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学徒出陣

  大作を書いているわけでもない、ただ書かせていただいているといったものなのだが、文芸誌に向けた原稿書きの途上で、さまざまなことに気付かせられる。
 今回の終盤、時代背景は太平洋戦争、日本は連合軍相手の戦いに突入していくのだが、村井正一氏が、2,3の事実から類推して、昭和19年の2月に徴兵されていると思われる。これはかなり遅い方だ。それまで、村井氏が病気がちであったことで、徴兵されないできたからだと思う。 

太平洋戦争の年表を見ると、昭和18年の5月に学徒戦時動員体制が決まる。戦争は既に下り坂だった。10月21日に、明治神宮外苑競技場で出陣学徒壮行会が開催されている。これが驚いたことにyou tubeに学徒出陣として動画が出ていたのだ。出陣学徒2万5千人、見送る女学生2万5千人、この日競技場を埋めたのは7万5千人だった。動画をどう見るかはそれぞれかと思うが、涙が溢れて仕方が無かった。勝ち目のない戦争に、これほど多くの若者たちを送りこみ3千人も戦死させ、また生き残ったとしても多くが地獄の経験をすることになったのだ。ならば勝つ見込みがあるなら出陣させてもいいのか、そういうことではないだろう。隙だらけ好きだらけ日記には、映像を資料とした当時の学徒の心境なども綴られている。

 村井氏に赤紙がきたのは学徒出陣の3カ月後。終戦間近だった。この後通信兵として従軍し満州に渡り、シベリアに抑留され、帰還したのは昭和23年1月だったという。村井氏は、御長女に、戦争の場面がテレビに映し出されるたびに、「こんなきれいなもんじゃない」と繰り返されたという。

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