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きょうのことば『キリストの顕現』ークリスマス講壇-

日曜日は、インマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924)の講壇のメッセージをおつたえしています。きょうは20131222日クリスマス礼拝、國光勝美牧師のお話です。

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【聖書引証】ヘブル書92328

 

23 ですから、天にあるものにかたどったものは、これらのものによってきよめられる必要がありました。しかし天にあるもの自体は、これよりもさらにすぐれたいけにえで、きよめられなければなりません。
24
キリストは、本物の模型にすぎない、手で造った聖所に入られたのではなく、天そのものに入られたのです。そして、今、私たちのために神の御前に現れてくださるのです。
25
それも、年ごとに自分の血を携えて聖所に入る大祭司とは違って、キリストは、ご自分を幾度もささげることはなさいません。
26
もしそうでなかったら、世の初めから幾度も苦難を受けなければならなかったでしょう。しかしキリストは、ただ一度、今の世の終わりに、ご自身をいけにえとして罪を取り除くために、来られたのです。
27
そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、
28
キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。

 

【説教】

 

 クリスマス、それは神様の顕現、神様がお現れくださった日であります。ヘブル9章にございます。

 

26 もしそうでなかったら、世の初めから幾度も苦難を受けなければならなかったでしょう。しかしキリストは、ただ一度、今の世の終わりに、ご自身をいけにえとして罪を取り除くために、来られたのです。

 

 聖書は神のことばです。この中に、「今の世の終わり」とございます。このヘブル書を記したのはパウロである、いや別な関係者だと諸説ございます。それは兎も角、このヘブル書はおよそ2000年前に書かれました。すると「今の世の終わり」というのは、2000年前の時点を指すのかというとそうではありません。聖書的な理解における捉え方では、「今の世の終わり」には、書かれた時代から2000年経った現在もその期間に入っている。ですから、今は「今の世の終わり」なのです。

 

 人間は罪を犯し死んで裁きを受けなければならない、このところから神様は何とか人間を救いたいと願われ、その救いの手段として神の最愛のひとり子イエス様を、この地上に人として誕生させてくださいました。そして、まったく罪のないイエス様が、私たちの負うべき罪を身代わりに負ってくださり、十字架の上で罰を受けてくださった。この神様の救いの御計画が始まったのが「今の世の終わり」の時なのであります。ヘブル書には、神が「世の終わり」に、この救いの御業を為してくださったことが書かれているのです。

 

 ヘブル926に「ただ一度」とあります。どういう事でしょう。イエス様がこの地上に現れ、十字架上で贖罪を果たす以前は、人は犯した罪の身代わりとして羊などの生贄を毎年、大祭司のもとに持って行った。そして大祭司がこの生贄の血を流して、本来ならば罪を犯した本人が流さなければならないその代わりとして、この生贄の血を流して、大祭司がその人のために神に赦しのとりなしをしていた。25節に書かれているのはその事です。

 

 しかしイエス様が十字架で血を流し赦しの御業を完璧に成し遂げてくださったので、もう身代わりの子羊は必要なくなりました。イエス様が流して下さった血が、私の罪の身代わりです。ですから有難うございますと単純に信じるだけで救われます。

 

 イエス様はただ一度だけこれを為してくださった。十字架の他に罪の解決として必要なものは何もありません。

 

 キリストは、ただ一度、今の世の終わりに、ご自身をいけにえとして罪を取り除くために、来られたのです。

 

 26節にあるこれが2000年前にあった第一の顕現であり、クリスマスの意味です。

 

では、イエス様は今どこにおられるのでしょうか。コロサイ31にあります。

 

 こういうわけで、もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが、神の右の座を占めておられます。  

 

 イエス様は、「神の右の座」におられます。

 

またコロサイ33には、

 

あなたがたはすでに死んでおり、あなたがたのいのちは、キリストとともに、神のうちに隠されてあるからです。
とあります。私たちのいのちがキリストのうちに隠されている、これはどういうことでしょう。

 

