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難易度ではない曲

  明治・大正の盛岡の音楽事情を書くときに、はたして価値があるのだろうかと思ったことがある。当時演奏しようと取り組まれていた曲をプログラムで見ると、それほど難易度は高くない。たとえば昭和4年のリサイタルで赤澤長五郎が弾いたチゴイネルワイゼン、これは今では上手下手はともかく小学生でも弾いている。しかし、当時この曲を弾くのは大変なことだった。
 ただ太田カルテットの場合は、メンバーの個性に面白さがある。チェロの梅村保は戸田一心流の剣豪、免許皆伝。赤澤長五郎は柔道7段の猛者。館沢繁次郎と佐々木休次郎は太田きっての大地主で、館沢は芸術家肌、佐々木はむしろ実直な人物で、館沢、佐々木はスポーツに、実業界に、また近代的な農業経営の啓蒙に寄与している。性格の異なる4人が、弦楽四重奏をやることでは意気投合していた。
 それは兎も角、次第に私は、音楽の価値は、どれだけ難しい曲をどれだけ見事に弾いたかというよりも、その時代時代に何をもたらしてきたかという側面の意味が大きいのではないかと思うようになった。以来、プログラムに書かれている曲の難易度は気にならなくなった。
 大震災以降、どれほど「故郷」が歌われたことか。これは岡野貞一が作曲した。彼はクリスチャンだった。この故郷が実は天国を意識して作曲されていることを知る人は少ないかと思う。オペラのアリアも心惹かれる。しかし多くの方々に多くの場面で歌われ口ずさまれる曲というのはむしろ単純で心にしみるものが多いように思う。
 それを思う時に、盛岡でその昔演奏されたプログラムにある曲の一つ一つがほんとうに尊く思われてくる。

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