雪の樹
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きょうは,さまざまな雑用でこの界隈を行ったり来たり。小路はすっかりアイスバーン。雲母でできた道のようだ。
こうして心配事はしっかりと心配し、感謝することはしっかりと感謝して、今時点で何事もなく一日を閉じることができる。感謝である。
28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。ロマ8:28
この言葉が心の中からぽかりと浮いて来た。そして安らかになった。
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昨日は久しぶりに青空が広がっておりました。川に浮かぶ白鳥を撮るには、青空が出ていなければ水はきれいに写らないので、 今日が絶好のチャンスと富士見橋に買い物がてら出かけますと、何と、白鳥がみな河川敷のほうに上がっていました。
それにしても青空がきれいでした。岩手山がくっきりと見えていましたが、写真では建物の上にちょっと頭を出しているだけ。この橋を手前に渡ってすこしのところに、まるせい呉服店さんがあります。
きょうはまた雪。雪掻きの音がしています。この河川敷の柳が明るく輝く日が待たれます。
雪のせいか、先ほどネットが一時不通となり、これはまた厄介なことになるのかな、と思っていたところ、さきほど19時に確かめてみると復活。今のうちかなとブログをアップ。
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日曜日は、インマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924 )の講壇のメッセージをおつたえしています。きょうは、2014年1月19日の國光勝美牧師の説教です。
【聖書引証】ルカ伝5:1~11
1 群集がイエスに押し迫るようにして神のことばを聞いたとき、イエスはゲネサレ湖の岸辺に立っておられたが
2 岸べに小舟が二そうあるのをご覧になった。漁師たちは、その舟から降りて網を洗っていた。
3 イエスは、そのうちの一つの、シモンの持ち舟に乗り、陸から少し漕ぎ出すように頼まれた。そしてイエスはすわって、舟から群集を教えられた。
4 話が終わると、シモンに、「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい」と言われた。
5 するとシモンが答えて言った。「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。」
6 そして、そのとおりにすると、たくさんの魚が入り、網は破れそうになった。
7 そこで別の舟にいた仲間の者たちに合図をして、助けに来てくれるように頼んだ。彼らがやって来て、そして魚を両方の舟いっぱいに上げたところ、ニそうとも沈みそうになった。
8 これを見たシモン・ペテロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ。私のような者から離れてください。私は、罪深い人間ですから」と言った。
9 それは、大漁のため、彼もいっしょにいたみなの者も、ひどく驚いたからである。
10 シモンの仲間であったゼベダイの子ヤコブやヨハネも同じであった。イエスはシモンにこう言われた。「こわがらなくてよい。これから後、あなたは人間をとるようになるのです。」
11 彼らは、舟を陸に着けると、何もかも捨てて、イエスに従った。
【説教】
「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい」。
今年、イエス様が私たちに期待しているのはこの事です。イエス様は、信仰の深みに漕ぎい出して、沢山の方々を神様のもとに、天国にお導きするようにとの使命を私たちに委ねておられます。今日は、聖書の中から、先ず、深みに漕ぎだしたアブラハム、イサク、ヤコブの三人の信仰者に学んでみましょう。
1、アブラハム的信仰
血筋から言いますと、3人のなかでは、アブラハムが最初に出て来ます。民族的に言いますとユダヤ人のルーツです。アブラハムの子どもがイサク、そしてイサクの子どもが双子のヤコブとエソウです。系図は弟のヤコブの方につながっていく。この三人は重要な人物で、それぞれに特色があります。
ロマ4:18~21
18 彼は望みえないときに望みを抱いて信じました。それは、「あなたの子孫はこのようになる」といわれていたとおりに、彼があらゆる国の人々の父となるためでした。19 アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることと、サラの胎の死んでいることとを認めても、その信仰は弱まりませんでした。20 彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、21 神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。
ここに、旧約聖書のいっている信仰とは何かがアブラハムの信仰を通して解説されています。21節には、「堅く信じました」とありますが、実はアブラハムの妻は年老いており、客観的に出産が可能とは思われませんでした。そこで、当時の風習で、奴隷を通して子を得ることが為されており、神はきっとこの方法で子を与えるのだろうと、サラは、自分の奴隷にアブラハムの子どもを産ませました。しかし、あくまでも神の約束はアブラハムとサラの間の子どもだったのです。
しかし、それでもアブラハムは、21 神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。これもまた確かにアブラハムの信仰でした。
今年、私たちに与えられているのは、「深みに乗り出し魚をとりなさい」という御言葉です。イエス様がこう言われたときには、すでに何日も漁をしたにもかかわらず1匹も捕れなかったので、もう漁を止めようと道具の始末をしていた。しかし、イエス様は敢えてそこに、「深みに乗り出し魚をとりなさい」と言われたのです。そこで自分の意識を仕切り直して、自らを鼓舞し、乗りい出すことは、そう容易いな事ではありません。しかし神の御言葉を信じて網を下ろすことです。私にはできない、しかし神にはできるのです。神には不可能がない。現状を認めつつも尚、神の御言葉に信仰をもって進んでいきましょう。仕切り直してさらに1歩進んでいく事です。アブラハムに倣って益々信仰を強くして神に栄光を帰すことができるように、一歩一歩前進し、深みに乗り出させていただきたい。
2、イサク的信仰
