きようのことば『神の御子の現れ』ーアドベント(1)ー
日曜日には、インマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924 )の講壇のメッセージを、お伝えしています。きょうは2013年12月1日の國光勝美牧師の第一アドベント講壇です。
【聖書引証】ピリピ書2:1~11
1 こういうわけですから、もしキリストにあって励ましがあり、愛の慰めがあり、御霊の交わりがあり、愛情とあわれみがあるなら、
2 私の喜びが満たされるように、あなたがたは一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにしてください。
3 何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。
4 自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。
5 あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。
6 キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、7 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、
8 自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまで従われました。
9 それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。
10 それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、
11 すべての口が、「イエス・キリストは主である」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。
【説教】
主の御降誕を待ち望む待降節に入りました。第一アドベントがこの1日、第二が8日、第3が15日、そして第4アドベントである22日に、世界中のクリスチャンと共にクリスマス礼拝を守ることになります。きょうは聖餐式を持ちたく願っております。
さて、ピリピ書に心を留めましょう。1~5節は、イエス様の御降誕、十字架、御生涯に目を留めて、皆が一致してイエス様のような心のあり方で歩みましょうと勧めています。それでは、イエス様のとは、これを今日のキーワードとして、特にクリスマス節季でもありますので、聖書が教えている神様に理解を深める必要を覚えます。
神様とは一体どういうお方なのか。それは、三位一体のワンダー、即ち、すばらしい、不思議なお方なのであります。三位一体は、実にワンダフルな神様のあり方なのです。聖書は確かに、三つの神様がおられ、第一、第二、第三の位核があること、そしてこの位格の間には優劣がないことを教えています。
一つは、父なる神様です。イエス様は私たちに「天の父なる神様」と祈りなさいと教えています。「父なる神」と呼ぶべき神様がおられる。
と同時に、ピリピ2:6には、「キリストは神の御姿である方」ともある。つまりイエス様は神ご自身であるといっているのです。そのイエス様が、「私は父がなさる以上の事は何一つできません」といっておられる。ここに神御自身であるイエス様は、父なる神様に従う存在であられることがわかります。第一の位格は父なる神様であり、第二の位格は子なるキリストです。ここでまた、聖書には、父なる御子、子なるキリスト、それからもう一つ、使徒1:8に「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます」とあるように、聖霊なる神が記されています。「聖霊に逆らうことは、神に逆らうこと」ともあります。イエス様が公生涯に立たれるときも、聖霊が鳩のようにイエス様に降りました。この第3の位格である聖霊なのです。実は今の時代、この聖霊なる神様が私たちと深く関わっておられます。
父なる神様が、神様に背き罪を犯してしまった人間を何とか永遠の滅びから救いたいと痛みを持つほどに願われていた。そのお心を知る御子イエスさまが、その父の願いを私が遂行しましょうと、罪を犯した人間の姿をとって地上に降り、十字架に架かって罪を犯した人々の身代わりに刑罰を受けるという、この御計画を地上に具体化されたのがクリスマスなのです。2000年の昔、イスラエルのベツレヘムに神がお生まれになったその事実がクリスマスであります。そして、この真理を、私たちに、私に、頷かせ、納得させてくださるのが、聖霊なる神様の働きです。御聖霊様は、このように私たちにとって、いちばん関わりが深いお方です。神様を信じて新しく生まれるというときにも、真理の御霊が漸く私たちの霊の機能を回復して下さって、真理を悟らせてくださる。
自動車を作ろうとの意図のもとに設計がなされ、工場で組み立てられたとしても、それだけでは車は走らない。ガソリンを入れ、エンジンをスタートさせて初めて車は予定通りに動きます。私たちの救いにも、聖霊というお方が、ガソリンのような役割を果たし、点火をしてくださったときに、「そうです、その通りです」と心から告白することができます。この御聖霊様が第3の位格としておられます。
この三つの神様が一つとなって「神は唯一」と申します。これが三位一体の真理です。人間の理解を超えるところです。
エホバの証人の方々は、イエス様、御霊様に神性を認めていません。イエス様も御聖霊様も神ではないと言います。このような考え方は、今に始まった新しいことではなく、すでにイエス様の時代から神を考える際のバラエティー、バリエーションは色々ありました。所謂異端といわれるものは、それらの焼き直しにすぎません三位一体を否定するものは、悪から来るものであると聖書はいっています。キリストがまことの人となったことを否定するもの、それはサタンからきたものです。
矛盾に満ちているようであるけれども、聖書は三位一体の真理を教えています。
こんどはイエス・キリストというお方に焦点を合わせてみましょう。イエス・キリストは、三位一体の第2位格の神御自身です。イエス様は、全き神であり全き人間であります。私たちと同じ人としてこの世においでくださった。いったいどういうことかと思うでしょう。これは神人合一のミステリー、ワンダーなのです。
ピリピ2:「「6 キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、7 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました」、これは、イエス・キリストが神から人になられたということです。
神は万物をお造りになられるお方です。この創造者としての立場を捨てて私たちと同じ人間になってくださった。何という大きな出来事でしょう。更にいうなら、神から怒りを買い、裁きを受けなければならない罪びとになってくださったのです。そして十字架にまで従ってくださった、「8 自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまで従われました」。
どうぞこの意味をしっかりと心に留めて、クリスマスの恵みを味わわせていただきたいと思います。
※二元論、グノーシスに関する詳しい解説がありましたが、割愛させていただきました。 文責:中ぶんな
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