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きょうのことば『第二の転機』ー深みに漕ぎ出してー

日曜日はインマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924)のメッセージをおつたえしています。きょうは201432日國光勝美牧師のお話です。

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【聖書引証】ガラテヤ2:1921

19 しかし私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。
20
私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。
21
私は神の恵みを無にはしません。もし義が律法によって得られるとしたら、それこそキリストの死は無意味です。」

【おはなし】 

「第二の転機」について、きょうはお話させていただきます。これは「第一の転機」が前提となっています。

この数週間に亘り、信仰の深みに漕ぎ出だそうとするときに、信仰の原点であります第一の転機、イエス・キリストとの出会いを深く心に留めてまいりました。「第一の転機」というとき、その内容は、神の前に正しい者と認められる事、罪を赦す権威をお持ちのお方から罪を赦される事、新しく生まれて神の国の命を受けている事があげられます。私たちには、新生、義認、赦罪の恵みに与っているという頷きがあります。これは私たちが聖霊による生まれ変わりの経験を持っているからです。新生、義認、赦罪は一つの事として括ってよろしいでしょう。

八幡平集会に行く途中、毎回、定点観測のように同じ地点で岩手山の写真を撮ることを楽しみにしています。岩手山も、盛岡側から見る景観、八幡平側から見る景観とあります。見る地点でまったく違った山に見えます。ちょうど同じように、キリストの救いにも、義認、赦罪、新生という側面があり、そしてそれぞれを知れば知るほどその豊かさが分かります。どうぞどの角度から見てもキリストの福音が豊かでありますようにと願うことです。

 

特に先週は、私たちが相続人という立場に置かれていることを心に留めさせていただきました。新生、義認、赦罪、この3つに加えて、神様がアブラハム以降の選ばれた者たちに約束してくださった諸々の祝福が、やっとイエス・キリストを信じる者たちに譲りとして受ける事ができるようになりました。天に隠されている神の諸々の栄光は私のものなのです。今や相続人であることを頷くことができる。前回は、この譲り、嗣業がどれほどに素晴らしいものかを説かせていただきました。もはや神様は、私たちにお父さんであって下さる。そして、キリストと共に私たちは、その嗣業の相続人となる。どうぞ確認をしていただければ幸いでございます。


 きょうはそれに加えて「第二の転機」に向かって信仰生活を歩んでいくことが必要であることを申し上げたいと思っております。

 第二の転機を「きよめ」といい、その内容は、罪性が除去されることです。、私たちは第一の転機の時に、罪は赦されています。神の前に司法的には義と認められている。そして神様の命が与えられている。神の子どもとされている。ところが、その私たちの心に、依然として神に従うことを良しとしない罪の性質をまだ心の中に持っている。神に従うよりもむしろ、そういう自分の意志、自分の願望を第一に置いて行こうとする性質を持っている。これでは、祝福に満ちた信仰生活を送る事は凡そ不可能なことです。このことをすっきりと解決することです。

 私も「きよめ」というものがあるのなら、ほんとうに欲しいと願い祈っていました。自分自身のこれこれがきよめられたとどうして言うことができるのかが分かりませんでした。ある青年たちの集会のお証しで、「わたしはまだきよめの恵みを持っていません」とありのままに言いました。すると指導してくださる先生が仰いました。「いま兄弟が、自分はまだきよめの恵みに立っていないということを証ししたが、それは非常に恥ずかしいことなんだ。それは、私はまだ心の中に蝮の毒を持っている者ですと告白しているのと同じことだ。それは恥ずかしいことだ。クリスチャンとして、神に仕える者として、そのようなものを解決できないということがあってはいけない。キリストは、そのきよめの恵みを与えてくださるために罪の一切を解決してくださったのだ。それを受け留める事、それが信仰でありそれがきよめなんだ」。

もう一つ、ここに第二の転機として、聖霊の満たしということがございます。これは使徒の働き第2章に出ています。「みなが聖霊に満たされ」とありますが、祈り待ち望んでいた弟子たちのうちに聖霊が臨みました。クリスチャンとなって、聖霊の満たしを経験しないということは、それはさっきの通り、恥ずかしいことです。「神様にすべてを明け渡し、従っていきたいと思いますから、どうぞ私の御聖霊様、御支配を隅々まで及ぼしてください」と神様にお祈りをしましょう。もしほんとうに十字架がわかるなら自ずとそうしているでしょう。  ガラテヤ220でパウロは言っています。

20 私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」

パウロが言う「キリストとともに十字架につけられました」とは、これは私が持っていた蝮の毒を、きよめてくださるお方の十字架の贖いに一緒に磔(つ)けましたということです。これは信仰の計算です。そしてその後には「もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです」と続いている。

キリストの救いが得られるのは、わざによるのでしたか、それとも信仰によるのでしたか? 義と認められ、赦され、そして新たに生まれ変わり、そして神の子どもとされると言うその恵をみなさん方私は、どのようにして頂いたでしょう。信仰によったのではありませんか。信仰によって得たのです。ならば、「キリストの十字架が私の蝮の毒をきよめてくださる」と信じ、その信仰によって受け留めることです。わざによるのではありません。信仰によるのです。恵を受けるのはただ信仰によるのです。恵をわざによって捕えようとするところに問題がある。クリスチャンになるには、ただ信じるだけという単純なことじゃないんだ、一生懸命善事善行に励まなくては、というような、直ぐにわざのほうに行ってしまう。そうじゃない、キリストの成し遂げられた十字架の御業を信じることによって救われる。ならば、罪のきよめということも、私たちは信仰によってそれを受け留めるべきです。そして、いつでも恩寵を信仰で受けるときは転機なんです。一つの瞬間。そして、この転機に、きよめの信仰という自転車に乗れるようになったなら、あとはもうそれに乗り続けていけばいい。自転車に乗り始めたときに、しばしば転びます。しかしまた立ちあがって乗り続ける。もう一度立ちあがる。これは継続です。転機があって、それをそのまま継続していけばいいのです。問題はこのイエス・キリストのきよめのみわざを、私たちが信仰によって受け入れる、パウロと同じようにガラテヤの人たちの失敗は、それをおきてによって得ようとしました。わざによって得ようとしてしまったところに問題がある。ガラテヤの人たちはそうでした。

パウロは、ガラテヤ3章で言っています。

1 ああ愚かなガラテヤ人。十字架につけられたイエス・キリストが、あなたがたの目の前に、あんなにはっきり示されたのに、だれがあなたがたを迷わせたのですか。2 ただこれだけをあなたがたから聞いておきたい。あなたがたが御霊を受けたのは、律法を行ったからですか。それとも信仰をもって聞いたからですか。

パウロは、贖いをあなた方に示したのに、どうしてあなた方はわざによる救いという事をいうのか、愚かなガラテヤ人よ、私たちは信仰によって救われるのだと言っています。このことをしっかりと心に留めて頂きたいと思うこでございます。

 最後に私の十字架経験を三つあげて締めくくらせていただきます。一つは私たちの為の十字架、これは救いの時、キリストは私の為に死んでくださった十字架。納得していただけるでしょう。そして、もう一つ、ガラテヤ220にある、共に磔く十字架、キリストとともに十字架に磔けられたと信仰に立つことです。ともに磔く十字架。これが第二の転機。キリストと共に十字架に磔けられて、そして、キリストとともに十字架を負う生涯、イエスさまに喜ばれる主の道をイエスさまとともに、イエスさまの重荷を思い出しながら十字架を負う。これが大切な意味を持つことです。

私はこの十字架経験というものをもうすこし深く心に留めながら進んで行きたく思っております。

※文責:中ぶんな

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