イサクも信仰の人でした。誕生自体が神の約束の子として誕生しています。イサクは、しばしばイエス様の誕生のひな形として取り上げられる人物です。何よりも象徴的なのは、民族の希望が掛かっているこのイサクを、神は、アブラハムに生贄としてほふり、祭壇に捧げよと命じられました。創世記22章にあります。これはアブラハムにとって信じられない様な命令だった。「あなたが下さった子を捧げよというのですか」。しかしアブラハムは、神は死人の中からもよみがえらせる力があると信じ、ほふり捧げようとしたときに、ご自分に対する全幅的な信頼が明らかだとして、それに待ったをかけ、身代わりの子羊を準備してくださり、イサクはほふられずに助かりました。
イエス様はどうだったでしょう。神の最愛のひとり子イエス様は、生贄として十字架につけられるために捧げられたのでした。イサクのときには、途中でストップが掛かりましたが、イエス様のときには、ストップが掛からなかった。イザヤ53:7を見ましょう。
7 彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれていく羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。
これがイエス様のお姿です。十字架の死に到るまで、イエス様は従順であられた。ここにイサクの持つ信仰というものが表れています。神様が必ず最善に導いて下さると信じ、自らを差し出し続ける姿がああります。イサクの信仰は子羊のような従順さ、柔和さにあります。
当時、水は命そのものでした。そして家畜は財産でした。家畜に水を飲ませなければなりません。神様がイサクを祝福するのを周りの者たちが妬み、力ずくでイサクの掘った井戸を奪ってしまった。イサクは争いを好まず、井戸をそのまま譲って、また別なところに行って井戸を掘った。神様がともにいたので、また水が出た。するとまた異教の者が来て井戸を奪うというような事が立て続きました。何回かそのような事があった後、しかし、イサクは、井戸を手に入れることができました。その井戸については争いがなかったので、この井戸をレホ・ボテと呼びました。このように、イサクは争いを好まずに生きた人物です。このように、神の最善を信じて信仰に徹し続ける事です。このような信仰の深みに一歩づつ進んでいきたいと願う事です。
3、 ヤコブ的信仰
ヤコブは、こと神様の祝福を手に入れようとする事には貪欲でした。従順な人柄である父イサクの息子であるとは思えない様な性格です。遅れじと兄のかかとを掴んで生まれてきましたが、結局は弟として生まれました。当時、長子に生まれた者には、神様の格別な祝福が約束されていました。タッチの差でエソウの後に生まれてしまったヤコブは、長子の祝福から洩れてしまったのです。しかし何とかそれを手に入れようとして知恵を尽くしました。
空腹で帰って来た兄にレンズ豆の料理を作り、それと引き換えにまんまと長子の特権を手に入れてしまいます。またあろうことか、老いて目が見えなくなったお父さんが、長子エソウの為に祝福の祈りをしようとしたときに、自分の方を愛している母親のリベカと組んでエソウになりすまし自分を祝福させてしまう。父イサクはだまされ、エソウに与えるべき祝福をヤコブに与えてしまったのでした。ヤコブはその後、家にいられなくなり、母リベカの実家に身を寄せることになる。ヤコブ的信仰は狡猾であり、貪欲です。
ところが、一旦は怒ったエソウですが、ヤコブが財を成して帰ってきたとき、喜んで迎えています。エソウはかわいそうではないか、果たしてヤコブはこのような在り方でよいのだろうか。しかし神様は、このヤコブを祝福しています。
神様の祝福を求めずにはおかないという聖なる貪欲さそのものを神様は祝福してくださる。エソウ的な在り方には、神様は高い評価を与えてはいません。
私たちも、往々にして、世にある価値に重きを置き、神を第二にしていることがある。しかしヤコブは、神の祝福を第一とし、貪欲なほどでした。神様の祝福を得る事に貪欲でありましょう。
マタイ伝7章にありますが、イエス様は言われました
7 求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。8だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。「求めなさい。そうすれば与えられます。たたきなさい、そうすれば開かれます.
ヤコブのように神様の祝福を得るために知恵を尽くし、努力や工夫を惜しまないでください。エソウは人はいいのですが、神様の祝福に無関心で不熱心でした。この対極がヤコブの信仰です。
不正な裁判官にうるさいと嫌がられても、訴えをやめないやもめが、尚も訴え続けて、ついに裁判官を動かしましたが、このやもめのように、祝福を見るまでは何としても止めない、止まない、そのような信仰を持ちたいものです。今の現実を認めつつも、尚、神に為し得ない事はないと信じる信仰、従順に貫かれた信仰、そこに祝福がやって来るのです。
※先週の復習は割愛しております。若干編集させていただいております。文責:中ぶんな
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すこし歩かなければと、今日は午後に散歩に。呉服店の老舗「まるせい」さんの前を通ったので、久しぶりに立ち寄らせていただいたところ、ちょうどティータイムだったよう。幸運にも美味しいコーヒーを出していただいた。
そういえば、まるせいさんは皆さんの写真を撮っていたけれども、ご自分を撮ってはいないことを思い出す。そこで、私が撮った「まるせい」さんをアップしました。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
明日は教会総会があり、
岩手県民オケがあり、
親戚関係者が出演するコンサートがある。
県民オケ、ことしこそ是非にと思っていたが、回ってきているのは中ホールの方のチケット、血のつながりは遠くとも疎かにはできないというわけで、中ホールに流れる予定だ。
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師匠のお茶のお手前。御好意で私も入れていただきました。
炉の灰作り、そして炭手前というものも見せていただき、日本文化のきめ細やかさを知らされました。
作法があるあいだはぎこちなく、作法を解かれてからの後始末の手伝いでは張り切った私でした。
お手前……あら、誤字を使ってしまったと、慌てて検索してみると、「お点前」「お手前」、このどちらでもいいようだ。ただ、「茶を点てる」というところを見ると、やはりお「お点前」がより相応しいのかもしれない。茶道具やふくさの名称などは、判読不可能な漢字の羅列が多い。しかしこれも、今ではウェブ検索で、大概はわかるようになっている。ただし、何を知識として得られても、所作が身につくかどうかはまた別であるようだ。
