには見えなくなった。

そうです。目が開かれるときに、わたしたちにはよみがえりのお方がわかる。つまり聖書の真理を理解することができます。これは御聖霊様が目を開いてくださるのです。

またイザヤも、同じ体験をしています。ウジヤ王の死んで、大きな転機に立った時、彼は目が開かれて天に神殿を、神様の御座を見た。またこの時イザヤは耳も開かれています。「誰か私の為に行ってくれる者はいないか」という神の声を聞きました。預言者だった彼の耳が開いた瞬間です。

こうしてみると、心が開かれ、目が開かれ、耳が開かれることがある。そして更には、口が開かれる事もある。ペテロは殉教のとき、聖霊に満たされて説教をしましたが、それを聞いた多くの人たちがイエス様を信じ救われています。これは、ペテロの口が開かれたといえるでしょう。聖書というのは、私たちの心が開かれ、目が開かれ耳が開かれ、口がひらかれるとき、深い真理をもって私たちに迫ってくるものであります。

 それでは、49節にある「いと高き所から力」、これはいったい何でしょう。これは物理的な力ではない。地位や権力の力でもありません。これはキリストを証しすることのできる力です。イエスは私の主であるという確信、或いは、福音を咀嚼する力と言う事ができる。

いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。」

この咀嚼する力についてですが、3年前の大震災の時、もう既に津波の映像は見ていたわけですが、44日に漸く現地に行ったところ、これが事実であるとはどうしても受け入れられませんでした。事実だと受け留めなければならないと思っても受け留められない自分がいるのです。この惨禍、この慟哭が夢であるはずはない、現実なんだけれども、ほんとうに現実なんだろうか。人はこれまでに遭遇したことの無い光景を目の当たりにした時、頷くことができない。事実を咀嚼できないのです。

復活したイエス様を目の当たりにした弟子たちもそうだったでしょう。エマオの途上で復活のイエス様と話した弟子たちにさえ、イエス様だとはわからず、共にした食事の席でやっと、「ああイエスさまだ」とわかった。鈍いと思われるかもしれません。

恐らくは、死んだ者が復活したという人類にかつてない前代未聞のできごとを、誰も咀嚼できなかったのです。弟子たちは不信仰だ、鈍い、イエス様をわかっていないといった捉え方をしたこともあるし聞いたこともありますが、それ以上に、あまりに大きなこの出来事、あまりに意外であるこの事実を受け入れて咀嚼できなかったから彼らはイエス様の復活をなかなか信じられなかったのだろうと、311のときの自分の心境を振り返って思ったことです。

「いと高きところから力を着せられる」というのは、咀嚼する力が与えられる事、真理を咀嚼する力が与えられる事、聖霊によって心開かれ目が開かれ、耳が開かれて咀嚼する力が与えられる、納得できます。ペンテコステ、この時、弟子たちは、私たちは、真理を咀嚼する力が与えられたのだ、そのように思っております。

 そして、この力とは、いつでも自分が砕かれることのできる力でもある。イエス様は「十字架につけろ!」と言われたとき、ただ黙々と十字架進み歩まれました。一切自己弁護をしなかったのです。砕かれる力もまた聖霊が与えてくださる力です。そして、ほんとうに上から力が与えられるときに、自分の無力と言う事をより深く知り、いよいよイエス様なしには何もできないことを悟ります。これはサタンが思いこませる自己憐憫とは違います。それが聖霊によって、あなたは何もできない、ほんとにできないということがとことわかる時、「弱きときに強ければなり」「キリストによってすべてを成しうる」と、イエス様、御聖霊様のお力を告白することができます。これがいと高きところから着せられる力なのです。

 力というのは転機である、あとは継続、私たちの想いを聖霊経験ということから味あわせていただく。信仰生活というのは、転機とそして継続、この二つを両輪として進んで行くことです。エペソ書にある結婚も、転機と継続をいっています。結婚式は転機、そして結婚は、2人が互いの違いを忍び合いながら築き上げていくものです。これはちょうどキリスト教会とイエス様との関係に似ている。新郎であるイエス様は、教会を構成する私たちの欠けたるところを、どれほどに忍んでおられるでしょうか。しかしイエス様と一緒にいることによって、赦されてずっと一緒に歩み続けることができます。

「聖霊があなたがたのうえにに臨まれるとき、あなた方は力をうけます」(使徒18)

