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きょうのことば『喜び・祈り・感謝の日々』

日曜日は、インマヌエル盛岡キリスト教会(℡019646-2924)の講壇のメッセージをお伝えしています。きょうは2013年11月10日、國光勝美牧師です。

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【聖書引証】第一テサロニケ51624

16 いつも喜んでいなさい。
17 絶えず祈りなさい。
18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
19 御霊を消してはなりません。
20 預言をないがしろにしてはいけません。
21 しかし、すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守りなさい。
22 悪はどんな悪でも避けなさい。
23 平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。
24 あなたがたを召された方は真実ですから、きっとそのことをしてくださいます。

 【説教】

 ―今朝の説教に入る前に、この度のフィリピンの被災された多くの方々のために、また御地にある多くの働き人の方々、福音のために労されている方々、兄弟姉妹方、この教団から派遣されております宣教師、兄弟姉妹方のためにお祈りが捧げられましたー

 私たちには、インマヌエル教団が大切に受け継いできた、これからも受け継いでいかなければならない「きよめ」という信仰の要素があります。創設者蔦田二雄先生が、亡くなるすこし前に、きよめとは何であるかを語ってくださいました。私は恐らく瞬時的なきよめ、或いは、継続的な罪性の除去、聖霊の満たしといったことを期待しておりました。しかし、先生は、きよめとは、人格の円満さであると仰いました。すると、よく修養を積んで円熟することがきよめなのだろうと私は思いました。その時は違和感を抱きましたが、歳を経るごとにそれが納得できるようになりました。

 円満さを一般的にいえば、協調性に富むということでありましょうか。しかし、これを別な角度から、波風を立てたくない、長いものには巻かれろか、自主性に乏しいというように思われることもあります。

 さて、人格の円満とは。それは、自分の感情をコントロールできるということではないでしょうか。私たちを取り巻く環境、職場、家庭などにおける暮らしはみな違います。取り組まねばならない問題、課題も違います。そこに於ける自己主張が通らないときに、往々にして怒り、焦燥感、不快感に見舞われる。こういった感情をコントロールできるかどうかです。ちょうど東京でビリー・グラハム大会が開かれる直前、蔦田先生は、いまだかつてない教団の大きな問題に直面していました。先生が、きよめとは人格の円満さ、自分の心、自分の感情を制御できることであると話してくださったのは、実に、この悲しい出来事があった直後でした。だからこそ、あの時の先生の言葉が一層心に沁みるのです。今私はこれを、自分の多くの思い出の中の宝の一場面と振り返っております。

きょうの聖書引証の16節に「いつも喜んでいなさい」を、私たちは大切な個所と知っております。あの國光幾代子先生でさえ、この御ことばにあるように本当にできるのかしらと疑問に思ったことがあるといいます。真剣に聖書に生きようと思えば思うほど、捉えようとすればするほど、「果たして…」というところを通るでしょう。現に、蔦田先生に「このこと、ほんとうにできるんでしょうか」と質問されたらしい。すると蔦田先生は、「これは贖いの恵みをどれだけ知っているかに懸かっています。贖いの恵みに深められ、贖いの恵みに生きることによって、このことは叶います」と答えられています。罪が赦され、神の愛を知る者とされ、贖いの恵み喜びが心の中に更新されるとき、たとえどのような反対、批判、問題があったとしても、つまり環境がどんなに過酷であったとしても、自分が神様の御前に、神様の贖いの恵みによって生きているなら、神からの喜びが乱されることはありません。パウロは言いました「神の国は何処にはあらず、聖霊の喜びにある」と。さらに言うならば、たとえ涙を流しながらもこの喜びはあるのです。もうすでに、私たちはそれを経験してきました。贖いの喜びがあるから人格が円満なのです。「いつも喜んでいなさい」、贖いの恵のゆえにこれを為し得るのです。

17節に「絶えず祈りなさい」とあります。これは聖書でいうところの「愛」として申し上げるのですが、“愛する人”といるという事が絶えず祈ることができるポイントであるかと思います。