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明治・大正の盛岡の音楽事情を書くときに、はたして価値があるのだろうかと思ったことがある。当時演奏しようと取り組まれていた曲をプログラムで見ると、それほど難易度は高くない。たとえば昭和4年のリサイタルで赤澤長五郎が弾いたチゴイネルワイゼン、これは今では上手下手はともかく小学生でも弾いている。しかし、当時この曲を弾くのは大変なことだった。
ただ太田カルテットの場合は、メンバーの個性に面白さがある。チェロの梅村保は戸田一心流の剣豪、免許皆伝。赤澤長五郎は柔道7段の猛者。館沢繁次郎と佐々木休次郎は太田きっての大地主で、館沢は芸術家肌、佐々木はむしろ実直な人物で、館沢、佐々木はスポーツに、実業界に、また近代的な農業経営の啓蒙に寄与している。性格の異なる4人が、弦楽四重奏をやることでは意気投合していた。
それは兎も角、次第に私は、音楽の価値は、どれだけ難しい曲をどれだけ見事に弾いたかというよりも、その時代時代に何をもたらしてきたかという側面の意味が大きいのではないかと思うようになった。以来、プログラムに書かれている曲の難易度は気にならなくなった。
大震災以降、どれほど「故郷」が歌われたことか。これは岡野貞一が作曲した。彼はクリスチャンだった。この故郷が実は天国を意識して作曲されていることを知る人は少ないかと思う。オペラのアリアも心惹かれる。しかし多くの方々に多くの場面で歌われ口ずさまれる曲というのはむしろ単純で心にしみるものが多いように思う。
それを思う時に、盛岡でその昔演奏されたプログラムにある曲の一つ一つがほんとうに尊く思われてくる。
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きょうは午後1時半から地域の茶話会があった。これまで人のお役に立ったこともなく、社会的に貢献することもなく来たわけだが、せめて参加でお役に立てればと出かけている。はじめは緊張していたけれども、最近はけっこう楽しんでいる。クリスマスなどは、手作りのケーキを何度も試作を重ねて作ってくださった方があった。きょうは家にある茶飲み茶碗を「ちょうどいいのがあったから」と持参してくださった方がいた。それぞれにさまざまな趣味をもち、或いは、家族の介護やお孫さんたちのお世話を余生を傾けてなさっている方がいる。人に対する心遣いというものを教えられる事が多い。いちばん私に欠けているのがこの心遣いだ。
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日曜日はインマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924)の講壇のメッセージをお伝えしています。今日は2014年1月12日、國光勝美牧師の説教です。
【聖書引証】ルカ伝5:1~11
1 群集がイエスに押し迫るようにして神の言葉を聞いたとき、イエスはゲネサレ湖の岸辺に立っておられたが、
2 岸べに小舟が二そうあるのをご覧になった。漁師たちは、その舟から降りて網を洗っていた。
3 イエスは、そのうちの一つの、シモンの持ち舟に乗り、陸から少し漕ぎ出すように頼まれた。そしてイエスはすわって、舟から群集を教えられた。
4 話が終わると、シモンに、「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい」と言われた。
5 するとシモンが答えて言った。「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもお言葉どおり、網をおろしてみましょう。
6 そして、そのとおりにすると、たくさんの魚が入り、網は破れそうになった。
7 そこで別の舟にいた仲間の者たちに合図をして、助けに来てくれるように頼んだ。彼らがやって来て、そして魚を両方の舟いっぱいに上げたところ、ニそうとも沈みそうになった。
8 これを見たシモン・ペテロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ。私のような者から離れてください。私は、罪深い人間ですから」と言った。
9 それは、大漁のため、彼もいっしょにいたみなの者も、ひどく驚いたからである。
10 シモンの仲間であったゼベダイの子ヤコブやヨハネも同じであった。イエスはシモンにこう言われた。「こわがらなくてよい。これから後、あなたは人間をとるようになるのです。」
11 彼らは、舟を陸に着けると、何もかも捨てて、イエスに従った。
【説教】
先週は、『深みに漕ぎだしてー1』と題してお話を致しました。今週も同じ聖書の箇所に心を留めたいと思います。
「深みに漕ぎだして」を縦軸で考えますと、これは個々人の信仰を深めるということでしょう。より深く御言葉を学び、より深く神様とまじわりを持つ、神様と親しく語りあう、祈るということでしょう。そして敬虔を学ぶ、神様を畏れ敬うことを一層意識するべきです。
これをディボーションといいます。神様との密室を持つことです。ディボーションというと、特異な神秘的な事を思い浮かべるかもしれませんが、そうではありません。今年、聖書の御言葉とどういう関わりをもっていくか、ディボーションで祈り求めていただきたい。もし御言葉が与えられたのならば、どうぞお知らせください。栞をお作りいたします。これを聖書にはさんで聖書通読に励みましょう。
この教会としては、今年は、「主はわたしの羊飼い」と「深みに漕ぎだして」の二つの御言葉をベースとして信仰を築いていきたいと願っています。ディボーションで、自分と深く関わる御言葉を見出し、しっかりと握っていただきたいのです。
神の御言葉を聞き分けられる信仰者たちは、みな、神に呼ばれたときに、直ぐに「はい、ここにおります」と返事をし神様に従っています。イサクもモーセもサムエルもそうでした。信仰の土壌作りが十分に出来ているからこそ、神様の御言葉が心に与えられた時に、即座に反応できるわけです。「深みに漕ぎだして」いれば、速やかに神様の御言葉を受信できるのです。
深みに漕ぎだすことは、それほど時間を必要とはしません。日々の聖書通読でいいのです。デーリー・ライトのような日々の読みものも良いでしょう。特にそれが、100年、200年と聖人たちに読み継がれてきているものであれば間違いはありません。これらはみな、御言葉の深みを耕します。色々な御言葉から恵を頂きますと、御言葉が生きてきます。このようにして、去年よりは一歩、聖書の御言葉を深めましょう。