 「力を得る」とは、こういうことでしょう。

 神様は40年この教会を導いてくださいました。神様はお一人おひとりに救いを継続できる力を与えてくださった事を思います。「いと高き所から力を着せられる」、聖霊というお方の力による転機を得、また40年互いが一つとなって築き上げ継続する力が与えられて今日を迎えております。主が赦し給わば、このように歩んで行くときに、また、このいと高き方のお約束の聖霊の力によって成し遂げ、継続し、発展させていただけるのではないでしょうか

 「いと高き方の力」が、お一人おひとりの信仰の中に、或いは家庭の中に与えられて、それが、継続されていきますようにと願っております。


※教会内の報告、連絡事項などは割愛し、できるだけ聖書のお話しに絞っています。講壇のお花はひろ子牧師が生けられました。文責:中ぶんな

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雑感

 ここのところ雨模様、しかし感性は何らかにコーティングされているかにこうしてまもられている。バッハのピアノ協奏曲、よくも飽きずに聴いている。私にとってこの曲は、自分が知るどの音楽世界の新曲よりも新鮮だ。

 

 きのうは水曜デッサン会にいく。大信田時子さんの裸婦、挑むような女性の表情に圧倒される。堂々としたむしろ男性的な裸婦が描かれていた。そこがこの絵の魅力ではないかと思いながら眺めた。写真は遠慮しておく。

 

 雨、雨、雨。晴れ間にも、雨雲は空のどこかで待機している。アガバンサスの4つの鉢植えと、地植えにして越冬させた3株のうち生き残ってくれた2株、その中に蕾がたった一つだけ出ていた。何とか首尾よく開花してほしい。

 

 今日午後、コメット合唱団を聴く。内容のある演奏だった。バッハが神が造りたもうた人間の声こそ最上の楽器であるといっていたのを思い出した。来週また書こうかと思う。

 

 地域福祉の関係で高齢の方々からさまざまなお話しを伺ったが、今のところ最大の課題は除雪。豪雪地帯ではなくとも、これが大きな課題であることを再確認させられた。

 

 裏の畑にはオクラ、いちご、ゴーヤ、サヤインゲン、スナックエンドウ、パセリ、トマト、キュウリ、ナス、小玉スイカが育っている。塀の外に生えて大きくなったサンショウにキアゲハのまだ白と黒のまだらな幼虫が4頭ばかりついていると、木曜の午前に通りかかった“蝶々夫人”が知らせてくれた。この方が育てたアゲハは、去っていく時にはみなこの方に挨拶をしてから旅立っていくそうである。わたしもそう信じている。

 

 

 

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大正の弦楽四重奏団太田カルテットと榊原トリオ

 大正時代、弦楽四重奏団太田カルテットは毎夏、太田村に、東京から榊原トリオ( 榊原直、多忠亮、平井保三)を招いていました。榊原トリオは、次のコンサートに向けて、この太田村でひと夏、レッスンを積んでいたのです。太田に行けば、東京方面に先駆けてコンサートの内容を聴くことができたというわけです。
 その榊原トリオから梅村保に贈られた小冊子があります。これは梅村と同じく太田カルテットのメンバーである赤沢長五郎、佐々木休次郎、館沢繁次郎へも贈られています。ベートーヴェンと室内楽作品について書かれていますが、目次は2枚目に出ています。22枚に印刷され、外表に半分に折って綴じられています。冊子の大きさは、16×23㌢

 

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 いかに太田カルテットが榊原トリオから親しくレッスンを受けていたかも察せられます。

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「太田クァルテット創立100周年記念 クァルテットの夕べ」 2014721(月) 16:00~17:20 岩手県立美術館グランド・ギャラリー 

 大正時代、弦楽四重奏団を結成し、太田村に東京の教授クラスの音楽家たちを招いて研鑽を積み、また数々の音楽会や文化講演会を主催するなど、文化事業にも多大な貢献をした太田クァルテットの創立100周年記念コンサートです。
 今回は、太田クァルテットの主宰者梅村保の曾孫にあたる梅村隆一、梅村真美、梅村智佳子、そして韮澤有の各氏がこの日のためにカルテットを組んで演奏します。大正の草深い太田村の夕べに響く楽の音をおもいながらお聴きくださればと思います。

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【プログラム】
ディベルティメント ニ長調/カノン/宵待草/ハンガリー舞曲第6番「カヴァレリア・ルスティカーナ」より間奏曲/2つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調第1・2楽章/
リベルタンゴ/他

