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きょうのことば『光栄ある喜悦』

 日曜日はインマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924)國光勝美牧師の説教をおつたえしています。きょうは2014年5月4日のおはなしです。この54日に、インマヌエル盛岡教会が開拓されてから、実に2000回目の聖日を迎えました。40年間のうちに、日曜日だけで、講壇からは2000回の説教が語られ、2000回の聖日礼拝が捧げられたわけです。

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【聖書引証】第一ペテロ1:3~9 
3
私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。
4
また、朽ちることも汚れることも、消えて行くこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました。これはあなたがたのために、天にたくわえられているのです。
5
あなたがたは、信仰により、神の御力によって守られており、終わりのときに表されるように用意されている救いをいただくのです。
6
そういうわけで、あなたがたは大いに喜んでいます。いまは、しばらくの間、さまざまな試練の中で、悲しまなければならないのですが、
7
あなたがたの信仰の試練は、火で精錬されつつなお朽ちて行く金よりも尊く、イエス・キリストの現れのときに称賛と光栄と栄誉になることがわかります。
8
あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。
9
これは、信仰の結果である、たましいの救いを得ているからです。

【おはなし】

私たちは、6月8日には、ペンテコステの聖日を迎えようとしております。

イエス様はよみがえられた後、度々お弟子さんたちの前に、また人々の前に現れて、ご自分が復活された事実を証しされ、そして、弟子たちの見ている前で天に帰ってゆかれました。その後、弟子たちが祈り待ち望んでおりました時に、天から聖霊が降って来たのです。これがペンテコステのできごとです。今年は6月8日がその記念日となっております。

ペンテコステを待っているこのときには、どのような意味があるのか。復活のイエス様が、救いというものが、いかに間違いのない確かなものであるのか、ご自身の復活の体を現わしては復活の事実を示しておられた時期に当たっています。これを思います時、私は、第一ペテロ1:3が深く心に留まりました。

3 私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。
 ここに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせ、そして、私たちに生ける望みを持つようにされたとあります。

「生ける望み」とは、単にそうあったらいいなという程度の望みではない、それは「生ける望み」とはいいません。「生ける望み」とは、それは、私たちが生まれ変わるという経験をすることによって、ほんとうにそうだ、この天国の存在、永遠の命の存在が理屈ではない、頭脳的な合点でもない、その通りだというように頷くことができる、それが、「生きる望み」なのです。先ほど申しました単なる希望には、裏書き、保障がないのです。一般の世の中でも、確かな人によって裏書きされている証書は信じることができます。私たちが永遠の命を持つことができる、天国にまことの命が保障されていることの裏書き、保障が、イエス・キリストご自身の復活なのです。これがあるからこそ、天国の斯業がまさしく現実に自分のものであると納得することができます。

4節を見ると

朽ちることも汚れることも、消えて行くこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました。これはあなたがたのために、天にたくわえられているのです。

このことが、「生ける望み」として私たちのものになっているのならば、私たちは、絶対にこの信仰から離れることはあり得ない。このような素晴らしい希望を与えてくれるキリストの福音を知れば知るほど、私たちに今ある力となってきます。今の境遇がどうであれ、ここに勝利があると納得できます。

5節ご覧ください。

5 あなたがたは、信仰により、神の御力によって守られており、終わりのときに表されるように用意されている救いをいただくのです。

きょうは「光栄ある喜悦」と説教題をつけさせていただきました。それは8節のところです。
8
あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。

すごい事です。これはペテロの手紙だということを覚えてください。あのペテロです。たとえ他の者たち皆がイエス様を裏切ったとしても私だけは絶対に裏切ることはないと思っていたペテロが、大祭司のアンナスの庭のところで「あんたもあの仲間だね」と言われたときに、ペテロは「誓って言う、あんな男は知らない」といい、「神に呪われてもいい」とさえいってしまったのです。ここでいった「呪われる」にはギリシャ語の「アナテマ」が使われています。もう呪われてもいい、神に呪われたとしても、という非常に強い言葉が使われており、ペテロは、俺はあんたの事知らないとまでいってしまった。だからこそペテロは、そのまま外に出て行って泣きに泣いた。あのペテロが復活のイエス様の墓のところに行って、イエス様のよみがえりの事実に触れたのです。そしてあのペンテコステのとき、ペテロは、イエス様を十字架につけた人々を前にして「あなた方は十字架につけたこのイエスを神は救い主としてお立てになった」と言いました。

ペテロは、この復活のキリストを生ける望みとし、生涯を神に捧げ伝道し、そしてついには殉教したわけです。ペテロはイエス様にいちばん近くあった弟子です。このペテロがいっています。

8 あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。

「栄えに満ちた喜びにおどっている」、これは信仰の結果である魂の救いを得ているからなのです。私たちは、こういうことを聖霊によって知らされます。それでは、「光栄ある喜悦」とは、どういうことなのでしょうか。

第一番目に、このような神の愛を知ることができる喜びです。私たちは、栄えに満ちた喜びにおどっています。

 そして私たちはには、見えないお方を信じる喜びがあります。これも、東京で信仰生活に励んでいた時代に丸の内で聞いた説教を思い出すのですが、「信仰を働かせてイエス様を信じることができる特権は、今ここにある者の特権なんだよ、この世を去って、救い主に、目と目を、顔と顔を合わせるときには、もはや信仰によって歩むという事がないんだ」と語られておりました。讃美歌にもある「もはや信仰によりて歩まず、見ゆるところによりて歩まん」、これはこの地上を去ってからのクリスチャンたちの特権です。目の当たりにこのお方を見るときが来るのです。

「ああ、主イエス様」と心から、見えないお方を信じて仰ぎ、心がおどるというこの特権は、この地上にある者たちだけのものです。信仰によってイエス様を認められるとは喜びです。

 どうして目に見えるお方を信じなさい、信じなさいと言う事ができるのでしょうか。目に見えないからこそ、このような十字架の事実を聖霊によって示されていくことによって、目に見えるごとくに信じることができるのです。信仰を働かせる特権、信仰を働かせ得ることは、今地上に生きている者たちの最大の祝福なのです。信仰というものを思いっきり働かせてこの地上生涯を全うし、天に召されたときに、「あなたを信じて私は歩みました」と報告できたなら、そしてそれが多ければ多いほど、深ければ深いほど、イエス様をお喜ばせ申し上げるでしょう。神様をお喜ばせできるいちばんのものは、目に見えないお方をあるがごとくに信じる信仰です。信仰の器たちは皆そうでした。エノクもダビデもモーセもそうでした。目に見えないふるさとを目に見えるごとく信じて進んでいったのです。これこそ、今私たちにある最大の特権です。目に見えないお方を信じて歩む。栄えに満ちた喜びにおどる。

9 これは、信仰の結果である、たましいの救いを得ているからです。

そうです。今語っている私も心もおどるんですけれども、きっとここに居られるみなさん方、心おどる経験を持っておられるでしょう。それが救われている者なのです。救いを得ている人たちだからこそ、この喜びが通じるのです。共感できるのです。神によて新生経験という生まれ変わりを経験している者たちには、この信仰の恵み、喜びというもの分かるでしょう。共鳴するのです。これは信仰の結果である魂の救いを得ているからです。私たちは神に受け入れられています。どうぞこの「光栄ある喜び」に更に進む者であらせていただきましょう。

※文責:中ぶんな

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