「深みに漕ぎだして」をこんどは横軸で見ましょう。この御言葉、恵、救いが、自分の近しい友人、知人に広がったなら、どんなに幸いでしょうか。
ルカ伝16:19~31にはこんな事が書かれています。
19 ある金持ちがいた。…毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。20 ところが、その門前にラザロという全身おできの貧しい人が寝ていて、21 金持ちの食卓から落ちる物で腹を満たしたいと思っていた。…22 さて、この貧しい人は死んで、御使いたちによってアブラハムのふところに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。23 その金持ちは、ハデスで苦しみながら目を上げると、アブラハムが、はるかかなたに見えた。しかも、そのふところにラザロが見えた。24 彼は叫んで言った。『父アブラハムさま。私をあわれんでください。ラザロが指先に水を浸して私の舌を冷やすように、ラザロをよこしてください。私はこの炎の中で、苦しくてたまりません。』25 アブラハムは言った。『子よ。思い出してみなさい。おまえは生きている間、良い物を受け、ラザロは生きている間、悪い物を受けていました。しかし、今ここで彼は慰められ、おまえは苦しみもだえているのです。26 そればかりでなく、私たちとおまえたちの間には、大きな淵があります。ここからそちらへ渡ろうとしても、渡れないし、そこからこちらへ越えてくることもできないのです。』27 彼は言った。『父よ。ではお願いです。ラザロを私の父の家に送ってください。28 私には兄弟が五人ありますが、彼らまでこんな苦しみの場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。』29 しかしアブラハムは言った。『彼らには、モーセと預言者があります。その言うことを聞くべきです。』30 彼は言った。『いいえ、父アブラハム。もし、だれかが死んだ者の中から彼らのところに行ってやったら、彼らは悔い改めるに違いありません。』31 アブラハムは彼に言った。『もしモーセと預言者との教えに耳を傾けないのなら、たといだれかが死人の中から生き返っても、彼らは聞き入れはしない。』」
ここには、神を信じなかった者たちが受ける苦しみの事を、誰かがあの世から生き返って説得したとしても、人は聞き入れるものではないと教えています。既に御言葉はすべての人々に与えられているのだから、どうかそれを信じてくださいと教えています。
マルコ2:1~12 をご覧ください。
3 そのとき、ひとりの中風の人が四人の人にかつがれて、みもとに連れて来られた。
4 群集のためにイエスに近づくことができなかったので、その人々はイエスのおられるあたりの屋根をはがし、穴をあけて、中風の人を寝かせたままその床をつり降ろした。
5 イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に、「子よ。あなたの罪は赦されました」と言われた。……中風の人に、11 「あなたに言う。起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい」と言われた。12 すると彼は起き上がり、すぐに床を取り上げて、みなの見ている前を出て行った。それでみなの者がすっかり驚いて、「こういうことは、かつて見たことがない」と言って神をあがめた。
ここに中風の人を助けるために、イエス様の御もとに連れていった人々がいたことが書かれています。
また、らい病で苦しんでいたナアマン将軍の奥さんに、癒しの賜物を持った預言者がいることを教えてあげた少女もいました。
このように私たちはイエス様の存在を、周りの人たちにお知らせすることができるのです。イエス様のもとにお連れすることができるのです。
最近になって、沖縄の東風平教会の中村先生から、こちらに先生の同級生のOさんという方がいらっしゃると御紹介をいただきました。
このように神様が摂理的に皆さんの周りに置いてくださっている方々に、福音が広まっていけば感謝です。
先週の締めくくり、「網を下ろして」に再び触れますが、漁師をしている方々が、もう仕事を終えて網を洗い、仕事の後始末をしてから、「もう一度網を下ろしてみなさい」と言われたとしても、そう簡単に言うなりにはならないでしょう。しかしペテロ達はイエス様が言われたことに従い、片づけようとした網をまた下ろしました。もう一度自分を仕切り直して従ったのです。結果は大漁でした。
大漁をもたらしてくれるのは神様です。これをリバイバルという言葉で表すとすれば、リバイバルは神様の責任の領域である。私たちの責任は、御言葉通り網をおろすというその行為にあります。本当に大漁になるんだろうか、思いはさまざまでしょう。しかし御言葉に従う事です。ここまでが私たちの責任なのです。神様のお力をもってすれば、大漁などはいつでも容易くもたらす事ができる。しかしそれをしないで、先ず弟子たちに「網を下ろしてごらん」と言われる。神様は私たちを用いたく願っておられる。このようなものを用いて、神様はリバイバルを起してくださるのです。「網を下ろしてすなどれ」と神様が言われたときに、「はい、ここにおります」と神様の御前に返事をさせていただき、教会が40周年というこの年に、また新たに仕切り直して、網を下ろしたいと願っている事でございます。
※説教はできるだけ簡略に編集してございます。何らかの参考になればと願っております。文責:中ぶんな
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さて何を書こうかと思った時に、たいまつが浮かんだ。なぜかは分からない。真っ白なそして真っ暗な夜の雪上を、たくさんのスキーヤーたちが、たいまつを片手にして、緩斜面をすべりおりてゆく光景が浮かんだ。どこで見たか、テレビでであったか、単なる自分の空想であるのかははっきりしない。暗闇にもそのようなたいまつを掲げてくれる存在がいたとしたら、果てしない荒野を歩くときにも、その心持はどれほどに違うだろうか。
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朝に目を醒まして惰眠をむさぼる事には何の益も無いように思う。事実、物ごとに懐疑的になったり、マイナス思考になる事が多い。今朝は6時起床、さほど冷えてはいないと思ったが、6時半まで待って散歩に出た。40分弱。散歩しているらしい人影は見なかった。ただ、もっと早くに起きだして運動している人はいるだろう。空が重たいという感じは無いが、全面に光が見えず透明感のない氷にでも閉ざされている感じがする。こんな日には、やはり朝でも街路灯が有難く思われる。