 プログラムの中に、なぜポツンと「宵待草」が入ってるのかな? と思う方もいらっしゃるでしょう。大正の頃によく太田村に避暑に来ていた多忠亮が雫石川の辺りを散策しながら作曲したという言い伝えがあるからです。

 太田クァルテットについて、当時どんな方々が太田を訪れたか、コンサートはどのようであったかなど知りたい方は、中ぶんな著『光炎に響く』をご覧ください。図書館の郷土の書架にもございます。

 
光炎に響く

           

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からす なぜなくの

 ここ数日体操をやすんでいる。自分でできるからわざわざ行かなくても。さて、自分でどれぐらいできたか。第一体操半ばまで。手足の運動だけ。やはり多くの人たちに混じってやるとやりやすいようだ。しかし毎日は参加しかねている。なまけだしたら参加してまた影響されてくる、こんなパターンがいいようだ。

 一昨日、市役所の駐車場側、つまり中津川沿い、そこに樹木が鬱蒼と高く繁っている一角がある。あさ4時半ごろかと思うが、樹上からカラスが低空飛行、後ろから私の頭すれすれにとんで雄たけびのように鳴きたてた。さすがに一瞬恐怖に捉われた。早足でその辺りを抜け、10メートルばかり離れてから、巣があったのかもしれないと振り返って見ていると、明らかに威嚇するようにまたこちらに向かってたきた。さっきほど低空ではない。これ以上刺激しないように、心は急いていたけれども、並み足でその場を離れた。ヒッチ・コックの『鳥』を思い出す。中ノ橋で折り返して、こんどは対岸の河川敷の道を引き返した。さっきの鬱蒼とした樹木のある辺りを向こうに見る地点に差し掛かったとき、何と、カラスが対岸で飛びたち川を横切り、私の頭上高くを飛んで樹木に止まり、また穏やかならぬ鳴き声を発した。一日のうちで朝が最も安全だという私の思いこみは吹っ飛んだ。しかしカラスたちに言わせれば、まだ人影がない最も平和な時間帯を侵犯した不届き者は私の方だったろう。カラスの歌を思い出した。

七つの子(ななつのこ)

からす なぜなくの からすはやまに かわいいななつの こがあるからよ
かわいい かわいいと からすはなくの かわいい かわいいと なくんだよ
やまのふるすへ いってみてごらん まるいめをした いいこだよ


 いまこの都会に、この歌の作詞者のような情感を持ってカラスを見る人々がいるだろうか。
カラスたちは果たして、どんな思いで日々を生き抜いているのだろう。彼らの不平、不満、恨みつらみが聞こえるようだ。

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薔薇

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第4回チャリティー ケニア テヌウェク病院支援バザー 2014/6/21(土)インマヌエル盛岡キリスト教会で 13:00~14:30

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 テヌウェク病院では、慢性的な停電や医療器具の不足、そしてスタッフの不足と戦いながら、厳しい状況の中で、現地の方々を救うために医療の働きが為されています。どうぞご協力ください。

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きょうのことば 『原点に戻る祝福』

日曜日はインマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924)國光勝美牧師の説教を一週間遅れでおつたえしています。きょうは、20146月1日のお話しです。この日は、インマヌエル盛岡キリスト教会の全会員が一致して、開拓以来40年もの間、神に仕え、この教会を牧会されたに國光先生ご夫妻に対して感謝のサプライズをいたしましたが、それをお受けくださった先生方からの報告がございました。

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【聖書引証】創世記121~3

 

1 はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。
2
そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。
3
あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」

 

【お話し】

 

先ず、前回の礼拝で体調を崩されたS姉を、今日また変わらずにここにお迎え出来ました事に、神様の憐れみと皆さまのとりなしの祈りに感謝申し上げます。有難うございました。

 

皆さまからのサプライズの旅を総括しながら恵をお分かちし、今日の御言をと願っております。

 

JTBに相談しながら練ったプランに則りまして、月曜日に盛岡を出発しました。夫婦の年齢を合わせて120歳以上に付くサービスに、グリーン車を自由に使える特典があり、大変楽しく面白い経験をいたしました。新幹線を乗り継いで一路岡山へ、そして、弟たちが住む倉敷に。倉敷には3日間の宿泊です。これは寝るだけのホテルとお願いして予約したのでした。

 

主な旅先は、岡山、倉敷、広島でございます。倉敷には美観地区が指定されております。これは実に趣きのある街並みでした。大原美術館、星野仙一記念館などがあり、この地区をベースにして地域色を肌で感じることができました。