宗教関係の番組ではありませんが、たまたま日本を代表する女性のハープ奏者が出演している番組を観ました。司会者が「いったいどれぐらい練習するんですか」と訊きますと、「18時間は練習します」と答えていました。さらに「だってそうでしょう、大好きな人と8時間一緒にいても飽きないでしょ、9時間、10時間一緒にいたいと思うでしょう」といっておられました。これが一流のハーピストとハープの関係です。祈りはちょうどこの関係に似ています。私とイエス様なのです。「絶えず祈りなさい」というのは、何も、やるべき仕事を放り出して四六時中手を合わせていることではありません。いつもイエス様を心に留め、意識し、無意識に意識していること。だからいつまでも祈る事が出来る。

コロサイ3:3には、「あなたがたのいのちは、キリストとともに、神のうちに隠されてあるからです」とあります。パウロがこう言っているのですが、これは、神とのまじわりが深められることで見出した真理でしょう。祈りはこういうものだと思います。

独りごとというのは相手がいないので、そう長くは続きません。話し相手が居てこそ会話は続きます。祈りは神との会話です。これは愛するお方と一緒に居ることなのです。「絶えず祈りなさい」とは、こういうことであり、これが円満な人格を形づくる要素だということです。

18節には、「すべての事について、感謝しなさい」とあります。どういうことでしょう。「すべての事」、これはロマ8:28にもあり、「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています」と記されております。神の御支配がすべてに及んでいることを頷くとき、私たちは、この御ことばを信じる事ができ、たとえ目に見える現実がどうであろうと神に感謝しています。

そして「これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです」と続いていきます。

第一テサロニケ5:23には、「平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように」とあります。

人間を構成する要素は三つあります。一つは、「霊」です。これは神とまじわる機能です。一つは「心」であり、これは私を私ならしめているものです。一つは「体」で、これは切ってだけも切り離せないものです。この三つが見事に調和するのは、それは神様というお方が中心に据えられているときだけです。もしこの中心に神ではなく、罪が入り込んでしまったとき、この三つの調和は破壊されます。先ず、神とまじわる機能が狂ってしまう。そして心のバランスを失います。三つのどれもが歪んでしまう。この罪というのは、私は罪ですよ、悪ですよという形をしては現れません。厄介で怖ろしい。三つのそれぞれが暴走し、ブレーキが利かなくなる。神からの逸脱の多くが、個性だと看做されたり、罪だとは認められていない。これが多くの人間のすがたです。しかし、この真ん中に神がしっかりと納まり、この三つの調がとれるとき、これをきよめられた状態といいますが、このときに円満な人格を現わします。

とにかく心の中の罪、神に逆らう性質を取り除いていただき、神を愛する生活をしたいものです。「その子イエスの血、すべての罪より我らをきよむ」、この御ことばで、きよめの信仰に立つことです。

幾代子先生のお話しの中で記憶に残るのは、「きよめに立った後でも、失敗や未熟さはいっぱいあったけれども、私はきよめの恵みを一度も疑わなかった。一旦神にお捧げしたものを、やはりこれは嫌だといって取り戻したことはありません」と仰ったことです。多くの方々が、きよめの信仰がわからなくなってしまうのは、まだこんな失敗をするのだからきよめができていないのだと、堂々巡りをするからです。イエスさまの十字架の贖いを100パーセント信じて自分を差し出したなら、「御子イエスの血、すべての罪よりわれらをきよむ」「もはや我生くるにあらず。キリスト我が内にありて生くるなり」、こう信じて、そのまま成長していくことです。「きよめ」が人の為せるわざならそれは怪しい、しかし、これは神様がくださるもの、「平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいます」。自分が頑張って聖なるものとなりなさいとは書いていません。平和の神ご自身が、あなた方をきよくしてくださるのです。どうぞこのことを心に留めていただきたいと思うことです。

  

※この日は、教会を欠席しましたが、データ便をお願いし、起しました。若干編集させていただいております。文責:中ぶんな

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