パソコンから最も手っ取り早く質の良い演奏を聴くなら、やはりベルリンン・フィルのデジタル・コンサートがいいようだ。けっこうアーカイブスも多様性がある。一曲ごとに丁寧に聴いていくなら、何がしかが自分の中に定着しそうだ。きょうはソレーヌ・ケーマレックのチェロを参考のために聴く。アンリ・デュティユー チェロ・ソロのための≪ザッハーの名による3つの詩節≫というまったく聴いたことのない曲だ。不安に満ちた旋律も自然の一部と素直に受け入れられる近頃だ。不思議な魅力に満ちている。
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人様の家の屋根に下がっている氷柱を撮らせていただきました。一日中家の中に。
ところで最近映画館に出向いて映画を見るということがなくなった。テレビでも見ない。DVD、ブルーレイも無いではないが、これも見てはいない。死蔵品に近い。いつでも何でも見ようと思えば見ることができると思うその意識が、寧ろ視聴から自分を遠ざけているように思う。
日本に最初に活動写真を輸入したのは神戸市の高橋新治であり、浅草の電気館が初の活動写真の常設舘となった。入場員数は明治40年には347万人、41年は521万人、42年731万人、大正元年には1277万人だった。(青山貴子氏の論文より)
最初は無声映画で、弁士や楽隊がセットになっていた。それでもこれだけの人々がまち望み熱中していた。映画は映画館に行かなければ見る事ができなかった。今でも最新作がすぐにデジタル化されることは無いのだろうが、ただ、少し待てば出てくるさということではある。これほど手に入りやすい、見ようと思えばいつでも見られる時代であるのに、見ようとも思わなくなっているのは、これは歳のせいだけなのだろうか。
家の中にいて何をしていたかというと、こんな事を思い巡らしていたのと、三食作りと近くのコンビニまで荷物の発送に行ったことだけ。運動不足であることは間違いない。
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今朝方、イエス様の手を想い浮かべていたところが、どうもそれが燃えているようでもある。炎のようでもあり、そして人の手であるような輪郭も失われていない。私は、そうだ、神様はモーセに「十戒」を授けるときに、炎の指で石の板に書かれたのだと思い到った。その炎の手なのだろうか。あまりこのようなことばかり書いてると、洗脳ではないのか、大丈夫? ということにもなりかねないのだろう。ただ私の思うところの意識の中でそう変化していったというだけの事で、決して幻覚を見たのではない。
早朝散歩はお休み。もうすこし様子を見て、もしかすれば、もうすこし暖かくなってからの再開となるかもしれない午前中は昨日のポスティングの続き。よくこれだけ印刷物が毎月刷られているものだ。以前ならさっそく年間の印刷物の量は、回数はと検索するのだろうが、ここから先の積極性が今は湧いてこない。ただ何トンの紙が日々捨てられているかには興味がないではない。デジタル化の時代でも、広報物の量はなかなか減りそうにない。午後は2時間ばかり、近所の方と買い物に出かける。
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イエス様の右の手の夢を思い出していた。あれは東京から帰った翌日であった。両腕を開いて私の真向かいに立っていた。右の手を見た時に、釘を打たれた傷痕があったので、ああこれは復活されたイエス様なんだと思っていた。それから私は何度もこの手の絵を描きたいと思っていた。私が子どもだったときに、姉が、私が眠っている時の手をデッサンしたことを今思い出す。片方の手だけのデッサンだった。指も巧く描けていた。もし描くとすれば、恐らくあのような絵になるのだろう。なぜまた今思い出したのかわからない。
きょうは午前中は昼に義妹を招待したのでその準備。激励会だった。そして午後は地区の仕事でポスティング。外が明るく晴れていることに感謝する。ここのところ家の中にいたので、雪道を歩くのは神経をつかうけれども、爽やかで清々しい。
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日曜日は、インマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924)の講壇のメッセージをおつたえしておりましたが、きょうは諸般の事情に依り、自分が聞いて恵まれたというところをメモという形で書かせていただきます。2014年1月5日の國光勝美牧師の説教からです。
【聖書引証】詩篇23篇 ダビデの賛歌
1 主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。
2 主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。
3 主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。
4 たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。
5 私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。
6 まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。
【お話を聞いて】
神様が人とどのような関わりを持たれるかを表わすときに「アドナイ」という呼び名で表わされるといいます。これには7つございました。この詩篇23篇にはこの7つの神様が集約され詠われているということです。
アドナイ・イルエ(主の山には備えがある) 詩篇23:1
アドナイ・ラファ(あなた方を癒す主) 詩篇23:3
アドナイ・シャロン(主はわが平安) 詩篇23:2
アドナイ・シャマ(主はここにおられる) 詩篇23:4
アドナイ・ツィドケヌ(主は私たちの正義) 詩篇23:3
アドナイ・ニシ(主はわがはた) 詩篇23:5
アドナイ・ロイ(主はわたしの羊飼い) 詩篇23:1
この7つの「アドナイ」を念頭に、詩篇23篇を読みました時に、またより一層神様の恵みを覚えたことです。
【聖書引証】ルカ5:1~11
1 群集がイエスに押し迫るようにして神のことばを聞いたとき、イエスはゲネサレ湖の岸辺に立っておられたが、
2 岸べに小舟が二そうあるのをご覧になった。漁師たちは、その舟から降りて網を洗っていた。
3 イエスは、そのうちの一つの、シモンの持ち舟に乗り、陸から少し漕ぎ出すように頼まれた。そしてイエスはすわって、舟から群集を教えられた。