 

翌日、國光幾代子先生、ひろ子先生の出身地であり、ひろ子先生の88歳になるなる母親、弟、叔父、叔母たちがいるところを巡りました。すでに高齢である親戚に、盛岡からは滅多に会いに行くこともできないので、この機会を利用させていただきました。広島県とのボーダーラインにある高梁というところですが、この辺りにいる親戚巡りをしました。

 

翌日の旅のメインは倉敷だったのですが、多くの教会では水曜日に祈禱会があります。それで是非とも香登教会の祈禱会に出たいと思いました。この教会は、私たち福音派のルーツであるバークレー・バックストンの教会です。キリスト教の明治以降の福音はみなここに辿りつくのです。この流れを引き継いでいるのが香登教会です。現在の主管牧師は工藤弘雄先生です。毎年仙台で開かれる聖化大会には講師が招かれますが、工藤先生にもお世話になった事があります。

 

 この香登は備前焼の地でありますが、私の学生時代の友人が、脱サラをして窯を持ち、備前焼に取り組んでいます。教会に行く前に30分だけ彼に会いました。最初に彼には10時半までに教会に行きたい旨をことわりました。香登教会に行きたいと言った時、彼がびっくりして「その教会なら知ってる、教会の真向かいにある店の店主とはライオンズクラブでの友だちで、彼は香登教会の役員だ」というのです。それで教会に行く時には彼の奥様に教会まで送っていただきました。

 

 香登教会での工藤先生とのおまじわりは、私にとっては、原点に戻ろうとの思いに立たせていただいた天的な恵でした。この旅において、地上的な大きな恵は、遠隔の地にあり滅多には御挨拶することができない方々にご挨拶できたこと、そして、香登教会訪問は、もう一つの天的なハイライトであったと思います。

 

翌日は広島でレンタカーを予約しておりましたが、ひろ子先生の従兄にあたるH兄が、「広島は私のビジネスの拠点だから、1日休暇を取るから是非私のクルマで広島を案内させてほしい」と申し出てくれました。慣れない地で私が運転しなくても済むようにとの神様の御配慮としか思われません。当日朝の8時半には迎えに来てくれました。車中では、専らH兄とひろ子先生の会話が大いに弾みました。

 

ロープウェイで尾道を空中散歩、瀬戸内海の景観、安芸の宮島などを見せていただきました。そしてその後はとにかく原爆資料館へとの想いでした。平日にも関わらず電車のラッシュアワー並みに小学生の団体が自由行動なのでしょうか、熱心にメモを取りながら惨禍を学んでおります。有名な爆心地に座っていた女性の影がのこっておりました。そして平和公園に、ドームに行きました。H兄とは広島で感謝を申し上げお別れしました。

 

私たちは当初そのまま東京に戻り、娘のA姉の住む雪谷伝道所に泊り、翌朝、盛岡に帰るつもりでおりましたところ、私の実家である松本から電話が入り、父のようすが危ぶまれるという電話があり、急遽、新大阪の窓口で、手数料もかからずに切符をキャンセル、新宿から長野の松本に立ち寄り、盛岡に帰るように切符を取りました。

 

予定にはなかった半日を松本で過ごすことができました。ひろ子先生とふたり揃って父に顔を見せることができたのは、やはり神様が憐れみのときを与えてくださったのだと思っております。父は93歳、「よく来てくれた、よく来てくれたと泣いてばかりおりました。父に会えたのは1時間ほどでしたが、その後は予定通り盛岡に帰って来る事ができました。

  

 私はこの旅を振り返りましたときに、神様は40周年を迎えた教会に、私に、原点に戻るという祝福を与えてくださったのだと思い到りました。

 

 40周年記念文集『葡萄樹』、小さな文集です。しかし、そこに纏められている40年の歩みというものが、一人ひとりの証しとなっている。幾代子先生の証しも載せることができました。先週、カレブの信仰を学びましたが、これらのことを見ながら神様は私たちに、あの時と同じような、「あの山を我に与えしめよ」という原点にもう一度戻らせていただくことがこの意味であると深く心に留めました。

 

