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クリスマスおめでとうございます! きょうのことば『キリストの謙卑』ーアドベント3-

  クリスマスおめでとうございます!!
きょうは全世界のクリスマス礼拝の日です。

         

クリスマス・リース       

 日曜日は、インマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924)の講壇のメッセージをおつたえしていますが、きょうは2013年12月15日の國光勝美牧師の説教です。きょうのクリスマス講壇は来週おつたえいたします。

最後の晩餐 の画像 p1_5


【聖書引証】ピリピ2111

1 こういうわけですから、もしキリストにあって励ましがあり、愛の慰めがあり、御霊の交わりがあり、愛情とあわれみがあるなら、
2 私の喜びが満たされるように、あなたがたは一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにしてください。
3 何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。
4 自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。
5 あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。
6 キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、
7 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、
8 自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまで従われました。
9 それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。
10 それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、
11 すべての口が、「イエス・キリストは主である」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。

【説教】

ピリピ9章から、神が人となってくださった事実に格別な思いを向けております。創造者なる神であられるイエス様が、被造物である人となってくださった。罪を犯し裁きを受け死ななければならない人間の罪の身代わりとなるために、つまり罪びととなるために、イエス様は御自分をこの世に顕してくださいました。

私は、ヘビとミミズが苦手です。もし私が誰かから「おい、お前、ミミズを救うためにミミズになってくれ」、或いは「ヘビを救うためにヘビになってくれ」と言われたとしても応じかねます。とても耐えられません。しかしイエス様は罪びとを救うために罪びとになってくださった事を再確認させていただきたい。

先週(8日)は、このイエス様の御謙卑を7つのステップで見てみました。先ずは、野球選手が投げる直球のように、聖書の御聖言をそのままにお伝えし、イエス様の御謙卑について理解を深めました。こんどは、この事をより一層知るために、きょうは、裏側からも考えてみたいと願っております。

イエス様が人間となられたのは、私たちを罪から救うためでした。それでは、その罪の本質は何なのでしょう。それは傲慢です。だからこそイエス様はその対極である御謙卑を現わされました。

 

ここでいう傲慢とは、神のようになるということです。イエス様の御謙卑が、よく私たちがいう謙遜とは意味が違うように、ここでいう傲慢も一般的な意味ではなく、深くいうなら「私は神のようになるのだ」という思いあがりのことです。これが罪の本質です。創世記3章に出てくるアダムとエバ、これは単なる神話ではなく、私たちの罪というものを見事に表わしている出来事なのです。

 

神様は御自身に似せて人を造られ、この世の支配を委託しました。神に従いつつこの世を治めることが生命部分であるのです。サタンはよくこれを知っていました。本来サタンは天使たちの中で最も輝いている存在でした。しかし自分が神の座に着こうとしたときに、地に落とされてしまったのです。アダムとエバのとき、サタンは既に存在していました。サタンは体験的に罪の本質が何であるかをよく知っています。創世記3章、

 

4 そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。5 あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」

 

 サタンはこのように人を神から遠ざけようとし罪に誘います。「神のようになり」、このところが、神にとってもサタンにとってもポイントとなっています。残念ながら、これが人間が犯した罪の本質です。

 

 さらに聖書の創世記11:4にはバベルの塔が書かれています。

 

4 そのうちに彼らはこう言うようになった。「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。

 

 人間の手によって頂が天に届く塔を建てる、これは自分たちの手によって神に届こうとすることです。バベルの塔は、神を認めようとしない人間の一般的な価値観を象徴的に表わしています。

 

 今、物理学は驚異的な進展を遂げていますが、原子爆弾をこの地上にもたらしました。原子物理学を専門に勉強していてクリスチャンになった兄弟がいましたが、彼は「核分裂はまだ許せる、しかし核融合という火を手に入れると、とんでもないことになる。これはもう神の領域にはいるのだ」と言いましたが、まさしくそういうことでしょう。原子爆弾が、この世界に何をもたらすバベルの塔であるかは言うまでもありません。

 

 生命科学を見ましても、最新医学の医学者たちは良かれと思って生命を扱っている。しかしこれが一体どのような終局を迎えようとするものか、生命科学においても、バベルの塔を建てつつある。

 

芸術に於いてもそうです。確かに神様は、人間をお造りになるときに、美という価値観を与えてくださった。それが罪に汚染され、神無しという価値観の中で汚染され、自分の欲望を神として自らのおもむくままに進んでいくとき、それは自分の欲望を神として具現しているバベルの塔であると言えないでしょうか。これは、美術、音楽、文学に於いて言える事です。

 イエス様の御謙卑を表側から見てから、次には、こうして裏側から罪がいかに傲慢であり神のごとくになろうとする事が、罪の本質であるとわかってみますと、イエス様の心がどういうものかが分かるでしょう。マタイ2028にある通りです。 

「人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです。

 

 そうです。イエス様の謙遜は、罪の本質と裏表である。

 

 イエス様は最後の晩餐で、お弟子さんたちの足を洗われました。まもなく十字架刑が待っているという時です。このとき、鈍いお弟子さんたちは、いよいよ先生が自分の王国を確立される気配だが、その時は一体誰が側近になるだろうかと互いに思い巡らしていたのです。この中でいったい誰が一番偉いのか。罪の本質がここにも表れています。

 

 その時イエス様は、弟子たちの足を洗いました。当時それは奴隷のする事でした。それを、神の子イエス様がここまでして下さった。心をこめて洗足という使命を果たされました。これを背景にしてヨハネ519をご覧ください。

 

19 そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。子は、父がしておられることを見て行う以外には、自分からは何事も行うことができません。父がなさることは何でも、子も同様に行うのです。」

 

 イエス様は何でもおできになるにも関わらず、「子は、父がしておられることを見て行う以外には、自分からは何事も行うことができません」と言われました。本当に服従し、仕える者の姿を取り続けられたお方です。

 

 そしてこのピリピ2:89

 

8 自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまで従われました。9 それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。」

 

 どうでしょう、このイエス様を高く上げられたのは神様です。イエス様には、どうだ従い続けただろう、だからわたしは高くなるのだといったところが微塵もありません。イエス様は僕の姿をとり、十字架の死に至るまで従い続けてくださった。その姿を神様は高く上げてくださったのです。

 

自らを高くしようとするのは悪魔的な本質です。皆さまのことは神様が引き上げてくださる。私たちが救われて御国に迎えられるのは、私が何かをしたからではなく、本来的な意味でいうのなら、神様が憐れみのゆえに引き上げてくださる。十字架の贖いを信じ、このお方に従って、為すべき事を為した者を、神様は「よくやった、善かつ忠なる僕だといって御国に入れて下さいます。

 

聖書の中から、このような信仰者を挙げるとすれば、旧約聖書にヨセフが出てきます。妬まれてエジプトの大臣の家に奴隷として売られてしまい、ここでも妬まれて牢獄に入れられてしまう。しかし、ついには神がヨセフを高く上げてくださいました。またダニエルもいます。捕囚の地にあったが、神は彼を高く上げられました。そうです。いつでも上げて下さるお方は神様なのです。

 

9 それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。」

 

「神のようになる」、これが罪の本質であり、傲慢というものであること、そして、その裏返しがイエス様のおすがた、在り方であることを心に留めたいと思います。

 

ピリピ25 あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。」

 

キリストの心を心とせよ!

※先週の復習、また、物理関係、生命科学に関する説明は、若干割愛させていただいております。これは教会としてのブログではなく、自主的にレコーダーに録り起し、書かせていただいております。文責:中ぶんな

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