4 話が終わると、シモンに、「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい」と言われた。
5 するとシモンが答えて言った。「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。」
6 そして、そのとおりにすると、たくさんの魚が入り、網は破れそうになった。
7 そこで別の舟にいた仲間の者たちに合図をして、助けに来てくれるように頼んだ。彼らがやって来て、そして魚を両方の舟いっぱいに上げたところ、ニそうとも沈みそうになった。
8 これを見たシモン・ペテロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ。私のような者から離れてください。私は、罪深い人間ですから」と言った。
9 それは、大漁のため、彼もいっしょにいたみなの者も、ひどく驚いたからである。
10 シモンの仲間であったゼベダイの子ヤコブやヨハネも同じであった。イエスはシモンにこう言われた。「こわがらなくてよい。これから後、あなたは人間をとるようになるのです。」
11 彼らは、舟を陸に着けると、何もかも捨てて、イエスに従った。
【お話しを聞いて】
特に印象にのこりましたのは、「深みに漕ぎ出して」についての理解ですが、これを縦軸から理解しようとするなら、聖書の御ことばを更に深く学び、神と深くまじわり、お祈りをするということをイエス様は言っておられる。そして、これを横軸から理解しようとするなら、やはりこれは、もっと多くの方々に、自分の家族、友人、知人にイエスさまの愛と恵をおつたえしましょうということであると学びました。
※実際の説教は50分ほどですが、一旦は全文起したのですが、時間的な事情もあり、このような御紹介とさせていただきました。尚、写真は教会の週報からの転載です。
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神は仰せられた。「光があれ。」すると光があった。
創世記1-3
真夏の強烈な光には辟易することもあるけれども、概して光を浴びているとき、光に向かって動いているときには、無条件に幸せだと感じられる。この写真も12月の一枚。
今朝の5、6時には-9.1まで下がったようだ。日中も最高で-0.1.。盛岡城跡公園下、もりおか歴史文化館のところで毎朝体操している方々は、恐らく昨日も今朝も集まっておられたろう。参加して早起き散歩、体操の自己記録を打ち立てる事にも魅力は感じるが、残念だが自重しておいた。日中に主人と近場を30分程度歩いた。
今朝、テラスに下がる氷柱に朝日があたり、きらきらと光っていた。一日の締めくくりに思い出されたのがこの氷柱だ。光がある、何かを照らし何かを輝かせる光がある。もし人にこんな力があったなら、どんなに素晴らしいだろうか。
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今朝はそれほど雪が降っていたわけではないけれども風があった。ラジオ体操はとてもいいことだけれども、「主の祈り」を口ずさみながら静かに歩くこともまた捨てがたいので、是が非でも間にあわなければというのではない。ただ、その場所にちょうど6時半ごろに差し掛かったので、きょうも参加。しかし無理はしない。明日からは冷え込みそう。今の気象はひと昔とは違って侮れないと思っている。寒中には、天気でも良くなければ、やはり山の方には足が向かない。足元が悪い。街中の方が除雪されているために、はるかに歩きやすい。今朝もまだ暗い6時に、近くの武道館には灯りが点き、駐車場を車が出入りしていた。4人が空手か柔道か、稽古をしていた。素足だった。これが日本の格技というものかと、どういうわけか初めて違和感を持った。コインランドリーにも煌々と明かりが点き、洗濯の仕上がりを待っている一人の姿が。
きょうは10時ごろから4時まで図書館。でんでんむしバスで帰宅。1時間ばかりベルリン・フィル、デジタルコンサートホールのアーカイブスでランランのピアノ、プロコフィエフだが、2回聴いたが素晴らしかった。切れの良い爽やかな演奏だ。演奏を見ていて、よく指を骨折しないものだと思う。
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今朝の散歩の途中、女性の方が岩手日報社の掲示板に掲示されている新聞を読んでらした。私に「おはようございます」と声をかけてくださったので、この方もきっと毎朝歩いている方だなと思い、「いつも歩いてらっしゃるんですか」と訊くと、「365日」と仰る。訊くと、もりおか歴史舘に6時半に集まってラジオ体操をしているという。35年前から365日、といってもこの間に中津川が増水したことが1日だけあり、その日だけは休んだ、するとどこからか「どうしたのか」と電話がかかってきて、それからは休むことなく続けているそうだ。最後まで話を聞いたところ、この方の御主人(86歳)が皆さまのためにラジオを持参しているのだった。新聞やテレビにも紹介されたらしい。最近も取材の申し込みがあったがお断りしたという。ということで今朝はこのラジオ体操に参加してみた。96歳の方が自転車を引っ張って本町から参加していたのには驚いてしまった。話したのは謂わば主催者の立場の方だったわけだ。Sさんと仰る。これは大変な社会貢献だと思った。夏場には100人からの人々が集まったこともあるという。今朝は30人ほどだったろうか。始まる時にはまだ暗くてお互いの顔が見えないのだが、終わるころには、雪がちらほら舞う中に漸く明るみがさしお元気な面々が見えてきた。
Sさんが「朝に歩いたり体操したりするようになる以前は、よくカゼをひいていたけれども、やり始めてからカゼをひかなくなったの」。私も朝歩くようになってからはまだカゼをひいていない。
午前はお祈り会。午後はホーマックで座イスを購入。座イスはあまり好きではなかったが、炬燵に座っている時の姿勢が悪くなるので使う事に。今も炬燵で作業。炬燵を使うようになったのもつい最近のことだ。
取りあえずは今日も何事もなく守られたことに深く感謝する。
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今さっき、ノンランで居間でやっていたネットが繋がらなくなりヒヤリとした。慌ててまた自室にパソコンを持ち込んで回線を繋いだところ、無事に繋がった。このヒヤリとした瞬間に何を思ったか、今やっている懸案事項を探るのには大変な時間を要することになる。社会的に重大なことをやっているわけではない。やれなくとも自損だけで済む事ではある。しかし、ネットが使えないと二進も三進もいかないのだ。一方、これほどまでにネットに頼るようになっていることに怖さをも覚える。