 香登教会の訪問も大きな恵でした。備前焼をしている友だちが香登教会を知っており、友だちが教会の役員だったこと、また、工藤先生が私と同じ長野県出身であり、しかも互いに諏訪湖を挟んだ向こうで生まれていたこと、工藤先生の奥様が私の姉と同じ高校の出身だったこと等など、そして何よりも、工藤先生が、バックストンの流れをしっかりと受け継いでおられる事に接し感無量でした。バックストンのノート、聖書、その他の遺品が保存され、また工藤先生の書斎にも案内していただきました。書架には蔦田二雄全集、車田秋次全集、笹尾鉄三郎全集がありました。その他多くの福音派の先生方のお名前が見えました。

 

 インマヌエルの竿代照夫先生は、数年前、香登教会でご奉仕されました。このような関係にある教会、何と素晴らしい教会に行ったことでしょう。そこでもう一度、私たちの持っている福音の斯業、恵に心到った事でした。

  

 広島から東京に戻り、娘のA姉が居住している雪谷の伝道所で、仕事から戻ったA姉と数時間ほど話をしました。そして翌日松本に行ったのですが。A姉にもインマヌエルの群れがどういう使命を持った教会なのかをを語りました。イエス様の十字架の救いには、年齢はまったく関係がないのです。私はA姉が子どもだったときにA姉がいたずらに描いた絵をきっかけに、A姉を父親として信仰に導きました。

 

 香登教会で聞いた工藤先生のメッセージ、先生はこう語られました。「人は一回しか生まれていない人は二度死ななければならない。二回生まれた経験を持つ人は、一度しか死ななくてもいい」。二度の死とは、肉体の死と、死んで後に受ける裁きによる永遠の死のことです。二回生まれた経験とは、赤ん坊として生まれた時とイエス様を信じて救われた新生のことをいいます。心に残りました。教団は違っても、この部分をしっかり握っていればいいのだとA姉にも話しました。93歳の父も、信仰を持った時、「有難う、もう行くところは決まっている」と言いました。何と幸せな事でしょうか。信仰とはいったい何なのか、父はもうこれさえしっかりと保っていればよいのです。

 

今日お開きした創世記1213は、私が献身するときの御言であり、召命の原点です。この40年間、主は憐れんでくださり、福音に与る方々を与えて下さいました。これからの40年に臨み、この事をしっかりと心の中に留めさせていただきたいと思った事です。そしてヤコブが夢に見た天からの梯子に上り下りする御使いの、あの天に帰られたS兄の解釈した「上る足、下る足、祈りを捧げ、また祝福を携えてくる」、このベテルの経験を思い起こします。

 

私が祈るためによく登る鞍掛山は、私にとってベテルの経験をしたところなのですが、盛岡に帰ってきて、さて、あさって日曜日の聖書の備えをと思いながら休んでいたときに、土曜日の早朝、1時でしたが、父の容態が危ないから祈って欲しいとの電話があり、さっそく鞍掛山に登って祈りました。その恵の時に、40年は過去をしっかりと振り返って、しっかりと主に目を上げる、そして進んでいくこと、このように神があるべきところを示して下さっていると思ったことでございます。今40年を振り返り、そして、主を見上げましょう。

 

 

 

※割愛した部分もございます。文責:中ぶんな

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きょうも忙しい一日でした。
これは岩手大学の池ですが。
写したのはいつだったかな。
こうして景色を眺めて
連ねることばが何も出てこなくとも、
神さまは一日をしめくくってくださる。
これでもまあ良しとしよう。
不出来はたくさんあるが
大目に見よう
きょうはもういいよ。
そういってくださっていると思える
きょうのおわり。

この日は主人の誘いで出かけたのですが、出かけるときには少々億劫でしたが、構内に入ってみると、池の周りの樹木が日盛りの下にざわめき、心地よい涼しさに、樹木の恵みの大きさを実感したことでした。

 

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のびる草たちぐんぐんと

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ぐんぐん草がのびている。もう草取りでは間に合わない。草刈り鎌で応戦だ。楽隊を組んだ草たちが、ざっざか、ざっざかのびている。足並みそろえ行進だ。ざっざか、ざっざか。間近に迫る草の音。刈っても刈ってものびてきて、もうへとへとの頃あいに、高らかに聴こえた勝利のラッパ。草がぐんぐんのびている。勢いづいてのびている。 

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すばらしい朝

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 公園の薔薇はもういっぱい咲いているな。だけどすこし疲れ気味。公園まで30分歩けるかな。すると夫が「自転車でいけば」という。ああそれならば楽勝、楽勝。

 

