クリスマスあれこれ
きのうは教会のクリスマス礼拝、そして午後には祝会があった。祝会は一年で最も楽しいときだ。教会には今5人の兄弟姉妹がいらっしゃる一家が来て下さっている。この兄弟姉妹のハンドベルの演奏はほんとうに心温まり、また何とも言われぬ可愛さだった。また若い姉妹の弾き語り、兄弟姉が組んでの楽器演奏、独奏と、これはもう上手下手を超えた楽しさがある。毎年ゲームを考えてくださる方がいて、総参加で湧いている。ケーキを作って下さった方、また楽しいプレゼント交換などなど、皆が大いに楽しんだ至福のひと時だった。![]()
私が奉仕できたのは皿洗いである。洗いながら、何でも検定の世の中だが、はて、皿洗い検定はあったかなと考える。これが検定となると、洗った後に細菌が残っているかどうか、脂がとれているかどうか、ひび割れはないかどうかという項目がチェックされるのだろう、そうか、食器洗い機は、このような項目をクリアした商品なのだな、などと思ったりした。洗う速さだけは自負しているが、家ではこれまでに破損した数も半端ではない。どれだけ短時間で洗う事ができるか、洗う度に記録の更新に挑んでいる側面もある。最近はやや慎重になってか、破損はぐんと減っている。![]()
話しはクリスマスから逸れたけれども、また戻って、
きょうはキャンドルサービスだった。クリスマスの讃美歌をたくさん唄い、聖書の交読をし、メサイアを聴き、説教に与った。そしてトーンチャイム演奏をし、祈った。実にクリスマスらしいクリスマス、神様の祝福をいただいたクリスマスキャンドルサービスのひと時だった。![]()
日曜日ごとに説教を載せているけれども、実は、いかにレコーダーを書き起してそれを読んでいただいたとしても、絶対に知り得ない事がある。それは、教会にいったときにそこにある神の臨在である。霊的な雰囲気、或いは神の言葉を納得させてくれる霊妙さとでも言ったらいいだろうか。聖書のことばから霊感をいただくことはある。しかし説教はやはり、教会で聴くべきものであると思う。文面でだけ読んだ場合には、ただただ厳しく硬いという印象を持たれる場合があるだろう。しかし、教会に出向いてそれを聴くときには、そこにプラスα、心の安らぎ、得心といったものがもたらされるように思う。![]()
新しい方々もいらしてくださり、これもまた喜びでした。
かくして、これまでの人生を振り返って、自分の在り方を神様にさまざまとお詫びしたクリスマスでした。
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