今朝は6時起き。かなり冷え込んでいるなと思った。迷うところもあったが、散歩を決行。市中が今何度であるか見たいとも思った。途中に-7℃ と出ていた-5ぐらいかと思っていたが。いつも歩きながら予想する気温と1、2度違っている。だからこそ防寒はしっかりとしなければ。歩いている間は決して寒くはない。帰宅して血圧を測定すると120/70といったところだ。無理をしてはいけないと思うが、やはり歩くことは体力気力に繋がる事だと思う。朝の空気には特別なエネルギーを齎す何かがあるのではないか。
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今朝6時、外に出ると小雪がちらついていた。きれいに除雪され黒く路面が現れている路上にうっすらと積もっている。1時間ばかり歩いて、いつものスーパーで買い物をし7時に帰宅。
正月休みも終わって、仕事が始まっている。帰省していた方々も勤務地に戻ったことだろう。わが家も二男が戻っていき、もとの生活パターンになる。明日の朝は冷えるらしい。星がきれいに輝いている。
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日曜日にはインマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924)の講壇のメッセージをおつたえしています。新年に踏みだしておりますが、今日は、2013年12月29日の國光勝美牧師による説教です。
【聖書引証】詩篇103:1~22
ダビデによる
1 わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。
2 わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
3 主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、
4 あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、
5 あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。
6 主はすべてしいたげられている人々のために、正義とさばきを行われる。
7 主は、ご自身の道をモーセに、そのみわざをイスラエルの子らに知らされた。
8 主は、あわれみ深く、情け深い。怒るのにおそく、恵み豊かである。
9 主は、絶えず争ってはおられない。いつまでも、怒ってはおられない。
10 私たちの罪にしたがって私たちを扱うことをせず、私たちの咎にしたがって私たちに報いることもない。
11 天が地上はるかに高いように、御恵みは、主を恐れる者の上に大きい。
12 東が西から遠く離れているように、私たちのそむきの罪を私たちから遠く離される。
13 父がその子をあわれむように、主は、ご自分を恐れる者をあわれまれる。
14 主は、私たちの成り立ちを知り、私たちがちりにすぎないことを心に留めておられる。
15 人の日は、草のよう。野の花のように咲く。
16 風がそこを過ぎると、それは、もはやない。その場所すら、それを、知らない。
17 しかし、主の恵みは、とこしえから、とこしえまで、主を恐れる者の上にある。主の義はその子らの子に及び、
18 主の契約を守る者、その戒めを心に留めて、行う者に及ぶ。
19 主は天にその王座を堅く立て、その王国はすべてを統べ治める。
20 主をほめたたえよ。御使いたちよ。みことばの声に聞き従い、みことばを行う力のある勇士たちよ。
21 主をほめたたえよ。主のすべての軍勢よ。みこころを行い、主に仕える者たちよ。
22 主をほめたたえよ。すべて造られたものたちよ。主の治められるすべての所で。わがたましいよ。主をほめたたえよ。
【説教】
今年最後の聖日礼拝を迎えております。
ああ年末がきたなあと意識させられるのは、クリスマスは勿論の事、ベートーヴェンの第九、そして落語の名作「芝浜」といったところでしょうか。
私はこの年末に、ベートヴェンの第九が、聖書の詩篇103篇に通じるものがあると思いました。最後の楽章が歓喜の大合唱となる。これは詩篇103篇によく似ています。この詩篇を書いたイスラエルの王ダビデがこう言っています。
2 わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
ダビデは、私のうちにあるすべてのもの、私を私ならしめている主をほめよと自分に呼びかける。主が良くしてくださった内容を掲げ、そして、私はこんなに弱く足りない、そして乏しく小さな者であるが、にもかかわらず、主はそれらをすべて御存じの上で良くしてくださると言っています。ダビデは人生のどの地点に於いても主を意識し仰ぎ続けた人物です。私たちはどうでしょう。教会にいる時には主を意識するけれども、一歩教会を出た時、あらゆる生活の場面で、また問題課題の中で、ダビデのように、「主は良くしてくださった、顧みてくださった」と感謝することができたでしょうか。しかし、いつでも、どのような厳しい状況の中にあっても「主は良くしてくださった、顧みてくださった」ということができる、これがクリスチャンの特権であります。
詩篇16:8を見ましょう。
8 私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。
ダビデはこのような信仰を貫いており、そして詩篇103篇を詠みました。
103篇の3、4、5節ですが、特に3節には、「主はあなたの……病をいやし」とあります。この度、幾代子先生が入院いたしました。本人としては、この入院によって日曜礼拝にできないのはとても不本意で辛い事なのです。しかし私が、「今度礼拝で、103篇から『わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな』というお話をするんですよ」と申しますと、幾代子先生は電話の向こうで、「そうね、そうよね、主のして下さった事を何一つ忘れてはいけないのよね」、こう頷かれました。
まして深刻な病や辛い立場の只中にある方にとって、この詩篇にある「病をいやし」に、アーメンとうなずけない場合があるでしょう。けれども、神様の視点は、私たちの視点とは違います。黙示録にあるように、神様の視点から見た時には、もはやそこに病は無い。もはやそこに涙はない。私たちは今、この地点からごく限られた狭い一部分を見ているにすぎない、しかし、神様の視点に立つなら、感謝の先取りをし、ダビデのようにアーメンと頷くことができるのではないでしょうか。視点を変えることが大切です。
