晴れか嵐か曇りになるか
国民文化祭が岩手で開かれたときに、わたしの川柳が入選したことがある。
慈善家の心にもある名誉欲
応募した短歌、俳句は落選し、推敲もしていない川柳がなぜか入った。もうだいぶ昔のはなしだ。いまは文学的野心もかなり希薄になっているが、あの頃は着実な努力もせずに野心ばかりが尖っていた。
慈善をいまならどう書くだろう。災害が頻発するいまは、必要としている方々には、もう本音はどうでもいい、とにかく手を差し伸べてほしい(言うまでもないけれども、いまここで言うのは、自分にという意味ではない)、ひけらかしでも名誉欲でも大いに結構じゃないの。被災地をも含めて、厳しい世の中だと思う。自分にしても、いつそういった境涯に放り出されないとも限らない。
書いている事との脈絡はともかく、いまこんな讃美歌が浮かんだ。
明日はどんな日かわたしは知らない 晴れか嵐か曇りになるか
わたしは明日を心配しない イエスがわたしを守られるから
明日はわたしにはわからないけど
明日を守られるイエスがおられる
日々のあゆみは日々に明るく かたのおもには次第に軽い
輝く太陽 涙かわかし 仰ぐ空には虹のかけ橋
明日はわたしにはわからないけど
明日を守られるイエスがおられる
明日はどんな日かわたしは知らない どんな道すじが先にあるかも
だけどわたしは心配しない イエスがおられるわたしのそばに
明日はわたしにはわからないけど
明日を守られるイエスがおられる
私の事は神様が心配して下さる。そして神様が配慮してくださる。
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