 そうです。キリストの十字架の死が、私たちの罪の死である。キリストが私の罪の為に死んでくださったことを信じているので、私はすでに死んでいるのです。しかし、イエス・キリスト様が三日目によみがえって天に帰られた、そのいのちに私は生きている。キリストの復活は空想話ではありません。事実、死んでよみがえり、天に帰ってゆかれた。そして聖書には、「あなたがたのいのちは、キリストとともに、神のうちに隠されてある」と書いてある。私たちのいのちは天にある。そして4節、「私たちのいのちであるキリストが現れると、そのときあなたがたも、キリストとともに、栄光のうちに現れます。」とある。

 

 ここにも顕現が書かれています。この顕現については、ヘブル928節を見ればよくわかります。

 

 キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。

 

 今の話をまとめますと、今イエス様は天の神の右の座に着座しておられる。神の御前に今現れていてくださる。

 

 ヘブル619この望みは、私たちのたましいのために、安全で確かな錨の役を果たし、またこの望みは幕の内側に入るのです

 

 この「幕」は、その昔、神が臨在する場所と他の世界とを隔てるものでした。そしてこの幕の内側は神の臨在がある至聖所といわれる。幕の内側には年に一度、大祭司が入ってとりなしの祈りを捧げることができる。これはまことに神聖な儀式です。仮に大祭司が不都合をしでかし、神に打たれて死んでしまったとしても、たとえ同僚といえども至聖所に入ることは許されない。そこで紐をつけておいて、万が一にはその紐を引っ張って外に出すようになっていた。それほどに神聖な場所でした。

 

 イエスさまは、天国というこの幕の内側におられるのです。私たちには見えませんが、私たちは、信仰というイエス様に繋がっているつなを持っている。イエス様は、不都合をしでかし打たれてしまうような大祭司ではありません。神ご自身なのです。このお方が、信じる者の力となって、一緒に幕のうちに入っていてくださる。私たちが握っている信仰というつなを辿っていけば、必ず天に行く事が出来る。イエス様は私たちの先駆けとしてそこに入り、永遠にメルキデゼクの位に等しい大祭司となられました。このメルキデゼクは、人間的な血筋による大祭司ではない、神によって突然現わされた大祭司です。それと同じように、イエス様というお方は、人類の贖罪という神の使命を持って、突然に現れたお方です。

 

 ここでちょっと私の感動をお話します。

 

 ある兄弟と舟で海釣りをしました。水深780メートルほどの地点で、釣りざおの先におもりをつけて垂らしましたところ、おもりが海底に届いてトントンといった手ごたえを感じたのです。感動しました。見えないけれども確かにおもりが海底に届いているのです。同じように、今は見えないけれども、自分のいのちは確かにキリストとともに幕の内に入りキリストと共にあるのです。

 

 さてイエス様の第二の顕現はどうでしょう。

 

28 キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。

 

 二度目は、私たちの罪を覆うためではなく、イエス様を待ち望んでいる者たちの救いの為に来られるとあります。

 

 クリスマスと言いますと、一般的には、2000年の昔ベツレヘムの馬小屋に神の御子がお生まれになった過去の出来事と見ることが多い。それはまさしくその通りなのですが、しかし、これを神の顕現という角度から見れば、神は2000年の昔に一度私たちの前にそのような形で現れてくださった、そして、このお方は今現在天の幕の内、神の御前に現れてくださり、私たちは今そのお方と一緒にあって、そして今度、二度目には、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる者たちの救いのためにおいでになられる。これをキリストの再臨といっております。

 

 イザヤはキリストが生まれる700年前に預言しています。そのことは、イザヤ書の52章の終りに、そして53章に書かれています。一人の男の子が生まれそのお方が私たちの罪の為に十字架に架けられることが預言されております。

 

そしてイザヤ96には、このお方は、ダビデの王座に着き、とこしえの君、平和の君と呼ばれると預言されております。

 

6 ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。

 

私たちは、やがてこのお方が、王の王、主の主としてこの世においでくださるのを待っているのです。

 

どうぞこのことを心に留めていただきながら、このクリスマスをより一層深く思い見、過ごしていただきたく存じます。

 

 

 

※メッセージのうち、聖書に関する部分のみを書かせていただきました。スクリーンでの解説は割愛しております。文責:中ぶんな

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