つい先ごろ、「神の数式」という番組を見ました。世の中が何次元でできているかを、学者たちが一般の方々にも分かるように例を引いて解説してくれました。綱渡りの場面が出てきました。綱を渡っている人には前に行くか後ろに行くかしか選択肢がありません。彼は1次元の世界にだけ生きている。次にこの綱にテントウムシを放してみました。するとテントウムシは綱の太さの分をぐるぐると回ります。この小さなテントウムシにとってロープは平面であり、ロープの平面上をぐるぐる回っている。これは2次元です。
私は今病に苦しんでいるのだ、とても感謝なんかできない、或いは、辛くて感謝どころじゃない、これも一つの差し迫った否定することのできない認識です。だけれども、それを全く別の視点、角度から見た時、つまり、黙示録の角度、神様が言われる「我は始めなり、終わりなり」、「いやさきなり、いやはてなり」、「アルファなりオメガなり」と言われる、軸を超越した神様の視点から見る時に、これらのことはみなアーメンと頷くことができるのではないでしょうか。
私たちはあまりに自分の次元だけで物事を見てしまう事が多い。しかし今1年を締めくくり、新しい年に入ろうとするときに、視点を全く変えて物事を見る事ができたならば、詩篇103篇はまさに歓びの歌、賛美の歌になるでしょう。103篇の3、4、5節は、ダビデが、私たちの持っている視点をはるかに超えていた事に気付かせてくれます。
103篇19~22節は、滅びから贖われたわたしが主をほめたたえるのは、これはもう当たり前なのだ。おまえたちも一緒に主を賛美しようじゃないか、わたしのこの賛美に加わってくれ、主をほめたたえよ天の軍勢なる御使いたちよ。このようにダビデは、全宇宙大に「22 主をほめたたえよ。すべて造られたものたちよ。主の治められるすべての所で。わがたましいよ。主をほめたたえよ。」と詠っています。
ベートーヴェンの第九は、まさしくこれです。いよいよ第4楽章に入って、先ず第1楽章の主題が徐に鳴る。すると、そうじゃないという響きが起こる。それではと、第2楽章の主題が鳴るが、これも違う。第3楽章の主題にも、ノンという。そして漸く、それだよという主題が流れてきて高らかにその主題を歌いあげる。そして次つぎに合唱が加わってくる。「つらいところを通ったね、だけど違うよ、違うよ。こういうところも通ったね、だけど違うよ違うよ、こういうところも通った、だけどこれがあるじゃないか、最後にはこれがあるじゃないか。」、このように聴こえてくるのです。
これがあるじゃないか。「主をほめよ」、もうすべての者たちに「主をほめよ」とダビデは詠っています。
2 わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
この1年の締めくくりに、このことを今一度心に留めさせていただき、新しい年に踏みい出したいと思う事です。
※できるだけ聖書に関することのみを書かせていただいております。先週の復習、前置き、教会の報告に関する部分は割愛いたしました。文責:中ぶんな
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今朝7時、路上はアイスバーン。買い物は早い目にと、最寄りの24時間営業のスーパーまで散歩がてらに歩く。広い駐車場内を小型除雪が小回りを利かせて除雪中。一角には雪が巖のように積まれている。店内の客は2、3人。店のスタッフはレジが一人、商品陳列の方々が三人は動いていた。ここはコンビニではない。果たして深夜の客はどれぐらいだろう。広い惣菜コーナーには、スパゲティーのパックが2つだけ残っていた。今朝のラジオで、主婦が食事を作らなくなっているという。忙しいのだろうか。惣菜コーナーが日々に充実し、工夫され、品数を増やそうとしているのが分かる。食通というわけではないが、惣菜はできるだけ控えるようにしている。けっこうおいしくできているのだが、塩分と油分が多い。数値に必ず出てくる。
アイスバーンという題で書いているつもりが、ついラジオ放送を思い出したところから、食品の話になってしまった。何れ健康を守る食事は作るのが一番であるようだ。しかし、これらの事がどうにか意識に定着したのも、一時期数値が最悪になってからのことで、やはり悟るのは遅かったのだ。ちょっと飛躍するようだけれども、農業の問題も最早どうにもならないという局面に差し掛かっているのではないのか。せめて今新鮮で美味しい野菜や果物、肉を生産し、魚を捕ってくださっている方々に感謝しよう、そんなことを思いながらアイスバーンの道をまた家へと引き返した。白く透き通った道、まるで大理石をこわごわと踏んで歩いているようだ。このような道を50ccのバイクが、ゆるりと走りぬけて行った。
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ブログは生存証明みたいなものといつか書いたけれども、昨日は更新をすっかり忘れていた。きのうは午後から来客、退職して九戸に転居した友だちが、いま盛岡に来ているのだがと電話をくれた。初売りに出てきたという。主人と息子に出かけてきていいかと訊くと、「何もないからどうぞ」。主人に待ちあわせの某デパートまで送ってもらい、久しぶりに対面。友だちは、迷惑をかけるから電話だけと思ったようなのだが。
年末までに仕上げなければならない原稿をやっと元旦の22時に添付で送信。今日はゆっくりしようと思っていた矢先の電話だった。向こうでの暮らしのようすを聞くなどし、けっこう楽しい時間を過ごしてから帰宅すると、今度はまた電話が入り、従兄が元旦に亡くなった事を知った。あまり会うことは無かったけれどもショックだった。年の瀬で無理をしたのかもしれない。
そしてその夜にパソコンを開けると、メールで知ったのは、年末の主婦としての或いは嫁としての役目からか、また来客もあったようだが、風邪をこじらせたか、過労でか、寝込んだ方が。この方は日頃からとにかく頑張る方なのだ。
二男が一つ、私にとって大変都合のいいことを言ってくれた。「お正月というのは、何も大した料理を作ったり、無理してまで掃除したりしないで、みんながゆっくり休む日じゃないの」。
今回私はこれに“力”を得て、家事系の仕事はぐんと肩の力を抜いた。尤も、2日目には余所様のブログでおせちの写真を見て、慌てて作り足した一幕もあったけれども。
実は斯く言う私も、30日から元旦の夜までは、こまめに血圧を測っていた。そして今現在は正常。
こうしてみると、年末年始はもしかすれば最も危険な時であるかもしれない。年を越す前に何としても片づけてしまわねば気が済まないとか、徹底的にやってのける真面目な主婦の方々は特に御用心!
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