 おなじみのトーテンポールが立っているこの公園。花壇を見ているうちに青空に立つ時計の針は6時半。ラジオから流れるラジオ体操の歌。集まってきた人、ヒト、ひと。写真には4人しかいないみたいだけど、目を凝らしてよく見ると前の方にたくさんの人たちがいるのです。ラジオ体操なんて月並み? 平凡? 庶民的? 実はむかし、私もそう勘違いしてたことがありました。やってみるとこれが違うんですね。すこし弱っていても、集ってくる人たちの無言の意思に動かされて、第二体操までやってしまえる。爽やかな緑の下で、一日のうちこれ以上ないくらいに浄化された空気をいっぱいに吸い込みながら体を動かす。動かせる。すばらしいことです。こんなに大勢の人たちと一緒に。 

 

 それから池に映る樹木を見ながら薔薇園に移動。それが薔薇園には見ている人が誰もいない。勿体ないことです。今が真っ盛りだというのに。

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世の中捨てたもんじゃないさ

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「ひとはただじゃ動かんよ
絶対に下心があるに決まってる」
果たしてそうかな
世間の大方がそうだとしても
そうじゃない人もいる
何の利益にもならず
見返りがまったくないとしても
ひとのために動ける人がいる
ほんのわずかだけどね
そんなすがたを見ると
なぜか心がくっとして
心底ほっとする
世の中すてたもんじゃないさ

 

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 樹木が落ち込んでいるあたりには、どうも自分が映っているらしい。黒い影にかき消されているけれども、どうもそこには見えないが自分が映っているらしい。そして日の光がすっかり真上に来るのを今かいまかと待っているようなのだ。

 

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彼の地にも

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彼の地には
こんな緑もあるだろうか
朝の光に青く輝き
さわさわとさざめく水の流れ
そのほとりには
重たげに枝を垂れる柳のみずみずしさ
丈高くなっていく
草いきれのあいだには
シロツメクサやムラサキツメクサのコーラス
おまえはヒメジョオン?
それともおまえはハルジオン?
足もとには
カタバミ、ヒメオドリコソウ
しげる幾千幾万の笹船の葉を
まっしぐらに貫く光よ!
きっと彼の地にもあるに違いない
それは変わらぬものとして
朽ちぬものとして
時を超えて
きっとあるに違いない
だから
あの鳥も
けものたちも
懐かしい人たちみなが
ただ一心にそこをめざし
ただひたすらに進んで行ったのだ







 

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きょうのことば 『継続する信仰』

日曜日はインマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924)國光勝美牧師の説教を一週間遅れでおつたえしていますが、先週201年5月25 日は、インマヌエル盛岡40周年記念文集が刊行となり、その献別礼拝が持たれ、教会が歩んできた道、また懐かしい多くの教会員の思いでなどに多くの時間が用いられましたので、きょうは御言のみの掲載とさせていただきます。来週はまたいつものように、メッセージをお伝えいたします。

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【引証聖句】ヨシュア記14:6~12

 

6 ときに、ユダ族がギルガルでヨシュアのところに近づいて来た。そして、ケナズ人エフネの子カレブが、ヨシュアに言った。「主がカデシュ・バルネアで、私とあなたについて、神の人モーセに話されたことを、あなたはご存じのはずです。
7 主のしもべモーセがこの地を偵察するために、私をカデシュ・バルネアから遣わしたとき、私は四十歳でした。そのとき、私は自分の心の中にあるとおりを彼に報告しました。
8 私といっしょに上って行った私の身内の者たちは、民の心をくじいたのですが、私は私の神、主に従い通しました。
9 そこでその日、モーセは誓って、『あなたの足が踏み行く地は、必ず永久に、あなたとあなたの子孫の相続地となる。あなたが、私の神、主に従い通したからである』と言いました。
10 今、ご覧のとおり、主がこのことばをモーセに告げられた時からこのかた、イスラエルが荒野を歩いた四十五年間、主は約束されたとおりに、私を生きながらえさせてくださいました。今や私は、きょうでもう八十五歳になります。
11 しかも、モーセが私を遣わした日のように、今も壮健です。私の今の力は、あの時の力と同様、戦争にも、また日常の出入りにも耐えるのです。
12 どうか今、主があの日に約束されたこの山地を私に与えてください。あの日、あなたが聞いたように、そこにはアナク人がおり、城壁のある大きな町々があったのです。主が私とともにいてくだされば、主が約束されたように、私は彼らを追い払うことができましょう。」

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